第五十四話 王女の願い事

 思わぬ再会と明らかにされた秘密に、実のところセルティアは結構疲弊していた。

 そうでなくとも明朝から中央地区まで箒で駆けつけ、魔術連盟では無駄に神経をすり減らしたのだ。エルとも気まずいままなのに、まさかこの場で顔を合わせることになるとは思いもしなかった。


(ミミィの話も気がかりだったし……挫けそうだわ……)


 大通りで出会ったミミィから得た情報も気がかりなところがあり、あとでゆっくり審議する必要がある。

 しかしその前に目の前にいる王女にセルティアは話を切り出す必要があるのだが、エルの出生の秘密を聞いてしまい、勢いが削がれてしまった。


「……セイラーン様」

「なあに?」


 いつまでもうだうだしているわけにもいかないので、意を決して口を開く。絶えず微笑みを浮かべているセイラーンに負けそうになりながら。


「今日は戴いた手紙の返事をするために来ました」

「あら、わたくしとお話をするためではないの?」

「セイラーン様といろいろお話をしたいのは山々ですが、あまりゆっくりとはしていられないので……」


 申し訳なさそうに言いよどむセルティアに、王女は寂しそうに微笑んだ。


「セルティアはいつもそうね。またこっそりいらしたの? 何のために証があるのかわからないわ」

「わたしが正面切って参るわけにはいきませんから」


 何度も聞いたことのあるその言葉にセイラーンはため息をつく。王城に立ち入る為の証である記章をセルティアはもちろん所持しているのだがそれを掲げたことはない。

 それはエルも同じでセルティアほどではないが公に記章を見せびらすことはなく、極力近寄らないようにしている節がある。

 セルティアは夢幻の魔女の証として記章が与えられているのに対し、エルの場合は四ツ星の聖騎士として記章を授けられているので隠す必要はないのだが、セイラーンに会う際は内密にしているのでやはり人目を忍んでいる。現在、王女の部屋に侍女がいないのはその為だ。


「毎回思うのだけど……セルティアはどうやってここまで来られているの?」


 記章がなければ王城の敷地に足を踏み入れることはできない。敷地の更に奥にある乙女の宮は厳重に警備が配置されているはずで、内部の手引きがなければ中に忍びこむのは難しいはずだ。

 実際、エルをここに迎えるにあたってはセイラーンが直接手引きしている。


「それは、まあ、いろいろありますけど。今日は、あの子に……って、そんな話をしたいのではなくて!」


 うっかり話をすり替えられそうになり、慌てて軌道を修正する。

 人目を忍んでいるのだから、長居して誰かに見つかっては元も子もないのだ。エルの場合まだ言い訳がたっても、セルティアの場合は言い訳すらも危うくなる。


「いろいろって気になりますけど……まあ、いいわ。手紙と言いますと、星誕祭の招待状のことかしら?」

「まさしくその通りです」


 セルティアが神妙に頷くと、エルは首を傾げて問う。


「招待状?」

「ええ。貴方のところにも届いたでしょ?」

「確かに……って、ティアにも送ったんですか?」

「そうよ。なにか問題でもあって?」


 不思議そうに小首を傾げる王女が何を考えているのか本当にわからない。昔から掴みどころのない人物ではあったが、時が経つにつれてそれが顕著になってきている気がする。

 エルが困惑したようにセルティアを見ると、彼女も同じような表情をしていた。


「セイラーン様、問題です。大問題です。夢幻の魔女が王家主催のパーティーに出席するわけにはいきません」

「どうして?」

「どうしてって……」


 セイラーンの問いかけにセルティアは絶句する。

 王女が魔女に送った招待状は星誕祭の最終日に毎年王城で行われている王家主催の盛大なパーティーだ。

 この日だけは特別で記章があるなし関わらず、招待状さえあれば王城に踏み入ることができる。また招待客も様々で、貴族は地位に関わらず全てであり、その他にも近年著しく活躍した者や、二つ名を持つ魔術師が招待されることも珍しくはない。

 その為、グティウム家という貴族の子息であり四ツ星の聖騎士であるエルや、二つ名を持つ魔女のセルティアが招待せれていても普通ならばなにもおかしなことではない。


「わたしは夢幻の魔女です。夢幻が呼ばれたなんて知れたら」

「その招待状はわたくし個人ではなく、国から出されているものだわ。お兄様の了承も得ているのよ? 問題になんてなるはずがないわ」


 お兄様と言う言葉にエルとセルティアはぎょっとする。セイラーンには二人の兄がおり、第一王子と第二王子、どちらもとても優秀だと聞く。順当にいけばアンロキア第一王子が次代の王だ。


「まさかとは思いますけど……それはアンロキア王子のことではありませんよね?」

「あら、そうですわ。国王の次に権限をお持ちなのはロキお兄様ですもの。ロキお兄様が是と言えば反対なさる者などいないのはご存知でしょ?」


 現国王は実権の半分をすでに第一王子に委ねている。よほどのことでない限り国王が反対を示すことはない。

 セイラーンは第一王子のことをロキお兄様と親し気に愛称で呼ぶが、そんな風に呼べるのは実のところ、この王女ただ一人だ。

 それを知っているエルは思わず嘆息していまう。


「なら、なおのこと。はっきり申し上げますと、わたしは、アンロキア王子が苦手です」


 セルティアは第二王子のことは顔も見たことがないが、第一王子とは夢幻の魔女として何度か面識がある。それほど多く会話をしたことがあるわけではないが、言葉の全てに何かが含まれているようで、あまり良い印象を持ってはいない。

 セイラーンの兄だけにその容姿も最高級の褒め言葉が似あうほどだが、抱かせる印象がエルとは全く違う。


(エルは王子様かもしれないけど……あの人は……そう、皇帝といった感じね)


 だからエルがアンロキア王子と似ているとは思いもしなかったのだろう。

 些細な違いかもしれないが、二人が兄弟だと思わせないほどに雰囲気に差があるのだ。


「でもわたくしは貴女とエルに是非来ていただきたいと思っているわ」

「残念ながら、俺は行きませんよ。仕事もありますので」

「一日ぐらい予定を空けれないほど、貴方も騎士隊も不出来ではないはずよ」

「そういう問題では……」


 星誕祭の期間中騎士隊は通常より忙しいのだ。隊長であるエルが不在にするわけにはいかない。普通ならば。

 しかし内情を全てわかりきっているかのように言い放ち、それ以上聞く耳を持たない王女にエルはため息をつきたくなる。 


「と、とにかく! わたしは参加しません。問題にならないといっても、不審に思う人は出てくるでしょう」


 なんとなく微妙な空気が流れたところで、セルティアも意気込んで決意表明をする。このままではよくない流れになりそうで、早いところ切り上げるに越したことはない。

 しかしセイラーンは笑顔一つで全てを拒否した。


「駄目よ、セルティア。これは決定事項だわ。国からの招待状を無碍にするのは、それはそれで怪しまれるんじゃないかしら?」

「そんなことは……」

「それに、このパーティーはとても大規模なもの。自ら名を公言しない限り、貴女の正体なんてだれも気が付かないわ」


 彼女の言い分は的を得ており、招待客の中で夢幻の魔女という二つ名を知っている者がいても、当人の顔を知るものは皆無に近いだろう。仮に二つ名を持つ魔術師が同じように招待されていたとしても、それこそ参加する者はほとんどいないはずだ。

 魔術師はそういうきらびやかな世界を嫌う傾向にあるのだから。


「いいじゃない、たまには。毎年パーティーはとても素敵なものだけど、エルやセルティアがいないことにわたくしたまに寂しく思うのよ」

「でも、流石にパーティー中にお話しすることはできないと思いますけど」


 いくら名を伏せていても、第一王女と親し気に接していてはそれこそ周囲の目を惹くというものだ。そんなことは絶対にあってはならない。エルとしても、セルティアとしてもだ。


「もちろん、それぐらいはわかっていますわ。でも、同じ空間に大好きな人達がいるのといないのとでは、全然違いますもの」

「はあ……そういうものですか?」


 にっこりと微笑まれると返す言葉が見つからず、セルティアは困窮する。


(だめだわ……なんだか、やっぱり、駄目だわ)


 初っ端から挫けそうになっている気持ちの中で、セイラーンに勝てる気がしないのだ。このままやり取りを繰り返したところで、言い包められるのが目に見えている。

 どうしたものかと思案すると、丁度扉をノックする音が響き、セルティアははっとした。


「……とりあえず、今日は帰ります。えっと、少し考えますので、その時に、また……」

「近いうちに来て下さるのなら、ゆっくり考えてらして。待っているわね」


 セルティアは曖昧に笑いながら頷くと、エルを一度だけ見て、何か言いたそう口を開きかけて、やはり目を逸らして口元を引き締めてしまう。

 その態度にいい加減エルが口を挟もうと思ったところで、扉が少しだけ開いてセルティアを呼ぶ。


「セルティアちゃーん……そろそろ行かないと」

「ああ、ごめんね。すぐ行くわ」


 隙間から見えたのは、見間違いでなければ先日出会ったリーファという魔女だ。どうやらセルティアは今回リーファに手引きを頼んでいたらしい。


「……それじゃあ、また……」


 どちらに言ったのか分からないほど小さな声でセルティアが頭を下げて部屋を出ると、瞬時にその気配は絶たれた。

 残された部屋にはもちろん魔女の気配は一切ない。


「……帰ってしまったのね……」

「姉上?」


 思いのほか寂しそうに呟くセイラーンにエルが気づかわし気に見やると、エメラルドグリーンの瞳を伏せて微笑みを見せた。


「このお茶はね、セルティアに教えてもらったの」

「ああ、道理で」

「やっぱり気づいてたのね?」


 一口含んだ時、エルは違和感を覚えた。それは魔女の館でよくセルティアが淹れてくれるものにとても似ていたからだ。


わたくしは貴方が羨ましいわ」

「そう、ですか?」

「ええ。だってエルはいつでもセルティアに会えるでしょ?」


 いつでも、というわけではないが確かにセイラーンと比べると会おうと思えば会うことができる距離にいることに違いはない。

 それは物質的な距離だけではなく、立場的にもだ。

 王城から出ることなどほとんどないセイラーンは、簡単にセルティアと会うことができない。第一王女と夢幻の魔女とではそれぐらいの距離がある。


「ねえ、セルティアと喧嘩でもしているの?」

「いえ、そういうわけでは……」


 きっと二人の間に漂う微妙な空気をセイラーンなりに察したのだろう。

 喧嘩をしているつもりはどちらにもないが、エルからするとセルティアが一人で勝手に距離を置こうとしているだけだ。


「なら、いいのだけど。もしすれ違いなら早く誤解を解きなさい。だって貴方たちはそれがすぐに出来る距離にいるのだから」

「それもそうですね」


 それは彼女の言葉だから素直に受け取ることができる。

 だからエルは南地区に戻ったらまずセルティアに会いに行こうと決めたのだ。

 素直な弟の態度にセイラーンは優しく微笑み、一つの問いかけをする。


わたくしの願いを知っているかしら?」

「願い、ですか?」


 エルは聞いたことがないと思い当り、首を振る。小さな願いは時折口にするが、きっとそういうことではないのだろう。


わたくしはね、セルティアと普通に会いたいわ」


 遠くを見つめるその瞳は相変わらず寂しげで、セイラーンは難しい、しかし細やかな願いを口にする。


「何も、誰も、気にせず、会って、お話しして、笑いたい」


 それはきっとエルとセルティアならば簡単にできてしまうこと。しかしこの国の王女には出来ないこと。


「それがわたくしの願いですわ」


 エルとはまた別の運命を背負い、違う道を歩くセイラーンにかける言葉を探すが、結局思いついたのはたった一言だけだった。


「とても、素敵な願い事だと思います」


 心優しいセイラーンはそんなエルの言葉に優しく微笑むのだった。


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