第五十一話 老人の心
セルティアが退出したあと、マーリンの一声でその場はそのまま解散となった。
「納得いきません! なぜあの者を帰したのですか! もっと追求すべきです!」
散り散りに退出していく人の中で、セルティアと言い争っていた男だけが抗議の声をマーリンに向けていた。
「アスター、一体何を問うというのだ? どういう経緯であれ、花の大地にセルティアがいたというのであれば、それは精霊が認めたということだ。我々が何を言ったところで、何も意味をなさないのだよ」
「……しかしっ!」
不満そうに顔を歪める男に、マーリンは嘆息する。
アスターという男は必要以上に夢幻の名を持つ存在を警戒し、嫌悪している。そんな必要はないと何度かマーリンが説いたところで聞く耳など持たない。
「あいつ、本当にしつこいな」
遠目でマーリンと男の様子を眺めていたエルだが、傍にイグールが寄ってきたのでそちらに目を移す。
「結局のところ、なんだったんだ?」
「まあ、おめーからしたらそうなるよな。なんつーか、
深く考えることを苦手とするイグールからすると、恒例化しているこのやり取りは本当に馬鹿らしく思える。だから割りきって応じているセルティアには感心するが、そうありたいとは決して思わない。
「いつもの、ね。じゃあなんで俺は呼ばれたんだ?」
「さあな」
疑問が残るが、イグールはそこまで答える気も考える気もないらしく、すっとぼけた返事をするだけだ。
それにエルは諦めて嘆息すると、いつの間にか男と話を終えていた老人がこちらに向かってきていた。
「そなたの力と血筋が、周囲を危惧させたのじゃ。無用な心配だというのにな」
穏やかな笑みを浮かべたままマーリンはエルとイグールを見る。
「夢幻の名と力に惹かれる者は少なくない。力ある者が彼女の傍にいることを怖れているのじゃよ」
一瞬穏やかな笑みの中に哀愁の色を垣間見た気がして、エルは押し黙る。だがそれもすぐに隠されマーリンは再び歩き出す。
「すまなかったね、二人とも。さあ、グディウム隊長、門まで送ろう」
魔術連盟本部において異質な存在となる聖騎士を確実に外の世界へ帰す為にマーリン自ら出入口の門まで送るのだと言う。
この場で問題など起こせるはずがないというのに、それでも念を入れて行動するマーリンの真意が読み取れず、エルは無難に促されておいた。
◇◆◇
エルはマーリンやイグールと他愛ない世間話をいくつかしながら建物の中を歩く。途中、近道ということで中庭を横切っていると、物陰から小さな話し声が聞こえた。
それにイグールが訝しんで、気配を絶ちながら声の方に近づく。木陰に隠れるように囁きあっていたのは、漆黒のローブを着たままのセルティアと二人の魔術師であった。
「なにしんてだ、こんなとこで」
「わああああ!」
突然声をかけられて驚きの声をあげたのは男の魔術師だ。まだ若いその姿にイグールは見覚えがある。
一方で思いの外、大きな声に顔をしかめたのはセルティアと一人の魔女である。セルティアよりも幾分か歳上だろう魔女の姿にも見覚えがあり、イグールはその名を思い出そうと唸った。
「あー……なんだっけ、おまえ……」
「あああああ、す、すみません。失礼します!」
「は?」
何を思ったのか男は勢い任せに腰を折って、そのまま脱兎のごとく駆け出していた。
「なんだ……あいつ……」
「……紅蓮のこと苦手みたいよ」
ぽかんとした顔で見送っていると、同情したようにセルティアが呟く。
イグールに何かした記憶はなく、考えてみるが何も思いつかない。
「おい、なんか今凄い勢いで人が走って行ったけどなにが――って、ティア?」
「え、エル? それに、マーリン様まで……なんで……」
イグールのあとに続いて姿を見せた二人にセルティアは今度こそ驚いて目を見開く。
しかし彼女はエルと目が合うと気まずそうに顔を背け、押し黙ってしまい、それに眉をひそめたのはなぜかエルとイグールの二人であった。
「今のはエクスじゃな。そこにセルティアに、ソフィアがいるということは、またなにか仕事を頼んだのかね?」
「流石、マーリン様……全てお見通しというわけですね」
苦虫を噛み潰したような顔をする魔女――ソフィアは諦めたようにため息をついた。
「マーリン様、わたしがソフィアとエクスにお願いしたんです。だから」
「セルティアよ、何も責める気はないから安心せい。私は客人を見送る途中に、おまえと会っただけじゃよ」
「……ありがとうございます」
「なに、この件に関してはお互い様じゃ」
意味ありげに笑みをこぼせば、セルティアには何も言うことが出来ない。
なんとなく嫌なものを見た気分になったイグールははっきりと顔を歪めた。
「さて、と。それなら私はもう行くわ。噂の美男子にもお目にかかれたことだし? 噂になっても困るからね」
ソフィアは物珍しそうにエルを見たあと、セルティアに何事かを囁いて、ニヤリと笑った。
「それでは失礼します、マーリン様。じゃあね、セルティア!」
「あ、ちょっとソフィア! まだ話は……って行ってしまったわ……」
セルティアが呼び止める間もなくソフィアの姿は遠くに去ってしまった。
「ソフィア、ソフィア……ああ、魔導図書のやつか」
やっと思い出したのかイグールの呟きにセルティアは呆れた眼差しを送り、エルはその言葉の意味するところを確認する。
「それって、魔導書を保管している図書館のことか?」
「ああ。ここに大きいのがあるんだ。そこの司書だった気がする」
魔術関係の内容が記され書物を魔導書と呼び、その保管場所を魔導図書館という。大国内には分館が幾つか存在するが、魔術連盟本部の本館が当然ながら一番広く、扱う蔵書も多い。
魔術師以外が魔導図書館へ立ち入る際には許可がいるためエルが利用したことはない。必要な書物がある場合は貸出申請をし、許可がおりれば書物だけを渡されるという仕組みだ。
「まあ、紅蓮とは無縁の場所よね」
「うるせー」
図書館を利用することも、魔導書に目を通すこともほとんどないイグールが、そこの司書の存在を思い出せなくても仕方がない。
「セルティアよ。私が言うのなんじゃが、ほどほどにな」
「大丈夫ですよ、マーリン様」
薄く笑ったセルティアはフードを深く被りなおした。顔を隠すように俯きながら何度かエルの方を見て、口を開きかけては閉ざすという挙動不審な様子に老人は苦笑せずにはいられない。
「エル……」
「なに?」
セルティアは普段よりも小さな声で名を呼ぶと、一呼吸分の間をあけて勢いよく頭を下げた。
「さっきはごめんなさい!!」
「え……?」
そして言うと同時に顔を上げ、駆け出す。
エルが驚き、我に返る頃には彼女の姿は見えなくなっていた。
「ありゃあ、言い逃げだよな」
呆然とするエルの横でイグールが呟けば、同意するように思わず頷く。
「なに対して謝ったんだろ?」
「さあ? 全部じゃねえ? 俺は慣れってっけど、おまえは違うだろ?」
魔術連盟でのセルティアの態度、振舞いにイグールはもう慣れた。だから何があってもお互いにさして気にすることはない。
だがエルは魔術師ではない。ここに染まらない人間に、少なくともセルティアは気にせずにはいられなかったのだろう。
「気にしてなんかないのに……」
そう呟くエルの姿は優しげだ。それにマーリンは嬉しそうに頬を緩める。
「あれは優しい子だからな」
「知ってます。マーリン様、先程言いましたよね? 夢幻の名と力に惹かれる者がいるって」
少し前のやり取りを思い出して老人は神妙な面持ちで頷く。
それは紛れもない事実で、だからこそセルティアと懇意することを危惧する者がいるのだ。
夢幻とはそれほどまでに魅力と危うさを伴った力であるから。
だが真のその力を知っているものは果たしてどれほどいるのだろうか。
名ばかりが独り歩きし、セルティア自身を見るものが少なくなっている。その事実がマーリンの心を僅かに苦しめる。
「でも俺は……夢幻じゃなくて、セルティアに惹かれたんですよ」
だからエルの言葉は老人がずっと願い、そして苦しめていた心を軽くするものだった。
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