第五十話 魔術師の闇
王都ベルイーユの中央地区、その中央には大きな城が聳えたっている。その王城から少し離れた場所に王都中央地区総合役所は存在する。王城のある敷地には劣るが、様々な部署を合わせるとその次に広大な敷地を有しており、魔術連盟の本部も敷地内の一角に構えられている。
同じ役所の敷地内でありながら、魔術連盟本部の建物には魔術師以外が立ち入ることはほとんどない。用があれば入り口の受付で済まされる為、魔術師以外でこの中に足を踏み入れたことがある者は果たしてこれまでにどれほどいたのだろうか。
(そういう意味では貴重な経験だと思うべきなのか?)
聖騎士であるエルが魔術連盟の本部にいることが異常だった。
建物内をフードを深く被り顔を隠した魔術師に先導されながら無表情を貫くエルだが、時折送られる不躾な視線は決して気分のいいものではない。
「こちらへ」
一つの大きな扉がある部屋の前で立ち止まり中へ勧められる。
開かれた扉の中は薄暗く、辛うじて奥行きと人の気配が複数あることが確認できる。複数の気配は薄暗いローブを着ている為、室内と同化しているように見え不気味に思える。
(まあ、これがある意味普通なのかもな)
セルティアやイグールが魔術師らしくないのだ。イグールはローブを着崩しており、見た目も言動も派手で魔術師独特の暗い雰囲気を感じさせない。そういう意味ではリーファやクライにも近いものがある。
セルティアに至っては全く連想することも出来ない。エル個人としては、外見も雰囲気もむしろ好ましく感じているぐらいだ。
(魔術師は暗闇を連想させると言うが、ティアの場合どちらかというと……)
一人思考に耽っていたエルだが、ふいに手を叩く乾いた音が聞こえ前を向く。
奥の方では立派な髭を蓄えた老人が、一目で高価と分かる椅子に腰かけていた。
温厚な表情を浮かべるのは、魔術連盟の最高責任者、マーリン・ダヴィンスだ。
「わざわざ来てもらって済まなかったね、エル・グディウム隊長」
「いえ。御無沙汰しております、マーリン様」
エルが一礼をとると、マーリンは相変わらず笑顔のままだ。
何度か別件で顔を合わせたことはあるが、決して親しい間柄ではない。穏やかな笑顔でいるときが多いのだが、実際のところ何を考えているのか底が知れないという印象が強い。
「せっかくこうして会う機会ができたのだ、畏まらなくていい。本当なら呼び立てるほどのことでもないのだが、どうしてもと煩くてなあ。……まあ、私としては一度ゆっくりと話しでもしたいと思っておったのだが」
「マーリン様」
穏やかな口調が世間話でも始まりそうな雰囲気を作っていたのだが、それを遮るように冷たい声が制止をかける。割ってきたのは銀縁の眼鏡をかけた男だ。
「時間が惜しいので、本題に入りましょう」
そう言って男は眼鏡の奥から睨み付けるようにエルを見る。明らかに敵意の籠った眼差しに、初対面であるエルからすると疑問が浮かぶばかりだ。
「無理矢理呼び出しておいて、時間が惜しいつーのは……相変わらず無茶苦茶だな、おい」
批判めいた発言にエルは内心賛同しながら、聞き覚えのある声がした方へ目を向ける。そこには赤い魔導士――イグールの姿があった。
いつも通りの姿、ではあるがなぜか両手を前で縛られている。縄のように見えるが、魔力が感じられることから、特殊な術でもかけられているのだろう。
「おめーも災難だったな、こんなとこまで来ちまって」
同情するように声をかけられるが、これがどういう状況なのか今一理解できない。
眉を顰めるエルの様子にイグールはなおも口を開こうとするが、鋭い声が飛び中断された。
「黙れ。おまえの行為、許されるものではないと思え」
「うるせー。俺は別に許されねえことなんてしてねーぞ」
「なら、なぜ何も語らない? やましいことがあるからではないか?」
「お前に言うことなんか何もねーからだよ!」
イグールが叫び顔を背けると、眼鏡の男は片眉を吊り上げさらに睨みを増す。その険悪な雰囲気は赤と青が対立している時の比ではない。
(どうやら、面倒なことになっているみたいだな……)
状況の判断にはまだ材料が足りなさすぎるが、それだけは理解できた。
「聞きたいことがある」
イグールを通り越し、男は剣呑な眼差しをエルに向けたまま静かに問えば、同じような眼差しが四方から向けられていた。
「花の大地の一件を知っているな? 知らないとは言わせない。何故、貴様はその件に関わった?」
詰問する男にエルは顔をしかめ、口をつぐむ。
目線を逸らせばイグールが物言いたげに目で訴えかけているのが分かり、どの様に答えるべきか思案する。
(下手なことは言わない方がいいんだろうけど……)
事情が分からない以上、どこからどこまで話して良いものなのか。
とりあえず当たり障りのない答えを用意する。
「騎士団からの指令です」
「それは
「偶々、です。というか、何か問題がありますか?」
共通の目的の為に騎士と魔術師が手を組むことは頻繁にではないが、稀にあることだ。決して非難されるべきことではない。事実、騎士団に報告をした際はそのことについて特に言及はなかった。
「問題だ。貴様は紅蓮と行動し、夢幻の魔女を知っているのだろう? なぜだ」
「なぜって……」
結局何を問いたいのかが分からない。言葉に窮していると、つかさず更に問を被せてくる。
「紅蓮と夢幻が共に行動し、貴様も共にいたのなら、なぜだ。何を企んでいる? どういうつもりなのだ?」
一人疑心を抱いている様子に、それこそ異常を見た気がする。それはその男だけでなく、部屋で息を潜めている何人かからも感じ取れることだ。
(どうしたものか……)
おかしな方向に話が向かっているのだが、イグールの様子からしてもあまりいい立場ではないのだろう。
マーリンの方を見れば、困ったように微笑んでいるだけだ。
「さあ、答えろ」
声には苛立ちが含まれており、答えを急かす。黙秘をしているわけにもいかず、エルはため息をついた。
「一体いつからこんなところに聖騎士様を呼ぶようになったのかしら?」
突然降ってきたような声に、室内が一瞬の沈黙と続いてどよめきに包まれる。
気配を絶ち、足音を忍ばせて、しかし薄暗い室内の中にはっきりとその存在を現す。
漆黒のローブに身を包み、フードを深く被る姿からは表情を伺うことが出来ずとも、それがセルティアであることが分かる。
男はその瞳により一層苛立ちをこめて、彼女を睨んだ。
「夢幻か」
「ごきげんよう。ずいぶん楽しそうなことしているわね?」
「ああ、そうだな。貴様の友好関係に興味があってな、丁度彼に話を聞いていたところだ」
口先をつり上げる男をセルティアは一瞥しただけで、何も言わず周囲を軽く見回し、小さく笑みを作る。エルとイグールの姿も、もちろん目に入ったが留めることはない。
二人を通りすぎ、マーリンの近くまで寄ると彼女は妖艶に微笑んだ。
「お久しぶりでございます。マーリン様」
「うむ。セルティアか。元気そうだな」
「ええ、お陰様で。それよりも、これはなんの余興でしょう? まさかわたしはこんなものを見せられる為に呼ばれたのでしょうか?」
嘲笑しては目を配らせ、再びエルとイグールの方に足を向ける。
値踏みするように二人を見るその雰囲気は、いつもの、少なくともエルがよく知るセルティアとはかけはなれていた。
いつもと違う様子に、エルはじっとセルティアを見つめるが彼女が目を合わせることはない。
「それにしても、あなた方はますます愚かになったのね」
「どういう意味だ、夢幻!」
「そのままの意味よ。何を勘繰っているかは知らないけど、要はわたしとこの人との関係を知りたいということでしょ? そんなの、南地区に住まう魔女とそこの騎士隊長様、以外になにがあるのかしら?」
相変わらずセルティアはエルの目を見ることはなく、そのまま己の指を唇に当てて小首を傾げる。
「わたしが、彼を知らないはずはないでしょ? 南地区の騎士隊長様で、噂の天才よ? 知らないという方がおかしいわ」
最もな言い分に、セルティアは笑みをそのままに、男は苛立ちを更に際立たせた。
「それに、紅蓮のことも。あのときは偶々鉢合わせてしまったけど、わたしがわざわざ紅蓮なんかと手を組むわけないでしょ? ねえ?」
ゆっくりとイグールの方に顔を向けると、セルティアは意味ありげに問いながら近づく。一瞬、二人の視線が交差したことにエルだけが気がついた。
「そりゃあ、こっちからお断りだな。まあ、夢幻がどうしてもと頼むっつーなら考えなくはないが? どうよ?」
「あら、生意気ね」
ニヤリと笑うイグールに、セルティアは表情を変えることなく手を一振りする。するとイグールを拘束していた縄が青い炎をまとい、消え去った。
「少なくても、こんなものに拘束されてしまっているうちはお話にならないわね」
「あちーな、夢幻」
自由になった両手を振り回しながら文句を垂れるイグールだが、最早誰一人として彼に注目している者などいない。
全ての視線はセルティアに集まり、彼女の一挙一動に目を凝らしている。
「……なぜ鉢合わせるような事態になる?」
「しつこいわね。偶々って言ってるでしょ? どうしてわたしの行動範囲まであなた方に教えなければならないの? そんな約束はしていないわ」
(約束……?)
突っぱねて言うセルティアの言葉に男は押し黙るが、エルはひっかかりを覚える。イグールの方に目を向け問いかけるが、彼は首を振るだけだ。
「わざわざ約束を守ってこんなところまで来たというのに……これ以上干渉するようなら破棄するということでいいかしら? わたしはどちらでも構わないわ」
「なにを……!」
「なに? それとも力ずくでどうにかするというの? あなたごときが無理なことよ。どうしてもというなら相手してあげても構わないけど……死んでも知らないわよ?」
小さな笑い声をこぼし、セルティアは挑発を繰り返す。男の注意は完全にセルティアに向き、エルやイグールのことなど眼中にない。
闇にとけそうなその姿に恐怖する周囲と、殺気を溢れさす男。二人の魔力が膨れ上がる。
「やめなさい、二人とも」
しかし静観していたマーリンの有無を言わせない声に溢れだしていた魔力は離散する。
「セルティアよ、こちらから聞きたいことはもうない。わざわざ済まなかったな」
「そうですか。なら帰ってもよろしいですね?」
マーリンが一つ頷くとセルティアは一礼してから踵を返す。非難めいた眼差しが彼女の背に多数注がれるが、気にする様子は見せない。
「ああ、そうそう」
扉に手をかける前に足を止め、思い出したように呟いては、目だけを周囲に、そして男に向ける。
「呼び出すのは構わないのだけど、もう少し考慮していただきたいわ。あなた方と違って、わたしは暇ではないの。来いと呼ばれてすぐに来れる距離でもないことを、分かってくださる? いくら愚かでも少し考えれば分かることだと思うのだけど……それも難しいのかしら?」
南地区から中央地区まで移動しようものなら通常であれば半日はかかる。箒移動が主のセルティアなら少しの短縮は可能だが、それでもそれなりの時間はかかってしまうのだ。
「ああ、それもそうじゃな。次からはそうするとしよう。それと、その二人もすぐに解放するとしよう」
マーリンは穏やかに笑いながら何度か頷いた。
そこに思ってもないことを付け加えられて、セルティアは眉を寄せる。
「……別にその二人はどうでもいいわ。わたしには関係のないことよ」
「ふむ、そうか」
「ええ。では、ごきげんよう」
そう言ってセルティアは静かに退出した。
彼女がエルと目を合わせることは一度もなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます