第二十一話 闇夜の囮

 時刻は深夜に差し掛かる。

 時間帯もあるが、昨夜事件が起こったばかりということもあり、流石に外を出歩く人の姿はない。

 昨夜に比べると雲が厚く、月の光は陰りを帯びているが、街灯は変わらず仄かな明かりで道を照らしている。

 誰もいないはずの道を一人、少し足早に歩く人物がいた。

 外套でその身なりを頭から隠してしまっているので男か女かの判別は遠目では出来ない。しかし男にしては明らかに小柄であるため女、もしくは子供と判断するのが妥当なところだろうが、時間帯からして女の可能性が高い。

 足早に歩き、時たま立ち止まって周囲を確認する。これを何度か繰り返しているうちに、突然走りだし十字路に差し掛かったところでピタリとその足を止めた。

 街灯は仄かな明かりのため、十字路の奥は暗く、遠くを見通すことは出来ない。

 風で時おり揺れる街路樹の葉が揺れる音以外なにもない静寂の中、一筋の赤い光が外套目掛けて放たれた。


「……っ」


 咄嗟に外套を翻し、何かを避ける。赤い光の筋は外套の一部を切り裂いた。切り裂かれた外套から姿を見せたのは漆黒の髪を靡かせる魔女セルティア。その両耳には紫と緑のイヤリングがそれぞれ輝いている。


(……気配は感じとれたけど……速い!)


 セルティアと対峙するのは虚ろな目をした男。その手には妖しい赤い光を帯びた剣が握りしめられている。

 身構えながら少しずつ距離をとるセルティアだが、剣から目を離すことはない。

 そもそもセルティアが襲われるのは予定通りなのだ。しかし男の動きがーー否、剣の動きが、予想以上に素早く気配を感じとれていても辛うじて避けるのが精一杯であった。


(次は避けられるかしら……)


 一瞬の隙も見逃さないように気を張る。一歩、セルティアが後ろへ下がった瞬間、再び男が動き剣が振り落とされた。

 一撃目を上手く避けつつ、緑のイヤリングを外し遠くへ放り投げる。放物線を描いて落とされるかと思いきや、緑色は勢いを増して遠くへ飛んでいってしまった。

 それを確認した為に一瞬の隙を作ってしまい二撃目が髪と頬を掠め、体勢を崩してしまう。


「あっ……」


 続いて三撃目を振り上げられると、魔法を判断するよりも咄嗟に目を瞑ってしまう。半ば切られる覚悟をしたところで、暖かい衝撃とかん高い音が鳴り響いた。


「……エル……」


 セルティアが顔を上げればすぐ上に金糸を持つ美しい顔が伺えた。真剣な眼差しは、彼女ではなく正面に向けられている。

 エルは片腕でセルティアを抱き止め、もう片方の腕は己の剣で男の剣を受け止めていた。

 エルが力を込め剣を払い、数歩飛び退く。少しの距離が空いたことでセルティアを離し、再び男の剣と交じりあった。


(今……!)


 男がエルに気をとられている隙にセルティアは片耳に残った紫のイヤリングを外し男へと投げつける。

 すると紫の光がイヤリングから溢れ、男と剣を包むように広がる。光が収まれば紫に光る紐のようなもので男と剣は絡まり縛られていた。


ーーナゼ、ダ……


 どこからか掠れた低い唸り声が聞こえ、剣を構えたままのエルは周囲を警戒する。目の前の縛られた男から漏れた声ではない。


ーーチカラ、ホシ……


「黙りなさい」


 再び声が聞こえたかと思うとエルの隣にセルティアが並び、手のひらを開いて男の方へつき出していた。


「……眠りなさい」


 次にそう言えば声は聞こえなくなり、男の意識もなくなっていた。

 それを確認して彼女は息を吐き出す。そして隣を見上げて少しだけ笑った。


「とりあえず一人確保ね」

「そうだな……それより、なんで途中で走り出したんだ?」


 囮となっていたセルティアから少し距離を置いて、エルと数名の騎士が周囲を警戒していた。犯人が現れたらすぐに捕らえる心積もりをしていたのだが、セルティアが突然走り出したことにより予想外のタイムラグが出てしまったのだ。

 セルティアに剣が向けられているのを見た瞬間エルは肝が冷えた思いをしたのだが、当の本人はきょとんとしている。


「そうね……距離を置かないため、かしら?」

「距離?」

「ええ。せっかく誘き寄せる為の薬を使っているのに、距離が離れていては意味がないもの」


 今回の作戦は、『セルティアが囮となり犯人を誘き寄せる』というものだった。単純で短絡な作戦だが、『セルティアが』ということが最大のポイントとなる。

 最初この話をしたとき、案の定エルは良い顔をしなかった。しかし一般人は当然だが、騎士隊の誰であってもならず、『セルティアが』という理由が二つあった。

 一つ目は夢幻の魔女という二つ名を持つ実力を備えている為、ある程度自己防衛が可能ということ。これは騎士でも当てはまるので、本命はもう一つの方。

 二つ目の理由として、影の犯人を割り出す必要があること。男を操っているだろう何かを探し当てるにはセルティアが対峙するのが最も効率が良い。その為に彼女は紫と緑のイヤリングをしていた。紫は拘束用、緑が探索用の魔導具で、どちらもセルティア作の特注品であり現在は彼女しか使用出来ない。

 そしてセルティア特注の誘き寄せる為の薬を身につけ夜の街に繰り出した。この薬の効果を一言で表すなら"気配を顕著にする"で、製法は秘密だ。

 またセルティアは顕著になった自信の気配の中に魔力を嗅ぎとられないように魔力を一時的に封じるブレスレットもしている。これはセルティアの意思一つで解除できる代物だ。


「……絶対に大丈夫って言ったのに……」

「大丈夫だったでしょ?」


 苦虫を噛み潰したような顔をするエルにセルティアは首を傾げた。結果的に大丈夫だったのだから何も問題ないはず、と役目を果たした魔女は疑うことはない。

 その考えがまたエルの表情を曇らせることになると想像も出来ない。


「……傷、悪かったな」

「えっ……」


 ふいに手を伸ばし、セルティアの頬に触れるエルに、触れられた側は驚き、そしてその頬を赤らめる。


(……心臓に悪い!)


 内心で物申すがエルの言葉と行動の意味を理解し、なんとか曖昧に笑うことに成功した。


「これぐらい、なんともないわ。気にしないで。……それよりあなた、これは素なの?」


 剣が頬を掠めた傷をエルは気にしているようだが、セルティアは掠り傷だと気にもとめない。そもそも騎士達と距離をとってしまったのは彼女自身であり、出遅れたのはエルのせいではない。

 むしろ今頬に手を当てられていることの方が気になる。


「隊長は天然タラシだよ、ティアちゃん」

「でもってジェークと比べると腹黒よ」


 声と共に現れたらのはジェークとハレイヤ。副隊長二人の物言いにエルはその手を一度離し更に嫌そうな顔をつくる。


「ジェークさん、ハレイヤさん」

「遅くなってごめんなさいね、ティアちゃん」


 今回の作戦に関わった騎士はティアの正体を知る三人と、前回の騒動でティアの顔を知る数名の隊士のみで構成されている。セルティアの近くを三人が、そのさらに周囲を残りの隊士が警戒する。これは必要以上に魔女セルティアを認識させない為の対処だ。


「周囲を確認しましたが怪しい人物はいませんでした」


 ハレイヤが報告をすると続いてセルティアの頬を見る。


「女の子の顔に傷をつけるなんて、けしからんわね」

「ほんとほんと。大丈夫?」


 同じようにジェークにも見られるとセルティアは戸惑いを見せた。そして、なぜ、という疑問が起こる。この二人も夢幻の魔女ということを知っているはずなのに。


「……どうして、わたしは魔女、ですよ?」


 昼間のエルを思い出す。エルはセルティアを女の子だと言った。


「魔女でもティアちゃんは女の子なんだし、顔に傷ついちゃ嫌でしょー?」

「そうよね。それに、あなたは魔女でも、街の薬売りの女の子でもあるでしょ?」


 なんともなしに言うジェークと、セルティアが言外に言いたいことを読み取ったハレイヤがそれぞれの意見を口にする。どちらも根本はエルと同じ理由だ。

 エルの部下は彼と同じようにセルティアを夢幻の魔女ではなく女の子と認識してくれていることに、どう表現したらいいのか分からない気持ちが溢れてくる。

 複雑な顔をしているセルティアの頬に再びエルは手を当てた。

 それに驚き慌てて離れようたした彼女をエルは腕を掴んで引き留める。

 なに、と疑問を問いかける前に頬に暖かな光が灯るのがわかり、焦ったように声をかけることになった。


「待って、エル。わたしは……」

「いいから」


(……なんで?!)


 みるみるうちにセルティアの頬の傷が消える。実際に目で確認出来ていないが傷が癒えていくのが感覚的にわかり、セルティアは驚きを隠せない。


「よし」


 満足したようにエルが頷けばその手を離した。恐る恐るセルティアがその頬に触れると確かに傷はない。


「……なんで、傷が……」

「聖術がそういうことに長けていることぐらい知ってるだろ?」


 聖術は浄化や再生、修復や癒しを得意とすることはある程度知られている知識だ。魔術を扱うセルティアだが対極の力の性質は一般人よりはよく知っているつもりだ。だからこそ驚きを隠せないともいえる。


「……違う。わたしが言いたいのはそんなことじゃないわ。なぜ、魔力を持つ魔女に聖術が効くのか、ってことよ!」


 聖と魔は対極する力故に互いの力に反発を示す。聖術を使う者が魔動機の類いを完全に扱いきれないことと同じように、魔術を扱う者は聖術を受けることが出来ないはずなのだ。

 だから本来セルティアの傷を聖術で癒すことは不可能なのだが、エルはそれをやってのけてしまった。


「例外があるのは知ってるだろ?」

「……そうね、知ってるわ」


 唯一の例外として、大きな聖力を持つ者は魔力を抑え込むことが出来る、ということだ。少なくとも二つ名を持つセルティアの魔力と同等の力は必要であり、それが出来る者は数少ない。


「まあ、ティアの魔力が大きすぎて倍以上の時間と力がかかってしまったけど。それぐらいなら問題ない」


 もっと大きな傷、致命傷であれば癒せる自信はないという。傷が大きければ大きいほど聖力を必要とされるのだが、そうなると魔力を抑えきれなくなる可能性があるからだ。


「……本当に凄いわね、あなた。これで二人目だわ……」

「二人目? それって」

「いいえ、なんでもないわ! それより急ぎましょう。真犯人を見つけたわ」


 飛んでいった緑のイヤリングが何かを探し当てたことを察し、その方角を見る。三人もつられてそちらを見るが広がるのは闇夜だけで何もない。


「さあ、行きましょう」


 振り返ったセルティアだけが笑みを見せていた。








 



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