第13話 高校生と刑事

 月曜日の夜。

 今田と新井は、鑑識の田所とファミリーレストランで待ち合わせをしていた。

 二人がドリンクバーと軽い食べ物を注文した時、田所が駐車場に車を入れたのが見えた。

「ここだ」

 手をあげた今田に、田所が難しい顔で近づく。

 席についた彼に、新井がフライドポテトを勧めながら、怪訝な表情を向けた。

「どうかしたんですか?」

 田所は首を横に振った。

「あの日の映像を最初から最後まで全部、見たんです」

 彼はフライドポテトを一つ、口に放り込むとプリントアウトした画像を鞄から取り出す。そして注文を取りに来たアルバイトの女の子に、ドリンクバーとトンカツ定食を頼み、画像をテーブルに置いた。

「それで気になるところをプリントアウトしてきました。今田さん。これ」

 田所の指差した画像には、野島弘の背中越しに山田直樹が写っていた。彼は丸池の方をじっと見ている画像だ。

「これは白い車に近寄った後の映像をプリントアウトしたやつです。ほら、彼の視線の先を見て下さい。ちょっと分かりにくいですけど……こっちは高田係長の車」

 今田と新井が画像に顔を近づける。暗闇の中に、白い車体が見える。確かに高田の車に似ているが、同一車種などたくさんある。ナンバープレートが写っていないのが痛かった。

 監視カメラの映像のほうには、ライトに照らされた何か白っぽいものが、池の辺りに写り込んでいるのが見える。

「これ?」

 今田が指差す。

「そうです。で、何かな? と思って拡大したのがこれ」

 田所が紙をめくると、そこには、ビニール袋のようなものが写っていた。

「黒っぽいビニール袋なんですが、ちょうど小さなライトが当たって反射しているから、こんな写り方してるんですよね」

「小さいライト?」

 今田の目の前に田所が携帯電話をかざした。

「これです」

 彼は携帯電話のカメラのライトを点灯させる。

「山田直樹の右手を見て下さい。ほら、何か持ってるでしょ?」

 一枚目の画像の、山田直樹の手元を指差しながら、田所は三枚目の画像を出した。

「ああ、携帯電話を持ってるな」

「そうです。で、映像をずっと見ていた俺から言わせてもらうと、まず、白い車に不審げに近寄った山田直樹が、丸池のほうを見る。それから、携帯電話のライトを暗闇の中に向ける。そうすると、その方向から男が現れます。それから、男が彼に警察手帳を見せます。ほら、これ」

 拡大された画像には、警察である今田と新井には間違いようのないものが写っていた。

「そして、二人は何ごとか話をしますが、山田直樹はなぜか、男に背中を向けます。男はフードで顔が見えない。そしてこれ……」

 田所が画像を出そうとした時、アルバイトの女の子が近づいてきたので、三人は慌てて画像を片付けた。

 彼女はトンカツ定食をテーブルに置いて、「ごゆっくり」と声をかけて離れて行く。

 田所が二人に画像を並べ直した。

 そこには、後ろから、山田直樹の首を絞める男が写っていた。

「軍手は、丸池のほうから姿を現した時にはもうしていますね。で、今田さん。僕が思いますに、男にとって、山田直樹が現れる事は、予想外の事だったんではないでしょうか?」

 なるほど。今田は同感だった。

 男は山田直樹にカメラのライトを向けられるまで、彼の存在に気づいていない。彼に対して背中を向けていたのだろう。待ち合わせをしているなら、背中を向ける必要もないし、山田直樹が、自動販売機に向かって歩いている時点で気付くだろう。

「あのう、今田さん。男……高田さんはあそこで何をしていたんでしょうか……?」

「山田直樹と待ち合わせしていたっていう説は、薄くなってきたな。連絡を取り合っているなら、堂々と待っていればいいと思う」

 田所がじっと今田を見つめている。

「あと、事件とは関係なさそうなんですけど、例の二人は職員室にも入ってますね。というより、職員室に一番、長居していました。ほら。二人は侵入した時間も嘘を言ってました。職員室には午前三時には入っているんです」

 田所が取り出した紙には、教員のパソコンを覗く二人の姿や、マウスを操作して、なにか作業をしているらしい姿が写っていた。

 今田は首を捻った。選挙の事で忍び込んだはずの二人が、なぜ教員のパソコンを操作しているのだろう。

 しばらくの沈黙。田所のトンカツを食べる音だけが三人の耳に届く。

 今田は思い出したように、手帳を取り出した。

「田所に話しておかないとな。高田さんの家には誰もいない。何回行っても留守だった。まあ、高田さんが署にいる時間だし、奥さんと娘は出て行ったと言ってたから、さして不思議な事ではないけど……奥さんの実家も調べてみた。奥さん、帰ってないらしい。といって連絡も入れてない」

 田所が、トンカツを頬張りながら、味噌汁の椀を持つ。新井が彼の定食に箸を伸ばし、トンカツを一切れ、箸でつまみ上げ、口に入れた。

「おい、取るな! 今田さん、普通、夫に嫌気がさして、家を娘と出る妻ってのは、実家に帰るもんじゃないですかね?」

「ああ、俺もそう思ったから、実家のほうを調べてみたんだけど……それに、山田直樹の母親に、高田裕子の写真を見せてみたけど、全く知らないらしい。しかし、進藤ヒカリは知っていた。」

「ああ? 山田直樹はもしかして二股かけていたんですか? しかも、一緒にいるところを、恋人に見られていたのか……」

 田所があきれた顔をする。

「ああ、進藤ヒカリには、他に思い出した事があったら教えて欲しいと言っておいたが」

 今田が、田所に断りを入れて、煙草に火をつけた。

「どうして高田さんはあそこにいたのかなぁ。俺は、娘と付き合っていた山田直樹と話をする為に、あんな時間に待ち合わせをしていたと思っていたんだけどなぁ。あの画像を見る限り、高田さんは山田直樹に携帯のライトを当てられるまで、彼に気づいていないからなぁ……」

 今田はプカリと煙を吐き出した。

 新井がメロンソーダをストローで吸いこむ。

「田所さんが持って来てくれた画像を見ると、高田さんはこの時まで、山田直樹がここにいた事を知らなかった。だから、携帯のライトに照らされて、彼に気づいた。高田さんは、彼と会うのではなく、別の理由であそこにいた。と考えるのが普通じゃないですか?」

 新井の言葉に、今田はうなずいた。

「そうだな。その別の理由ってなんだろうな。山田直樹に見られて、思わず殺してしまうほどのな……」

 今田は氷を口に入れて、ガリガリと噛み砕きながら、警察官が事件に関与している可能性が高いという事を、今田は赤西管理官だけに報告した時の事を思い出していた。

「お前、冗談ではすまんぞ」

 すごんだ赤西に、今田が画像を見せた。それは、田所から借りた、警察手帳を山田直樹に見せる男が写った画像だ。

 管理官の表情は一変した。

「これを知っているのはお前以外では誰だ?」

「新井と、鑑識の田所です。田所と私は、当日の事件発生時、市内のスーパー銭湯にいました。確認して頂いても結構です。新井はその時間、自宅で寝ていたとの事ですが、手形を取ってみたところ、被害者の首の手形とは一致しませんでしたので、この画像の人物ではないと断言できます」

「わかった。一応、言っておく。俺はその日は広島にいたからな」

 今田は思わず笑った。

「承知しております。これはしまなみ警察署員が起こしたものだと考えています」

 赤西は画像を見ながら、しばらく唸っていたが、弾かれたように顔をあげた。

「怪しい人間がいるのか?」

「ここで名前はあえて申し上げられませんが、この事件発生時から今日まで、極めて不自然な発言、行動をしている警察官がいます」

 今田は赤西から視線を逸らせた。

 県警から来た課長補佐は、彼の隣に立ち、周囲を見渡した。

「証拠を掴め。証拠だ」

 今田は去っていく管理官の背中を見ながら、「さてどうするか」とつぶやいた。

 その光景を思い出しながら、ファミレスの騒がしい店内でも静かなボックス席で、今田は腕を組んで唸ったのだった。




 智は自宅に帰り、部屋にこもった。

 ベッドに寝転び、目を閉じる。手元でスマートフォンが鳴り始めた。手に取ってみると、瑠香からの着信だ。智が一人で帰ったので、心配してくれているのか。それとも……また、悪い考えが頭をよぎる。

「根っこかぁ……」

 彼の悩みの根っこは、弘と瑠香はいつ別れたのだろうという事だ。本人達に聞けば早いが、そんな勇気は彼には無かった。

 ともかく、瑠香の態度を見る限り、今の彼女は自分に向いてくれていると智は信じる事にした。しかし、はっきりとさせておかないといけない。

「俺と瑠香が仲良くなったから、二人は別れたのか、そうではないのか」

 これは智にとって、すごく重要な事だった。もし、彼のせいで二人に溝が出来て、結果として別れたのであれば、智は結果として友人を裏切った事になる。

 二年生になって、疎遠になったといえ、二人は付き合っていたとしよう。勉強に忙しい瑠香の為に、弘は会う時間を制約する事にした。これは容易に想像がつく。智もそのような事を言っているからだ。それから二人は、休日だけ会う事になった。夏休み中も? 多分、夏休みも関係なかったと思う。では、なぜ二人は別れなければならなかった? 別れる必要はなかったじゃないか。

 モヤモヤがうずまく頭の中で、それはまるで、霧が晴れるように、ゆっくりと取り払われていくのを智が感じた時、彼は思わず声を出した。

「あの不正事件だ。あれを瑠香は聞いてたんだ……」

 智は想像でしかない自分の推理が、ほとんど真実に近いと確信した。

 弘から話したのか? 瑠香が怪しい行動をする彼を問いただしたのか? どちらにしても、瑠香は計画の事を知った。そうか、だから彼女は選挙管理委員になったのだ。弘を牽制する意味で。

 彼にこんな事、絶対にうまくいかないよと知らせるために。

 智に、そこでまた新しい疑問が生まれた。

「瑠香から反対されても、彼女と別れてまで、弘はなぜ、あの計画にこだわったのだろうか?」

 仮に智があの計画を考え、瑠香にばれたとしよう。彼女は猛反対する。

「そんな事する人とは、もうお付き合いできないからね!」

 と言われました。さ、俺ならどうする? 当然、計画は捨てる。瑠香と一緒にいる事を選ぶ。何しろ、俺達は高校生だ。大金がどうしても欲しいわけじゃないし、それよりも、可愛い彼女と楽しく過ごしたいという気持ちのほうが強いはず。しかし、弘は山田直樹と計画を進める事を選んだ。

 やはり、あの事件か……

 この事件の根っこはなんだ? 山田直樹が殺された事か? いや、彼はなぜ殺されたのか、まだ分かっていない。この事件の根っこは弘と直樹の動機だ。なぜ二人はあの計画を成功させる必要があったのか。

 智は記憶庫の中を探った。

 山田直樹。

 確かに調子が良くて、軽いやつだったが、殺される理由はなさそうだ。恨みを買うといっても、弘の場合はともかく、俺のような悪戯で済まされる様な事をされた奴はいっぱいいる。

 野島弘。

 親友……のはずだった。瑠香の元恋人。その事を俺に隠していた。ゲーム好き。頭は悪くない。でも勉強はしない。勉強しなくても、俺より成績は良い。

 智はこの二人の共通項を探してみる。

 共に長井小学校、中学校を卒業。智より付き合いが長い。そういえば、池田瑠香も長井小学校から中学校、そしてしまなみ高等学校。この三人は長い付き合いだ。

 スマートフォンがまた鳴り始めた。

 瑠香……。

 今日は話したくない。

 ドアの外で、ビータンの声がする。

「アオーオ」

 智がドアを開けると、尻尾を振りながらビータンが部屋に入ってきた。ひとしきり部屋の中を匂い、ベッドの上に飛び乗る。

 智は笑って、ビータンの隣に寝転んだ。彼の体にビータンが鼻をくっつけてくる。彼が頭を撫でてやると、気持ち良さそうに目を閉じた。後藤家に来て三年、年は分からないが茶色の毛並みに、少し白いものが混じっている。

 直樹と弘、二人の最初のハードルは、候補者の絞り込みだ。こればかりはどうしようもない。しかし、確率を高める事はできる。仲間を選挙管理委員に送り込めばいいのだ。現に二人はそれを画策していた。残念ながら、智も康太も、彼らに加担する事はなかったが、山田直樹は候補者に残る事ができた。しかし、この事を、事件発生時の二人は知らない。不安で一杯だっただろう。だから学校に忍び込むという暴挙にでた。

 智は、ビータンを撫でながら、二人はなぜ、生徒会長選挙に不正をしてまで、勝つ必要があったのかを考える。

「不正をするのは、金が目的……」

 二人が親にばれずに、少なくない金を自由に使う目的。

 それは何なんだろうと智は考え始めた。インターネット研究会を立ち上げて、予算を私的な事に使うと弘は話していたが、改めてその計画を思い出してみると随分と穴がある。まず、インターネット研究会なるものが、初年度から大量に予算を配分されるとなると、どうしても不審がられるのは否めない。すぐに二人の関係から、疑われるであろうし、ゲームなどもわざわざ学校でする必要はない。逆にいえば、友達と騒いでゲームをしたり、ネットサーフィンをするには学校はふさわしくないのだ。転売するにしても派手にすればすぐに露見するだろう。まあ、とにかく、金を手に入れたとして、それを何に使いたかったのだろうか。

 智が寝返りをうった時、ビータンの尻尾を身体で踏んだらしく、ビータンが飛び起きた。

「ごめーん」

 智がビータンのおでこを撫でると、ビータンはまたパタリとベッドの上に寝転んだ。すぐにいびきをかき始める。悩みがなくていい事だと彼は感心しながら、しばらく愛犬を撫で続けた。




 十一月十二日。火曜日。

 智は世界史の授業を受けている時でさえ、頭の中では二人の動機を考えていた。金を手に入れる事が目的であれば、アルバイトをすればいい。何もこんなややこしい事をしなくてもいいのだ。しかし、二人はアルバイトではなく、ややこしい方法を選んだ。それは親に知られたくない事に、金を使いたかったからだ。

 智が考える両親に知られたくない金の使い道としては、一つしかない。

 スケベ関連である……。

 思わず吹き出してしまい、世界史の教鞭を取る東教諭にじろりと睨まれる。

「おい、後藤。熱心に授業を聞いているみたいだな。だからお前に質問をしてやろう」

 智はしまった! という顔で席から立ちあがり、東教諭に体を向けた。

「十字軍が、イスラム教徒から聖地を奪回するという単純な目的ばかりではなかったという事は、授業を聞いていたお前なら分かるだろう。では、その例をあげてみろ」

 智は腕組みをした。

「ええと、第四回実施の際に、キリスト教国家であったハンガリーや、東ローマ帝国領のコンスタンティノープルを攻撃していますし、後年には、ローマ教皇から異端とされた、同じキリスト教徒さえも攻撃の対象にしているからです」

「なんだ。聞いていたのか……よし、座りなさい」

 智はほっと息を吐いて、着席した。

「ここで、君達もよく耳にする騎士団の話をしよう。そもそも騎士団というのは……」

 東教諭が騎士団の解説をしながら、黒板に向かった時に、隣の席の真由が智の腕をつついた。

「よく分かったね。聞いてなかったでしょう?」

「ん? ああ、まあ、知ってたから……」

 智は少し笑みを浮かべ、黒板を見るふりをして、再び思考の世界に入る。

 直樹と弘、この二人は人に知られたくない秘密を共有しているのではないか? その秘密が原因で、自由に使える金が必要になった。

「おい、後藤。現代でも現存する騎士団は何だ?」

 東教諭の不意打ちに面食らった智は、立ち上がる時に思い切り、膝を机にぶつけた。

 教室の中に笑いが弾ける。

「いてて……、マルタ騎士団です。地中海にあります」

「お前、授業でしてないのによく知ってるな……」

 智はひっかかったことに苦笑するしかなかった。

 授業が終わり、智は東教諭に職員室に呼ばれた。

 しまなみ高等学校は、自由であり、生徒の自主性を重んじる学校ではあるが、授業を真面目にうけない、妨害するといった行為に対しては非常に厳しい。

「権利を主張するなら、義務を果たせ」

 という、理事長の哲学があるからだった。

 東教諭のデスクの脇に立つ。

「お前、歴史が好きなのか?」

 智は説教をされると思っていたが、意外な質問に戸惑った。

「史学のある大学を受験するつもりはあるか?」

 東教諭の何気ない声に、彼は勢いよくうなずいた。

「はい。ああ、でも、志望校はまだ決めてないんですけど」

「そうか。もし良かったら首都国際大学を受けてみないか? 史学部の推薦枠がある」

「いいんですか?」

 東教諭は、笑顔を浮かべる智の肩を叩いた。

「史学部を希望する生徒はいないからなぁ。その気があるなら、しっかりと授業を聞け。推薦なら内申書も大切だからな。その代わり、学科試験は英語と国語、歴史の三教科だからな。受験勉強は絞れるだろう」

 智は始業ベルが鳴るのを聞いて、東教諭に頭を下げて職員室から走り出る。

 教室に急いで帰ると、数学の小山教諭が彼を待っていてくれた。

「無事、職員室から戻って来られた後藤に拍手」

 小山が手を叩きだすと、クラスメイト達も笑いながら手を叩いた。

 頭を下げながら、智が席についた時、小山の授業が始まった。

 昼休憩。

 投票日まであと三日となり、各候補者達は昼ご飯も食べずに演説をしている。報道部の集計によると、三組の春日遥果が他の二人を一歩リードしていた。その彼女が学食に姿を現すと、学食にいた支持者達が拍手する。

「ありがとうございます。今日はここでお話をさせて頂こうと思い、こうして参りました」

 丁寧なお辞儀をして、生徒達に話し始めた候補者の後方に、瑠香の姿が見えた。

 目が合う。

 彼女は頬を少し膨らませ、智から目を逸らせた。

 まずい。やっぱり怒っているな……。

 結局、彼は彼女からの着信を無視していたのだ。そして今に至る。

 気まずい気持ちの智を無視して、放課後はやってくる。

 選挙管理委員室に集まるのも遠慮したいところではあったが、昨日の不可解な彼の行動の説明を、メンバーにしなければならないと思い、多くない勇気を振り絞り、選挙委員室に入る。

 彼が一番、最後だった。

「後藤くん。昨日みたいな事はもう二度とされたら困るよ」

 信也が開口一番、彼の昨日の行動を非難した。しかし、それも当然だろう。

 事情を知っている康太は、申し訳なさそうに智を見ている。

 智がメンバーに謝り、昨日は突然、具合が悪くなり、保健室で休んでいたと説明する事から、委員会は始まった。

 今のところ、不正行為もなく、下品な野次もなく、選挙自体は問題なく進んでいるという事と、開票作業の日は帰宅が遅くなるので、両親にその事を伝えておく事。当日は自転車ではなく、公共交通機関で登校し、下校は小山教諭がそれぞれを車で送るという事が確認された。

「一年生の票の開票は福間くん。二年生は石田さん。三年生は後藤くん。私と矢田くんは、三人を監視。これでいいですね?」

 瑠香がメンバーを見渡し、納得したという表情を確認して、委員会は解散となった。

「智くん。ちょっと」

 瑠香に呼ばれて、彼は教室に残っていた。見れば、康太も椅子に座ったままだ。他のメンバーが教室から出て行った後、瑠香は智の正面に座った。

「福間くんから聞きました。男の嫉妬はとってもかっこ悪いよ!」

 智は声すら出なかった。

「ちゃんと言ってなかった私も悪いから、今回はこれで終わり! はい、仲直り」

 瑠香が左手を差し出してくる。

 智は無言でそれを握りしめた。

 三人はそのまま、うずら屋へと移動した。

 ニヤニヤした黒田が、智の肩に手を置く。

「昨日、瑠香ちゃんはずっとここでお前に電話してたんだぞ。許してもらったのか?」

 智は肩を小さく狭めて、改めて正面に座る彼女を見た。

「ごめん」

「もういいよ。私も悪かったし」

「まあ、仲直りしたってことで。な?」

 康太がわざと笑顔で二人を交互に見て、コーヒーを飲んだ。

「で、後藤。俺も少し考えてたんだ」

「何を?」

「何って? 事件の事だよ」

 康太が煙草を制服の中から取り出すのを、瑠香が睨む。彼は首を竦めてそれをしまった。

「俺が考えてた点は、山田と弘が、なんで学校に忍び込んだかって事だ」

「それは、選挙の為に……」

 瑠香の言葉に、康太は首を振った。

「だから、なんで選挙に勝って、生徒会を牛耳って、幽霊部を作って金を作りたかったのかというとこ」

「ああ、それは俺も考えていた」

 智は康太の横顔を見つめた。

「でな、俺は思いだした。山田と弘の共通点。というか、一緒にいた事を」

 康太はコーヒーを飲んでから、話を続けた。

「これは、七月だったと思うんだけど、あいつら海岸でよくないやつらと一緒にいたんだ」

「よくないやつら?」

 相槌をうつ智。すっと目を細める瑠香。

「ああ、その時は俺がわざと二人に声をかけて、その連中から引き剥がしたんだけどさ。まあ、なんか因縁つけられてるのかと思ったから、そうしたんだけど。今、考えてみると、もしかしたら話をしてたのかも」

「なあ、康太。そのよくない連中の中に、金髪の女の子はいたか?」

 康太は驚いたように、智を見た。

「おお、知ってるのか? いたよ。二人と一緒に悪そうな奴らと話をしてた」

 智は息を呑んだ。

 瑠香の顔が、苦しそうにゆがんだ。

「弘くん、やっぱり……」

「え?」

「ん?」

 瑠香の囁きに、二人の視線が集まる。

「弘くんさ。オンラインゲームのアイテムの売買をネットでやってたんだけどね。それでよくない人と関わっちゃって、揉めてたんだよ。私がその子だと思う人を見たのも、多分、その話をしてた時だったんだ。とっても怖い顔してたから……」

 彼女はコーヒーのカップを見つめた。

「詳しい事は知らないけど、とにかくお金がいるって言ってた。それで、私に生徒会長選挙に立候補するように言ってきた」

 智は目を閉じた。後は聞かなくてもわかる。想像していた通りの流れだからだ。

「そこで、不正の話を持ちかけられた。で、瑠香はそれを断ったから、弘とうまくいかなくなって別れたって事?」

 瑠香はゆっくりと首を縦に振った。

「なんか、個人でするより、グループでしたほうが儲かるって弘くん言ってた。それで、直樹くんと、彼の知り合いを集めてやってたんだって……」

「でも、なんで弘は、山田と組んだりしたのかなぁ」

 康太が不思議そうな顔で、うずら屋の天井を見上げた。

「いや、まあ、ちょっとあるからな」

 康太が智をちらりと見た。智にも彼の言わんとするところは分かる。弘はきっと、直樹の事を心底、友人だとは思っていなかったと智も思うのだ。それでも、直樹と組まざるを得なかった理由は何だろう。

「直樹から持ちかけられたって事じゃないか? ほら、あいつは遊ぶ金を欲しがっていただろ」

「ああ、それは考えられる」

 智の言葉に、康太がうなずいた。

「でも弘が金に困っていたとは思えないけどなぁ」

 智は彼のお金の使い道を考えた。ゲーム、漫画、それぐらいしか思いつかない。

「ねえ、智くん。弘く……野島くん、お小遣いはたくさんもらってた?」

 瑠香が智を見る。

「もしかしたら、私のせいかもしれない。彼、私と会う時、支払いをほとんどしてくれていたから……私、あんまりお金持ってないの知ってたから……」

 智は瑠香を見つめた。

 そういえばそうかもしれない。智も瑠香と会った時、支払いは自分がするようにしていた。彼の場合はアルバイトをしてるし、奢るといっても、彼女に奢ったのは、うずら屋のお茶とか、ファーストフード、アイスモナカくらいのものだ。しめて五〇〇〇円にもならない。

 一緒にいるようになった頃は、カッコいいところを見せたいと、割り勘を申し出る彼女を断って払っていた。彼女の家に行き、彼女の事が少しずつ分かり始めてからは、率先して払っていた。

 自分と会う為に、お金がかか瑠香らアルバイトをしようと彼女が思わないようにするためだ。実は、会う回数を制限するという狙いの一つに、この事情もある。

「私は……会えればそれだけでいいと思ってたけど、彼はいろんなところに連れていってくれたから……。今、思えば、私が彼に甘え過ぎてたと思う」

 彼女の目に、大きな涙がたまるのを見て、ああ、まだ、心のどこかで瑠香は、弘の事が好きなのだと、智は感じた。

 康太がクシャクシャになったポケットティッシュを差し出す。笑って受け取る瑠香。

「とにかく、何で二人がお金を欲しがっていたか、なんとなく分かった気がするけど、分からないのは、二人の金儲けと、女の子の関わりがどういったものかというとこだなぁ」

 智は、まだ泣いている瑠香から視線を逸らした。

「俺、その金髪の女の子、どこかで見た事あるんだよなぁ。でも思い出せない」

 康太は頭を抱えた。




 十一月十三日。水曜日。

 今田刑事は意外な人物から着信を受けた。

 携帯電話のディスプレイに、知らない番号から電話がかかってきても、彼は無意識にすぐさま着信ボタンを押す。

「もしもし、今田です」

「後藤智といいます。しまなみ高等学校の生徒で……」

「ああ、後藤くんか。分かるよ。どうしたの?」

 彼は周囲を見渡し、誰もいない事を確認して言葉を発した。すぐに、喫煙室へと向かう。

「実は、ちょっと気になる事を知ってしまいまして」

 今田は缶コーヒーを買って、喫煙室の奥に陣取った。ここなら、誰かが近づいてくれば分かる。後藤智と話している事は、新井以外には知られたくない。警備会社の不正行為が警察の捜査で明るみとなり、また、野島弘の当初の証言が覆り、監視カメラによって彼が正門ではなく、選挙管理委員室にいた事が分かると、上層部は野島弘の任意同行を見送った。今は高田と牧野が、彼の自宅で事情を聞いているはずだ。その高田を初め、署内はここにきての方向転換にイライラ感を募らせているのだった。

「実は、山田直樹と弘がどうして不正をしようと思ったのか、それが分かったかもしれません」

 今田はおやっと思った。そういえば、二人がどうして不正行為に及ぼうとしたのかに関して、重要視されていなかったし、自分もしていなかった。

「なるほど」

 今田は時計を見た。午後十二時十五分。学校の休憩中に連絡をくれたのか……。

「よかったら、放課後会えないかな。こちらは先日と同じ顔ぶれでいくから。場所も君の良い場所にしよう。僕のほうからも、少し聞きたい事があったんだ」

「分かりました。選挙管理委員会があるので、五時くらいになるかもしれませんけど。うずら屋でもいいですか?」

 了承した今田が携帯電話を、スーツの内ポケットにしまった時、廊下の向こうから、こちらに近づいてくる高田を見つけた。彼は大股で歩きながら、乱暴にドアを開け、今田の隣で煙草に火をつけた。

「くそ。あいつの証言が全部、覆ったおかげで、一からやり直しだ」

 せわしげに煙草を吸う。

「仕方ないですよ。まあ、間違いが正されて良かったですよね」

 今田をじろりとにらむ高田。

「お前、何かこそこそとしているみたいだが、俺に隠れて何をしてるんだ?」

 心臓の鼓動が早まる。

「高田さん。機嫌悪いですね。どうですか? 今夜、一杯」

 今田が呑む仕草をすると、高田はうーんと唸ったが、うなずいた。

「お前の奢りだぞ」

 今田は高田に手をあげて喫煙室から出る。あまり時間をかけていられない。

 一番怪しいと踏んでいる高田に、今田の動きが勘付かれそうだからだ。全てばれてないとは思うが、それでも、スピードが命だと今田は考えていた。なんとしても証拠を掴みたい。となると、最もそれが発見できる確率の高いのはどこだ? おそらく自宅ではないだろうか。軍手や、当日に来ていた服、靴などが見つかるのではないか。今田は高田に酒を呑ませる事で、家に送って行く口実が欲しかったのだ。

 それらにくわえて、高田の犯行の動機を、後藤智の話が埋めてくれるかもしれない。居場所の分からない妻と娘。この二人はなぜ、姿を消さなければならなかったのか。事件との関係はあるのか? 全く別の事件なのか?

 淡い期待を抱きながらも、高校生の情報に期待してしまった自分に苦笑して、今田は運転席に乗り込んだ。

 新井を助手席に乗せ、車はしまなみ警察署から出た。ゆっくりと左折し旧市街地へと向かう。

「それにしても、奥さんと娘さん、どこに隠れてるんですかね? 山田直樹と高田さんの接点は、娘さんだけだってのに……」

「今日、高田さんと呑みに行くんだ」

 新井がぎょっとした顔で今田を見た。

「牧野も来るから、お前も来い」

「だ……大丈夫ですか?」

 今田は苦笑した。

「別に大丈夫だろ。ただ、あまり呑みすぎるなよ」

 今田は、新井の肩を叩いた。二人を乗せた車は、今日も一日、せわしげに市内を動き回り、あっという間に智との約束の時間を向かえていた。


 今田と新井がうずら屋に到着した時、左奥のボックスに座っている後藤智を見つけた。黒田と目を合わせた今田は、小さくうなずいて智に手を振る。立ち上がって、軽く会釈をする彼に、二人は近寄り、智の正面に座った。

「すいません。いきなり連絡して」

 今田と新井は笑顔で彼の正面に座り、黒田にコーヒーを注文した。

 それにしても、後藤智の態度の変わり様に今田は驚いていた。よっぽど、警察の印象が悪かったのだろう。

「それで、気になる事っていうのは?」

 智はコーヒーを飲んで、二人の刑事を交互に見た。

「事件とは直接の関係はないかもしれませんが、弘と直樹の二人が、なんで生徒会長選挙に出ようとしたのかが分かったかもしれないんです」

 今田は意外な人物から、気になっていた事の答えが出てく瑠香もしれないと、身を乗り出した。

「どうやら弘と直樹は、それぞれ違う理由があったものの、お金が欲しいという共通の目的がありました。それは予算の流用です」

「予算?」

 新井が手帳に走らせてたペンを止めた。

「うちの生徒会は権限が強くて、部活動の予算を生徒会が決めるんです。彼らは直樹が生徒会長、弘がインターネット研究会という新しい部の部長になることで、予算を流用させようと考えていました」

 智はそこで、言葉を止めた。今田が断りをいれて、煙草に火をつける。

「で、なぜ二人はお金が必要だったのか。それはオンラインゲームのアイテムを、グループでネット販売していたらしいんですけど、どうやら、その販売グループ内で揉めていたそうです。これは弘の元カノが本人から聞いています。あの、同級生の福間康太を知ってますよね?」

「ああ、知ってるよ」

「あいつが、あまりよくない雰囲気の連中と、弘と直樹が会っているところを見てるんです」

 今田と新井は顔を見合わせた。新井が思い切って口を開く。

「もしかして、その連中の中に金色の髪の女の子はいたとか言ってなかった?」

 智がギョッとした顔をする。

「知ってるんですか? 福間が教えてくれた話の中に出てきました。向山校の制服を来てたって」

「ちょっと……、ちょっと待って。向山高等学校の生徒?」

「はい。直樹の恋人が、直樹と二人でいるところを見た事があるって言ってましたし、一回だけ会ったとかいう関係じゃないみたいなんです。ここからは推論ですけど、その女の子と二人は販売グループを組んでいたと思うんです。おそらく三人以外にも、何人か絡んでいて、取り分か何かで揉めていたそうです」

 今田は唸った。こいつは……どうしたものか。

 山田直樹と野島弘。二人が不正に手を染めたのは、金が原因だった。そのきっかけはオンラインゲームのアイテムとは、ゲームをしない今田には理解不能だ。ゲームのアイテムを売買? どういう事だろう。まあ、それは今、関係ない。重要なのは、その販売グループの一員であった金髪の女の子、つまり高田裕子らしき女の子が二人と接点があり、なおかつ行方不明だという事だ。

 行方不明……? 俺は今、行方不明といったか?

 今田はコーヒーを飲みながら、煙草の煙に目を細める。

「今田さん?」

 新井が不思議そうに見る。今田はなんでもないとつぶやくと、智を真っ直ぐに見つめた。

「その女の子は、今、どこで何をしてるか、君は知ってるかい?」

 智は申し訳なさそうにうつむいた。

「いえ。俺は直接、その子を見た事ないもんで……」

 今田は落胆したが、それを表に出すような事はしなかった。

「そうか。そのネットでゲームのアイテムとやらを販売していたグループの事は、こちらで調べてみるよ」

 今田と新井は時計を見て立ち上がった。高田との約束の時間が迫っていた。

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