第12話 刑事は疑う。

 しまなみ高等学校から、坂道がまっすぐに大きな国道へと通じている。その合流地点にうずら屋がある。そこからさらに、国道を旧市街地へと向かうと、江戸時代から続く港町の風情が浮かび上がる。その旧市街地を抜けた先は、すぐに海となっているが、二〇〇メートルの距離には、もう島がある。しまなみ市から見て、向こう側にあるという事から、向山と名付けられたこの島と、しまなみ市との間の海はフェリーが何隻も往復していた。

 智と瑠香は、海岸通りのアイスクリーム屋で、アイスモナカを買って、しまなみ水道を一望できる公園のベンチに座っていた。

「智くんは、進学? 就職?」

 瑠香が口端にバニラアイスをつけて、こっちを見ている。

「進学。でも俺が入れる大学があるか心配なんだけどね。ほら、私立の大学が、一年前に統合やら、廃校になって、数が半分以下になってるじゃん」

 日本では、大学の廃校が現在も進んでいる。特に私立は、激しくその数を減らしていた。誰でも望めば大学に入れる時代は、突然終わってしまった。

 大人達の定めた教育制度に振りまわされ、ゆとり世代とレッテルを張られた若者達の凋落が――これは大人達から見ての一方的なものであるが――目に余るようになり、それまでの間違いを正すかのような、大幅な転換が図られた。一定の基準に達していないと国から指摘された大学は、次々と廃校に追い込まれた。若い世代の人口減少も関係していた。

 こうして大学受験に関しては、それまでのように、大卒という資格を得たいとか、大学くらいは出ないと就職できないといったものから、各分野の高等学問を身につけたいとする者が通過する試験へと姿を変え、難易度は格段にあがった。本来であれば、当然の事かもしれないが、智達高校生にとって、突然の厳しい現実が目の前に現れた事となる。

 大学を卒業し、大手企業に就職し、そこで定年まで働くといった日本文化は、世界経済の激流の中で、凄まじい勢いでそのあり方を変えていたのだった。

 智としては、就職するという選択肢もない事はない。しかし、自分がどんな仕事をしたいのかを考えた時、全く思い浮かばなかった。幸い、そんな彼を世間知らずとか、そんな考えは甘い。働いていれば、きっと楽しくなるといった、大人の価値観を押し付ける大人が、彼の周囲にいなかったことが彼にとっては良かったかもしれない。

「俺さ、ほら、特技あるだろ。だから、中学の頃から暗記が活躍する歴史は得意なんだよ。それで、良い点が取れるから、気分よくてさ。両親や先生達も褒めてくれるし。だから、歴史はすごい好きなんだな」

 瑠香は隣で黙って聞いている。口だけ忙しく動かしているようだ。

「暗記が得意だから、歴史の点数がいいのか。歴史が好きだから、点数がいいのか。今じゃよく分からないけど、歴史ってのはすごい長い物語なんだぜ。年号とか、人の名前ばかり記憶する試験は好きじゃないけど、昔の人がどう生きていたかというのは、すごい興味ある。例えば、なんで、このしまなみ市は昔から港町として栄えてきたのかとかね」

「どうして?」

「俺が知ってるのは、平家の平清盛が、中国との貿易の中継地点として開港したそうなんだ。それで、ここに人と物が集まるようになった。それから今度は室町時代後期、中国との中継地点というだけでなく、毛利家の米と銀を輸送する中継地点としても使われるようになった。今じゃ、地方の一都市だけど、昔は備後地方最大の都市だったんだよ」

 瑠香は、口端についたバニラアイスを指で取って、笑った。

「本当に好きなんだね。話している時の智くん。楽しそうだった」

「そう?」

 照れたように笑った智が、瑠香を見る。

「瑠香は進学?」

「うん。といっても、奨学金がもらえないと行けないから、まだ分からないけど、私は外国語をもっと勉強したい。私ってほら、小説好きでしょ? それに映画も好きだから。外国の人の言葉や文字を、通訳翻訳無しで分かるようになるって、すごくない?」

 ああ、確かにそうかもしれない。智も映画を見ていて不思議に思う事がある。ハリウッドの俳優は「カモーン」と言っているのに、日本語字幕には「おい、よせよ」と表示されていて、頭にクエスチョンマークが点った事があった。

「奨学金をもらえるように、成績を維持しなきゃいけないから、大変なんですよ。これでも」

 瑠香がアイスモナカを完食し、包み紙をベンチ横のゴミ籠に入れた。

 奨学金も非常に厳しい審査があると、智は聞いている。それこそ、大学受験より難しいかもしれない。

 智は、自分は瑠香の事をあまりにも知らないと思った。彼女は塾にも通わず、母親の代わりに家事をしながら、勉強も頑張っている。それに比べて、俺はどうなんだろう。努力しないで、大学に行きたいとか言っている自分が、とても恥ずかしくなってきた。

「なあ、瑠香。相談あるんだけど……」

「何?」

 智は地面を見つめていたが、決心をしたように、隣の彼女をじっと見た。彼女の瞳に、緊張した彼自身の顔を見つける。

「俺、瑠香と一緒にいたいけど、瑠香の邪魔はしたくない。だから、瑠香が奨学金もらえて、大学に合格するまで、会う時間を制限したいんだけど……」

 困惑する瑠香。

「俺は瑠香と一緒にいる時間がもっと欲しいと思う。こういう気持ちも大事にしたいけど、でも瑠香の大学に行きたいっていう思いを、俺は何よりも大切にしたいんだ」

 瑠香は黙ったまま、智を見つめて口をとがらせていたが、視線を海のほうに向けた。

「いきなりそんな事……、ずっといいなぁと思っていた人と、こうして楽しく過ごせるようになったのに」

 瑠香の言葉は小さすぎて、海の風が強まった事もあり、智には届いていなかった。

「ちょっと考えさせてよ」

 智はうなずいた。そして、初めて自分から、彼女の手を握った。




 十一月十日、日曜日。

 今田刑事は新井を連れて、鑑識課の田所を訪ねていた。

「今田さん、昼飯、一緒にしましょうよ」

 田所は今田の五歳年下の三〇歳。来月には結婚を控えていて、また彼女の自慢話でも聞かされるのかと思ったが、それが顔に出ていたらしく、田所は笑った。

「違いますよ。DVDの事でちょっと……」

 三人は連れだって、しまなみ署を出ると、道路を渡った反対側の中華料理屋に入った。

「ラーメン三つ。大盛りね」

 新井がさっさと注文をして、三人は席についた。

「DVDを見ました。画像を解析しましたが、犯人の顔までは分かりません。ですが、ちょっと気になる事がありまして」

「何だ?」

「被害者を襲う前に、彼と何事か会話をしています。それに手に持つ何かを見せてもいます。それと、あの人物は池の茂みに隠れていました」

「うん」

 今田は運ばれて来たラーメンを啜る。

「普通、初めて会った人間と、あんな状況で山田直樹は言葉を交わすと思いますか? で、詳しく映像を見てますと、知り合いではないけれど、話をせざるを得ない人と出会った事が分かりました」

「それは誰だ?」

「警察です。男が山田直樹に見せてたのは、警察手帳です」

 今田の箸がテーブルの上に転がる。隣の新井は蓮華を咥えたまま固まっていた。

「聞いてます?」

 田所が二人を見つめた。

「いや、すまん……。お前が今、話した事は間違いでしたじゃすまないぞ。間違いないんだろうな」

 今田の顔が悲痛にゆがんだ。

「顔は帽子に隠れていましたし、あの角度では判別できません。ですけど、手に持っていたものはバッチリ」

 今田はしばらく言葉を発する事ができなかった。

「誰の警察手帳か分かりますか?」

 新井が今田と田所を交互に見た。

「そこまでは……。しかし、警察手帳である事は間違いありませんよ。まあ、マニアの人が持ってるおもちゃの警察手帳かもしれないですけど……。それはあまりにも可能性は低いでしょうよ」

「それで、署外に誘ったんだな?」

 田所はうなずいた。

「ええ、もちろん。僕は犯人じゃない事は自分が一番分かってますし、こうして話す事で、二人にも分かったでしょ? で、今田さんではない事も分かってる。事件発生時は、僕と二人でスーパー銭湯にいましたから」

 今田はスープを飲んだ。

「そうだったな。一緒に酒飲んで、風呂に行ったんだったな。風呂から上がって携帯を見たら、呼び出しの留守録が入ってて、慌ててタクシーで現場に向かったからな……新井、お前はあの日、誰といた?」

 新井が麺を吐き出す。

「家に……、家にいて、誰とも話してません。寝てましたから……」

「普通はそうだろうな」

 先輩刑事に笑われて、新井は少しほっとした表情で、テーブルの上の麺を拭きとる。

 三人は中華料理屋を出ると、近くの喫茶店に入った。奥のカウンターに並ぶ。

「問題はどうやって、その人間を特定するかですが」

 田所の言葉に、今田は目を閉じる。

 警察関係者……待てよ。この事件が始まって、一番らしくない人間は誰だ? いつにもまして強引な態度と、発言……。

「なあ、犯人はきっと、この映像を見られたくないと思ったよな。学校の監視カメラに、もしたしたら映っているかもしれないと思うと、不安だよな」

「まあ、そうでしょうね」

 新井がコーヒーをすすりながら、相槌をうつ。

「なあ、事件があった日、学校に監視カメラの事を聞いたのは誰だ?」

「ああ、高田係長・・・…です」

 新井の声はゆっくりと小さくなった。

 今田と目が合う。田所が息を呑んだ。

 あの日、学校に監視カメラの有無を確認したはずの高田からは、

「敷地外を撮影しているものはないらしいから、無駄だ」

 という説明を受けていた。今、思えば、高田らしからぬ発言だと今田は思う。

「新井、署の駐車場に行って、高田さんの車を写真に撮って来い。誰にも見られるなよ」

 新井はうなずいて立ち上がり、二人を置いて喫茶店を出る。

「今田さん。手形は取れませんか?」

「うん……」

 今田も考えていた事だ。被害者の首に残った手形と、高田の手形が合えば、間違いなく確定できる。しかし、どうやってそれを取るか。それよりも、あの時間にいた事と証明する方法が良いのではないか? そもそも、高田はあの時間に、あんな場所で何をしていたのだろうか……。

 彼はもしかしたらそのヒントがあるかもしれないと、新井を連れて、向山高等学校の女性教諭である上村和子を訪ねた。

 夕方だった。

 電話で学校に連絡をし、学校から上村教諭に連絡を取ってもらった今田は、上村教諭の自宅に訪問する事を許された。

 彼女の家は、しまなみ市の対岸にある向山という島にあった。フェリー乗り場近くのマンションが、彼女の自宅だ。

 彼女の夫は、気を利かして出かけたらしく留守だった。

「お休みのところ、突然、お邪魔して申し訳ありません」

 二人の突然の来訪にも、上村教諭は完璧な笑顔で迎え入れてくれた。二人は彼女のマンションのリビングに座っている。

「実は、高田裕子さんの事で教えて頂きたい事がありまして」

 今田はこう考えていた。

 事件発生時に、あのような場所にいた事と、彼の娘の不登校が関係あるのではないか。なぜ、彼がこう思ったのか。それは高田が家に帰りたがらず、しまなみ署に寝泊まりするようになったのと、高田裕子の不登校が始まった時期が見事に一致するからだ。事件がある時、高田警部補はそれこそ必死に働いていたが、今回のように連日、署に泊まり込む事はなかった。人がいつもと違う行動を取る時は、何らかの理由がある。特にそれが、事件発生時である時は、必ず関係があるのだと今田は高田から教わっていた。皮肉にも、それが高田自身であるとは、今田には理解しがたい運命のようなものを感じた。

「高田さんが警察の方のお世話になるような事を?」

 上村教諭の目は驚きに満ちていた。

「確かに見た目も派手で、校則も破ってばかりでしたが」

 動揺しながら続けた彼女に、今田は誤解を与えたと謝罪して答える。

「いえいえ、そうではありません。実は彼女が学校に最後に登校したのは、正確には何月何日かを知りたいのです。あと、様子におかしなところはなかったかなどを……」

「何か事件に巻き込まれたのですか?」

 今田と新井は苦笑した。上村はなかなか良い先生のようである。生徒の事を心配している事が、表情にありありと浮かんでいる。

「事件ではありません。すいません。詳しくはお話できないのです」

 今田は出された緑茶を口に含んだ。渋みと甘味が口に広がる。安くはない葉だ。

「彼女の様子はどうでしたか? 不登校になる前の?」

 上村は首をかしげた。

「事情はよく分かりませんが……、私が知る限り、問題はありましたが、不登校なんて今まで無かったですし……」

 上村教諭は緑茶を一口、飲んだ。

「髪を金色に染めて、日焼けサロンで日焼けして、制服も崩して着ていましたから……少し感心できない人達と付き合っていたのも、聞いた事はありますが、学校の中ではそんなに問題を起こして困るという事はなかったですね。それこそ、彼女より、モンスターペアレントのほうが大変なくらいです」

 彼女は二人から視線を離し、手元を見つめる。

「彼女の場合は、何か不満があって、その気持ちを紛らわす為に、わざと自分を貶めていたように私には見えていました。あ、すいません。学校に来なくなったのは十月十日からです。しまなみ学校さんで事件のあった日なのでよく覚えています」

 ビンゴだ!

 今田は頭の中で囁いた。あの事件と、高田警部補の娘の不登校は関係がある。そして、山田直樹を高田が殺したとするなら、娘の不登校の原因を作ったのは父親か、山田直樹のどちらかにあるのではないか。材料はかなり少ないが、あの映像の男が高田であるとすれば、そう無理のない仮説ではないだろうか。

「上村先生、高田裕子さんの恋人はいませんでしたか?」

 新井も同じような事を考えていたのだろう。上村に質問した彼の持つペンは、少し震えていた。

「いえ、そこまでは知りませんけど……」

 女性教師は困ったような表情を浮かべた。

「仮に、高田さんが家に帰っていないなら、行く先に心当たりはありますか?」

 今田の問いに、上村教諭は力無く答える。

「それを知っていたら、もう回っていますよ……」

 二人の刑事は、彼女の家を辞した。




 十一月十一日。月曜日。

 しまなみ高等学校は、夜間に不法侵入をし、なおかつ不正行為に及んだとして、野島弘に無期限停学処分を科した。

 もう一人、山田直樹も同罪であったが、本人が死亡しているので処分は科されなかった。

 放課後の選挙管理委員室では、いつもの五人がそれぞれに複雑な表情で向かい合っていた。原因は山田直樹と野島弘による不正行為と、それに対する処罰の重みだった。

 無期限停学というのは、事実上の退学に等しい。退学処分にするのではなく、自主退学といった手続きを本人にさせる為の処罰といっていい。

「それにしても、馬鹿な事をしたもんだよ」

 信也が眼鏡を拭きながら、四人を見渡す。

「確かに、生徒会長になれば、この学校じゃ大きな権限が持てるけどさ。分かっていたのかな。責任も大きいって事をさ」

 智と康太は無言で視線を重ねる。

「ま、良かったのは我が委員会の委員が、彼らに加担していなかったという事かな」

「てめぇ、他人の不幸がそんなに楽しいのかよ」

 康太が激昂すると、さすがに信也も軽口を止めた。

「サッカー部とバスケ部はどうする?」

 智が言葉を発した。

 選挙管理委員室に夜間に侵入したという事は、監視カメラの映像から学校に知れる事となり、野島弘は担任の山下教諭と、金田教頭に事実確認をされた。日曜日の事である。ここで弘は、包み隠さず計画の事を話した。

 それに対しての今回の措置なのであるが、野島弘の話の中に、山田直樹から票の取りまとめを依頼され承諾していた野球部の木村と、バスケ部の田中の事が出てきた。しかし、この二人の処置に関しては、学校からではなく、選挙管理委員会から出す事となってしまった。

「選挙に関する事だからな。君達が決めなさい」

 金田教頭からそう言われた選挙管理委員長の池田瑠香は、顔面蒼白で四人の前に座っている。

「小山先生、どうしましょう……」

 瑠香に見つめられた小山教諭は、うんとうなずいた。

「どうしたい? 許してやりたいか? それとも、許せないか?」

 まるで禅問答のようだ。

 智が隣の信也を見る。

「ちなみに、校則ではこういう場合は、どうなってる?」

 信也は生徒手帳をペラペラとめくる。

「一カ月の停学」

 決して軽くはない。

「一カ月の停学でいいじゃないか。おとがめ無しって事には出来ないだろ」

 信也が生徒手帳から目を話した。

 康太が腕組みをしたまま、信也を睨む。

「てめぇは、自分より成績の良い奴に傷がつくのが、そんなに嬉しいのか?」

 康太が言っているのは、野球部の木村の事だろうと智は思った。彼は勉学とスポーツを両立させていて、まさに理想的な高校生だ。自分には絶対に無理だと思ってもいた。

 康太の発言に、さすがにムッとした信也が、赤い髪の持ち主を睨み返す。

「だったらどうだというんだ。ぼくはお前と違って、勉強というレースで戦っているんだ。喧嘩しか能のない奴に分かるはずもない」

「ああ、そうかい。だったら、正々堂々と勉強で決着をつければいいじゃねぇか。それを後ろから狙い撃つみたいな真似をして……恥ずかしくないのかよ」

「恥ずかしくないね。そもそも、不正行為に加担したのは、ぼくではなくこの二人だ」

 康太は反論出来ず、唸り声をあげて黙った。

 険悪な空気の中、必死に取りつくろうと由香里が二人をなだめる。

「喧嘩はよくないよ。ね、喧嘩は駄目。康太くん。謝って。今のは康太くんが悪いよ」

 由香里の言葉に、康太が仕方なくといった感じだったが、立ち上がって信也に頭を下げた。

「矢田くんも謝って」

 由香里がじっと信也を見つめる。彼もさすがに冷静になったのか、喧嘩では絶対に勝てないという事を思い出したのか、立ち上がって康太に頭を下げた。

「はい。仲直りね。いい?」

 由香里の懸命な姿が、どこか微笑ましく、智は笑う。

「なんで笑うのよー」

 アニメ声を発して智を睨む由香里は、自分も笑いだした。釣られて瑠香も笑う。憮然としていた二人も苦笑を浮かべた。

「いいか、整理しよう。山田から話を持ちかけられた二人はそれに応じたと言ってるが、それを証言しているのは、弘だけだ。こういう事は言いたくないが……」

 康太が赤い髪をくしゃくしゃにしながら、言葉を続ける。

「弘は今回の当事者だ。ここは本人達から話を聞いて、認めるようなら、それ相応の対応をすればいいと思うけど、どう?」

「賛成。二人から話を聞こう。それと、ぼく達は一度、バドミントン部の件で許した過去がある。すっかり忘れていたけど、あの時は許して、今回は許さないというのは、確かにフェアじゃない」

 信也が康太に同調した。

「そうね。私もそう思う。野島くんは……」

 瑠香が智をちらりと見るが、彼はあえて目を逸らさなかった。

 彼女は、小さく息を吸った。

「……野島くんは学校に忍び込んだ。という行為に対して今回の決定なのだから、分けて考えたほうがいいと思う」

 結局、瑠香の言葉を受けて、智と康太が二人で、野球部とバスケ部に向かう事となった。

「なあ、後藤。弘はなんであんな事したのかな?」

 野球部の部室に向かう途中、康太が智に質問をした。

「さあ、さっぱり分からないよ。俺は自分で思っていたほど、あいつの事は知らなかったという事かもな」

「……弘がさ。池田と、中学の時に付き合っていたのは聞いてるよな?」

「はあ?」

 智が歩みを止める。彼の表情を見て、康太は驚いたように立ち止った。

「聞いてなかったのかよ……また、俺は余計な事を……」

「それって、いつの話?」

 康太は申し訳なさそうな顔で、智を見た。

「いや、もう昔の事だからさ。忘れろよ」

 忘れられるわけないじゃないか。

 じゃあ、何だ? 俺は親友の昔の彼女と、仲良く楽しく恋人ごっこをしてたっていうのか? なんで二人とも何も言わない……今は何もなければ、話してくれても問題ないだろう。こうして第三者から話を聞かされるほうが、いろいろと考えてしまうってのに……。

 何もないって誰が言ったんだ?

「なあ、福間。弘と瑠香はいつ別れたんだ?」

「まあ、池田に聞けば分かるか言うけど、二年になるまでは付き合ってたと思うぜ。池田が大学受験目指して猛勉強始めてから疎遠になったとゆうか……」

「疎遠てなんだ?」

 智の質問に、康太が目を瞬かせた。

「お前、中学でてるか? 疎遠というのは、そのつまり、以前に比べて会ったり、連絡したりが無くなっていくって事だ。まあ、自然消滅っていうやつ?」

「ああ、そうか……」

 智は返事をするのがやっとだった。

 野島弘という親友の事を全く知らなかった自分に対しての衝撃と、親友だと思っていた彼と大切な人だと思っていた瑠香の双方から、自分の気持ちが一方的なものだよと言われているような気がしたと同時に、とても不吉な考えが頭に浮かび、智は歩く事が難しいほどの目眩に誘われた。

「すまん。福間。矢田と行ってくれないか? 俺、気分が悪くなってきた……」

「おい、大丈夫か? まさか、俺のせいか?」

「いや、お前のせいじゃない。ごめん。俺は医務室に行ってくる」

 智は自分が、どうやって医務室に入って、真っ白いベッドの上に横になったのか分からなかった。気づけば、彼の目の前に保険医の心配そうな顔があり、温かい麦茶をもらって、またベッドに寝転んだ。

「六時まではいてもいいよ」

 保険医の篠原沙也加の声が耳に届く。

 智は返事をしたと思うが、声が出ていたかどうか分からない。

 彼は、二人の事を考えていた。

 瑠香と弘。彼は記憶庫を開いた。

「今までどの部活や委員会にも参加してなかったのに、なんでだろ?」

 弘が、最初の選挙管理委員のミーティングから帰った時、待っていた弘に瑠香がいた事を知らせた際、彼が発した言葉だ。

 そうだよ。なぜ、瑠香が選挙管理委員にいたんだ? どうしてだ? 瑠香は奨学金をもらう為に、少ない時間を必死に勉強にあてていたはずだ。だからこそ、部活もしていなかったし、どの委員会にも参加していなかったはずだ。その瑠香がどうして選挙管理委員になった? そういえば、事件のあった日、瑠香は弘の帰りを待った。自分と一緒に……。

 あの時は、思考停止していたから、何も考えてなかったが、少し考えれば分かるはずだ。瑠香が弘を待つ理由はなかった。

 康太から話を聞くまでは。

 彼女は、別れたとはいえ、彼氏だった弘を心配していたのだ。いや、別れたとは誰も言ってない。康太から見て別れたように見えたというだけだ。疎遠というのは別れたという意味ではない。

「待て、慌てるな。今、俺は悪いほうばかりへ考えてしまう。落ち着け」

 智は布団の中で囁いた。落ち着け。

 弘と瑠香がもし、別れてなければ、なぜ彼女は、自分と付き合っているかのような態度をするのだろう。いくら恋愛経験がない智といえども、瑠香の態度は友達以上に思う。だから、二人は別れていたのだと、彼は考えるに至った。

「いつ?」

 智は次の疑問と向かい合った。二人はいつ別れた?

 康太の話では、大学受験までもう一年半という事もあり、瑠香が勉強で忙しくなったから。という事は、二人が二年生になってからだが、疎遠になったというのは、別れた意味ではないと考えたばかりだから、この時点では、二人は別れたわけではなかったかもしれない。

 智と弘がつるむようになったのは、二年生になってからだった。席が隣で趣味が合うという事から、二人は仲良くなったが、土日にどこかへ遊びに行ったという事はない。弘は瑠香と土日、特に日曜日に会っていたのではないだろうか。

 夏休み中は、智がアルバイト漬けだった事もあり、弘との接点は携帯電話と、オンラインゲームの仮想空間だけだった。時間帯は夜が中心だ。智が勝手に弘には彼女がいないと思い込んでいたに過ぎないのだ。

 俺みたいなモテナイ奴と気が合うのは、モテナイ奴。という先入観もあった。ところが、現実には弘には池田瑠香という彼女がいて、勉強で忙しい彼女が時間を作れる休日に限って会っていたとすれば、それを智に悟られないように気をつけていれば、智は気がつかない。弘はどうして、智に気づかれないようにする必要があったのか。 それは智が

「池田瑠香っていいよなぁ」

 と弘に常日頃からこぼしていたからだ。弘は彼なりに、智の事を気遣っていたのかもしれない。気遣ってくれていたという事は、弘は俺を友達だと思ってくれていたと考えていいかもしれない……。

 しかし、その気遣いを無視して、彼は親友の恋人を奪うような真似をしたのかと考えた時、それを跳ね除ける様にベッドから飛び起きた。

 白衣を来た篠原沙也加と目が合う。

「お目覚め?」

「ああ、はい。もう大丈夫です」

「少年、何か悩みがあるときは、その根っこと向き合いなさいよ」

「根っこ?」

 篠原はにこっと笑う。

「そ、何事も根っこを解決しないとね。全ては根っこから生えてきてるんだからね」

 根っこか……智は頭を下げて、保健室を出た。

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