第11話 カメラは見ていた。
十一月八日の金曜日。昼休憩。
しまなみ学校新聞を手に持った智は、信也と二人で報道部の部室に入った。
「松田いる? ちょっと話がある」
部室の中は数人の部員が、構成や誤字脱字のチェックをしていたが、二人の姿を見て、女子生徒の一人が近づいて来た。
「松田先輩は、西山候補の取材に行きましたけど」
「あっちにいなかったから、ここに来たんだ。記事の事で話があるんだ」
「選挙管理委員の方ですか?」
報道部員の問いに、信也が眼鏡を指で押し上げた。
「それ以外の人間が、このタイミングで来るかい?」
困った女子生徒の後ろに、報道部の部長、
「公正な内容だと思うけれど」
「これがか? アホ言うな」
智が新聞を彼女に手渡す。
「西山候補の動機に疑問。会長にふさわしいのだろうか? と書いてるじゃないか。幸い、彼女は抗議してないが、これは問題だ。選挙期間中に、報道部がこんな記事を出したら、学校内にこの見方が広まるかもしれないだろ」
「主義主張をしない報道は、事実だけを並べる壁新聞と一緒。掲載に関しては私が責任を持って判断しました。だから、話は私が聞きます」
三人は部室の奥、面談スペースに入る。
「当初、立候補者への個別取材をしたいと言われて出した条件がある。それは、選挙期間中は、いずれの立候補者に偏らない報道をしてくれというものだ。これはそれが守られていない」
信也の言葉に、美登里が首を振った。
「誰にも偏ってないわ。彼女の取材を通して、その考え方が果たして生徒会長としてふさわしいのか、それを指摘しているに過ぎない。彼女を応援しろとか、当選させるなとか一言も書いてない」
「そういうのを、言葉遊びというんだよ。これを読んだ生徒はどう思うんだよ。彼女に票を入れる事をためらうかもしれないだろ」
「それは生徒個人の勝手。誰に投票するかは自由のはずよ。それよりも、選挙管理委員会が報道部の表現の自由を侵害する事のほうが問題だと思いますけど」
信也が溜め息をつく。智はお茶を運んで来てくれた女子生徒にお礼を言って、部長の顔を見つめた。
「この記事を読んだ、西山さん本人はどう思うだろう」
「え?」
美登里の様子があきらかに変わった。それまでの防御姿勢が少し和らいだように見える。
「西山さんはさ。真面目に俺ら全員の為に立候補してるんだ。ニュースでやってる私利私欲の為に、政治を道具にしている政治屋とは違う。そんな彼女が、こういう書かれ方をしたら、どう思う?」
美登里は黙ったままだった。
「明らかな悪というのなら、徹底的に批判してもいいだろう。でも、思想が違うからといって批判するのはよくないと思う。それと、書かれた本人がどう感じるかという事を、まがりなりにも報道する人間は考えなくてはならないんじゃないのか?」
智が話している最中に、面談スペースに松田が入ってきた。話の後半は、美登里ではなく、彼に聞かせる為のものだった。
「矢田。帰ろうぜ」
智の言葉に、信也が立ちあがる。
二人は報道部の部室を後にした。
「あの事件の事があるからな」
信也の言葉に、智は無言でうなずいただけだった。
その日の放課後、選挙管理委員室に報道部の部長である荒川美登里がやって来て、本人に謝罪した事と、フォロー記事をいれると話して帰った。
選挙期間中は毎日、この部屋で集まる事になっているが、実際に忙しいのは投票前と後である。
お互いに、候補者達の動きを報告し合った後に、解散となった。
時計は午後五時。
智と瑠香は、いつものようにうずら屋へと向かった。
今田が黒田と話していると、そこに見覚えのある二人の高校生が入ってきた。
後藤智と池田瑠香。選挙管理委員でもあり、特に後藤智は野島弘の親友。山田直樹とも仲は良かった。
今田は立ち上がり、先日の非礼を詫びた。
改めて二人に、捜査に協力してほしいと依頼する。
「君達は、黒田さんと早朝の学校で、実験をしたようだね」
今田の隣に座る新井が声を出した。彼は警察手帳を二人に見せて、自己紹介をする。
黒田が閉店の札を店の表に出しに出た時、今田は二人をボックス席に誘った。今日はずいぶんと素直な態度だと、内心、感心していた。
「僕らも正門の前に行ってみたんだ」
新井が、その時の事を二人に話した。まずはこちらから話さないと、この二人、とくに後藤智は何も話すまいと、今田が彼に伝えていたからだ。
「……というような事で、野島弘があの場所で犯行に及んだ可能性は低いのではないかと考えた。どこかで殺して運ぶにしても、高校生の彼には自転車しかないから、無理だという理由で、彼は殺してないのではないだろうかと考えている」
今田はそこで、二人の表情を確認した。
どこかほっとした表情。
「ただ、この考えは警察の中では取るに足らない少数派だよ。捜査方針は残念ながら、君達の親友が犯人であるという見方が強いからね」
新井が今田をじっと見る。
ここまで話してもいいのかと、彼の目は言っていたが、今田はうなずいて話を続けた。
「だから、教えて欲しい。あの日に何があって、二人はあの時間に学校にいたのかという事を。君達は聞いているはずだ。どんな事があっても、それは殺人犯として警察署に連れていかれるより、マシだと思うんだけどね」
「弘は、逮捕されるんですか?」
智が、身を乗り出した。
そこへ、黒田が四人分のコーヒーを運んでくる。
カチャカチャと音を立てて、それぞれの前に運ばれるコーヒー。
今田は小さく、溜め息をついた。
「逮捕ってわけじゃないけど……ね」
立ち上がろうとした智を瑠香が止める。
今田と新井も、軽く腰を浮かせて、彼を落ち着かせた。
「待ってくれ。僕たちは、野島弘君を、そういう目に合わしたくないんだ。もし仮に、君達の話から、やはり犯人である確率が高いと考えれば別だけど、なんかこう、彼が犯人であるというのは、どうもしっくりこないんだよな」
「今田も僕も、これは本心から言っている。学校の外でいろいろ分かった事もあるからね」
新井の言葉に、智はコーヒーを飲んで、首を振った。
「智くん……」
瑠香が心配そうな表情で、出来たばかりの恋人を見る。本当なら、付き合い始めた頃というのは、とても楽しい期間だろう。それでも、この二人はそうはなれずにいた。
それは智が弘を想う気持ちと、厄介事に首を突っ込んだせいだ。
智はゆっくりと、視線を二人の刑事に向ける。
「弘は……、あいつは、選挙管理委員室にいたんです。そこから直樹が殺されるのを見てたんです。白い車も本当にいたと言ってました」
智は、弘の顔を思い出した。
自分が退学になったらどうすると言った時の、親友のあの顔……。
押し黙る智を、今田はじっと見つめる。
智は瑠香の手を握り、弘の話をぽつりぽつりと、二人の刑事に話した。
隣で瑠香が泣いていたのは、なぜだろうか。
智には分からなかった。
十一月九日。土曜日の朝。
今田と新井はしまなみ警察署で、後藤智の証言を職場に出てきたばかりの高田警部補に話した。しかし、高田は首をひねるばかりだ。
「おかしいじゃないか。それなら、もっと早くに証言してもいいだろう」
「山田直樹と野島弘がしていた事は、不法侵入ですから、野島弘はそれが発覚するのを恐れていた。高田さん。これは重要な証言ですよ」
しかし、高田は取り合わなかった。彼は、不法侵入と殺人、どっちが重い罪か子供でも知っている。この二つを天秤にかけて、殺人で疑われているなら、さっさと不法侵入の事は吐くだろう。
そう言って笑った。
「アホか、お前は。とにかく、野島弘を任意で週明けに引っ張る。それで決まりだ。そこで話を聞けばいい」
今田は顔を強張らせた。いつから、この人はこんなにも頑固になったのだろう。今田の知る高田警部補は、少しでもおかしな事があれば、徹底的に裏を取る作業を指示してくるはずだった。
高田は今田を押しのけて、喫煙室に上機嫌で向かう。
取り残された今田は、デスクに向かって頭を抱えた。
今田がデスクでしばらく書類と格闘していると、婦警が一人の女性を案内してくる。
「あのう、高田警部補はどこに?」
婦警の声に今田は喫煙室を指差した。その先には、煙草を咥えて、缶コーヒーを握った高田がこちらに向かってきている姿があった。
「高田警部補。お客様です」
怪訝な顔をした高田に、女性は
高田の顔に、ありありと迷惑だという表情が浮かぶ。
取り合わない高田に、女性はその場で声を荒げた。
「お子さんが学校に来てないんですよ。もう一カ月になります。心配じゃないんですか?」
「妻と出て行ったきり、こっちにも連絡はないんだ」
「では、奥さまのご実家のご連絡先を教えてください」
「あんた、そういう人の家庭の事を、こんなところでベラベラとしゃべられたら迷惑だよ。それとも、最近の学校はそういう配慮もしないってのか?」
高田はデスクに乱暴に座った。そして、わざとらしく新聞を広げる。
上村教諭はうなだれて、その場を離れた。
今田は、彼女を警察署の玄関口で捕まえた。
「すいません。今は事件の事で機嫌が悪いんです。私からあとで連絡をするように言っておきますので、ご連絡先を教えてくださいませんか?」
上村は少し戸惑いを浮かべたが、今田が重ねて言うと、納得したように名刺を差し出した。
「私立向山高等学校の上村と申します」
「今田と申します。頂きます」
彼は名刺を受け取り、自分の名刺は理由があって、差し上げられないが許してくださいと付け加えた。
「よろしくお願いします。もう一カ月も登校してきてないんです。ここにも何度もご連絡さしあげたんですが、お忙しいみたいで、いつもいらっしゃらなかったものですから」
今田はお辞儀をして、彼女を見送った。
高田警部補は仕事ばかりしているから、家族にも愛想をつかされたのだろうと思った時、慌てて自分の携帯電話を取りだした。そういえば、自分も妻にこのところ連絡をしていない。
今田は妻の携帯電話に電話をして、いつものようにのんびりとした彼女の声を聞いて、大きく息を吐きだした。
今田は単身赴任だ。家は広島市内にある。週末は必ず帰るが、今はそうもいかない。
こまめに連絡を取るようにしないといけないなと、彼は電話の向こうで、マシンガンのように言葉を発する妻の声を聞きながら、一人笑った。
智はひさしぶりに花壇の前に立っていた。隣には瑠香もいる。
土曜日の午後、彼はなかなか時間の取れなかった花壇の手入れをしていた。
「使いなよ」
軍手すら持たずに素手でスコップを握る瑠香に、智が軍手を差し出す。
「なんで、智くんはこんな事してるの?」
智も不思議だった。
「いや、入学試験の作文で植物を増やしたいって書いたからさ。やってないと格好悪いだろ?」
「どうして一人で?」
「他にする奴いないもん」
智は霜よけを設置しながら、花壇の回りをレンガで囲う。そのレンガを置く場所を瑠香に掘ってもらっていた。
「あんまり深くしなくていいからね」
「はーい」
二人にゆっくりと小山教諭が近づいた。
「おう、いつの間に後藤は、池田を口説いたんだ?」
智が顔を真っ赤にして抗議をするのを、小山教諭は笑って受け流し、途端に真面目な顔になった。
「後藤、ちょっといいか? あの件でちょっと」
智は瑠香をちらりと見て、ここでいいですと答える。
「後藤だけじゃなく、池田も絡んでいたのか」
小山教諭は二人を眺めた。その顔は呆れ半分、感心が半分といったところか。
「さっき、しまなみ警察署の今田さんという方から連絡があってな。監視カメラの映像が見たいと言ってきた」
智と瑠香が顔を見合わせる。
「とにかく、警察にちゃんと協力したみたいだから、ご褒美にお前らにも見せてやろう」
二人の顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます」
小山教諭は手を振って去っていく。
「お礼は、校長先生に言いなさい。二時に図書室のフリールームだぞ。三番だ」
時計は午後一時半を回っていた。
二人は慌ただしく、片付けを始めた。
二人が到着した時、フリールームには、山下教諭と小山教諭、今田刑事と新井刑事の四人が待っていた。智と瑠香はお辞儀をして、席につく。
小山教諭が十月十日、午前五時の選挙管理委員室の監視カメラの映像を再生する。
ひっそりとした室内。薄暗い画面の中に、見慣れた教室が映し出されていた。
そこに二人の人間が姿を現した。
直樹と弘だ。
映像を見ていた教師二人が息を呑む。刑事二人は唸った。
画面の中の二人は、ロッカーを開けると、その中の書類を取り出し眺めていた。
「映像は廊下から、外に向かって録画してあるんですね」
「ええ、左右の出入り口の上についてます。これは右のドアの上から、教室を斜めに写しています。左のカメラはその反対。ちょうど、教室の真ん中で、クロスする格好になりますね」
今田の質問に、小山教諭が答えた。電源の場所関係でこういう配置になっていると付け加えた。
画面の中では相変わらず、二人の侵入者が動いている。そして、二人はハイタッチをして喜んでいた。
「楽しそうだな」
新井刑事の言葉が、フリールームに響いた。
画面の中の、直樹と弘は、しばらく動いていたが、バッグをゴソゴソとし始めた弘と、教室を出て行こうとする直樹とに分かれた。
広はバッグから何か書類を取り出し、ロッカーに入れる。そして、GSPを取り出し、ゲームを始めた。朝まで、こうして過ごす予定だったのだろうか。
何か思い出したように、弘が立ち上がり、ズボンのポケットから何か小さな物をつかみ出す。ロッカーを再び開いて、その小さな物をそこに置く。その時、彼が顔を窓のほうに向けた。しばらく動かない。
「止めてください」
今田刑事が声を発した。
「今、午前五時三二分ですね。もう一方の監視カメラの画像を見れないですか? アングルでいうと、彼の背中越しに外が見えるかも」
小山教諭がパソコンを操作して、カメラを切り替える。
「今田さん。これ!」
新井刑事が怒鳴った。
その画面には、弘の背中越しに、学校の正門が映し出されていた。そこには、直樹であろう人物と、もう一人の人物が映っている。
「小山先生。このDVD、署に持って返っていいですね?」
今田の声に、小山教諭が携帯を取り出し、電話をかける。
「教頭、小山です。映っています。ええ、はい。刑事さんに提出しますので。はい。分かりました」
電話を終えた小山教諭は、今田刑事にうなずいた。
「どうぞ。捜査に役立ててください」
今田刑事と新井刑事は頭を下げ、DVDを受け取る。
智が深く頭を下げた。瑠香も慌ててそれに倣う。そしてチラリと智を見た。
彼は震えているようだった。
フリールームに残り、しばらく智が落ち着くのを待つ瑠香。彼女はそっと智の肩に手を乗せた。
「大丈夫?」
「うん」
智は自分の行動によって、親友がこの学校にいられなくなるであろうと予測し、唇を噛む。今もまだ、自分がしたことが正しいのかわからない。お前は正しいことをしたと言われたいと思う自分が情けない。
そもそも、弘を助けるために事件を調べていたのにと、彼は頭を抱えた。
どうしてこんな事になったのか。
胃が痛い。
それでも、彼の背中をやさしく擦ってくれる瑠香のぬくもりが、彼の後悔と自省の念をゆっくりと溶きほぐしてくれた。
智は笑みを無理に作った。
彼の笑顔に、自分がそうさせたと知らない瑠香は、ほっと息をつき、智の手を握り立ち上がる。
図書室を出た智と瑠香に、樫本真由が手を振っていた。
「おーい」
二人が近づくと、真由はじろじろと瑠香を見た。
「後藤くんの彼女って、池田さんだったの?」
瑠香が照れ笑いを浮かべて、嬉しそうに体をくねらせる。
「まあ、今はそれどころじゃないのよ。後藤くん。ヒカリが思い出した事があるって。電話かけるから、話してくれない?」
真由は瑠香をわざと無視して話すと、スマートフォンを取りだした。すぐにそれを智に差し出す。
瑠香が頬を膨らませる。
クラスメイトから携帯電話を受け取った智の耳に、ヒカリの声が聞こえてきた。
「もしもし、後藤くん?」
「うん。ごめんよ。この前はいろいろ聞いたりして」
動揺しながら、何かあったのかと考える。
「ううん。いいよ。それよりも思い出した事があるんだ。聞いてもらっていい?」
「何?」
電話の向こうで、少しの沈黙。
「直樹くん。違う学校の女の子と歩いてたとこ、私、見た事があって。すっごい怒ってやったら、単に道を教えてあげただけだって言ってたんだけど」
相槌をうつ智。
「よく考えてみると、道を教えてくれてるだけの人に、あんな笑顔は見せないと思う。あ、女の子のほうね」
「見つけた時はどうしたの?」
「意地悪だね。その時はスルーしたよ。夜に電話したけど、全然つながらなかったし、この話をしたのは、次の日」
「それはいつの話?」
「夏休み前だよ。もしかしたら、その女の子と何かあったんじゃないのかな?」
「どこの学校?」
「向高」
向山高等学校のことだ。しまなみ市対岸にある向山島にある商業高校だ。
「どんな子だった?」
「すごい派手な格好。金髪だったし、スカートも短いのなんの。悔しいけどスタイルは良かった。男って、なんであんなのが好きなの?」
「助かったよ。ありがとう」
智は話が変な方向に行く前に、さっさと電話を真由に返した。彼女はヒカリと何か話して、電話を切る。
「さてと、お礼に何か奢ってもらおうかな?」
チラリと瑠香を見る真由。
智は居心地の悪さを感じて、ゆっくりと隣の瑠香を見た。彼女は笑っていた。とても可愛い笑顔。それが逆に怖い。
「行こう。智くん。三人で」
瑠香がそのとびきりの笑顔で、彼の手を引っ張って歩きだした。
うずら屋のいつものボックス席。
いつもなら、笑顔で会話に参加する黒田も、今日ばかりはそこに近寄らない。彼から見て、智は人生に三度訪れると言われる、モテ期の一回目が来ているのだと思った。
コーヒーと、紅茶を二つ運んで、カウンターの中に引き返す時、どこか助けを求める智の視線に、心でごめんとつぶやいて、黒田はそれを背中で受け流した。
真由は紅茶を呑みながら、店内を見渡す。
「私、ここ初めて。結構、うちの生徒には人気だよね」
店内には、しまなみ高校の制服を来た生徒の姿が、智達以外、三組いた。
「それで、後藤くんはどこまで事件の事、調べたの?」
「そういう事は、こういうところで話すべきじゃないと思うけどな」
「なんで? 私は後藤君に協力してるんだよ?」
「私だって、智くんに協力してるけど、人のいるところでは、話さないようにしてるから」
真由と瑠香の二人は、静かに穏やかに向かい合った。
智は無言で二人を眺める。自分はいつから、こんな贅沢なシチュエーションを味わえる身分になったんだろう。
智は、目の前の二人のやり取りを聞いているふりをしながら、頭の中では全く別の事を考えていた。
進藤ヒカリから聞いた女の子の事だ。
今さら新しい登場人物が、事件に関与しているとは思えなかった。その根拠はやはり、白い車と直樹を殺した方法。
瑠香が言っていたように、女の子が男を絞め殺すのは、何か道具がないと難しいだろう。もしくは複数で襲いかかるという方法も考えられる。しかし、あの映像には一人しか映っていなかったし、ずんぐりとした体型である事から、女の子とは考えられない。いや、これは先入観かもしれない。女の子でも太っている子はいるが、ヒカリが見た子ではないと思って間違いなさそうだった。
白い車も間違いなく停まっていた。犯人のものと考えて間違いないだろう。ここで智が考えるのは、高校生が自動車を保有しているという事も滅多にないという事だ。白い車の車種は分からなかったが、どうやらセダンのようだった。女の子が自分の車を選ぶ時、白いセダンというのは、どうなんだろう。親の車を借りたとすれば可能性はゼロではないが、進藤ヒカリの見た女の子が、あの時間に直樹と待ち合わせ、車でしまなみ高等学校までやって来て、犯行に及んだとするのは、智にはどう考えても、無理があるように感じた。
一緒に乗って来た、もしくは一緒にどこかに行く予定だったとするなら車がいるが、それだと、直樹のあの日の行動と合わない。彼は自転車で弘と一緒に学校に行き、朝まで学校内に潜んでいるつもりだったのだ。缶コーヒーを買いにも行っている。
いやいや、あの映像に映っていた人物と、進藤ヒカリが見た女の子はやはり外見が違いすぎる。全くの別人だ。直樹の学校外の交友関係は知らないが、彼の知り合いで車を持っているとすれば、年上の知人、学校の卒業者などだと考えるのが普通だ。
智がふと思考の世界から現実に帰ると、そこには、黙って見つめ合う瑠香と真由がいた。見つめ合うというより、挑むような視線がぶつかる。
「女の子にあの事件は起こせないよ」
瑠香が紅茶のカップを受け皿に置いた。陶器が音を立てる。
「樫本さんが、その女の子が犯人だという根拠は何なの?」
真由は瑠香をまっすぐに見た。アーモンドの形をした目は、威嚇する猫を思わせる。
「だって、山田くんに恨みを持っているのって、他に考えられないじゃん」
彼女はこう続けた。
人を殺すのは、怒りや恨みが理由である事が多い。山田直樹に対して、そういう感情を抱くであろう人物は、二人。
進藤ヒカリと、彼女が見たという向山高等学校の女子生徒。
「でも、ヒカリはそんな事をするわけないし、無理だもんね。朝、私が電話した時、後ろでヒカリのお母さんの声がしてたから。となれば一人しかいないじゃない」
自分の説に満足したのか、真由は得意げに紅茶を口に運ぶ。うずら屋の時計が午後三時を知らせる。
「あ、ごめん。塾があるから」
真由は時計を見ながら、慌てて立ち上がる。笑顔を智だけに向けて、うずら屋から出て行った。
自然と、智は隣の瑠香に視線を移した。目が合う。
「いや、俺、こういう時、どうしていいか分かんないだけどさ」
彼はまごまごと体を揺する。
「今まで、それとなく言い寄られてたんじゃない? 智くんが気づいてないだけだよ。とにかく、私はあっちこっちにいい顔をする人は嫌いです。どうしますか?」
顔は笑っているが、目は怖い。智は数秒、沈黙する。
瑠香が、瞬きを二度した。
「俺は池田瑠香さんと一緒にいたいです……もう許して。改まって言うのって、めっちゃ恥ずかしいんだよ」
智の情けない声に、瑠香の笑い声が重なった。
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