第8話 推理をしよう。

 十一月三日。日曜日。

 智は『タナベストア東駅前店』で、在庫チェックや入庫商品のチェックをしていた。発注した品が発注数通りに入荷しているかを確認し、間違いなければそれを指定された場所に運ぶ。彼が出勤してから最初にする仕事だ。この作業のスピードが、智は異様に早い。それは彼の特技によるところだが、普通は二人で一時間かかるところを、彼は一人でやってしまう。

「いやあ、相変わらず早いな」

 店長の森本が、にやついた顔で彼に話しかける。智がスナック菓子の入った段ボールを抱えて、お疲れ様ですと言った時、店長が売り場のほうに、智宛のお客さんが来ていると伝えてくれた。

 智はバックヤードと売り場を仕切るドアを開け、勢いよく一礼して売り場に出る。これは売り場に出る時のルールだ。店の広いフロアの中をきびきびと歩き、レジの近くにあるインフォメーションに目をやると、そこに瑠香が立っていた。近付く彼に笑顔を向けて、手提げ袋を掲げてみせる。

「頑張ってるね。これ、差し入れ。お昼に食べて」

 中には明らかに手作りであると分かる弁当箱が入っていた。

 昨日の夜、電話で瑠香から三日の今日、旧市街で開催されているお祭りに誘われていたのだが、アルバイトがあるからと言って断っていた。携帯電話の終話ボタンを押す時、電話の向こうで、瑠香が何か企んだかのような、小さな呼吸を感じていた智だったが、まさかアルバイト先に差し入れを持って来てくれるとは思っていなかった。

「いいの? ありがとう」

 受け取る智の背中に、レジに立つパート達の野次馬的な視線が突き刺さる。

 これは後でいじられるな。

 智は口角がゆるみっぱなしの顔で、それを受け取った。

「私、向かいの図書館で待ってるから、バイト終わったら教えて」

「終わるの六時だぜ」

「いいよ。読みたい本、いっぱいあるから」

 彼女は手を振って店を出て行く。

 バックヤードに帰ろうとした智に、パートの主婦達が笑顔を向けた。

「後藤くん。可愛い彼女じゃない。いつ出来たのよ」

「いや、最近です」

「ほんとに? 隠してたんじゃないの?」

 智は差し入れを抱きかかえるようにその場から逃亡して、バックヤードに入り、休憩室のテーブルの上に手提げ袋を置いた。作業に戻ろうとするが、店長が呼び止める。

「いいよ。さきに食べちまえ」

「え? でも売り場の人達に先に休憩を取ってもらってください。ぼくは入ってまだ時間が経ってないですから」

 休憩室の隣の喫煙室から、のっそりと出てきた店長は、煙草の匂いを消すために口臭消しスプレーを口の中に吹きかけると、智の肩を叩いた。

「悪いな。じゃあ、売り場のスタッフに声をかけてくるよ」

 と言って、そこから離れる。

 結局、智が瑠香の手作り弁当を食べたのは、午後三時前だった。

 二段の弁当箱に、ご飯とコロッケ、アスパラガス、ウインナー、卵焼き、ミニトマトが入っていて、一緒に休憩を取っていた店長の森本が、わざわざスマートフォンで写真を取っていた。

「親父さんに報告しなきゃならんからな。息子さんに、とっても素敵な恋人現るってな」

 本気でやりかねない森本に、頼むから自分が紹介する前にばらさないでくれと懇願し、なんとかメール送信ボタンを押す事を阻止した。

「そういや、社長が花の種や苗を持って帰っていいと言ってたぞ。ほれ、あの棚に置いてあるやつ」

「ありがとうございます。助かります。社長にもお礼を言っておきます」

 森本はスーパーの惣菜コーナーで買った弁当を食べている。

「うん、今日、本社にいるみたいだから、あとで電話してみなさい。話は変わるけど、後藤くんは、進学するのか? それとも就職?」

 智は売り場で買ったお茶を飲みながら、森本の顔をまっすぐに見た。

「一応、今は進学ですかねぇ。こう見えて歴史が好きなんで、史学科のある大学に行きたいんですけど、大学の数が激減してるから、ぼくの成績で受かるかどうか不安ですよ」

「そうか。やっぱり東京の大学を受けるの?」

「うーん。まだ志望校までは決めてません」

 智がご飯をもぐもぐさせていると、休憩室のドアがゆっくりと開いた。

「休憩入ります」

「お疲れ」

「お疲れ様です」

 パートの福間洋子が入ってきた。あの福間康太の母親だ。このやさしそうな女の人の息子が、あの赤い髪をした一八〇センチを超す強面だと思うと、遺伝子ってなんだろうと智は思ってしまう。

「後藤くん、あの女の子、池田瑠香さんでしょ?」

 智はご飯を吐きだした。テーブルの上に散らばったご飯粒を、森本がウェットティッシュで拭く。謝りながら、智もそれに加わった。

「可愛いねぇ。うちの息子が校内一の美人だって言うのも納得だわ」

 智は、ご飯粒を拭いたウェットティッシュをゴミ箱に捨て、お茶を飲んだ。

「どうやってゲットしたのよ。息子には黙っていてあげるから言いなさいよ」

 店長までも好奇心丸出しの顔で、智の顔をじっと見る。

 彼は変な汗が噴き出るのを感じた。




 バイトを終えた智は、瑠香と合流するまえに、母親にメールをした。今日は晩御飯いらないという内容であったが、誰と食べるのかと尋ねられると困ると悩んだ。彼の心配をよそに、返ってきた返事には了解という二文字だけで、ほっと胸をなでおろす。

 二人は、東しまなみ駅近くのファーストフードの店に入った。自転車でうずら屋まで行くのはとても遠く感じたからだ。

「私はちょっとショックだったなぁ」

 弘の話を聞いた事に関する彼女の感想だった。それはそうだろう。ショックだったのは智も同様であったが、机の中まで調べられていた彼女にしてみれば、ちょっとどころではなかったはずである。

 あの日、智は弘の話が終わると、入り混じったたくさんの感情を押し殺し、また来るから元気だせよと言って、瑠香を連れて弘の家を後にしたのだった。彼の家の前で、不満げな瑠香と別れて、彼はさっさと家に帰った。

 それは二人でいると、どうしても弘の事を責めるような話をしてしまいそうで、怖かったからだった。

 時間が経った事で、その気持ちも随分と落ち着いた。

「でも、正直に話してくれたおかげで、分かった事がたくさんある」

 智が、瑠香のトレーのフライドポテトをつまんで食べた。

「弘に直樹がメールをしたのが、午前五時半頃。弘が正門で直樹を発見したのが、六時前。このわずかな時間で、直樹は誰かに・・・・」

 大きなハンバーガーを、どう食べようか迷っていた瑠香から、わざと視線を外してやる。その隙に、彼女は大きな口をあけて、パクリと頬張った。

「守衛の人はなんで、守衛室にいなかったんだ?」

「仮にいたとしても、塀が邪魔して、正門の外の事は分からないんじゃない? それに、見回りもするでしょ?」

「いや、二人一組の契約のはずだよ。警備会社と、どういう契約をしているか、土曜日の午前中に山下先生に調べてもらったから」

「へぇ、手回しいいね」

 瑠香が白い歯を見せて笑う。智も笑みを返して、ハンバーガーにかぶりついた。チーズと肉とピクルス、トマトの味が口の中に広がる。照り焼きの匂いが強くなる。

「でも守衛室には誰もいなかった。だいたい、弘が学校に五時過ぎに行った時も、正門から堂々と入ったと言ってる。守衛がいなかったからだ。なんでだろう……」

 瑠香は紅茶の香りを嗅いで、うずら屋のほうがやっぱりいいとつぶやく。

「守衛の人が事件に関係していたりして」

 瑠香の小さな声は、智の頭に重く響いた。

「そうだ。それだと辻褄は合う。この説はA案としておこう」

 話しながら、同時に記憶庫にしっかりと書き込んでいく。瑠香は【ノートいらず】と彼の特技を名付けた。もっとカッコいいのにしてくれと抗議をしたが、彼女はそのネーミングを気に入っているらしく、変えてくれない。

「仮にA案で勧めて行くとこうなるね。何らかの事情で、守衛室を離れた人が、五時半から六時の間に、正門の外で山田くんと会う。そこで、山田くんを手にかけた。彼はその後、山田くんの死体をそのままにして、そこから離れた。ここから分かれるね。その犯人は、野島くんが内線で呼び出した人なのか、それとも、そうでない人なのか。前者であるなら、内線で呼び出された犯人は、何も知らない振りをして、教頭先生に連絡を入れた。後者であるなら、山田くんが発見される前にその場から遠ざかったか、もしくは野島くんと、守衛仲間が慌てているところに、何も知らない顔で合流したのか」

 智は一言一句、間違う事なく、瑠香の発言を記憶していく。

「時間の訂正がいるな。絞殺は一瞬で終わるってものじゃないだろうから、五時半から四十分までの間に、直樹と犯人は遭遇したとしておこう」

「賛成」

 智はコーラで、ナゲットを飲み込んだ。固くてまずい。うずら屋の食べ物や、タナベストアの惣菜、母親の手料理、瑠香の弁当。智の料理の判断基準は、このファーストフードの商品開発者よりも、ずっと高いのだと彼は思った。

「A案で問題なのは、動機ね。初対面の人間を、会っていきなりって普通、あるのかな? それに、山田くんて、ほとんど無抵抗だったってテレビで報道されてたよ。知らない人が近寄ってきて、いきなり腕を伸ばしてきたら、すごく抵抗しない? 私はこれでもかってくらい声をあげながら抵抗する」

 智も彼女の意見に賛成した。だからこそ、警察は被害者と加害者は知り合いだったと考え、そこから野島弘へ疑惑が向かっているのだと智は悟った。

「A案を通すなら、動機と、被害者が無抵抗だった理由を証明しないと駄目ね。今は材料がないから無理。次、B案いきます」

 瑠香は、智のトレーからナゲットを奪い、口に入れると眉をしかめた。味覚は似ているらしい。

「これは私が昨日の夜、一人で考えたんだけどね。山田くんは野島くんが来るとは思っていなかった。それで、他の誰かを誘って学校に忍びこみ、事が終わってから、一応、野島くんにもと思ってメールした。これから選挙を一緒に戦っていく仲間だもん。それから、野島くんから学校にいるというメールが入って、一緒にいた仲間と揉める。それで首を絞められてしまった。犯人はすぐにその場から逃げる。その後に、野島くんが正門で山田くんを発見する」

 なるほど。智はまた、記憶庫に詰め込んだ。

「B案で問題なのは、野島くんが学校にいる事で、山田くんと決定的な、それこそ殺意を抱くくらいの怒りを覚える事って何だろうと思うと、嫉妬かなと私は思った。でも、女の子の握力や腕の力で男の子をなんて無理。それこそ、紐とかないとね。高校生で金銭トラブルはないだろうし、例えば嵌められた智くんだって、そこまでの怒りってなかったわけでしょ?」

「殴ってやりたくはなったけど」

「そうでしょ? 突発的な事だから、手で首をしめた。軍手は侵入する時にはしてたとして、突発的な感情の高ぶりでって、男同士であるのかな?」

 智はしばらく考えて、はっとした顔で瑠香の綺麗な瞳をじっと見る。

「もし、瑠香になにかあったら、俺は相手を殺したくなるかもしれない」

 驚いた顔から、恥ずかしそうな顔、そして嬉しそうな顔に変化した瑠香は、白い歯を見せて笑った。

 智は、照れて続ける。

「十分に動機になるけど……ただ、あんなところで殺すかな。俺だったら、もっと人目につかない場所に呼び出して復讐するね」

 彼はコーラを啜って、腕を組む。瑠香が紅茶のカップを両手で持ったまま、口を開いた。

「単純に、山田くんと、野島くん。そして三人が三角関係にあったというなら、まだ考えられるかも。でも、B案の可能性は薄いね。B案を成立させるには、三角関係になってるって事を証明しなきゃいけないもん。ボーイズラブって感じじゃないもんね。山田くんも野島くんも」

「いや、犯人一人がそうだったかもしれないよ。直樹に誘ってもらえた喜びのあとに、ショックな事が起きる。いつも仲よさげにしてる恋敵の弘が学校に来ている。自分は直樹に裏切られた。許せないってね。あんまり考えたくないけど」

 智が話しながら嫌そうな顔をしたので、瑠香が笑った。彼はすぐに次の案を話し始める。

「こういうのは? 犯人は直樹と知り合いではなかったけれど、彼とは違う理由で学校にいた。例えば泥棒とか。それで忍び込んできた直樹に、自分の姿が見られたと思い、後を追って正門の前で手をかけた。そして逃走。守衛はこの時、なんらかの理由で守衛室にはいなかった。これはC案……」

 話しながら、これも可能性が低そうだと思う。偶然の産物が多すぎる。事実は小説より奇なりというが、これまでの中では最も弱い説だ。

 二人は店を出た。

 智は、彼女の家の近くまで送っていき、それから一人で自宅へと自転車を走らせた。

 ふと、何か思いついた気がしたが、はっきりとした形として頭には描かれない。もやもやとしたものを、胸に抱えたまま自転車をこぎ続けた。

 自宅に帰った彼は、ビータンの耳掃除をしてやりながら、もやもやしたものが何なのかを考えていた。しかし、それがすっきりとする事はなかった。

 ビータンが、気持ち良さそうに大きく伸びをして、考え込む彼を見上げた。





 それにしても、しまなみ高等学校の生徒は、なぜこうも積極的に行動を起こすのだろうか。それがプラスに向かうか、マイナスに向かうかの違いはあれど、ゼロで留まっている生徒は、圧倒的に少数であるように思える。

 十一月四日の月曜日、この日は、日曜日にかぶった文化の日の振り替え休日だ。

 智は、山田直樹の恋人だった進藤ヒカリの家を訪ねる事にした。一人で尋ねるのは抵抗があったので、クラスメイトの樫本真由に頼み込んだ。真由はヒカリと仲が良く、ヒカリが学校を休むようになっても、こまめに彼女の家を訪ねていると学校で聞いていたからだ。

 予想外に快諾されて、拍子抜けしたが、とりあえず彼は瑠香にこの事を伝えた。

「私も行く」

 瑠香は予想通りの反応をしたが、智だけでもヒカリの不審をこうむるだろうに、そこに違うクラスの、親しくもない瑠香がいれば、彼女は決して、智が知りたい事を話さないだろう。必死に抗議する瑠香に、終わったらうずら屋でご馳走するからと約束し、それで彼女は大きく譲歩してくれた。

 智が自転車で、待ち合わせのしまなみ学校の正門に到着したのは、午前十時。

 二人の家と、ヒカリの家の中間がちょうど学校だったのだ。

 守衛室を覗くと、いつもの守衛の男性と目があった。智は頭を下げて挨拶する。彼もわざと敬礼をしてみせた。智は、正門から歩いて少しの場所、道路を挟んで丸池の脇にある自販機で、暖かい缶コーヒーを買い、それを持って守衛室に向かった。

「お疲れ様です。これ、差し入れです」

「おっ、ありがとう」と、小さく声を発し、守衛室から出てきた初老の男性の胸には、“山本”と書かれたネームプレートがぶら下がっている。

「ありがとう。頂くよ」

 旨そうに缶コーヒーを飲む山本の他は、守衛室の中には誰もいない。もう一人は見回りにでも行っているのだろうか。

「今日は、山本さん一人なんですか?」

 うーんとうなった山本は、すこし困った顔をして、ごまかすようにポケットに手を入れ、そこから一口サイズのチョコレートの包みを取り出した。

「お礼だよ。どうぞ」

「ありがとうございます」

 智が受け取った時、彼の名前を呼ぶ声がして振り返った。丸池の向こうから、ゆるやかな降り坂を、自転車に乗ったままこちらに向かってくる樫本真由の姿が見えた。

 智は山本にお辞儀をして、自分の自転車に乗った。隣に止まった真由にお礼を言って、二人で自転車を並べて走る。

 智は真由と二人で自転車を並べていると、自分のファッションセンスのなさにげんなりした。瑠香と一緒にいる時は、いつも制服だし、昨日はアルバイトあがりだという事で、一応は言い訳がたった。しかし、朝からどこかに出かけるとなると、これは本気でファッションセンスをなんとかしなければならない。

 今日もいつもの黒いジーンズにナイキの白いスニーカー、白いセーターに白のダウンジャケット、ただ一つ、おしゃれの要素があるとすれば、明るいオレンジのマフラーだけだろう。昨日と同じ格好。

 ファッション雑誌から出て来たような真由とは、比べるまでもなかった。

「守衛のおじさんと何を話してたの?」

「いや、大した事ないんだ。俺らが休みでも、あの人は働いてるんだなぁと思って、缶コーヒーを差し入れしただけ」

 真由は楽しげに笑う。

 二人は十分ほどで、進藤ヒカリの家に到着した。

 ヒカリの母親に連れられ、二人はヒカリの部屋に入った。そこには、思ったより元気な姿の彼女がいて、事前に知らされていた事とはいえ、智の姿に目を丸くする。

「本当に来たんだ……」

「やっぱり迷惑だった?」

 智の言葉に、ヒカリは口をとがらせた。そんな事、いちいち聞くなという事だろう。

 ヒカリの母親が、コーヒーを運んで来てくれて、三人は恋人を失った女の子の部屋で向かい合った。

 智がコーヒーを飲みながら、学校の授業ノートを挟んで、勉強をしている二人をしばらく眺めていた。ベッドの横に、直樹とヒカリが笑っている写真がある。

「進藤さんは弘の事、恨んでる?」

 唐突な質問に、ヒカリはキョトンとする。

 少しの迷い。

「最初は恨んでたけどね。でも、野島くんが悪いわけじゃないし」

 智は冷めたコーヒーを飲んで、ヒカリと真由の顔を交互に見た。

「こんな言い方したら、怒るかもしれないけど、俺、弘が警察に疑われてるのはおかしいと思ってさ。だから、事件の事、俺なりに調べてるんだ。決して軽い気持ちじゃないんだ。だから、教えて欲しい」

「野島くんが疑われてるの?」

 ヒカリは驚いた顔で、智を見た。彼はゆっくりとうなずいた。

「私が余計な事、言ったからかなぁ」

 彼女は困ったように視線を逸らした。

 真由が唇をかむ。

「警察が私のところに、事件があってすぐに来たんだけど、私、そこで野島くんといつも一緒にコソコソとやってたって言っちゃった」

 彼女は申し訳なさそうな顔で、二人が笑う写真に目をむける。

 智は、彼女がそう言ってしまった事は、なんとなく理解できる気がする。

「分かるよ。俺だって、彼女が俺より他の誰かといつも一緒にいたら、それが女の子でもイラつくだろうしさ」

「後藤くんて、彼女いたの?」

 真由が驚いたように声をあげた。

 話が変な方向にいきそうだったので、彼は慌てて口を開いた。

「例えばだよ。ねえ、進藤さん。直樹から一〇日の事、何か聞いてない?」

 ヒカリは、今までの様子から一変し、目に涙をため始めた。

 抗議の目を向ける真由の視線が痛い。それでも彼はじっと言葉を待った。

「そういえば、明日は一緒に学校に行けないってメールが入ってた」

 彼女は枕元にあったスマートフォンを取って、智にメール画面を見せる。そこには謝るような絵文字と共に、『明日は学校に一緒にいけない。ごめんな』と書かれていた。着信時間は九日の午後十一時二分と表示されていた。

 恋人からの最後のメール。

 ヒカリはスマートフォンをじっと見つめていた。


 うずら屋に入った智は、瑠香が来るまで、ヒカリから教えてもらった情報を整理していた。小さい声で呟きながら、記憶庫の中に次々と入れて行く。

 そうしていると、これまたファッション雑誌から出てきたような格好の瑠香が店に入ってくる。樫本真由より、やや落ち着いた印象を受けるのは、着ている服だけではないだろう。

 先日の図書館で向かい合った時よりも華やかで、智は改めてカワイイ彼女のオシャレな姿を脳裏に刻む。そして、記憶庫にしまったのは深い理由などなく、ただいつでも思い出せるようにという、誤解される可能性はあるが、出所は純粋な気持ちによってである。

「オムライス」

 マスターに笑顔で注文した瑠香は、智の向かいに座る。赤いマフラーをはずし、白いコートをそばに置く。時計は午後一時を指していた。

 一人で唸る智を、瑠香が可笑しそうに笑いながら口を開いた。

「で、樫本さんの好意を利用して、役に立つ情報は得られた?」

 笑ってはいるが、機嫌は良くないらしい。彼女の表情と声で、それは智にもすぐに分かった。

「好意を利用って?」

「馬鹿ね。樫本さんが智くんの事、いいなと思っているから、親切に進藤さんの家に連れて行ってくれたんでしょ? 普通はしないよ」

 そういえば、彼女の家を出たあと、これからの予定を聞かれた。約束があると言うと、途端に怒りだしたような気がした。

 智は不思議な気分だった。今まで、女の子にモテたことなどない自分が、なぜ突然、こんなうれしい悩みを抱えるようになったのだろうかと、彼が考えていると、瑠香が吹き出した。

「本気で困ってる。フフフ」

 彼女は嬉しそうに笑いだした。智は重圧から解放されたように、肩の力をぬいて、それでもやはり、彼女があまり良く思っていないと感じ取り、小さな声で謝った。

「それで、役に立つ話は聞けた?」

 瑠香の質問と同時に、黒田がオムライスを運んできた。

 智は、いつものハンバーグ定食ではなく、ナポリタンを注文する。うずら屋のナポリタンは、熱した石皿に載せて持ってきてくれる。その上に半熟玉子を置いて、それをつぶして、パスタに絡めて食べる。

「一応、B案はないという事が分かったよ。進藤さんは一〇日の早朝、家にいたのは間違いなかった。六時半に起床して七時半過ぎに家を出てるし、直樹は誰かと恋愛事で揉めてたりはしてなかったって。もっぱら、恋愛事で揉めてたのは自分とだって、少し笑ってた」

 笑顔を取り戻したヒカリの顔を思い出し、智はほっと胸を撫で下ろす。

「誰か、それを証明してるの?」

 瑠香の指摘に、智は苦笑した。

「ミステリマニアだね。やっぱり」

 瑠香が照れたように笑った。

 オムライスを食べる瑠香の為に、話は後でと智が待つ。

 彼のナポリタンも運ばれてきた。

 店の中には、彼らの他に、数組の客が入っていた。黒田に相談したい事もあったが、今は難しそうだと智は思い口を開いた。

「マスター、あとでいい?」

 黒田は目で合図すると、二人から離れる。

「直樹の計画の相棒は、やっぱり弘だけだったみたいだ。他にいたなら気づいているって」

「進藤さんは、二人の計画は知ってたの?」

 智は半熟玉子をつぶして、フォークでパスタに絡める。瑠香がじっとそれを見ている。彼は、彼女のオムライスの皿に、ナポリタンを分けてやった。

「全部は知らなかったみたい。でも、何か悪い事を企んでるってのは、勘付いていたみたいだけどね」

 瑠香が、彼の石皿にオムライスを分けてくれる。

 こういうのに憧れてたんだよなぁ。

 智は一人でニヤけ、「どうしたの?」と瑠香に訊かれて咳払いで誤魔化し、話を戻す。

「それよりも、気になる事があってさ。守衛さんの事なんだけど」

 智は守衛の山本とのやり取りを、彼女に聞かせた。瑠香の目が輝く。

「怪しい。もしかして、一人しかいないんじゃないのかな?」

「瑠香もそう思うよね。契約違反を会社ぐるみでしてたりとか……」

 智はしまなみ高等学校の警備を受託している、西国セキュリティサービスという会社のホームページを携帯電話で見たが、何も怪しいところは感じなかった。しかし、常時二人という契約をしているはずの学校の守衛室には一人しかいなかった。見回りをしているなら、そう言えばいいだろう。

「待って。もしかしたら、山本さんという人が、同僚を庇っているだけかも」

 瑠香が、スプーンを皿にそっと置いた。気持ちの良い食べっぷり。それでいて、がっついているように見えないのは、食べ物を綺麗に食べるからだろう。聞けば、彼女の母の実家が農業をしていて、祖母から食べ物を食べる時は、それを作った人への感謝を忘れるなと、耳にタコができるくらい言い聞かされて育ったそうだ。

「例えば会社に黙って、サボっている人がいるのかも」

「それは考えにくいよ。シフトで働いてると思うんだ。担当制かそれとも登録スタッフ全員で、受託先をカバーして瑠香は分からないけど、複数の人間が、会社に内緒で不正をしてるって事になるぜ」

「してるかもよ。よく、ニュースでもやってるじゃない。会社のお金を横領したり、個人情報を盗みだしたり」

「それでも、三人以上が組んでる事ってないよ。だいたい、単独犯だ。それに、二人の警備員を置かなきゃいけないところに、一人しかいませんというのは、スタッフ側にはあまりメリットないよ。ずる休みできるくらいだけど、人が不正をするのは、お金が目的のはずだ」

 弘達もそうだったろとは、智は言えなかったが、瑠香はなんとなく感じ取っているようで、そこは無言で水を飲む。

「学校の監視カメラ……」

 智はつぶやいた。そして、瑠香を真っ直ぐに見て口を開く。

「学校の監視カメラ見れないかな。警備員が一人か二人かわかる。弘が直樹を殺してないって証明できるかも。ていうか警察は見てないのかな」

「見てるんじゃない?」

「おかしくないか? だったら、二人がなぜ、あの時間にいたか、警察は知ってると思うんだけど……これは明日、確認だな」

 智は、担任の山下教諭にまたお願いをしようと決めて、店内を見渡す。まだ忙しそうだ。

「智くん。D案を思いついたんだけど」

 瑠香は水を飲んだ。

「山田くんは犯人を知っていたけど、犯人は彼を全く知らなかった。二人はあの日の、あのわずかな時間に、正門の前ではち合わせる。犯人は何らかの事情があって、あの場所にいて、山田くんに会った事がとても良くない事だった。だから、彼は山田くんを手にかけた。その後、彼は学校内に、もう一人いる事に気づいて、山田くんをそのままにして、正門から離れる」

「A案に似てるけど、微妙に違うね。直樹が知ってて、相手が知らないなんてあり得るかな。それに、あとA案と同じく動機が問題だな。殺意を抱くほどの良くない事ってなんだろ?」

「金品目的の泥棒とか……」

「弱いなぁ。普通は逃げるよ。それにC案とかぶる」

 瑠香は黒田に手をふって、紅茶を二つと注文を出した。マスターが右手をあげて応える。

「A案でも、CもD案も動機が最大の問題だからな」

「よく、そんなにパッパと思いだせるよね。うらやましい。私はもうAもBもCもDも分からなくなってきちゃった」

 瑠香がうらやましいとぼやいたところに、黒田が紅茶を三人分運んで来て、智の隣に座った。

 智はこれまでの事を黒田に説明する。弘の告白に関しては、かなり省略して教えた。うずら屋のマスターが、智に協力をしてくれているという事は、弘も彼から聞いて知っている。黒田に彼の話を、やんわりと教える事も承諾していた。

「そうか。それで、A案と、CとDが今のところ、考えられる説なんだな」

 黒田の言葉に、二人はうなずいた。

 どこか、黒田の表情が冴えない。智が不審に思っていると、彼が顔をしかめて声を絞り出すように話はじめた。

「君達は、重要な事から目をそむけている。だから、俺があえて言うから怒るなよ」

 と断っておいて、彼は二人の目を交互に見て、話を続けた。

「弘くんが犯人だという説だ。いや、ごめん。睨むな。俺だって、弘君を小さい時から知って瑠香ら、こんな事を言いたくないけどさ」

 黒田は紅茶の入ったカップを、口で運んだ。

「でも、可能性は検討しておくべきだ。逆にいえば、検討しないと可能性はゼロではないという事になると思うよ」

「わかりました」

 智がうなずいた。

「しかし、弘がした事で話を進めていくには、あいつがまだ、俺達に嘘をついているという前提が必要です。でも、あの時の弘は、嘘をついてなかったと思いますよ」

「本当に?」

 黒田は紅茶を飲んだ。

「実際問題として、彼がやはり有力な犯人候補であるという、警察の捜査方針を覆す事は難しいと、彼の話を君から聞いて、余計に強くなってしまったよ。でも俺は彼ではないと言い切れるけど、他人は果たしてそうだろうか」

 二人は黙り込んだ。

「だから、俺があえて話すから、聞いてくれ。山田くんはあの時間、一緒に弘君といた。二人は何かのきっかけで対立して、怒りにまかせて弘君は山田くんを……その後、彼は山田くんの携帯を奪い、自分の携帯にメールを送って処分して、守衛室に行った。どうだろう……?」

 瑠香が紅茶のカップを受け皿に置いて、智を見た。

「動機ね。どの場合にも動機がわからない。そもそも山田くんは、なぜ殺されたんだろう」

 智にも、黒田にも分からない。

「マスターの説をEとすれば、B以外は動機不明。なぜ、直樹は殺されなければならなかったんだろう」

 智は、紅茶を飲んで、目を閉じた。記憶庫をもう一度、チェックする。うずら屋の掛け時計が、午後三時を知らせる音を鳴らした。

「白い車はどうだったっけ?」

 智は目を閉じたまま、自分の記憶庫の中から、白い車というキーワードを引っ張り出した。二人は首をかしげる。

「弘は、警察に白い車の事を話しているんだ。これはうちの学校の新聞にも出ている」

「でも、この前に野島くんの話の中には、白い車の事は、出てこなかったと思うけど」

 そうなのだ。智は土曜日、弘の口から白い車の事を聞いていない。

 彼は携帯電話を取り出し、弘の番号に電話をかける。数回の呼び出し音。

「もしもし」

「あ、おれ。智。ちょっと聞きたい事があるんだけど」

「ああ、何だ?」

 智はスマートフォンをハンズフリーにした。

「白い車を見たっていうのは、間違いないのか?」

「ああ、ごめん。この前、話してなかったな。自販機のところに停まってた。でも、直樹を見つけた時は、停まってなかった」

「どういう事?」

「学校に着いた時は、停まっていたんだよ。でも、直樹を正門のところで見つけた時には、もういなかったんだ」

 智は礼を言って、携帯を切った。

「白い車、いたんだね」

 瑠香が智を見つめる。

「マスター。マスターの言う弘犯人説の場合、あいつの証言は全て参考にならなくなる。だから、弘犯人説を追うのか、それ以外を進めるかで、これから随分と動き方が変わってくるんだけど……」

 黒田は苦笑した。

「意地悪だな。E説は廃棄処分だ。どうしても矛盾が出てくるからな」

「矛盾?」

 瑠香がノートにメモを取っている。

「ああ、そもそも、彼が犯人であるなら、現場から一目散に逃げると思う。守衛には見られていないんだし、学校の外には誰もいない。わざわざ自分で、疑われるような事をする必要もないさ」

 智は納得した。確かにスマートフォンを丸池に投げ捨てるまで、冷静だったというなら、すぐに逃げただろう。冷静に行動をした後、改めて死体を見た弘はパニックになった。だからこそ、自分がこの学校にいてはいない時間であるにも関わらず、守衛室に駆け込んだのだ。

 冷静になったから、守衛室に向かったと考えるより、自然だと思った。

「ああ、そうだ。マスター」

 智は黒田にお願い事をした。西国セキュリティサービスの事だ。

「ああ、慎重に調べてみるよ。商工会の青年部の仲間や、友達にいろいろ当たってみる」 

 二人は頭を下げた時、店にお客さんが入ってきて、黒田はカウンターへと戻っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る