第7話 弘の告白

 腕時計は午後四時を指していた。

 隣には瑠香がいる。

 うずら屋を出た二人が今いる場所は、野島弘の家の前。

 緊張した面持ちで、インターホンを押した智は、弘の母親の声に、胸の鼓動を早めながら名乗った。

「まあ、後藤くん。ちょっと待ってね」

 インターホンがブツリと切れる。

「すごい豪邸だね」

 瑠香が弘の家を見上げる。確かに、木造建築の一戸建てで、庭がとても広い。その広い庭をぐるりと囲む塀があり、立派な門がある。その前に二人は立っていた。

 一時期はマスコミの取材陣がここに陣どり、誰がインターホンを押すかで争っていたのだが、今は静かなものだ。事件から一カ月が経とうとしていて、マスコミは新しい、もっと刺激のあるニュースへと雪崩をうっていった。

 政治と金である。

 賑やかだった期間は決して長くはながったが、今の静けさはやけに寂しく感じるものだ。

 重そうな門が少し開いて、弘の母親の顔が覗き、手招きをした。二人がその隙間から中に入る。

「すいません。突然来て」

 謝る智に笑顔を向けた弘の母親は、目の下に隈を作り、ふっくらとしていた頬はこけていた。それでも二人に笑顔を見せて、家の中へと招いてくれる。

「ごめんなさいね。後藤くんのところにも警察の人、行ったんでしょ?」

 瑠香が智を見るのを感じながら、彼は首を振った。

「いやあ、あれは偶然、声をかけられただけですから。あ、これ、おみやげ」

 智はバッグから授業でとったノートと、うずら屋のアップルパイの箱をさし出した。弘の母親は深く頭を下げた。

「あ、ぼくのじゃないです。これは、彼女が」

 智の視線の先を見た、弘の母親は、瑠香に頭を下げる。

「後藤くんの彼女?」

 聞かれて戸惑う智と、その隣で顔を赤くして池田瑠香と名乗った女の子を、弘の部屋の前まで案内してくれた親友の母親は、ドア越しに話しかける。

「後藤くんと、池田さん」

 しばらくの沈黙。

「うん」

 かろうじて、それは二人の耳に届いた。

 ドアを開けて、二人の前に立った弘は、母親に負けず劣らず憔悴した表情で、二人を部屋に入れてくれた。




「ごめんな」

 ぽつりと声を発した弘に、智は思い切り彼の背中を叩いた。

「俺に謝るような事、お前はしてないだろ!」

 思わず怒鳴った智の顔を、じっと見つめた彼はまた、「ごめん」とつぶやいた。

 智は、ベッドに座る弘を見上げるようにあぐらをかいて、ひとつだけある座布団を瑠香に差し出す。

「あのムカつく刑事、なんていったっけ? まあ、いいや。あのおっさん。お前を脅してるんだろ」

 智の言葉に弘は、視線を彷徨わせた。そしてそれが、智の視線とぶつかった時、小さくうなずいた。

「なんで、あの日の理由、言わないんだ?」

 沈黙。

 瑠香が、バッグの中から、夕刊紙よりも厚みのない新聞を取りだした。しまなみ学校新聞だった。その一面には大きく

『警察とマスコミの暴力を、ぼくらは絶対に許さない!』

 と見出しが書かれていた。これは先週の新聞だ。報道部の松田翔太から、余ったものをもらったのだった。

 それを受け取り、弘が読む。

『大切な友人が、二人も学校から姿を消した。一人は卑劣な犯罪者の手によって。もう一人は、誤った考えと先入観に基づいて乱暴な捜査をする警察と、視聴率の為ならなんでもやる情報屋になり下がってしまったこの国の報道機関によってである。これは、一人の人間を強大な力を持つ者達がいたぶるリンチだと、我々は社会に訴えたい』

 記事はまだ続くが、弘はそこで声に出して読むのをやめた。声が震えて、言葉にならないのだ。こぼれる涙をそのままに、じっと新聞を読む彼を、二人はじっと見守った。

「いいか、弘。俺は反撃に出る事にした。事件の事を調べて、あの日の朝、本当は何があったのか調べることにした」

 涙を流したまま、弘は顔をあげる。瑠香がハンカチを取り出し、彼に渡した。

 涙をぬぐった弘を、智は真っ直ぐに見つめる。

「だから、その事を許してくれ。弘が止めてくれというなら、俺はしない」

 弘はうなずいた。彼は大きく息を吸い込み、呼吸を整える。

「その前に、お前に謝る事がある。俺はお前に嘘をついた。それに、隠している事もある」

 弘は、二人にゆっくりと言葉を吐き出し始めた。

 三人が向かい合う部屋のドアの外で、飲み物を運んできた弘の母親が、涙を流しながら動けずにいた。彼女は、ゆっくりとドアから遠ざかり、邪魔はすまいと決めて、階段をゆっくりと下りたのだった。




 弘の話は、事件から三カ月ほどさかのぼる。

 野島弘は、山田直樹を学校の図書室に呼び出した。図書室の奥、フリールームの使用を図書委員に告げて、使用中という立て札を、五番ルームの外にかける。

 その中の椅子にどかっと座り、冷房の温度が二八度である事を確認すると、まもなく来るだろう友人の為に、椅子をもう一つ用意した。

 七月十八日木曜日の午後四時半。

 弘がスマートフォンをバッグから取り出した時、直樹が部屋に入ってきた。

「悪い。ヒカリがやっと立候補を承諾してくれたよ」

「そうか。これでやっと先に進めるな」

 ヒカリというのは、山田直樹の恋人で、彼が生徒会長選挙に出る事に強く反対していた。理由は彼が忙しくなり、一緒にいる時間が減るからという、なんとも可愛らしい理由だった。

「それで、あとは選挙管理委員に、息のかかった奴をもぐりこませるだけだな」

 直樹がノートを取りだした。そこには、彼らの計画が記されている。

 二人の計画。

 それは生徒会長となり、予算を自由に私的な事に使う事だった。

 しまなみ高等学校では、生徒会執行部が大きな権限を持っている。それはどの委員会も敵わない。それを掌握すれば、予算さえも思い通りになるのだ。

 二人はその権限で、不振中のクラブを廃止し、新たにインターネット研究部というものを設立しようと企んでいた。そこでは、学校の予算で、最新のパソコンが買えるし、ゲームだってインターネットに必要だからという理屈で買う。面白い動画や、有料サイトも見放題だ。ウイルス対策だって、予算でなんとでも出来る。

 生徒会長に直樹がなり、インターネット研究部の企画を弘が出す。直樹はそれを承認し、めでたく部長を弘としたインターネット研究部が出来上がるわけだ。

 この計画は直樹が立て、それを弘に持ちかけた。二年生に進級した春の事だ。

「よし、あとは選挙管理委員を、送り込むだけだ」

 弘が直樹のノートを見ながら、自分のノートを取りだした。

「うちのクラスからは智にしよう。あいつは俺と仲いいし、ゲームも好きだから仲間になってくれると思う」

 直樹が首を振った。

「まだ、この事は二人だけの秘密だ。あんまり知ってる人数を増やしたくない」

 弘は不満げに直樹を見たが、冷静に考えて彼の意見は正しいと判断し、それに従う事にした。

「でも智を選挙管理委員にするってのはいいと思う。後で介入がしやすい」

 直樹は弘の顔を見た。

「でも、あいつは自分からやりたいなんて思わないぜ」

 弘の言葉に、直樹はしばらく目を閉じて、何事か考えていた。

「智には悪いが嵌めよう。方法はある」

 その方法を直樹が説明する。弘は情けない表情を浮かべた。

「おいおい、それはさすがにひどくないか?」

「何言ってんだ。智はどの委員会にも入ってないし、部活もしてないんだから。お前だってプール管理委員会に入っていて、夏休み中も学校に来る日があるんだろ?」

 弘は迷っていたが、他に名案が浮かばないので、直樹の方法で行く事を了承する。


「お前も、俺を嵌めていたのか?」

「ごめん」

 さらに抗議しようとする智を、瑠香が止めて弘に先を促した。

「まあ、選挙管理委員が、候補者を絞り込むから、仲間を送り込めば確実だという事で、そうしたんだけど」

 弘は表情を曇らせた。


 智は選挙管理委員になったが、直樹への憤りは相当なものであった。その彼が、直樹に協力するはずもない。

 まさか、ここまで腹を立てられるとは思ってもいなかった直樹は、弘になんとか宥められないだろうかと相談したが、弘とてこうまで智が怒るとは思ってもみなかった。

「参ったな。これじゃあ、智を嵌めた意味がない」

「ああ、でも運よく康太がいるから、そっちに当たってみる」

 弘は、まだ望みをもう一人の親友、福間康太にかけたのだ。

 ところが、康太の返事はつれなかった。

「山田を候補者に残して欲しいって言われてもな……推薦してるのが弘だから、残してあげたいけど、決めるのは皆で決めるからな」

 開口一番、困ったような顔で、弘にごめんよと謝ってきた康太に、彼は忘れてくれというのがやっとだった。

 そういえば、康太はいつだって筋は曲げない。その事を一番、知っているのは自分だったはずだと、彼は恥ずかしくなった。

 しかし、これで計画は暗礁に乗り上げた。

 後で思えば拙いものであったのだが、当初はイケると思っていたのだ。

 十月に入ってすぐ、二人は一度、深夜になって、学校に忍び込んだ。

 目的は、各立候補者の立候補の目的・動機を盗み見て、自分たちの出来と比べ、悪ければ書き直し、可能であれば、他の立候補者の届を偽造しようというものだった。

 これは、智から

「まあ、十人は多いから、絞り込むよ。届を見て皆で決めるそうだ」

 と聞かされた弘が、直樹に提案したものだった。

 直樹もそれに賛成し、十月三日の木曜日に、一度家に帰って、こっそりと家を抜け出した二人は、校舎からすこし離れた第二グラウンドで待ち合わせをした。

 それから二人で、グラウンドを突っ切り、森を抜けて校舎の壁をよじ登り、敷地内へと侵入した。目指したのは、選挙管理委員室。

 彼らの第一校舎一階のトイレを侵入口と決めていた。そこは窓の鍵が壊れている。

 二人の思惑通りトイレの窓は難なく開き、そこから建物の中に侵入した二人は、廊下を前かがみに走り、階段を昇り、三階の目的の教室へと辿りついた。

 教室の一部屋ごとに、わざわざ鍵をかけていない事は分かっている。毎日、この学校に通っているのだ。

 選挙管理委員会の部屋は、空き教室を使っている。必ずその教室の中に保管されていると二人は考えていたが、三つあるロッカーの二つまでは空で、残り一つには鍵がかかっていた。

「おい、まずいな。どうする?」

 直樹は時計を見た。午後十一時過ぎ。

「もしかしたら、池田さんが持ってるかも」

 弘が暗闇の中で、声をひそめた。

「だったら学校に置いて帰っているはずだ。家に持って帰るわけないさ」

 直樹は断言し、二人はそっと部屋を出て、二階に下りる。その二階の渡り廊下を走り、各学年の教室が集中する第一校舎へと移動した。ちょうど二階は、二年生の教室が並ぶ。その階の一室へと、二人は素早く移動した。

 その時、階段を照らすライトの光が目に入る。二人は教室の中に体を入れると、教壇の影に体を隠した。光の正体は守衛の持つ懐中電灯だった。守衛の男はゆっくりと丁寧に教室を一部屋ずつ確認して回る。

 二人の潜む一組の部屋を、守衛の持つ懐中電灯が照らす。その動きに合わせて、ゆっくりと教壇に沿って位置を変え、守衛から隠れる。

 守衛の男が教室から出て行った。

 二人は、さっそく一組の机を確認していく。池田瑠香の机の場所を二人は知らない。しかし、机の中にある提出物や、私物などにでも名前が書いてあれば分かると考えていた。

 ところが、彼女の名前が書かれた物などなかった。時計は午前零時を回る。

「やばいな。もしかして池田さんって、毎日、机の中身を持って帰ってんじゃないのか?」

「まさか……」

 弘の嘆きに直樹もあっけに取られた顔になる。今時、机の中身を、律義に持って帰る女子高生がいるのか? ところが、いたのだ。

 池田瑠香は、机の中身をしっかりと持って帰っていたのだった。

「どうする? あんまり机の中をいじってたら、明日、騒ぎになるぞ。それに暗くてあんまり見えないし」

 スマートフォンのディスプレイが照らす、頼りない光で探しているのだ。カメラのライトは遠くからでもばれるので、こんな所では使いたくない。二人とも、最初から探し直すのは、もう無理だと判断した。

「最後に、この一列だけ見て帰ろうぜ。もうこれで全部だしな」

 最も廊下から離れた、窓際の列。

 前後から二人で手分けをして、探し始めた時、直樹が両手を広げて見せる。

「ここだ」

 廊下から一番離れた列、二つの校舎に挟まれる緑地化されたオープンスペース。そこと窓を隔ててすぐの最前列の席。そこが池田瑠香の机だった。

 直樹がこの席を瑠香の席だと判断したのは、机の中に、彼女の名前の入った名札を発見したからだ。名札をつけている生徒は全くいない。せいぜい校章くらいのもので、名札は新学年スタート時に配布され、すぐに捨てられるか、机の中で眠り続けるかのどちらかだ。

 二人は机の中から、意味ありげな鍵の入った箱を発見する。これはロッカーの鍵だと、弘にはすぐに分かった。

「よし、選挙管理委員室にもどるぞ」

 二人は、目的のものを選挙管理委員室で発見した。立候補届の束。

 さすがに文字を読むので、スマートフォンのカメラのライトを点ける。外に光が漏れないように、二人はそれを身体で覆う。他の候補者の主張と、自分達の主張を比べた。内容はかぶっていないし、一応、特色は出している。主張をしないまま、届を出している立候補者がいるのを知って二人はほくそえんだ。これなら他人の届を偽造するまでもない。自分達の主張はこれでいいのか、もういちど検討しようと思ったが、時計を見た時、午前二時を回っていた。

「やばいな。もう帰ろうぜ」

「そうだな」

 二人は立候補届を元に戻し、鍵を瑠香の机に返すと、侵入してきた場所から脱出した。候補者として立てられるものだと確信し、二人は上機嫌で家へと帰ったのだった。


 瑠香が弘をじっと抗議の目で見つめる。

「ごめん。言いたい事はあるだろうけど、続きを聞いてもらってもいいかな?」

 申し訳なさそうな顔をした弘は、余計に疲れたように見える。

 二人は黙って、彼の話の続きを聞く。


 十月九日の朝、弘は智が学校に来たと同時に、八日にあったはずの候補者絞りの結果を聞いた。

「直樹は残ったかな?」

 智は眠そうな顔で、彼の言葉に手を振った。

「さあ、それはどうかな。なにしろ、俺を嵌めた汚い奴だからな」

 智にすれば親友といえども、生徒会長選挙の事を外部に、特に候補者の推薦者に話すわけにはいかないと思い、冗談めかしてごまかしたのだったが、この言葉が弘には、事のほか重くのしかかった。

「そんなにビビるなよ。明後日になれば分かるから」

 智は深刻そうな顔をする親友に、とまどいながら言葉をかけたが、その声は弘に届いていたようには思えなかった。続けて言葉をかけようとしたが、担任の山下教諭が入ってきて、ホームルームが始まったので、その機会を失った。

 昼休憩。

 弘は選挙管理委員室に向かった智の背中を見送った後、直樹の席に近づいた。

「まずいぞ」

 弘の声に、直樹が振り向く。

 弘は朝の会話を、直樹に教えた。

「やばいな」

 弘が隣の席に座った時、不満そうな顔をした進藤ヒカリが、二人の間に割って入る。

「直樹くん。ご飯食べよ」

「ああ、分かった。弘、ごめん。あとでな」

 直樹と、得意げな顔で弘を見て去っていくヒカリ。彼女は恋人を弘に取られたと思っているらしく、あまり良い顔を彼に見せない。

 結局、二人がこの件で話しあいが出来たのは、その日の夜。携帯電話でのやりとりだった。

「どうする? もう明後日だぞ」

 弘はスマートフォンを持ったまま、ベッドに寝転ぶ。

「絞られた候補者に選ばれているかどうか、忍び込んで確かめるか?」

 直樹の声の後ろで、テレビ番組の音が聞こえる。弘は唸りながら、賛成できないと答える。

「一度はともかく、二度はやばい。あんな事、続けてうまくいくわけないぞ」

「びびるなよ。だいたい、一回しかないチャンスなんだぞ。それに、候補者に残っていなかったら、野球部の木村と、バスケ部の田中に半殺しにされちまう」

「おまえ、先走ったな」

 どうやら直樹は、票の取りまとめを野球部とバスケ部にもちかけ、了承されたようだった。

 直樹は言う。

「こういう事は、早く動いたほうがいいと思ってさ」

 弘は溜め息を吐いた。

 直樹は、弘の様子に苛立ったようだ。

 舌打ちをして、突き放すように彼は言う。

「分かったよ。俺がちゃんと一人で確認してくるよ。お前は家で寝てろ」

「やめとけ。そんな事・・・・」

 弘はそれでも、安全で確実に候補者を確認できる方法はないか考えた。しかし、盗み見たからといって、どうなるというんだろう。もし、選ばれてなかったら、それこそショックを一足早く、味わうだけではないか。弘がその事を伝えると、直樹はこれみよがしに溜息を吐きだす。

「わかったよ。わかった。いいよ。やっぱり俺一人で見に行くよ。もし、その気になったら、五時に学校へ来い」

「五時?」

「ああ、早朝だったら、盗み見たあと、そのまま隠れてればいいだろ。いちいち家に帰って、また学校に行くのは面倒だからな」

 電話はそこで切れた。


「野島くんは、五時に学校へ行ったの?」

 瑠香の質問に、弘は首を振った。

「いや、俺が学校についたのは五時一五分だよ。学校に着いた時、時間を見たから。正門から学校に入って、自転車置き場に自転車を置いて、智が作ってる花壇の近くのベンチに寝転んだ」

 俺が花壇を作っているのは、ばれてたのか。

 智は恥ずかしそうに頭をかく。瑠香が彼を見る。その目は花壇の事を教えろと言っていた。

「いや、俺、入学してから少しずつ、花壇を増やしてるんだ。今は噴水の横に花壇を作ってる」

「いつ、やってるの?」

「土曜日の午後。最近は作業してないけど」

「どうしてそんな事やってるの?」

 智は笑顔で、瑠香の質問をさえぎった。

「今は弘の話を聞こうよ」

 彼は親友に話を続けるように、弘の顔に視線をもどす。

「寒かったけど、なんか気持ちよくてさ。そこでしばらくそうやってたら、俺のスマートフォンに直樹からメールが届いた。そのメールには候補者に残っているから安心しろって書いてあった。メールはあんな事があってすぐに消した」

 弘はそこで言葉を止め、視線を彷徨わせて再び喋り始める。

「俺はあいつからのメールを読んで、ほっとしたから気が抜けてさ。学校にいるって事を伝えて、ベンチで寝転んでたんだ。でも、返事が来なくてさ。しばらく待ってたんだけど、不安になって、一回、そこから離れたんだ」

 彼は、かさついた唇を舐めて続ける。

「正門の近くの守衛室には、その時、誰もいなくてさ。ま、俺が学校に入った時も誰もいなかったけど。それで俺は自販機で温かい飲み物を買おうと思って、正門から外に出たんだ。そしたら、植え込みのところにあいつが倒れてて」

 弘はそこで、瞼を閉じた。

「俺は駆け寄った。あいつは死んでたんだ。警察には六時過ぎに発見したと言ったけど、本当は六時にもなってなかった。まあ、この時間差は大した事じゃない。重要なのは、俺はあいつが死んでるのを確かめたとき、なぜかとても冷静で、あいつの制服のポケットからスマートフォンを取りだしたって事だ。警察に見られたら、俺達の事が全部ばれるからな。」

 彼の声が震える。

「俺は携帯を取りあげ、あいつの傍に転がっていた缶コーヒー二本と一緒に丸池に投げ捨てた。その後、駐輪場に行って、自転車を取って、守衛室の前に立って、そこにあった電話で、守衛の人の内線を鳴らしたんだ」

 弘の話は、それで終わりだった。

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