第6話 事件を調べよう。
家に帰りご飯を食べ、ビータンと遊んだ智は、自分の部屋に入った時、喜びを爆発させた。
「うおー! やったー!」
ベッドの上に飛び乗り、ひとしきりはしゃいだ時、一階から母親がうるさいよと叫ぶ。
あれはきっと、気のある表情に違いない!
にやついた彼は瑠香にメールを送ろうかと思い、スマートフォンをバッグから取り出した。
そのディスプレイに、メッセージの到着を知らせる表示があった。
ボタンを操作して、アプリを開いた彼は、幸せな気持ちが一気に鎮静化していくのを感じた。差出人は弘だ。
『刑事が行ったみたいだな。ごめん』
あのクソ刑事!
智はうずら屋での出来事を思い出す。あの二人は、あの後、弘のところへ行ったのだ。
「友達は何か知ってるようだったぞ。君が話さないなら、彼に聞くしかないな」
と言ったかどうかは智には分からないが、二人と弘が会った事は間違いない。彼はすぐに『気にするな。それよりも、遊びに行っていいか?』
と返事を出す。
しばらく待ったが返事はない。
智は、スマートフォンを手に持ったまま、ベッドの上に、あぐらをかいて座った。
そして考える。
俺はこのまま、弘が苦しんでいる時に、瑠香と楽しくやってていいのだろうか。俺は弘の為に何かできないかな。
彼は静かなスマートフォンを見つめて、記憶庫を開いた。
この事件に関する情報を記憶していたページを呼び出そうと、目を閉じる。
事件が起きたのは、十月十日の早朝。山田直樹が遺体で発見されたのは午前六時過ぎ。発見したのは弘だ。彼は守衛室に走り、守衛から連絡を受けた教頭が、警察に通報したのは午前六時二○分頃。
ここで警察がどうしても知りたがっている事は、山田直樹がなぜ、あの時間に学校にいたのか。弘がどうしてあの時間に学校にいたのか……理由だ。これは弘が話している。生徒会長選挙に立候補していた直樹の二人の推薦人のうちの一人、弘がその推薦人から降りると直樹に伝えたから、二人はかなり揉めたそうなのだ。
十月九日の夜、二人は携帯でも喧嘩をして、十一日に迫った開示の事などもあり、早朝に学校で会おうと約束をしたという。約束の時間は六時。だから二人はあの時間に学校にいたのだ。ここで、智は気になる事があり、直樹のページを開いた。しかしそこには、彼の気になる事への答えはなかった。直樹が人との待ち合わせの時、余裕をどれくらい持って、その場所に到着するようにしていたか。彼が弘以外と学校で待ち合わせる可能性があったのか、という事が知りたかった。
誰かに教えてもらわなければならないと考える。誰がいいか。
「お葬式の時に行ったけど、あまり家に遊びに行った事ない俺が、直樹の家に行ったら迷惑かな……」
それに、息子を失った親に、息子のことをあれこれ聞くのは失礼だと思い、誰に直樹の事を教えてもらうべきか考えた。学校で、彼と仲の良かった誰かに聞くか。候補はすぐに思い当たった。山田直樹の恋人の、進藤ヒカリだ。
弘に関しては、いまさら記憶庫を探る必要がなかった。
警察は、直樹と弘の間に何かがあったとみていて、第一発見者の弘を疑っている。疑われている本人も、なぜ、あの日にあの時間、学校にいたのかを聞かれて、「答えたくない」の一点張りであるそうだから、疑惑の目も強くなるのもしかたない。
ただ、智が不思議なのは、クラスメイトと喧嘩したからといって絞め殺すだろうかという事だ。
弘を疑っているのではなく、彼は警察を疑っていた。考えれば分かるものだ。百歩譲って、例えば過ぎた暴行であるとか、そういう理由なら別だが、弘がと考えるとどうにも信じられない。いや、これは自分だからこう思うだけだろうと彼は結んだ。しかし、結論ありきで捜査を進めているような印象は間違いなくあると智は思う。
警察は、どうしても弘を犯人にしたいとしか思えない。彼はあの嫌な二人組の刑事を思い出した。
むかつくから、記憶しておいてやる。
名前は覚えていないが、二人の特徴を記憶庫のその他に書き加えた。
事件の事へともどる。
首を絞められた直樹には、軍手の繊維と、軍手に付着していた土、これは丸池のものであるそうだが、それらが残っていた。この事は、ニュースやワイドショーで散々やっている事だから、智も知っていた。
犯人の痕跡といえば、これくらいのものだ。
智はベッドに倒れ、寝返りをうつ。選挙管理委員で忙しいから、話を聞いて回る時間をどこで取ろうかと考えながら、振動するスマートフォンを見る。
瑠香からだ。
嬉しさが半分、弘からではない事に落胆したのが半分。
『電話してもいい?』
智は、スマートフォンを持ったまま、せわしなく部屋の中を歩き回った。
「なあ、立候補者の取材がしたいんだよ」
智は学食で、きつねうどんをすすりながら、目の前に座る
「委員長に話してみるよ」
「いつ返事もらえる?」
「放課後」
「頼むぜ」
翔太が急いで学食を飛び出す。彼は報道部に所属していて、しまなみ高等学校の生徒や、一般市民にも配布される学校新聞の記者をしていた。
意外と充実した内容で、学校の事だけでなく、時事なども取り扱ったり、市長や市議にインタビューを敢行したりと、学校外でもこの新聞は人気があった。県知事にインタビューした様子の動画を、ウェブサイトにアップして以来、しまなみ市では有名な学校新聞になっている。
普通は、一週間に一度の発行であったが、生徒会長選挙の特別配布版を毎日発行するつもりらしい。部費も恵まれていて、それはしまなみ市の特別文化貢献賞を受賞したり、地域の人々から報道部ウェブサイトへのアクセスが多いという理由であった。しまなみ高等学校のイメージを高める事に、報道部は大きく貢献をしている。
智はうどんを素早く片付けて、学食を出た。信也が待っている一年生の校舎へと向かう。そこでは、西山理沙が演説をしているはずだ。
校内は、大きな公園のような造りで、これが気にいって彼はこの高校を受験した。受験方法も変わっていて、学力テストの結果も見るが、それよりも、この学校で何がしたいかという作文を書かされる。その内容が合否に大きく作用するという、とても変わった学校だった。
智が書いたのは、この学校の校内の風景が好きだから、少しずつ校内の植物を増やすという内容だった。これは真面目に実行されている。彼は父親の会社と話をつけて、苗木を寄付してもらうかわりに、学校の掲示板やウェブサイト、生徒の学生証に父親の会社の名前を宣伝で入れる約束を、学校側と交渉して取りつけた。
それで、このしまなみ高等学校の学生証には『タナベストア』という、スーパーマーケットの名前とロゴが入っている。学生証はそのまま、ポイントカードとしても使えるので、生徒や親の利用を増やしたいという企業側の希望にも沿ったものになっていた。
信也が智を見つけて手を振る。
「いいぞ、昼飯に行ってくれ」
智と、交代で昼食に向かった信也から視線を逸らし、一年生校舎のフリースペースで、生徒に向かって言葉を発している理沙の姿を確認する。
背が高く、姿勢が良いから、余計に大きな印象を受ける。顔つきは可愛いというより、かっこいいという表現のほうがいいかもしれない。ここが宝塚であればぴったりだろう。
「私は、自分達のような未成年が、学校の制度を変えたり、お金を分配するという事から離れ、学生本来の、学業やスポーツ、文化活動に集中する事に帰結する事こそ、最も大切な事だと思います」
大きくないが、よく通る声で、周囲の生徒に話しかけている彼女は、まるで一人ひとりに語りかけるように、目を合わせ、口調を変えて、反応を確かめながら演説をしていた。
智は時計を見る。アルバイトのお金を根こそぎつぎ込んだ時計。それは昼休憩が、あと一〇分で終わる事を彼に教えた。
智が手の平を理沙に向ける。
『あと五分』
その意味は通じたらしく、軽く彼に目を向けて小さくうなずいた彼女は、改めて生徒達に向きなおる。
智は感心するように、彼女とそれを見守る生徒達を眺めた。
選挙活動が始まって二日目の十一月二日の土曜日。世間一般では休みなのだが、しまなみ高等学校では、土曜日は自由登校日という位置づけになっている。授業はないが、学校で勉強したり、クラブ活動をしたり、友達とおしゃべりに使うもよし。要するに学校で何をしようが自由なのである。
それでも、一応は午前中だけという事になっていて、午後からは放課後扱いになる。
選挙管理委員会のメンバーは、立候補者達がそろって土曜日に選挙演説をしたいと言ってきたから、全員が登校していた。
「報道部から立候補者への個別取材をしたいっていう相談がきてるんだけど」
智の言葉に、康太が椅子を鳴らしながら、隣に来た。
「俺も言われた」
二人の声に、瑠香がうなずいた。相変わらず可愛いと智は少しニヤける。
「問題ないと思うけど。内容のチェックはしたほうがいいかな?」
「駄目だ。言論の自由、表現の自由を侵害する」
信也が即座に反論した。
「でもさ。報道部が意図的に、一人の候補者の肩をもつっていう事はあり得るんじゃない?」
由香里が手を挙げて発言した。それに同調する康太。
「大手マスコミだってやってるじゃん。ひとつの政党、目立つ政治家批判で一色になって気持ち悪いったらありゃしない。それに、弘の事を、お前ら忘れたわけじゃないだろ?」
声の最後のほうは震えている。
智も下を向いた。
マスコミの知る権利とかいうやつに、振りまわされた当人はどうなる。それに踊らされた日本に住む人達。弘が家から出られなくなったのは、自分も含めて皆のせいではないか。
小山教諭が手をあげて、発言を求めた。
「基本的に何を載せようが、それは報道部の自由だ。でも、それから何を読み取るか。それは生徒一人ひとりの自由だ。福間が今言った事はとても大切な事だが、だからといって表現の自由を侵しても良いとはならない。大切なのは、情報を流す側に踊らされない訓練を、生徒達がする事だと思うぞ」
信也が眼鏡を指で押し上げた。
「内容が、ある特定の候補者に偏っている時は、ぼく達がそれを指摘する。なんなら、報道部とのやりとりを動画に取って、選挙管理委員会のウェブサイトにアップしてもいい」
「誰がするんだ?」
智が全員の顔を見る。
「ぼくがする」
信也がはっきりと宣言した。
「わかった。じゃあ、もし報道部との間で何か話しあう事がある時は、矢田を窓口にして、俺が補佐役する」
智の声に、康太が手を叩く。瑠香がパソコンのキーボードを叩く音が聞こえる。進行役と書記を一人でやっているのだから、頭が下がる。
智がじっと彼女を見ていると、その目が瑠香の目と合う。
智は思わず視線を逸らした。窓際の彼の場所から、外を見ると、丸池脇の坂道でロードワークをしている陸上部の部員達が見えた。
彼は「頑張ってんなぁ」とぼやくと、窓から視線を外した。
「事件のことを調べる? 智くん、本気?」
うずら屋のいつものボックス席で、智と瑠香は向かい合っていた。二人の間には、ホットココアと重たい空気がある。本当なら、昨日からの流れで、それはもう楽しいものになっていたはずだったのだが、それをさせなかったのは、智のほうだった。
「うん。あの、こういう事を言うと、俺が勘違いしてるだけかもしれないから、もし、そうならそこは言ってほしいんだけど」
智は、ホットココアの入ったカップを両手で持った。
「俺がこうして、瑠香と一緒に楽しくやってる時、弘はどうしてるんだろうと思うと、なんか悲しくて。それにあの刑事。あいつらムカつくんだよ」
瑠香はたっぷりと一〇を数えて、うなずいた。瑠香と一緒にいて楽しいと伝えた事で、彼女の頬は赤くなっている。
「だから、放課後とか選挙管理委員はちゃんとするけど、それ以外の時間は、あの事件を調べる事に使いたいんだ。ごめん」
頭を下げた智。意外な言葉で彼は顔をあげる。
「私も一緒に調べる」
智は困惑の表情を浮かべたが、彼女は譲る気はないようで
「一人より、二人のほうが、より調べられるじゃん」
得意げにホットココアを飲む瑠香。
智は困った視線を彼女に向けたが、目を閉じた彼女はそれを受け付けない。
「で、何から調べるの?」
智の戸惑いをよそに、彼女はバッグからノートを取りだした。
諦めたように溜め息をついた智の後ろで、黒田が笑顔で近づいてくる。
「俺も参加」
二人の視線が黒田に注がれた。
うずら屋のマスターは照れたように笑って、手をヒラヒラさせた。
「弘くんの力になりたいんだよ。小さい頃から知ってるから」
どん、と二人の前に、大きなアップルパイが置かれる。そういえば、この店に智を誘ったのも、弘だったはずだ。
「それに、大人がいなきゃ、難しい事だってあるぜ。まあ、いつも一緒にいられないが、このボックス席はいつでも使ってくれていいし、定休日の火曜日だったら、動ける」
智が意外そうな顔をする。
「この店、定休日なんてあったんですか? いつもやってると思ってたんですけど」
黒田が笑った。
「今、そうした。火曜日は暇だから、店を休んでも問題ないよ」
智は頭を下げて、黒田に質問した。
「マスターって、弘と付き合い長いんですか? 俺も弘から、この店に連れてこられた気がするんだけど」
黒田は智の隣に座ると、アップルパイを手頃の大きさに切り始める。慣れた手つきで無駄な動きがない。
瑠香が目を輝かせて、自分の取り分を指差した。
「弘くんは、この店を開いた時から常連さんだよ。今から十年近くも前だから、あの子はまだ、小学生だったな。いつもこの店でお母さんを待ってたんだ。ほら、この店の向かいに教育委員会の建物あるじゃない。ここで待ってる弘くんを、いつも五時半にお母さんが迎えにきて、一緒に帰ってたんだよ」
なるほど。智と弘は小学校が違う。わずかな差で二人の学区が違う事から、小学校と中学校は別々だったのだ。弘の学区の子が通う小学校は、たしかに教育委員会の脇の道を上っていった長井小学校で、中学校も長井中学校だ。智は小中ともに、久保と書いて、『ひさやす』と読む学校に通っていた。
「一緒に帰る友達、いなかったんですか?」
瑠香がアップルパイを頬張りながら、黒田を見た。
マスターが少し、悲しそうな顔をする。
「なんかイジメにあってたみたいでね。それでも学校にはきちんと行ってた。ほら、赤い髪の悪そうなのいるでしょ」
「ああ、福間くんですね」
瑠香が答えながら、智の手のつけてないアップルパイを狙う。彼は彼女に半分あげた。
「あの子は、外見はああだけど、イジメられてる弘くんとずっと一緒にいてさ。弘くんがお母さんをここで待つ間、一緒にここで時間をつぶしてたよ」
智は弘が、あまり友達の輪を広げたがらない理由が分かったような気がした。その彼の少ない友達の一人であった直樹を、彼は殺すわけがないと、改めて確認したのだった。
自分のアップルパイを食べながら、一人前と半分をたいらげた目の前の可愛い女の子を見て、彼は記憶庫に追記しようとつぶやいた。
「瑠香は意外とたくさん食べる」
「やめて」
智の特技を知っている彼女は、あわてて彼のつぶやきを遮り、黒田を笑わせた。そのマスターも、笑うと怖い顔がふにゃっとなって可愛いと瑠香に言われ、カウンターの奥に隠れる。
「瑠香ちゃんも、よくお兄さんと来てくれてたよね」
「ああ、覚えてくれてたんですね」
瑠香が、黒田の声だけするカウンターの方向に笑顔を向けた。
「お兄さん?」
智がホットココアを啜りながら、彼女を見た。
「うん、今、東京の大学に行ってるけど、夏休みの間は帰ってきてたよ。冬休みが始まれば、紹介するね。超ミステリ好きだから、智くんと話が合うと思うよ。いつも東京から、読み終えた本を送ってくれるんだ」
智の脳裏にあの日の光景が蘇る。思い出したくないと、頑なに拒否していた記憶。
瑠香と、年上の学生風の男の楽しそうな笑い声。
「もしかして、九月の終わりころ、ここに来てた?」
「あれ? いたの? 声をかけてくれれば良かったのに」
智の不安は氷解した。あの時、一緒にいたのは彼女の兄だったのだ。そうか、良かった。
にんまりとする智を、不審そうな目で彼女が見つめていた。
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