第5話 刑事との接触
後藤智は、いつものように瑠香とうずら屋に入る。ここ最近、学校に姿を現さない弘のかわりに、彼の隣に瑠香の姿があった。といっても、帰宅する時だけのささやかなものであったが。
二学期の前期試験も終わり、全科目平均で八四点という数字を叩きだした智は、その彼の家庭教師をしてくれた瑠香に、うずら屋のケーキセットを奢っていた。
「後藤くんて、なんでそんなにお小遣い持ってるの?」
「バイトしてます。先生には黙っていて」
彼は日曜日だけ、父親の勤める会社が経営するスーパーで、アルバイトをしていた。時給九百円と決して高くはないが、十時から十八時という勤務時間と、レジをしなくても良いという条件が気に入り、智はこのバイトに飛びついたのだった。
一応、校則違反ではあるが、見つかったとしても、
「学業もしっかりとやってますし、こうして、お金を稼ぐという行為は、大切な経験だと思います」
と訴えれば、しまなみ学校では許された前例があると、彼は知っていた。その為には、学業である程度の成績を維持しておかなくてはならなかったが、これまでの彼の成績は、中位をさまよう程度であった。しかし、弘の一件以来、瑠香との接点が増える事で、彼女に苦手な科目を教えてもらったうえ、彼の特技を最大限、活かせる勉強法を考えてくれた。
特技を勉強に使うことを渋る彼に
「それも立派な才能の一つ。使わなくてどうするの?」
と彼女が諭してくれて、なんとか格好のつく成績をあげる事ができた。
今日は十月二十九日だから、事件発生から二〇日近く、弘が引きこもってから、十日が経つ。
野島弘は学校に来なくなっていた。
理由は明白。マスコミのせいだ。
この地方都市で起きた事件は、瞬く間に全国区の事件となってしまった。連日、ワイドショーのリポーターが、学校周辺で生徒を待ち伏せ、突撃取材を敢行する。学校側が、各報道機関に抗議をしたが、知る権利がどうとか騒いだ。生徒をそっとしておいて欲しい学校側と、特ダネが欲しくてたまらない報道各社の対立は、そのまま番組制作まで反映されて、まるで事件を隠す悪い学校であるかのような、行き過ぎた報道をする番組まであった。
そういった中で、周囲の注目を浴びていた第一発見者の少年が、『少年A』として報道されたのは、事件発生から一週間後の事である。
それから弘は学校を休み始めた。もう一人、山田直樹の推薦人の一人だった進藤ヒカリも学校を休んでいる。女子の話によると、直樹と彼女は付き合っていたらしい。
弘へ、智からスマートフォンにメールやメッセージを送れば、かろうじて返信はしてくるものの、その文面はやたら短く、智は笑っている時でさえ、親友のことを頭のどこかで考えていた。
それは瑠香も同じであったようで、彼の告白を智と一緒に聞いたという事もあり、会う度に彼女は弘の事を彼に聞いた。
この日の話題も、弘の心配から始まった。
「野島くん、大丈夫かな。ちゃんと返事は来る?」
心配そうな彼女の顔は、だがとても綺麗だ。
智はしばらく見とれていた。
不思議そうに、彼女が目を輝かせた時、彼は我にかえる。
「ああ、いつも退屈だって言ってる。ゲームも飽きたって」
これは嘘だ。返事はくるが、どれも短い文章で、大丈夫とか、心配するなとか、そんな簡潔なメールしか返ってこない。だからこそ余計に心配するんだろと、弘が目の前にいたら怒ってやりたいのだが、それを瑠香に言ったところで、心配する人間が一人から二人になるだけだ。
いや、弘の両親はもっと心配だろう。
智は腕を組んだ。
直樹は絞殺されていた。殺そうとして、首を絞めないと殺せない。間違えてとか、殺すつもりはなかったとか、そういう言い訳はできない死因だと智は思う。
犯人は道具を使わず、手で首を絞めたみたいだが、軍手をしていたらしい。直樹の首には、軍手の跡と、少量の土がついていた。その土は、学校の前にある、しまなみ高等学校の生徒が『丸池』と呼んでいる池の周囲の土壌であるとの報道がされていた。
警察は、丸池の清掃活動に参加したボランティアの人達を片っ端から当たったそうだ。
「どれもはずれだったらしいよ」
智はコーヒーを啜った。マスターと目が合う。
「マスターのとこにも来たんでしょ? 警察」
黒田は目を閉じてうなずいた。
「あの時の軍手を出せとか言われてさ。捨てたって言ったら、怒られてさ。ほんとに警察は市民をなんだと思ってるんだ!」
その時の怒りが蘇ったのか、黒田はブツブツと文句を言い続ける。
「丸池をいつも掃除してた学校の近所の爺さんなんて、めちゃくちゃ怒ってたぜ」
智は、善意で池の掃除をしていた学校の近所に住む老人を思い出した。彼自身、あの池で釣りを楽しませてもらっているからと、こまめに草刈りなどをしていたのだが、それが裏目に出てしまったようだ。
「でも、軍手にあの池の土をつけるのって、誰でもできると思うけどなぁ」
智の言葉に、瑠香は首を振った。
「これから、誰かをって時に、わざわざ土をつけに池まで歩く? というより、土をつける意味はないよね。だから、犯人が使った軍手には、もともとあの池の土がついていたっていう考え方が自然だと思う」
紅茶を飲みながら、その香りに鼻をひくひくさせる瑠香の顔を、智はまじまじと見つめた。
「何? 池田って推理小説とかよく読むの?」
途端に恥ずかしそうな顔をした瑠香に、智は自分のバッグから、アガサ・クリスティの〝オリエント急行殺人事件〟の文庫本を取り出し見せた。
「良かったら貸すよ。家にいっぱいあるんだ。母さんが好きでさ」
瑠香が目を輝かせた。
「アガサ・クリスティじゃない。へぇ、結構、古典が好きなんだね」
智は彼女に、文庫本を手渡しながら、コーヒーを飲んだ。
「最近のも読むよ。望月倫太郎とか日下部みゆき、西野啓吾なんかも読んでる」
瑠香が満面の笑みを浮かべる。
もしかしたら、とんでもない発見をしたかもしれないと智は嬉しくなった。こんなに楽しげに、しかも女の子と二人で会話を自然としている。相手はあの池田瑠香。
弘、ごめん。今だけは楽しい気持ちでいさせて。
彼の願いが通じたのか、二人は帰路につくまで、散々しゃべりまくった。うきうきした気分で、自転車をこぐ。海から流れてくる風の冷たさも、なんだか心地よい。
住宅地へと続く道を、智は自転車のペダルをこぎながら、今までわざと避けてきた弘の家の近くの道を通る。そこから、彼の家、木造建築の一戸建てが見えた。弘の部屋には、カーテンがかかったままだった。
智は立ち止る事なく、自宅へと急いだ。
あのような事件があっても、生きている人間達には、残酷に日常はやってくる。それは智とて例外ではなかった。十一月一日の朝、選挙活動解禁と共に、休憩時間に校内のいたるところで、生徒達に訴える候補者の監視を、選挙管理委員はしなければならなかった。
「一緒により良い学校にしていきましょう」
「この学校を動かすのは、私たち、一人ひとりの意思と行動です」
などと、まさに本物の選挙のような訴えを、三人の候補者が推薦者を引き連れ、校内の様々な場所で行う。時たま、候補者同士が鉢合わせになるのだが、本当の選挙とは違い、白熱した議論合戦が起こる。
聞いている生徒達も本気だ。
それもそうだろう。在学中、楽しく高校生活をおくれるか、不満たらたらで送るかしないのか、それを決めるのは、自分達の一票であるのが分かっているからだ。
だからと言ったらおかしいかもしれないが、候補者に、露骨な取引をもちかける輩も出たりする。
例えば、部員の票をまとめるからグラウンドのあの場所をくれなどともちかける部の主将もいたりするので、智達は候補者だけでなく、各グループも見張らなくてはならなかった。
現にバドミントン部の主将が、体育館の場所を条件に、票をまとめるからともちかけてきたと、候補者の一人、西山理沙から選挙管理委員会に訴えが出た。
「このような事があるからこそ、私は生徒会執行部の権限を弱めます」
と宣言して、選挙管理委員室から出て行く彼女の背中に、委員達の溜め息が投げかけられる。
「で、どうする?」
康太がやれやれといった顔で、委員長の瑠香を見た。瑠香が生徒手帳をペラペラとめくり、あるページで手を止めた。
「規定では、生徒会長選挙違反は一ヶ月間の停学です」
「意外と重いな!」
康太がほとんど叫ぶように、声を出した。
信也が眼鏡を指で押し上げながら、智を見る。
「西山さんのとこは、君が担当してるんじゃなかったのかな」
本当に嫌な奴だ。
智はそれでも、ごめんと頭を下げて、どうしてこうなった論より、これからどうする論へと切り替える事を狙ったのだが、信也がそれを許さない。
ネチネチと智の不手際を、それこそ重箱の隅をつつくように始める。康太が机を叩いた。
「おい、もういいだろ。後藤だって、一日、ついて回れるわけじゃないだろうが。トイレの中について行くわけにはいかないだろ!」
バトミントン部の主将は、女の子だ。
「本人には警告を出して、全生徒にはクラブ名を伏せて発表して、自制を求めるのがいいと思うんだけど、どう?」
アニメ声が智の耳に入った。由香里はいつもの眼鏡ではなく、今日はコンタクトレンズをしているようで、別人のように見えた。眼鏡をしている時も知的な美人ではあったが、見惚れるまでとはいかなかった。それが今では、瑠香に匹敵するくらい可愛い女の子に出来上がっている。化粧もしているようだ。
男ができたな。
智は議題とは関係ない事を考えていた。
「それでいいと思う。先生、どうでしょうか」
瑠香が小山教諭を見た。
「君達がいいと思うなら、それでいいと思う。大切なのは議論して考えて答えを出す事だ。本当にこれでいいと思うなら、それでいい」
信也が手を挙げた。
「西山には、この事は公表するなと言っておいたほうがいいと思う。ぼく達が隠しても、彼女がしゃべっちゃ終わりだ。それと、本人をここに呼んで話をしたほうがいいと思うけど」
「そうね。じゃあ、後藤くん。責任を取って、バトミントン部の小西さんを呼んで来て」
智は、わかったと言って立ち上がった。
今日は十一月一日の金曜日だから、バトミントン部は第一体育館にいるはずだ。火曜日と木曜日だけ、バトミントン部は第二体育館を使う事ができる。
二つの体育館の違い。
それは新しいかボロいかだ。第二体育館は去年に完成したばかりで、広くて綺麗。さらにシャワー室や更衣室、ミーティングルームなども完備されている。一方で、第一体育館は、まあ、クラブ活動に支障はないだろうが、大きく見劣りする。
智の予想通り、第一体育館の奥のほうで、二十人前後のバトミントン部が、素振りをやっていた。智が上履きを脱いで近寄り、
「ちょっと来て欲しいんだけど」
彼女の表情は、それはもう可哀想なくらいだった。今にも泣きそうな、そんな表情である。智が今、どこでどういう活動をしているのか、彼女には分かっていたからだ。
「告白か?」
と茶化す部員から、無言で二人は離れる。
選挙管理委員室までの距離が、とても長く感じた。
五人の前で泣き始めた美鈴に、由香里がやさしく話しかける。こういう時、瑠香よりも彼女のほうがいいのではないかと信也が提案したので、事情の説明役に由香里が抜擢されたのだった。
「あんまり出来の良い同性からは、あれこれ言われたくないと思われるみたいだからね」
まるで自分がそう言われて困っているかのように語る彼の脚を、康太が軽く蹴っ飛ばしたのは、美鈴が謝罪をして部屋を出て行った後の事であった。
「山田直樹が死亡したのは、十月十日の午前五時から七時の間。第一発見者の野島弘の証言から、彼が被害者を発見した時、まだ、死後硬直は始まっていなかったという事から、死亡推定時刻はおおむね、この時間で間違いないように思います」
高田は耳掃除をしながら、車を運転している今田を見た。今田はというと、ハンドルを握って車を走らせながら、これまでの捜査結果を話し続けている。よくもまあ、そんなに覚えているもんだと、高田は呆れるしかなかった。
「被害者の首には、首を絞めた時についたと思われる、軍手の跡や繊維、そして池の土がついていました。また、被害者の爪には、犯人の衣服の繊維がついていましたが、大量生産品のジャージのもので、特定には至っていません」
車は赤信号で止まった。
「被害者が、なぜ、あの時間にあの場所にいたのか、まだ分かっていません。彼の両親も分からないとの事。第一発見者である野島弘が、いつもより随分と早く学校にいた事も、本人が話したがらない事から、分かっていません。ただ、前日の午後九時半に、野島弘の携帯電話から、被害者の携帯電話に発信があった記録が残っており、生徒会長選挙に立候補していた被害者と、その推薦人の第一発見者である野島弘……二人の間で何かがあったのではないかという線で進めている。これが大きな捜査の流れです」
「他に可能性はないのか?」
高田が考え込むように、前方を見た。今田は首を振るしかない。
「何も。例の白い車ですが、該当車種が多すぎて、特定できません。」
「そりゃそうだろ」
高田が煙草を咥えた。社内は禁煙なのだが、彼は事件が起こるとどこでもお構いなしに煙草を吸う癖がある。今田は目で抗議したが、無視された。
満足げな横顔に、今田はムッとする。
「被害者の持っていたはずの携帯電話も見つかっていません」
「犯人が持っていったんじゃないかなぁ」
「池の土がついていた事ですが、野島弘も課外授業時に、あの池の清掃をしています」
「そりゃ、ご苦労さん」
高田の口から、細い煙の糸があがり、少しだけ開けた窓に吸い込まれていく。
「しかし、被害者の首についていた犯人の手の形と、野島弘の手の形は一致していません」
「残念だな」
今田が、車を止めた。スーパーの駐車場だ。
「高田さん。やる気あるんですか?」
「あるよ。今、頭の中で整理してるんだ」
今田はどう見てもやる気のない上司を見ながら、この事件が、予想外に騒がれている現在を疎ましく思った。目撃証言もない。発見者は協力的ではない。しかも子供だから無理もできない。証拠といっても、被害者の首についた手の形と、軍手の繊維と池の土。もっといっぱい出てきてくれよと、車を降りて、スーパー脇の自販機へと歩く。
捜査会議での流れは、野島弘が被疑者の第一候補でほぼ決まりだった。不自然な時間に学校にいた事に対して、野島弘は警察に説明をしない。何より決定打だったのは、彼が捜査に非協力的であった事だ。警察から見た時の印象が真っ黒だったである。
今田はそれらに加えて、しまなみ高等学校の校風がとても変わっている事に驚きを禁じ得なかった。生徒の自主性を重んじるといっても、部活動の予算配分まで生徒会が決めるというのは、とても変わっていると思っていたのだ。どうやら、そういう事があったせいで、山田直樹と野島弘は揉めたというのが、捜査本部の出した仮説だった。
しかし、今田にはどうしてもひっかかっている事がある。それは、野島弘には動機が見当たらないという事と、殺害された時期と場所だ。例えば生徒会選挙に勝った後のことであったならまだしも、まだ何も決まっていないあの段階で、二人に決定的な溝ができるとは思えないし、野島弘と山田直樹があの場所で揉めていれば、正門の近くにある守衛室にいたはずの警備員の知るところとなったはずだ。にも関わらず、警備員は二人の存在に気づいていなかった。
缶コーヒーを二本買い、車へと歩く。
今田はこのひっかかる点が気になってしかたなかった。
車では相変わらず、高田が煙草をふかしながら、助手席に深く座っていた。
彼は下校中の高校生を眺めていた。
「おい、あの子、野島弘を応接室の外で待っていた子じゃないか?」
今田は、高田の視線の先、女の子と自転車を並べて走らせている男の子を見た。
「ああ、そうですね。たしかに。よく分かりましたね」
「追え」
今田は缶コーヒーを高田に渡し、車を発進させる。
高田は鼻で笑う。よく分かりましたね? 一回、見たら忘れようがないよ。あの顔は。
「あの子がどうかしたんですか?」
「俺達に話さない事でも、あの子になら話すんじゃないのか?」
高田がにやりと口端を歪めた。今田はアクセルを踏み込む。
二人は、喫茶店に入っていくようだ。
それを見て、喫茶店の駐車場に、今田は車を滑り込ませた。
高田はあの野島弘が、ただの第一発見者とは思いたくもなかった。だからこそ、捜査会議でも、それ以外でも、巧みに上層部と接触しながら、捜査方針をリードした。
彼がどうしてそう思うのか。
それは普段と違う行動をする人間は、何かしら特別な事情があるもので、それが事件発生日となると、なおさらだと考えているからだ。
くわえて、野島弘の証言だ。何も見てないと、今のところ言い続けているが、それは本人が犯人であるのだから、見ていないと答えるしかない。嘘をつき通す事が下手な人間は、ベラベラと嘘を重ねて、後で矛盾をつかれて痛い目を見るが、つけない嘘はつかないと徹底している、あの野島弘という高校生は思ったより手強いぞと、中年刑事は周囲や上層部に漏らしていた。
その野島弘の証言で白い車が出てくるが、高田はわざと無視していた。この白い車は彼の唯一の嘘で、捜査を混乱させる為の虚偽だと考えているし、捜査会議でも発言していた。白い車とだけに情報を限っているのも、あまり詳しく証言すると後で困ることにならないように、である。
それでも警察が、というより高田警部補が困っている問題、それは物証であった。
被害者の首に残った、犯人の手形だ。明らかに野島弘のものとは違う。これをどうクリアするか。
彼は、状況証拠を固めて引っ張り、自白させる。物証は後だと考えていた。
二人の刑事が喫茶店の中に入ると、愛想のないマスターがちらりとこちらを見る。この喫茶店に聞き込みをした刑事は、高田と今田のペアではなかったので、お互いに初対面だ。という事は、あのマスターは、普段からああも愛想が悪いのだろうか。
店内は、店の入り口からコの字になっていて、左手の奥のボックス席に、高校生二人の姿を見つけた高田は、警察手帳をマスターに見せる。露骨に嫌な顔をされたが、それを無視して、ズカズカと奥に進んだ。
ボックス席の奥に女の子が座り、手前に男の子が後頭部をこちらに向けている。女の子の表情をみて、何かを感じたのか男の子が振り向いた。
あの時の生徒だ。間違いない。
高田から見て、その男子学生はどうみても女の子だ。学生服が男子生徒用であるから、男の子だという事が分かる。髪もショートヘアの女の子くらい伸ばしていて、おそらく私服を着たら、区別がつきにくいだろう。喉仏がかろうじて、見分ける助けをしてくれるくらいか。
……ったく、なんで日本の若い男は、顔が女っぽい奴らが多いんだ?
昔の、いかにも男だという顔つきの男の子を見る機会は、ぐっと減ったように警部補は思った。
髭を剃る行為とも縁のなさそうな、綺麗な顎をまっすぐに高田に向けた男子生徒は、何か用かと目で訴える。
高田と今田が警察手帳を出すと、その顎をぐっと引き、口を真一文字にした。
いいだろう。そういう態度なら、こっちも考えがあるってもんだ。
高田は、捜査の進まないイライラ感をそのままに、彼らの席に無理矢理ついたのだった。
智の隣にドカッと座った男は、ずいぶんと不機嫌そうに見えた。
「野島くんと仲がいいよね」
小太りの中年刑事に前置きなく質問されて、智は余計に体をひいた。見れば、瑠香の隣に若づくりした刑事が座っている。
迷惑そうな彼女の目。
「仲いいですよ。親友だと俺は思っていますから」
「ほう、その親友が大変なのに、君はデートかい?」
カッと頭に血が昇るとはこういう事だろうと、どこかで冷静に自分を見ているもう一人の自分がつぶやくような気がして、彼は浮かびかけた腰をソファに押しつけた。
「野島くんから、何か聞いてないかな」
「たくさん聞きましたよ」
智は飲み物を運ぶフリをして、様子を見に来た黒田に頭を下げた。無愛想なマスターは露骨に二人の刑事に嫌な顔を向け、智と瑠香の注文した飲み物を置いて離れる。
マスターは刑事二人に水も出さないつもりらしい。
「警察は同じ質問ばかりしてくるって言ってました」
高田の頬がピクリとひきつる。
「言うねぇ」
高田が無遠慮に煙草に火をつけようとするのを、瑠香が咳払いをして止めさせた。
「こっちも、正直に話してもらったら、何回も同じ質問をしなくてもいいんだよ。聞いてないかい? なんであの日に学校に早く来ていたのか?」
煙草をしまいながら、質問した中年の小太りな刑事に、智は首を振った。
「何も? 親友にも話してないとなると、これは本当に困ったな」
わざとらしく、薄くなりかけた頭を右手でなでる。彼はゆっくりとその目を瑠香で止めた。
「彼女は聞いてない?」
「瑠香は関係ないだろ!」
思わず叫んで立ち上がった智に、三人の視線が集中した。
「まあ、落ち着きなさい。君達を疑っているわけじゃないんだ。野島くんから聞いた事を教えてほしいだけなんだよ」
若づくりの刑事が智をなだめた。髪を流行の髪型にセットして、眉も整えて、派手なネクタイをしているが、どう見ても三十代半ばだ。智は嫌なものを見るような目で彼を見ると、それが伝わったようで、若づくりをした刑事の顔にも、ありありと渋面が広がる。
「聞いちゃいないって言ってるだろ」
智は勢いよくソファに座り直す。
「いや、君は聞いているんだな。これでも刑事を二十年以上やってるんだ。君の顔を見たら分かる」
高田はかまをかけた。それに、彼は絶対に野島弘がこの友人に何かを話しているという確信に近いものがあった。それは刑事の勘というものなのだろうか。理屈ではない。
しかし、この時、この理屈ではない勘による発言で、智はおおいに動揺した。それは、二人の刑事だけでなく、瑠香の目にも明らかだった。
高田が追い打ちをかけようとした時、黒田がのそりと現れた。
「刑事さん。もうその辺にしといたらどうだい。子供相手に脅すような真似をして。これ以上、店でそんな事続けるなら、マスコミが取材にきた時、ベラベラとしゃべってしまうよ」
「刑事を脅すつもりか!」
怒声をあげた高田を、今田が止めた。高田はゆっくりと息を吐き出し立ち上がる。
「今田、帰ろうや。この子は必ず聞いている。それが分かったんだから、今日は引き上げよう」
智は、コーヒーを飲んだ。味が全くわからない。
二人が店から消えたあと、黒田が、店の外に塩を持って出て行った。
店内には無言の二人。
むっつりとした智と、どこか嬉しそうな瑠香。
店に戻って来た黒田に、智が感謝の言葉を口にする。マスターは照れたように手をふった。
「お得意さんを守るのも、俺の仕事だからな」
改めて頭を下げて、二人は店を出た。
自転車に乗ろうとした時、瑠香が口を開く。
「さっき、後藤くん、私の事を瑠香って言ったよね」
智はしばらく動きを止めた。そして、慌てる。その様子を見て、彼女は笑った。
「私も、今度から後藤くんの事、智って呼ぶから」
頬を少し朱に染めて、弾んだ声を残した彼女は、自転車に乗って離れていった。智はその背中が、見えなくなるまで動けなかった。
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