第4話 特技を彼女に話した。
智が登校してきた時、正門前は警察、地元マスコミ、近所の野次馬でごった返していて、教室に入るなり、何があったのかと隣の席の樫本真由に尋ねた。
「野島くんが、山田くんが死んでるのを見つけたんだって」
言っている意味が分からない。
首をかしげた彼に、彼女は周囲を見渡し、もう一度、同じ事を言った。
智も周囲を見渡す。誰もが、今、その話題を口にしていた。
彼は教室を飛び出し、職員室に駆け込む。弘の姿はなかったが、職員室の近くにある応接室が使用中であることに気づき、そのドアの外で待つ事にした。
「教室に戻りなさい」
社会科の
「ここで待っています。弘と一緒に教室に戻ります」
教師はしばらく考えたが、彼の主張を受け入れ、椅子を持ってきてくれた。
そうして、応接室の外で待っていると、小太りで中年の男と、一生懸命若づくりしていますといった推定三〇代半ばの男が、応接室のドアを開けて姿を現す。二人は智を一瞥したが、すぐにいそいそと立ち去っていった。
少し遅れて、担任と弘が姿を現す。
目があった時、弘は歪んだ笑みを浮かべて、大丈夫と小さな声を発した。
二人の足取りは、これ以上ないほど重かった。途中、トイレの前で思い出したかのように弘が飛び込み、手洗い場で右手をゴシゴシと洗った。あの時の感触が消えないのだという。そしてあの匂い。人は死んだら糞尿が出ると聞いた事があったが、まさか自分でそれを確かめるなど、思ってもみなかったと、沈痛な表情で語った弘に、智は何て言えばいいのか分からず、無言でうなずいただけだった。
たっぷりと時間をかけて洗う弘を、智はトレイの窓に貼られた紙を眺めるフリをして待った。一学期の始まる頃から、第一校舎のトイレは壊れたままで修理されていない。
「お待たせ。ごめん」
弘の声で、智は歩き出す。
二組の教室に二人が入ると、全員の目が彼らを見た。
出入り口でしばらく突っ立っていたが、背後に気配を感じて振り返る。三組の康太だった。
「よお、今日の放課後、選挙管理委員は集まれって、池田が言ってたぜ」
それだけ言うと、康太は智の肩を叩いて、弘を見た。その目は友人を思いやる、やさしい目だったが、それを智に見られたと気づくや、そそくさと三組の教室に戻る。
二人は、茫然としたまま教室に入った。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃない」
弘は机に上半身を預けるように倒れ込んだ。その肩を誰かが叩く。
「おい、どんなだった? 死体、見たんだろ?」
弘は無言で立ちあがり、ふざけた声を発した男子の右耳を、左手で思い切り引っ張る。神業としかいいようのない素早さで、耳を引っ張られた
「やり過ぎだぞ」
智が弘を止めて、痛がる徹と引き離す。
いつになく苛立ち攻撃的な友人を眺めた智は、朝早くに弘が学校にいた理由を今は聞くことができないなと諦めるしかなかった。
放課後、選挙管理委員会では、三人の候補者を開示することで一致した。残念ながら、候補者の一人であった山田直樹はあのような事となり、自然と候補者からはずれてしまった。
小山教諭が席を立った後、なんとなく帰ることができない五人は、例の事件の話を始めた。
「後藤、お前は弘から何も聞いてないのか?」
康太が真剣な目を智に向ける。
――そういえば、康太と弘は仲が良かったな。
智は康太と弘の仲を思い出しつつ、困ったように答えた。。
「聞けるわけないだろ。それに、弘はまた応接室に呼ばれていって、それから見てないし、メールを送るのも躊躇してさ」
「第一発見者が疑われているわけだ」
信也の発言に、康太が立ちあがって掴みかかる。
「てめぇ」
「ぼくは一般論を言ったまでさ。だって、疑われてないんなら、何回も呼ばれないだろ」
康太が信也に殴りかかるのを、智がなんとか阻止した。瑠香と由香里は口を両手で押さえて見守っている。
「福間、やめとけよ。それから矢田も、変な事言うな。弘があんな事……」
一瞬の沈黙。
「あんな事、するわけないだろ」
二人を引き剥がし、すごすごと部屋から退散した信也の背中に、視線を向けた智へ、由香里のアニメ声が届く。
「野島くんは、なんであの時間に、学校にいたの?」
誰もが不思議に思っていた事。誰も口に出せなかった事だ。
智は由香里と目を合わせた。
「なんか事情があったんだろ? 福間は知らない?」
「知らねぇよ」
康太は赤色の髪を、両手でクシャクシャにする。
「野島くんは、部活、何かやってたの?」
瑠香が三人を見渡した。ほとんど同時に、智と康太が首を横に振る。
「ま、そういう事は警察が聞くだろ。俺達があれこれと言うもんじゃない」
康太はぶっきらぼうにそう言って、帰ると宣言して立ちあがった。おずおずと由香里も立ち上がる。
選挙管理委員室となっている教室には、智と瑠香の二人だけが残った。
「後藤くんは、帰らないの?」
「……二組に帰って弘を待ってるよ」
智が立ちあがった時、彼女も慌てて立ち上がる。
「一緒に待っててもいいかなぁ」
彼女はとても小さな声だったが、かろうじてそれは智に届いた。彼としては、彼女と二人というシチュエーションは望むところだが、さすがに今日ばかりはそんな気持ちになれない。と同時に、あの日の光景が蘇る。
大学生風の男と、楽しそうにうずら屋に入って来た瑠香。
「好きにすればいいよ」
随分と思いやりのない返事をした智は、それでもこの時ばかりは、弘の事が心配で、二組の教室へと足早に向かった。その彼の後ろを、瑠香がついて歩く。
誰もいない二組の教室。
時計は午後四時半を指していた。みんな帰ったのだろう。今日の部活動は無しと、学校側から通達があったからだ。
弘の机に、まだバッグがぶら下がっている。
智は自分の机について、その隣の席の椅子を引いて瑠香に勧めた。
無言で彼女がそこに座る。
「後藤くんと、野島くんて仲いいんだね」
「まあ。趣味合うし。話も合うし」
瑠香は、持ち主の帰りを待つようにぶら下がっているバッグを見ながら、口を開く。
「いいね。私は後藤くんと野島くんみたいな、そんな友達いないから」
智は数人の名前をあげる。いつも瑠香が一緒にいる女の子の名前だ。
「仲がいいと言われたら、そうかもしれないけど。もし、私が野島くんの立場だった時、誰もこうして待ってくれてないように思う」
女の子同士は微妙なんだと智は改めて感じた。しかし、それは瑠香のほうにもいえる事で、彼女の発言の裏には、自分も待たないという意味があると、彼は感じていた。
いい子ぶったりしない。付け加えておこう。
「後藤くん、何?」
智ははっと顔をあげた。
「なんか、ぶつぶつと独り言・・・・」
智はしまったと後悔した。やはり、人前でするもんじゃない。
「私の事、ひどい奴だとかなんとか言ってたんでしょ」
「ちがう。ちがう」
結構、近い事は思っていたけど、そこまでは思ってない。
智はごまかすように、笑った。
「いや、女の子と二人きりなんて緊張するから、おまじないを」
瑠香の目が、大きく見開いた。
彼女が何か言おうとした時、教室のドアが音を立てて開く。
弘が無言で教室の中に入ってきた。智と瑠香が立ちあがる。
「おい、大丈夫だったか?」
弘はうつろな表情のまま、智を見て、それから瑠香を見た。
「なんで、池田がいんの?」
待っていた二人が、顔を向き合わせる。
「俺がお前を待ってるって言ったら、一緒に待ってるって言うから」
智が答えるも、弘は嫌悪したように表情を曇らせ、鼻を鳴らす。
「ふぅん」
弘は、冷たい目でじっと瑠香を見つめる。もともと顔の造りが整っているから、こういう目をするとゾッとさせられる。弘がこういう目をする時、それは大抵とても機嫌が悪い時だ。ここは黙っていようと智は決めて、帰る支度をする弘を見守った。
支度を整えた弘は、同時に荒ぶっていた感情も落ち着かせたようだ。
「ごめん。せっかく待っててくれたのに……」
弘の目が、いつもの穏やかな目に変わった。
ほっとした智は、時計を見る。
「五時だな。うずら屋で紅茶をご馳走するよ。今日は大変だったろ」
「いいのか?」
「ああ、でも、いつもみたいな長居は無しだ」
弘が少しだけ口元を緩めた。智はようやく安堵した。
うずら屋のいつものボックス席、店に入って左側の端っこに智と弘が座り、そこに瑠香も加わる。なぜか彼女も、当然のようについてきて、ここでこうして紅茶を飲んでいた。
「今日、学校、大変だったらしいな」
マスターの黒田に、慌てて智が口元に指を立てたが、弘が笑ってそれを止めた。
「俺が見つけちゃったんです」
それだけで意味が通じたらしく、黒田が表情を引き締め、すまんと小さく声を出した。そして、店の奥に隠れるように消える。
「参ったよ。入れ替わり立ち替わり、何回も何回も、同じ質問ばっかり。明日も来るとか言ってたから、うんざりだ」
弘は紅茶にミルクも砂糖も入れず、ストレートで飲んでいた。瑠香はミルクをたっぷりと入れて飲んでいる。
「それに、なんで学校に早く来たんだって、うるさいのなんの」
智はコーヒーを吹き出しそうになった。瑠香もむせている。
二人が一番、気になっていた事。それをどう聞こうか迷っているうちに、聞かれたくないだろうと思っていた本人から、話を持ち出してきたのだから。
「なんて答えたの?」
瑠香の質問に、弘は嫌そうな顔をする。
「おいおい、ここで尋問はしないでくれよ」
紅茶を一口、飲んだ彼は申し訳なさそうな彼女を見た。
「答えられませんって答えた」
はあ?
智は自分の耳を疑った。そんな返答をすれば、当然、警察は白状しろと迫ってくるじゃないか。嘘でもいいから適当な事を言っとけよとは、智は声には出さない。
「そんなんじゃ、疑われない?」
「うん。疑われた」
瑠香の質問に、あっけらかんと即答した弘は、教室に帰ってきた時とは別人のように笑っている。
「でもさ、本当の事を話したら、俺はますます疑われるし、適当な嘘はすぐにばれる。だから、答えられませんって言った。これなら、何度聞かれても、嘘はつかなくていいもんね」
喫茶店の中には、彼ら三人以外に誰もいなかったが、弘は声をひそめて話した。
「昨日さ、俺、山田と電話で揉めたんだ。生徒会長選挙の推薦人からおりたいって言ったら、馬鹿だのなんだの言われてさ。そりゃもう電話で大喧嘩」
彼は紅茶を飲んだ。
智は、なぜ、彼がこんな話を自分達にするのかわからなかったが、とりあえず話を聞いてもらえれば安心するのかと思い、黙って聴き役に徹する事にした。
「それで、明日の朝、学校で早く会って話そうって事になって。ほら、もう開示ギリギリだっただろ? 放課後とかじゃ間に合わないから。で、約束通り、学校についたら」
弘はそこで目を伏せた。
「あいつが植え込みに……」
智は気のない返事をした。確かに、二名の推薦人がいないと候補者として認められない事となっていた。直樹の推薦人は弘と、もう一人は同じクラスの進藤ヒカリという女の子だ。
「三つだけ、教えてくれよ」
智は改まって弘を見つめた。弘は空になった紅茶のカップを受け皿に置いて、姿勢を正してうなずく。
「弘が直樹の推薦人になった理由と、おりたいと考えた理由。それと、どうして俺達にこんな事を話すのか知りたい」
弘は笑みを完全に消した表情で、脇のバッグを抱えた。
「あいつの推薦人を引き受けたのは、単にあいつがお願いをしてきたから。推薦人からおりたいと思ったのは、冷静に考えた時、智を嵌めるような奴が、生徒会長になっていいものかと思ったから。で、二人に話したのは」
弘がそこで立ちあがった。帰り支度を始める。
「誰かに話しておかないと、気持ちが悪いし、話したくなる。それに智に話しておけば、いつもの記憶力でおれの証言を覚えていてくれるだろ」
彼は言うなり、うずら屋から出て行った。
瑠香がぽかんと口を開け、智を見る。
「いつもの記憶力って?」
智は動揺を隠せなかった。
瑠香の執拗な質問責めに、とうとう自分の隠していた特技を、彼女に教える事となってしまった。
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