第2話 立候補者たち

 十月八日の放課後。

 選挙管理委員室の中には、二年生の各クラスから選ばれた委員が集まっている。全員で五人。

 一組の池田瑠香。選挙管理委員会の委員長を兼ねる。

 二組は智だ。

 三組の福間ふくま康太こうた。弘と仲が良いらしいが、どこからみても不良だ。なぜ、彼が選挙管理委員になったのか。それは、智と似ている。彼はどの部活動、委員会にも参加していない事から、自然とこの役を押し付けられたのだったが、それは智の知るところではない。重要なのは、同じ境遇で選ばれた、さらにいえば真面目な学生の対局に位置する康太のほうが、がぜんヤル気満々というところである。

 四組は石田いしだ由香里ゆかり。眼鏡の似合う知的な美人といった女の子だが、成績はよくない。アニメとか漫画に夢中で、勉強は得意ではないという事を、彼は自分の記憶庫から引っ張り出した。可愛い女の子で、好みのタイプは全て記憶済みだ。知られたら、きっと気持ち悪がられるだろう。

 五組は矢田やだ信也しんや。秀才だ。それしか智は知らない。見た目はどこか、人を寄せ付けないオーラを発しているから、頭の良さそうな顔が、冷たい印象を与えてくる。

 五人が集まったのは、候補者選考をする為だ。十一日の候補者開示が近づいている。

 時計は四時を少し過ぎていた。予定では一時間のはずだが、候補者を絞り込まないと帰れない。ほんとに学生のすることなのかと、智は溜め息しかでない。

「立候補したのは、十名です。これでは多すぎるので、五名以下まで絞ります」

 瑠香の声。あの時、あの男と話している声とはどこか違って聞こえるのは、智の気のせいだろうか。

 その時、教室のドアが開いて、白髪交じりの中年教諭が姿を現す。数学を教える小山こやま健一けんいちだった。彼は選挙管理委員会の学校側の委員なのである。

「悪い。悪い。電話に出てたら遅くなった」

 あいかわらずの腰の低さで、智達が集まっているところへ来て椅子に座る。

「これから候補者を絞り込みます」

 瑠香の言葉に小山教諭はうなずいて、手に持っていた紙を全員に配った。

「一応、俺が考える生徒会長候補に必要な条件だ」

 智は、ワードで書かれた文書を見た。

 一、二年生である事。

 二、推薦人が二名以上いる事。

 三、候補者自身が、立候補届を提出している事。

 四、立候補の目的が明確で、なおかつ妥当である事。

 五、所属している部で、主将を務めていない事。

 六、真面目に登校している事。

 と書かれてあった。

「小山先生、三番はどういう意味ですか?」

 由香里がアニメ声で質問する。

「勝手に候補者にされたら、かなわないだろ? 届を勝手に書かれて、担ぎあげられた事が過去にあったんだよ」

 なるほどといった口の動きで、由香里が小山から目を離した。

「真面目に登校してるってのは?」

 康太が紙を見つめたまま、質問した。

 小山は質問に答えない。

「質問する時は、相手の目を見て、言ってみたらどうだ?」

 軽い舌打ちをしたが、康太は素直に体ごと、小山に向いた。

「六番の判断基準は何ですか?」

「学校にちゃんと来ているかって事だ。出席日数がギリギリの生徒に、生徒会長は務まらないと俺が思って載せてある。今まで真面目でなかった者が、どうしていきなり真面目になるんだ?」

「それって俺の事かよ」

 苦笑いをした康太に、小山が笑みを向ける。

「おまえはこうやって、委員会に来てるじゃないか。しっかりと、責任を果たしていると思うぞ。とにかく、理由なき欠席が多い生徒は、同じクラスの君らなら分かるだろ」

 智はとても恥ずかしくなってきた。ずる休みをした過去を思い出したからだ。

 瑠香が十人の立候補届の中から、三人の届を取りあげて、離れた机に置いた。

「一人は推薦者が届を持ってきました。二人は目的欄が空白ですからはずします」

 なかなか容赦がない。

 確かに、立候補届の目的・動機という欄がある。

「この女生徒。制服をスカートではなく、ズボンにするという目的はどう思いますか?」

 信也が、眼鏡を指で押し上げながら皆を見る。

「冬は寒いもんね」

 由香里がうなずいた。

「違うよ。これが生徒会長になりたい目的とか、動機として妥当かって事だ」

「女はやっぱりスカートだろ」

 康太がニヤニヤしながら、隣の由香里をからかった。

 由香里が眉根を寄せる。

「他にも書いてあるじゃん。ほら、女子生徒にとって不利な校則を是正したいという例として、スカートの件が出てるだけだし、あと、髪の色とか長さとか」

 智の意見に、信也が鼻を鳴らした。

「おまえ、馬鹿? それらをひっくるめて、目的とか動機にふさわしいかどうか聞いてんだよ。これじゃ男のことは知りませんと言ってるようなもんじゃん」

 どうだと言わんばかりの表情の信也に、智はうんざりしながら、口を閉じた。反論するのも嫌になる。人を見下したように、話すやつは大嫌いなのだ。

 黙る智を見て、これ見よがしに眼鏡を指で押し直した信也に、ふつふつと怒りの感情が沸き起こる。しかし、もう自分は高校生だ。大人の一歩手前だ。我慢しろという心の声に、智はうなずき目を閉じた。

 気まずくなった空気の中、瑠香が、信也の顔を真っ直ぐに見た。

「矢田くん。そうやって意見を言った人を攻撃するなら、もう来てくれなくていいよ」

 驚いた信也の横顔を見て、智は留飲を下げて鼻を膨らませる。

 ざまあみろ。

「で、どうするの? 男の俺としては、この女の我儘にしか思えないけど、お前ら女側から見てどうよ」

 康太の発言に、瑠香と由香里は目を合わした。

「そうだね。改めて言われたら、なんでだろうと思うけど、誰も気にしてないし……小山先生はどうですか?」

 瑠香に話を振られた男性教諭は、困ったような顔をする。

「校則は校則だけど、時代に合わないなら変えたほうがいいかもな。今じゃ俺達も、髪のことでいちいち厳しく言ってないし。池田や石田が拘らないっていうなら、他の候補者の目的を見てから決めたらどうだ?」

 由香里はそうだねとつぶやき、机の上に届けを広げた。

 それにしても、よくもまあ、こんなに不平不満を持って学校に来ているもんだと、智は感心してしまう。その中でもこれはと思う目的があった。

『一部の運動部に優遇されている活動場所と部費を、公正な目で再検討したい。また、おざなりになりつつある学校行事の活性化の為に、力を尽くしたい。例えば、文化祭も他校と共同開催にするとか、地域の中学校、小学校と一緒にするなどして、集客を増やし、インパクトのあるものとしたい』

『しまなみ高等学校の名前を聞いた時、地域の人々が笑顔になるような活動に力を入れたい。ボランティアで、河川の清掃であるとか、捨て犬や猫の保護活動であるとか考えている。また、そういう活動を通して、自分達がこの町の人々に、支えられて学生生活を送っているという事に感謝し、恩返しをする事は、これからの自分達の人生に、きっと大きな良い影響を与えるはずだ。学校側へも、このような活動に参加した学生が、進学や就職時にそれが役立つよう、内申書に活動参加の功績を大きく載せてもらうことを交渉する』

『優秀な成績を治めるクラブへ予算を優先する。これらのお金は、自分達の両親が必死に稼いでくれたお金から出されているはずだ。だからこそ、無駄使いはしてはならないと思う。しかし、意義のある活動をしたいと考えている生徒の支援も、同時にしっかりと行いたい。また、学業好成績の生徒に、教室での席順の優先権を与えたい。後ろのほうが集中できるとか、前でしっかりとやりたいと思っても、席順は時の運でしかない。これを是正したい』

 智が感心したのは、この三枚の届を書いた生徒だった。

 一枚目は二年五組の如月きさらぎ一太いったという男子生徒。陸上部所属で百メートル走の全国大会にも出場しているうえに、アイドル風の顔立ちで女の子に人気がある。

 二枚目は二年三組、春日かすが遥果はるかという女子生徒だ。全く顔が思い浮かばない。

 三枚目の届は、山田やまだ直樹なおきだった。あいつ……と思うが、まあ、内容は良いので、分けて考える事にする。

「俺はこの三人がいいと思うんだけど」

 康太の意見に智も賛同した。彼の推した三人は、智が感心した三人の候補者達と一致していたからだ。二人の意見はおおむね同意を得たが、ここで信也が一人を追加したいと言い出した。

「男二人と女一人ではよくないんじゃないか?」

「なんで?」

 由香里のキョトンとした顔に、信也が嫌な顔をした。

「女生徒票が女の子一人に集中したらまずいだろ」

 智は声にださない笑いを顔いっぱいに広げていたが、瑠香に見咎められて、下を向く。

 女同士のほうがすごく難しいんだぞと、信也の得意げな顔を見ながら声には出さない。

「じゃあさ、さっきの女生徒に不利なものは廃止したいとか書いてた人を追加するか?」

 康太の声に、信也はかぶりを振った。

「いや、この人がいいと思う」

 彼の手元に、全員の視線が集中した。

 二年一組、西山にしやま理沙りさ

『この学校では、生徒の自主性を重んじるとして、生徒会に多大な権限を与えていますが、自分はこれに一石を投じたい。学生の本分は学業であって、そこに集中する事が大事なのではないでしょうか。生徒会執行部から、学校への大幅な権限の譲渡をしたいと考えております。クラブ活動費であるとか、大きなお金を、学生である身分で扱うべきではないと考えています』

「でも、これじゃあ、生徒会執行部の仕事を減らして、形だけの生徒会になってしまうじゃないのかな。他の学校と一緒じゃない」

 由香里のアニメ声は、意外と信也をひるませた。

 由香里は言葉を探すように、眼鏡の奥の瞳をキョロキョロと動かす。

「私はこの学校、好きだよ。それは他の学校とちがって、なんかこう、先生達とも一緒に学校生活をやってるって思えるから。この選挙管理委員会だって、本当は面倒だなぁと思ったけど、でも、こういう面倒な事も、一緒にやっていくというのには必要なんじゃないの? 生徒会の仕事を減らしたら、そこからなし崩し的に、この学校の雰囲気が崩れていきそうで嫌だ」

「まあ、待てって。それを判断するのは、俺達じゃなくて、この学校のやつら全員だろ? お前がそう思うなら、こいつには投票しないでいいって事じゃね?」

 康太は由香里の顔を見て一気に話し終わると、信也を真っ直ぐに見た。

「生徒会執行部に疑問を持ってる奴が、なんで立候補? とか思ってたけど、たしかにこれも立派な目的だと思う。俺は賛成」

 それにしても、と智は思う。髪を真っ赤に染めて、制服の規定にないストライプのシャツを着ているこの男が、どうしてこうもまともな事を言うのだろう。

 時計の針が、六時を少し回った時、立候補者が決まった。

 二年一組、西山理沙。

 同二組、山田直樹。

 同三組、春日遥果。

 同五組、如月一太。

「四組から出てないけど、いいのかな・・・・」

 瑠香が由香里を見る。由香里は首を傾げて言う。

「だって、大した目的の人、いないよ」

 教室に笑い声が響いた。

「そうだ。これはお願いなんだが」

 小山教諭が五人に改まる。

「選挙が終わって、生徒会長が決まったら文化祭。その後すぐに、うちの一次推薦入試が始まる。この委員会からも試験問題を運んだりとか、集めたりとか……手伝いで来て欲しいんだ。一人でもいい。できたら二人」

「いいですよ。私が行きます。あとは誰?」

 瑠香がメンバーを見渡す。智が思い切って手をあげた。

「決まりました」

 瑠香の声に、小山教諭が頭を下げた。

「助かるよ。また詳しい内容は連絡すから」

 小山教諭が席を立つと同時に、委員会もお開きとなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る