嘘をつく理由

ビーグル犬のポン太

第1話 選挙管理委員会

 さとしは見惚れた。

 スカートからのぞくスラッとした脚。手をあてがった腰は、綺麗にくびれている。ほっそりとした顎、ぷっくりとした血色の良い唇。唇の右端にあるほくろ。形の良い鼻と、二重でぱっちりとした目。瞳は少し茶色が強い。綺麗な黒髪は肩のあたりまで達していて、いつも手入れを欠かさずしているに違いない艶。シャンプーをして間もないような、とても良い匂い。

 選挙管理委員長の池田いけだ瑠香るかが、智の正面に立つと、彼は彼女を観察していた視線を逸らした。机には、これからの選挙管理委員会の活動予定表が置いてあるが、半ば無理やり、クラスメイトからこの役を押しつけられた彼としては、真面目に取り組む気はさらさらないうえに、「例年通りだろ?」とどこかで思っている自分がいて、ろくに見ていない。ただ、彼女と会える理由ができたことだけが、この委員会に入った収穫だと思っていた。

 片思いの女の子との、ただ一つの接点。

「後藤くん。ちゃんと聞いてる?」

 瑠香が彼の正面で腕を組んだ。やる気がないとばれているようだ。

 彼は誤魔化す為に姿勢を正し、瑠香の顔を真っ直ぐに見た。とても可愛い顔立ちをしているが、成績が良すぎて、男が近寄らないという不思議な存在。いや、近付いても、悉くシャットアウトされていた。

 とても同級生とは思えない知的な印象と、女の子らしい柔和さを見る人に与える彼女は、たしかに智からしても観察の対象にはなるが、付き合いたいという対象からは、不釣り合いすぎて恐れ多い。

「ちゃんと聞いてた?」

 瑠香の問いに、智は頷いて答える。

「まあ……うん」

「じゃあ、生徒会長の立候補届け出の、締め切りは何日まで?」

 智が、手元の予定表を見ようとすると、それに気づいた瑠香が、机の上から予定表をさっと奪い取る。

「聞いてたら、これはいらないもんね」

 顔は可愛いのに性格はきつそうだと、智は彼女に関して記憶してあるページに追記する。

「ええと、九月末」

 意外そうに瑠香が瞬きをした。

「なんだ。聞いてたの? ごめんね」

 そう言って、彼女は教室正面の壇上に戻っていく。二人のやり取りを見ていた、他の選挙管理委員達から小さな笑い声があがった。

「ですから、候補者の方々から立候補を受けた後、それを当選挙管理委員会で検討し、正式に候補者として受理します。候補者の開示は一〇月……」

 彼女の説明は続く。

 智は思う。

 なんでうちの学校は、こんな面倒な事をやっているのか。だいたい、生徒会執行部の権限が強すぎるのも、彼には疑問であった。生徒の自律を第一とする、私立しまなみ高等学校では、年中行事の企画から実行、部活動の活動場所や予算配分、さらには校則の追加や削除に修正まで生徒会執行部が行う。となると、野球部は対外成績が悪いから、頑張っている陸上部の為に、校舎から離れていて使い勝手が悪い第二グラウンドで活動しなさいなどという横暴も可能となるわけだ。現に、今の生徒会長により、男子バレー部は廃部とされた。彼曰く

「勝てないんだから。背が高い生徒をバレー部とバスケ部で取り合っているけど、バスケ部は強いから、そっちに集中させたほうがいいんじゃない?」

 一応、理屈は分かるが、バレーをしたい奴はどうするんだという疑問が残る。

「同好会から作り直しなさい」

 との回答であったのは、智の知るところではない。

「後藤くん。生徒会長選挙活動期間は、何月何日から何日まで?」

 智は溜め息をついた。

 すっかり目をつけられているじゃないか。

 瑠香が壇上からこちらを睨んでいる。

「十一月一日から十五日まで」

 教室内にいた智と瑠香以外の四人がざわめいた。智は、驚く瑠香の顔をじっと見つめた。やっぱり可愛い。彼女は視線を逸らして説明を再開した。

 考えれば分かることだ。二学期の前期試験が十月終旬にあるのだから、それが終わって、文化祭のある十一月末までと決まっているだろう。日にちは部屋の壁にかかっているカレンダーを見て決めた。八割くらいの自信であったが、こうまで連続して正解すると、もしかしたら俺は天才かもしれないと思い始めて、ニヤニヤしながら、窓から外を見る。

 正門から登下校する生徒、正門と道路を挟んだ場所にある池で、釣りをする近所の老人が見える。

「後藤くん! 投票日は?」

 瑠香の声。すっかりと目をつけられている様だ。

 投票日は、選挙活動が終わり、文化祭で新生徒会長が発表されるから、開票の日数を考えると……

「十一月二〇日」

 十一月十八日から始まる週であることは間違いなかったが、真ん中の水曜日、二〇日を選んだのは賭けだった。二割の確率。

 瑠香が、勝ち誇った顔で智を見る。

「残念。十九日です!」

 教室に爆笑が起こった。彼は部屋に残るように瑠香から言い渡される。

 こってりと絞られるのだろうと予想し、選挙管理委員の面々が、ぞろぞろと教室から出て行く背中を眺めていた。この部屋はもともと空き部屋であったのだが、今は選挙管理委員室として使われている。

 智は、近付いてくる瑠香にペコリと頭を下げた。

「ごめん。帰ってゲームやりたくて・・・・」

 こういう、言わなくても良い言い訳をするところが、彼の悪い癖かもしれない。

「もういいよ。あの後は真面目に聞いてくれていたみたいだし。それより」

 予想外の展開に、智はかえって身構える。

「なんで他の質問は分かったの?」

 ああ、そんなことか。

 智は申し訳なさそうな顔を作って、壁にかかっているカレンダーを指差した。

「だいたい例年通りなら、二学期の前期試験までに開示をするよね。その期間とかを逆算したら、九月二十四日から月末までが、立候補受け付けと締め切りでキリがいい。十月一日は土曜日でしょ? それから、毎年だいたい十日後に開示をして、それから前期試験準備期間と試験がある。それが終わって選挙活動がだいたい十五日間ということは、十一月の一日から十五日までしかない。二十三日から土日で文化祭だからね。それまでに投票と開票をしなくちゃいけない」

 真剣な顔で聞き入る彼女は綺麗だった。

 話を終えた智を、彼女はしばらくまじまじと眺めていた。彼は、瑠香と二人で話をすることなんて、卒業するまでも、それからもないと思っていた。それが、無理やり押しつけられた選挙管理委員会に出て、そこに彼女の姿を見つけた時は、これはと思ったりもした。しかし、これほど早くその機会が訪れようとは。もう少し、真面目な態度で聞いておけば良かったと、後悔すらしていた。

 その智をじっと見つめていた瑠香が、綺麗な色艶の唇を動かす。

「後藤くんて、勉強はいまいちそうだけど、意外に頭はいいんだね……」

 彼女の感想に、智は情けない表情でうなずかざるを得なかった。

 記憶庫の瑠香のページに追記する。「きついことを言う」と。

 智は人に隠している特技がある。

 それは、とても記憶力が良いことだった。この特技に気づいた中学一年の時。彼の頭の中には、たくさんの事が記憶されていた。

 智はこれを『記憶庫』と名付けている。

 記憶庫には、個人名、団体名別に、それらに関する事が記憶されていて、少し考えれば、いつでもその記憶から情報を引っ張りだせるのだ。ただ、記憶庫に記憶するには、集中しなければならないし、それを消す時も集中が求められる。たまに集中しすぎて、ぶつぶつと記憶したい事、消したい事をつぶやいていることがあり、気味悪がられる。

 どうして『消す』必要があるのかというと、通常の『記憶』とは違う脳の場所を使っているらしく、最大記憶量が決まっているので、新しい何かを記憶しようと思えば、何かを捨てなければならない。

 今、智の記憶庫はゲームの攻略法であるとか、裏技的なものが二割。

 友達に関することが二割。

 好きな本の内容が一割。

 アルバイトで必要なことが一割。

 それら以外が一割。

 最後に、特別なものが一割。

 余剰分が二割。

 と、こういう割合になっている。ちなみに池田瑠香は、特別なものに含まれていた。

 この特技を彼は勉強に使いたくないと考えていた。それはなぜかというと、高校受験でこれを使い、まるでカンニングをしたかのような、後味の悪さに半年間ほど悩んだからだ。

 この特技を知っているのは、智の他には一人だけである。

 それは智がゲームを、メモも攻略本も見ることなく、べらべらと話すのでばれたのだった。智の特技を知っているただ一人の存在、それは彼の親友、野島のじまひろしというクラスメイトだ。




「おかえり、どうだった?」

 夕陽の射し込む教室の窓際で、智の帰りを待っていたのは野島弘だった。智から見て、その気になれば女の子にもてるであろうに、一向にその気にならず、彼女はいないようだ。彼女いない歴と年齢が同じという、智と同じ不名誉記録を更新中であろうはずの彼は、机に座ってゲーム関連の雑誌を読んでいた。

「池田瑠香がいたぞ」

 智の嬉しそうな声に、弘は興味ないという顔を一瞬で消して、戸惑ったような表情を作った。そして、わざとらしいとすら思える態度で尋ねる。

「……本当に?」

 親友の態度に不審を覚えつつも、智は意に介さず答えた。

「ああ、とりあえず、満場一致で委員長になったよ」

「今まで、どの部活や委員会にも参加してなかったのに、なんでだろう?」

「俺が知るわけないだろ」

 智は弘を誘い、帰り仕度を始める。二人とも帰宅部であるため、あとは帰るだけであるが、いつものように連れだって向かう先があった。

 自転車を並べて、しょうもない会話をしながら向かった先は、しまなみ学校から、街へと続く坂道の途中にある、喫茶店『うずら屋』だった。

 二人は席に着き、ゲームステーションポータブル、通称GSPを取り出し電源を入れる。ゲーム機能だけでなく、インターネット接続や外部メモリ対応などの各種機能がついたハードである。携帯ゲームもするが、二人でいる時はGSPだった。

 弘がカウンターに向かって注文をする。

「コーヒーと紅茶」

 カウンターには、怖そうな顔をした中年の男性が一人立っていて、二人の声に動作で応える。

 しばらく後に運ばれて来た飲み物を受け取りながら、弘が頭を下げた。

「今日は遅かったな」

 うずら屋のマスター、二人がマスターと呼んでいる黒田ハジメが野太い声を出す。

「こいつが、選挙管理委員なんてものになっちゃったんですよ」

 弘が顎をしゃくって智を示す。言われたほうは抗議の声をあげた。

「おまえらに嵌められたからだろ」

 そうなのだ。二年二組からも選挙管理委員を一人出さなければならず、担任の山下千秋が、自主的になりたい人はいないかと教室を見渡した時、山田やまだ直樹なおきという生徒が手をあげて、智を推薦したのだった。

 智と、隣の席に座る樫本かしもと真由まゆ、そして弘以外のクラスメイトが一斉に賛同の挙手をして、二組からは智が選挙管理委員に選ばれたのだった。

「あれは陰湿なイジメみたいなもんだ」

 直樹から、事が終わって放心状態の智に種明かしが行われた。このクラスから一人の委員を出さないといけない事は、毎年の事でもあるから分かりきっていた。生徒会長は二年生に立候補資格がある。それを監視する選挙管理委員も、二年生だけで構成され、各クラスから一名ずつ選出する決まりになっていた。

 選挙管理委員という短期間ながらとても大変な役目を、教師から言われる前に決めておかないかと、九月の初めに直樹がクラスに提案し、クラス全員で厄介事は早く解決しようといと決まり、彼の提案は受け入れられた。そうして、その日、部活もせず、各種委員会にも無参加であった数名の中から、たまたま風邪で欠席していた智を嵌めようという事になった。

 その話を聞かされた智は思いだした。オンラインゲームをやり過ぎて、学校をさぼった九月六日の金曜日だ。あの時、彼がこうなる事は決められていたのだ。

 しかし、同じ日に弘も休んだはずだ。ただ、彼の場合は、プール管理委員を夏の間やり遂げたという事で除外されていたらしい。

 落ち込み、腹を立たせ、拗ねた智を、隣の席の樫本真由が、必死に宥めてくれたのが、せめてもの救いというやつだった。そういえば、彼女は賛同の挙手をしていなかった。全員に騙されたより、幾分か気持ちも楽だと彼は思っていた。

 智が、直樹の汚いやり口を思い出しながら腹を立てつつ話し終えた時、黒田が豪快に笑った。

「学校をさぼった罰だな」

 そうだそうだと、うずら屋のマスターに同調する親友に智は舌打ちをして、画面に視線をもどした。二人がやっているのは、狩人となり、仲間と協力して獲物を狩るというゲームなのだが、これが非常に面白い。一人でやるのもいいが、こういうものは誰かと一緒にするものだと二人とも思っていて、学校の帰り道、この喫茶店で必ず、ゲームに興じていたのである。

 普通、長居をする客は嫌がられるものだが、そのあたりは二人とも分かっている。いつも長居をさせてもらっているお礼にと、何かある度にこの喫茶店を頻繁に利用するようにしていたし、周囲に薦めていた。

「なんか食べるかい?」

 黒田の声に弘が「クラブサンド」と答えた。

 注文を受けてカウンター奥に戻る黒田の背を一瞥した智が、「トマト抜きでお願いします」と追加し、マスターは右手をあげて応える。

「トマト、食べろよ」

 弘の注意に、智は顔を顰めて拒否を表し、「そういえば」と話題を変えた。

「なあ、昨日ネットで見つけたんだけど……」

 智が、昨夜の収穫を弘に話す。

「ゲームのレアアイテム、ネットで売ってる奴らがいるんだ。値段も良心的なんだけど、試してみねぇ? いろいろあるんだ。携帯ゲームのアイテムもあった」

 智の誘いに、弘は困惑したが首を左右に振った。

「遠慮しとく。お前もすんなよ」

「ヤバいの?」

「どうだろ? でも、なんか嫌だ」

「ふぅん……じゃ、やめとこう」

 二人がしばらくゲームを楽しんでいると、店の出入り口のドアが、鐘の音を鳴らして開いた。

「あ……」

 弘が店の出入り口を一瞬見て、すぐに視線を逸らした。智は振り返るようにして、友人の見ていた方向へ顔を向けた。

「池田瑠香……」

 間違いない。しかも彼女の隣には、おしゃれな学生風の男が立っていた。しかも美形だ。少し茶色く染めた髪が、よく似合っている。

 二人は、智達とは反対の、入口からみて右奥のボックス席に座り、楽しげに笑い声をあげていた。

「出ようぜ」

 智は興醒めしていた。何かとても見たくないものを見せられたような、そんな思いもあって、ゲームを楽しむ気持ちは急激に冷めてしまったのだった。よりによって、選挙管理委員会に池田瑠香がいた事を喜んだその日に、このような光景を見せつけられては、ショックも大きいというものだった。二人は運ばれてきたクラブサンドを、急ぐように口に詰め込んだ。

「どうする? 海岸でもいくか?」

 弘がGSPをバッグに片付けながら、智を見る。

「いや、男二人でいってもなぁ。それにあそこは最近、やばい奴らがうろついているからな。からまれたくないしな」

 結局、二人は帰る事にした。


 しまなみ市は人口十五万人ほどが住む都市で、古くから港町として栄えてきた。海に浮かぶ島々を一望できる景観が有名で、映画やドラマのロケ地にもなっている。中でも、海に近い旧市街は古い街並みが色濃く残る場所で、街並みを壊さないようにしながら、再開発が進み、若者から老人まで、幅広い年代の人達が楽しめるエリアとして再発展していた。

 しかし、旧市街に住んでいる人間は大変だ。道路は狭い。坂道が多い。

 しまなみ市というのは、海と山が非常に近い。その合間に街並みがある。二人が通うしまなみ高等学校も、山の上にあるものだから、登校時は延々と続く坂道を、自転車を押して進まなければならない。

 旧市街の中を、自転車を並べて通り過ぎ、弘の家の前に来る。辺りはすっかり暗くなりはじめていた。

「じゃあな」

 野島家は、風格のある木造建築の一戸建てで、彼の父はしまなみ大学の事務長をしていた。そんな仕事をしているというのに、彼の父は気難しくなく、悪友である智をいつも歓迎してくれる。

 智は一人、自転車に乗ること五分。自宅前に到着した。庭の柵を開けて、自転車を止める。そこへ跳ねるように、茶色と黒の毛並みの愛犬が走ってきた。

「ビータン、ただいま」

 智の声に、元気いっぱいにはしゃぐビータン。犬種がビーグル犬である事から、彼がこう名付けた。智の帰宅と同時に、家にあげてもらえる事を知っているビータンは、尻尾を振りまわし彼の後ろをついて歩く。時計を見ると六時半過ぎ。ゲームをしていないのに、いつもとそんなに変わらない時間。

 選挙管理委員会と、あのせいだと智はまた嫌な気分を思い出して、玄関のドアを乱暴に開いた。

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