第12話 デパーチャー
「ああ、
千穂が目を覚ましたのは、あれから数時間が経ってのことだった。ソファーの上で体を起こした千穂は、辺りを見渡している。
「よかった。ほんとによかった」
「そんな簡単にくたばらないよ」
まだ力の籠らない顔で、千穂はニッと笑った。
「というか茜、大丈夫だったの?」
「んん、どうして?」
「だってこれ、茜でしょ」
そういって千穂はポケットを探った。
「あれ、うちのスマホは?」
「あ、たぶん着てきた服にそのまま入ってるんじゃないかな」
「ええ、いつの間に着替えたの、うち。これ、誰の服?」
千穂は着ていたトレーナーを引っ張ると、茜に顔を向けた。
「少なくとも茜のではないか……」
「それは、
「
「僕ので悪かったな」
千穂は差し出されたマグカップを受け取ると、ホットココアを一気に飲み干した。
「ありがとうございます」
「良いってことよ。それにしても千穂りん、お疲れさま」
そう言って保乃果は千穂の頭に手を置いた。されるがままに撫でられる千穂の表情は穏やかだった。
「ここはどこなんです、保乃果さん」
「ここはね、ペチカピュアっていって、お願い事をするためにしばらく留まってもらう場所なんだあ。明日の十時には帰りの列車が来るから、それまではチャージ期間」
「で、その間に依頼内容を聞いて対策を考えるって算段だ」
「ちょっと、あたしのセリフ奪わないでよ」
「へーんだ」
向かい合って火花を散らす二人に、茜と千穂は顔を見合わせた。
「あ、あの、十時には電車が来るってことは、もう半日ないじゃないですか」
「そうだぞ。ちなみに、そこに走ってるのは電車じゃなくてディ――」
「今はそう言うのいいから」
保乃果が和彦の言葉を遮って、こちらに向き直った。
「千穂りん、もう大丈夫そう?」
「はい。寝たら戻りました」
拳を振り上げるその顔は、いつもようにはつらつとしている。
「温泉効果、いらなかったな」
「えっ、温泉あるんですか、ここ」
「あるよー。でも、千穂りんのお願いを先に聞かせてほしいなあ。……いい?」
「もちろんですよ」
「決まり! じゃあ、場所を変えよっか」
その声で四人は立ち上がり、保乃果に連れられて階段へ向かった。
二階へ上がると、ソファーのある一角を目指す。慣れた手つきで和彦は暖炉に薪をくべ、火をつけた。燃え上がる炎は、周囲を暖かく照らし出す。
「さあさあ、座って」
向かい合うソファーに茜と千穂、保乃果と和彦が並んで座る。四人に挟まれた木製のテーブルの上には、ノートとペン、カレンダーと時計が置いてあった。
「会議を始めましょうか」
そう保乃果が言うと、和彦はオーと後に続けた。
「早速ですが、千穂りんにいろいろ聞いていきましょうかね」
保乃果はポケットから平たいものを取り出すと、テーブルの上にそっと置いた。差し出されたのは、千穂のスマホだった。
「あ、うちのスマホ!」
千穂は手を伸ばしてスマホを取ると、何やら操作を始める。ブラウザを開き、ブックマークから目的のものを探す。
「さっき言ってたやつを見せたかったんだけど……ここも圏外かあ」
茜が横から覗き込むと、画面には「インターネット接続がありません。現在、端末はオフラインです」と表示されていた。
千穂はスマホをポケットにしまうと、茜に事情を話し出す。
「あのね、ネットの掲示板で話題になってたんだけど、エキスポートシティーでちょっとした事件があったみたい――」
「待って」
「ちょいとお待ちよ」
茜と和彦の声が重なった。
千穂は言葉を噤み、場に沈黙が流れる。
「常陸さん、お先にどうぞ」
「じゃあ遠慮なく。千穂りんさん、ここにルーターあるんで」
和彦はポケットから黒い小さなものを取り出し、ボタン押した。すると、左上のアルファベットが白く光り、その横の小さなランプが青く点滅を始めた。
「何で千穂のことは変な呼び方しないんですか」
「うわあ、ありがとうございます。これでネットに繋げる」
「……待って」
「ん?」
「ダメ。絶対にダメ。見ないで。言おうとしてることはわかったから、見ないで」
千穂のお腹に縋りつき、必死に抵抗をする。
「まあ、茜がそう言うんなら見ないけど、本気で心配したんだからね」
茜を見下ろす千穂の目が大きく開いていく。
「ネットで祭りで、まとめサイトにも載るし、メールも返信ないし電話も出ないし!」
そう話す千穂の声に、徐々に力が篭っていく。
「茜のお母さんに連絡しても昨日から帰ってないっていうし、柚葉は桃夏ちゃんから変な画像が送られてくるって相談されて困ってるし。それにっ」
口を開いた千穂は止まらなかった。目に涙を浮かべながら、ただひたすらに言葉を吐き出していく。
「茜が最悪なことで有名人になって行方不明になるって、そんな現実を変えたくてここに来たら、何かいるし!」
「千穂……ごめん」
「謝らないでよ。別に悪いことしてないんだから」
「ごめん」
肩で息をする千穂は、しがみついたままの小さな背中に手を振り下ろし続けていた。強すぎず優しすぎず、何度も、何度も。
次第に振り下ろすスピードが緩まり、千穂は腕を上げたまま泣き出してしまった。
「はいはいはーい。千穂りん、ありがとう」
それまでじっと話を聞いていた保乃果は、ゆっくりとソファーから立ち上がって、千穂の頭に手をのせる。
「おかげであたしらのすることがわかったよ」
「……さすがだなあ」
「何か言った?」
振り向いた保乃果に
「千穂りんは、あーちゃんに起きたことを創り変えたいんだね」
泣き止まない千穂は、首を何度も縦に振った。
保乃果は伸ばしていた手を下げ、元々座っていた場所に戻っていく。
「じゃあ、あたしたちに直接何かできることはないなあ」
「ふぇ?」
千穂は涙を拭いながら、何度も瞬きを繰り返してじっと保乃果の顔を見つめている。
「どうして、なんですか。うちの理想の三日間にしてくださいよ」
「まあまあ。叶えないとは言ってないでしょー?」
保乃果が悪戯な笑みを浮かべると、千穂に向けていた視線は茜に移された。
「いつまで千穂りんにくっついてるのー。もしかして本当にそっちの――」
「趣味はないですよ」
赤くなった目を俯き気味で隠し、茜は千穂に回していた手をほどく。
「私が言うのもなんですが、どうして千穂の願いはダメなんですか」
「チビ助、お前の出番だからだ」
「あ、またあたしのセリフを奪う」
「私の出番って、どういうことですか」
「そのまんまの意味だよ? あーちゃんの初任務は、千穂りんのお願いを叶えること。いいね?」
そう言って片目を瞑る保乃果。茜の心の中で、様々な感情が渦巻いていく。
「ドジでアホで抜けてても、千穂の願いを叶えることはできるんですか」
「もちろん。自分で自分の行いを修正すればいいだけなんだから」
もう遅くなってきたし、と付け加え、保乃果は概要を話し出す。
「リベイクにおいて忘れてはならないのは、請負人以外の記憶がクレープを食べた日まで巻き戻るってこと。だから、当然依頼人の記憶も失われる。……失われるっていうか、三日間がリセットされるんだから、そもそも記憶自体が存在してないんだよね」
「で、この場で話してもらえる情報が大切になるってことさ。僕たちは依頼人が話してくれたこと以上はわからないからね。でも、今回はチビす……茜さんがいるからね」
「千穂りんの願いがあーちゃんに関することなのなら、リセットされる前の記憶を持ったあーちゃんがいれば無敵ってこと」
「何かややこしいですね」
「まあ、三日間に起きた面倒事にまた巻き込まれないようにすればいいってことよ。基本的にあたしら以外の人は、まったく同じ動きをするはずだからね」
「っても、取る行動によっちゃ後の日数にズレが生じてくるはずだから、その辺は臨機応変に頼むぞ」
顔を見合わせる茜と千穂に、二人は笑い出す。
「あたしらも最初はそうだった。でも、回数をこなすうちに慣れてきたよ」
「まあ、要するに慣れってことだ。頑張れ。僕たちもどっちかが必ず近くにいるようにするから、困ったときは頼ってくれ」
一応先輩だし、と付け加える和彦。
「何でそうなったのかは知らないけど、三日目にそのエキスポートシティーってのに行かなけりゃクリアできるだろ」
「正直すっごく不安です」
「何事もなるようになるっていうし、大丈夫。初仕事は誰だって失敗するもの」
畳みかける展開に、茜はパンク寸前になる。しかし、不意に握られた手に、すっと気持ちが穏やかになっていく。
「茜、失敗しないでよ? うちは結局何にもできないみたいだから、その……ファイト」
翌朝、ご飯を終えた四人はもう一度二階のロビーに集まっていた。
リベイクの最終確認を終え、茜の表情も引き締まる。
テーブルの上には四つのティーカップが置いてあり、注がれた紅茶が上品な香りを放っている。
「じゃあ出発前恒例の儀式、いっときましょうか」
何事かと戸惑う二人に、和彦が声を高らかにする。
「皆の者、カップを持ってテーブルを囲めっ」
「了解!」
四人は湯気を立ち昇らせるカップを手に、ソファーから立ち上がる。
テーブルの四辺にそれぞれが立ち、内を向いて囲む。
じゃあいくよ? と保乃果が目配せをする。
「これより依頼人、笹貫千穂のリベイクを始めます!」
四人全員がカップを持った手を高く上げ、オー、と声を揃えた。
うっすらと雲のかかった青空の下、身支度を済ませた茜と千穂はホームで列車を待っていた。
「意外とすぐ近くだったね、ペチカピュアから駅まで」
線路脇の階段を数段上れば門がある。視界が良ければすぐに見つけられる場所にそれは合った。
茜は初めて来たときのことを思い出し、苦笑いを浮かべた。
「どうしたの?」
「ううん。何でもないよ。ちょっと、いろいろあってね」
「ふーん」
風が吹き抜け、足下を枯れ葉が転がっていく。
「さっぱり、この格好だと寒いね」
「毛布持ってくればよかった」
着てきた夏服に身を包み、手足を摩る二人。
「そう言えば、茜ってスカートの下なんかはいてる?」
「きゅ、急にどうしたの、そんなこと聞いてなんか良いことあるの?」
「いやふと思い出したんだけど、あの日オクに――」
「おーい」
声のする方を見上げると、保乃果と和彦が見送りに出てきていた。二人はまた何か言い合いながらこちらへ歩いてくる。
「パパ、パン……」
「ん?」
「何でもない!」
「いやあ、間に合ってよかった。さすがにこっちのは時刻表通りとはいかないね」
気が付けば、二人が線路を跨いでホームに上がってきた。その手には桃色の毛布が握られている。
「来るときに乗ってた電車に乗り替えれば、向こうに着いたときには勝手に時間が戻ってるから。特に何にも準備はいらないよ」
和彦は目を瞑ってゆっくりと頷いた。
茜が不安そうな顔をしていると、保乃果が持っていた毛布を投げつけてきた。
「これがないと眠れないって?」
「ち、違いますよ」
「大丈夫だって。あーちゃんがそんな顔してると、千穂りんも安心できないよ?」
千穂に目を向けると、和彦と何やら楽し気に言葉を交わしている。
そんな二人を茜が見つめていると、保乃果は足を折って耳元で囁いた。
「信頼を寄せられすぎてるってのも、ちょっと大変だな」
ま、頑張れよ、と背中を思い切り叩く。
「いったぁ……いですよ」
風に乗って警笛の音が運ばれてくる。
「いよいよだな」
「千穂りんは、戻ったら普通に過ごすだけでいいんだよ。何かしようとか、まあ、思わないんだけど、思わなくてもいいからね」
「はいっ」
「あーちゃんは……頼んだよ」
「わかりました」
差し出された手を握り返し、茜は微笑み返す。
時を同じくして、列車が切り裂くようなブレーキの音を立て、ホームに滑り込んできた。
茜は保乃果から手をほどくと、毛布を持ち替えて歩き出す。目の前で停車した客車の梯子に手を掛け、一段ずつ確実に上っていく。
「ラズヴェールゼ、ベルセント・ボイヴィッシュ行き、発車します」
乗務員の掛け声でドアが閉まり、車輪が空転する。線路を掴んだ列車は、茜と千穂を乗せて動き出した。
「良い旅をー」
窓から顔を出した二人に、ホーム上の二人も手を振り返した。
「あんな説明で大丈夫なのか」
次第に見えなくなっていく列車を視界の隅に、和彦が問いかけてくる。
「あーちゃんならきっとうまいことやってくれるでしょ」
「相変わらず、お前は適当だなあ」
「あ、またお前って呼んだ」
「へいへい、嵯峨さんは相変わらず適当ですねえ」
「ふん、和彦君とかもう知らないもん」
「うっせえ」
列車は走り去り、辺りは静けさに包まれる。
踏み固められたホーム上の雪には、五種類の足跡。二つの足跡がその場で消え、二つの足跡が階段に向かってさらに伸びていく。
「ちょっと、保乃果に和彦」
呼び止められた二人は、待合小屋に目を向ける。
「どうして一番大切なことをあの娘たちに言わなかったの?」
「いやあ、嵯峨さんが言ってたように、茜なら大丈夫だと思ってね」
そう言って保乃果を見下ろした和彦の顔は、にやりと歪んでいた。
「和彦君、どうしたの」
「どうもしてないよ。僕はただ、茜には頑張ってほしいと、そう切に願っているだけさ」
再び保乃果が小屋に目を戻すと、桃紅色の髪を風に揺らす小さな少女が、和彦を鋭い目つきで睨みつけていた。
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