22 素敵な答え
桜はなんとも言えない気持ちで雛とナナナのやり取りを見ていた。
敬語を使わない居丈高な雛。
それは桜にとって初めて目にする雛の姿だった。
桜のむすっとしたその視線にようやく雛が気付き、ナナナの頬から手を離す。
「会いたかったです、桜!」
雛は勢いよくぎゅっと桜を抱きしめた。
ふわっと甘い花の匂いが香る。
「雛、やめて」
「嫌です。お姉ちゃん、桜に会えなくてとっても寂しかったんですよ」
そう言ってじゃれつく雛だが、離れていた時間はたかだか七時間ほどだ。
「寂しいんならこんなところに預けないでよ」
「会えない時間が二人の愛を育てるのです」
「意味分かんない。というか、芳野が見てるからほんとやめて」
「見せつけちゃいます」
たっぷり堪能モードに入ろうとした雛を桜は力を入れて押しのけた。
雛が顔につける紅桜の仮面を睨めつける。
「あはは……。やっぱり、ナナナのことで怒ってます?」
「…………」
ほんと、こういうところだけ察しが悪い。
「桜のこと、信頼していなかったわけじゃないんです。桜ならちゃんと私との約束を守ってくれると信じてました。ただ、桜が保育園でどのように過ごすのかが知りたかっただけで、決してナナナに桜を見張らせていたというわけではありません」
「分かってる。私の保育園での様子を知りたかった。それも理由ではあるんでしょうけど、でも一番は〝絢咲〟である私を預かる、保育園側への配慮、でしょ」
雛はくるりと後ろを向いた。
座り込んで頬を擦っていたナナナがびくりと反応する。
「どこまで話したの」
「は、話してないな! 他の先生の反応見て桜ちゃん推理したな。だからそこはナナナ悪くないな。桜ちゃんがかしこいだけな」
たしかに話してはいないが、ナナナはあまりにもあっさりとそれが事実だと認めた。
全く非がないとは思えないが。
「絢咲って名前がかなり厄介な名前だってことは、ここに来て充分理解したわ」
絢咲は礼家という最高位の霊術師だけが名乗れる特別な名前の中の一つであるらしい。
その絢咲の名前を四歳の子供が名乗っているということ。
それこそが最も特異なことであるようなのだが。
「さすがです、桜。ですが……物わかりがよすぎるというのも困りものですね。もう少し怒ってくれてもよかったのですが」
「何でよ。怒らないほうがいいでしょ」
「いえ、桜とはまだケンカらしいケンカをしたことがないので、良い機会かなと思ったのですが」
「……雛は私とケンカしたいの?」
「ケンカして仲直りすれば今よりもっとラブラブになれます」
「バカじゃないの」
「はい。もう桜がかわいすぎて思考回路がショート寸前です」
雛はまた桜を抱きしめた。そして甘えるように桜の胸にすりすりと頭を擦り寄せる。
その後ろではナナナがうんうんと何やら満足げに頷いている。
こいつはいったいどういう立ち位置にいるのだろう。
ともかく、これ以上姉の醜態を晒すわけにはいかない。
「雛、帰るわよ」
「はい。でもその前に挨拶、しておきましょうか」
雛が右手を振るう。すると室内にびゅんと直線的な風が走った。
風の向かった先、多目的ホールの扉がひとりでに動きだす。
扉の向こうに居たのは、目を赤く泣きはらした紫髪の幼女。
「な。伊佐奈ちゃん戻って来たな」
「あいつ……!」
窓から投げ飛ばしてまだ十分も経っていない。
空を飛べない人間、かつ子供にとってアレはとてつもない恐怖体験だったはず。
それなのに、あいつは臆することなくまたここにやって来た。
(ほんと、しつこい奴)
またとことこと駆けよって来る伊佐奈。
さっさとここから立ち去ろうと桜は鞄を取りに向かう。
「あの子ね。毎回桜にアタックしては泣かされてる子っていうのは」
「な。諫早伊佐奈ちゃんな」
「諫早、伊佐奈……。それってこの間の」
「そうな、あの時の子な。でも桜ちゃんは覚えてないみたいなー」
「でしょうね」
「私が何?」
あいつのことで何か話していたようだが、全く耳に入っていなかった。
「ふふ。桜がかわいくてかっこいいって話ですよ」
駆けよって来た伊佐奈はナナナの足にしがみつき、こっそりとした様子で桜と雛を覗き見ている。
雛はそんな伊佐奈に近づいて、顔を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「……こんにちは。桜ちゃんの、おかあさん?」
「はい、こんにちは。桜の義姉の絢咲雛です。いつも桜が意地悪しちゃってるみたいで、ごめんなさいね」
「おねえ、ちゃん……?」
「な? いいな?」
部下であるナナナはともかく、普段の雛なら外では徹底して黛雛として振る舞うはずだ。
それを今、子供相手とはいえ偽名を使わず、かつ桜との本当の関係性をも明かした。
どういうつもりなのだろう。
「期待してるわね、諫早伊佐奈ちゃん」
雛が立ち上がり、しゅんっと鋭い風が桜に向かって吹き抜ける。
気付くと桜は雛に抱きかかえられていた。
「ちょっと、雛」
抵抗するも、がっつりと力が込められていて抜け出せない。
「ダメです。今日はこうして桜を抱えながら帰るって決めてたんです」
藻掻く桜を抱えたまま雛は開いた窓へと向かう。
「桜ちゃん……バイバイ」
「バイバイなー」
「ほら桜、伊佐奈ちゃんがバイバイしてますよ」
「ナナナもしてるなー」
「……いいから。雛、早く」
「ふふ。しょうがないですね」
桜を抱えながら雛は風と共に空へと舞い上がった。
桜はもう抵抗しない。
雛に身を預け、やわらかな心地よい風に吹かれる。
「ねえ雛、もういいでしょ。もう一ヶ月以上あの場所に通った。雛の言う見識ってのもだいぶ広まった。もうあそこで得られるものは何もないわ。修行でもこれからはちゃんと雛の言うことを聞く。力を使いすぎないようにするから。だからもうあの場所には行かなくていいでしょ」
「いいえ、ダメです。最初に言ったように、ちゃんと卒園まで保育園に通ってもらいます」
桜なりに必死の説得を試みるも雛の反応は冷ややかだ。
こうなれば奥の手だ。
桜は雛の首に手を回し、仮面の奥にある雛の瞳に問いかける。
「雛は、私と一緒に居たくないの?」
「うっ……! そっ、それは、もちろん桜とは一緒に居たいです。一分一秒離れたくありません」
「じゃあ」
「ですが、それでも保育園には通ってもらいます」
雛の考えは揺らがない。
こうなるともう諦めるしかないのだが、納得できない。
あんな場所に居てもただ時間を無駄に浪費するだけだ。雛なら分かってくれるはずなのに、どうして。
「友達」
一言、雛が呟いた。
「私は、桜に友達ができてほしいと思っています」
それが頑なに保育園に通わせようとする理由なのだろうか。
友達。言葉上の意味は知っている。
家族以外の互いに心を許しあえる関係。対等な相手。
「いらないわ、そんなの」
「あの伊佐奈ちゃんなんて私はいいと思いますよ」
「論外よ」
「決して無理に友達を作ってほしいというわけではありません。ですがどうか前向きに考えてみてください」
「でも無理して保育園には通わせるんでしょ」
「まあそうですね」
むっと顔をしかめつつ、今ほどの会話で心の中に引っかかったことを尋ねる。
「雛に友達はいるの?」
「えっ」
それは純粋な疑問だった。
桜は今日はじめて雛が自分以外の誰かと親しく話しているのを見た。
桜の知らない雛の姿。思い出すとまたもやもやしてくる。
だが雛からの返答は沈黙だった。
「ん? もしかして雛、友達いないの?」
「……何でそんなに嬉しそうなんですか」
「別に」
「信頼できる部下や仲間はいますが、残念ながら私に友人と呼べるような相手がいたことはありません。だからこそ桜に、という思いがあります。ただ……つい最近、ライバルと言えるような相手はできましたが」
「私のこと?」
「なんで桜がライバルなんですか」
くすくすと雛は笑って否定した。
雛がライバルと認めた相手。
とてつもなく気になる。気になるが、今は。
「いいじゃない、友達なんていなくても。雛には私がいるわ」
「えっ?」
「そして私には雛がいる。他に何もいらない」
ぴたりと空中で雛が停止した。
火が出そうなくらいに顔が熱い。
「今日はどうしたんですか桜、急にそんな熱っぽいこと言って……」
気恥ずかしくて雛の仮面に目を向けられない。
そして雛はぎゅっと強く桜を抱きしめた。
「嬉しいです、桜。その通りです。私には桜が、桜には私がいます」
「だったら、友達なんていらないでしょ」
「そうですね。いらないかもしれないです」
やけにあっさり覆った。
よし、と桜は拳を握る。
「でも、もしかしたら桜にとってかけがえのない存在となるかもしれません」
覆っていなかった。
「私にもそれは分からないのです。だから桜、あなただけの答えを探してください。急がずに、ゆっくりと時間をかけて」
雛は仮面を外し、桜の頬にそっとキスをした。
「あなたの手にする答えがきっと素敵なものになると、お姉ちゃんは信じていますよ」
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