20 園児・諫早伊佐奈


 先生を続けられることに安堵したのか、ナナナは口を開けて大きく欠伸した。


 できればもう少し雛の情報がほしい。

 だが今日は雛が迎えに来る日だ。ナナナとこうして会っているところを雛に見られたら、ナナナの正体に気付いたことを疑われるだろう。

 迎えの時間まであと一時間ほど。どうしようか。


 考えていると、リラックスしきっていたナナナの獣耳がぴくりと横を向いた。


「な。誰か来たな」

「まさか、雛が」

「先輩ではないな」


 桜は聴覚を強めた。

 二階・多目的ホールへと向かう階段で足音を捉えた。

 階段をゆっくりと拙い足取りで登ってくる者がいる。


「……またあいつか」


 桜はうんざりした目で多目的ホール奥の扉を見る。

 ほどなくして遠慮がちに扉が動いた。

 そこからぴょこりとこちらを伺う小さな影。


「なっ、伊佐奈ちゃんな。こっちおいでな。一緒に遊ぶなー」

「遊ばないし、勝手に呼び込むな」


 ナナナに呼ばれて、とことこと長い髪を揺らして駆けよって来る幼女。

 桃色のTシャツに黒のスウェットを着たそれはナナナの足元で止まると、とろんとした大きな目を桜に向ける。


 幼女の名前はいさはや

 桜と同年代で同じクラスに所属していて、入園初日から今日に至るまで、伊佐奈は桜に一緒に遊ぼうと誘いをかけては泣かされるを繰り返していた。


 何度泣かせてもこの伊佐奈だけは変わらず桜に付きまとった。

 非合理そのものである子供。

 その子供の中でもっとも理解できないのがこの諫早伊佐奈だった。


 ナナナは床にしゃがんで伊佐奈と目線を合わせる。


「桜ちゃんに会いに来たな?」


 こくりと伊佐奈は頷く。


「じゃあ、何して遊ぶな」


 ふるふると伊佐奈は首を振る。


「桜ちゃんと、お話」

「なー、お話な。ナナナも桜ちゃんとお話しするところだったな。三人でお話しするなー」

「いや、こいつが居たら話になんないでしょ」


 もう少し情報を引き出したかったが、ここまでか。


よし、今日はもういいわ。今すぐそいつ連れて出ていって」

「なっ!? 芳野じゃないな! ナナナの名前はナナナな」

「あんたの名字、芳野でしょ」

「そうだけどそうじゃないな! 名前で呼んでなー!」

「いやよ。あんたの名前、恥ずかしいし」

「なー……。恥ずかしくないのにな。とってもかわいい名前なのにな」


 なーなーと身体を丸めて拗ねだすナナナ。

 伊佐奈を連れ出そうとは動かない。

 使えない奴。


 ナナナを避けて伊佐奈が近づいてくる。


「……桜ちゃん、おはよう」

「…………」

「桜ちゃん、挨拶大事な。桜ちゃんもちゃんとおはようするな」


 もう立ち直ったのか、まっとうな顔して指摘するナナナ。


「もう三時過ぎ。おはようって時間でもないでしょ」

「じゃあこんにちはするな」

「もういいから、芳野は黙ってて」

「なっ、了解な。黙ってるな」


 ナナナはさっと桜達から離れた。

 何やら微笑ましいものを見るような目でこちらを見ている。


「……桜ちゃん」


 おずおずと伊佐奈が呼びかける。


 多目的ホールに移ればもうこいつとも関わらなくて済むと思っていたが、考えが甘かったか。

 仕方がない。

 桜は舞台下の伊佐奈を見下ろしながら威圧的に言葉を投げる。


「私に構うなってもう何度も言ったはずだけど。あんたは何がしたいの」

「……桜ちゃんと、なかよくなりたい」

「私はなりたくない。だから毎回あんたを突き飛ばして泣かせてる。そんな簡単なことも分からないの」


 桜の鋭い睨みと言葉に、ふるふると伊佐奈の全身が怯えを露わにする。


「あんたさ、私が怖いのに何で私に付きまとうのよ」

「桜ちゃんは、こわくないよ。でも……おこってる桜ちゃんはこわい」


 おかしなことを言う。

 こいつの前で苛立ち以外の感情を見せた覚えはないが。

 そして伊佐奈は少し顔を赤くして理解に苦しむ言葉を続けた。


「伊……わたしは、桜ちゃんが……好き」


 外野のナナナが「なー! 青春なー! うらやましいなー」と嬉々とした声を上げる。

 うっとうしい。


「桜ちゃんとなかよくなって、いっしょに遊んだり、霊術おしえてもらって、桜ちゃんといっしょに空をとんだり、桜ちゃんみたいに、かっこよくなりたい。だから……」


 好き。好意を抱いている。

 だから何度泣かされてもこうして付きまとっているというのだろうか。


 だがそもそもとして、どこをどう転がれば好意を抱くなんてことになる。

 今日までずっと泣かせてきただけだ。

 さらにこうして嫌われて拒絶されて、それでもその好意が薄れないのは何故だ。


「ほんと、子供ってのは良く分からないな」

「桜ちゃんも子供な」

「うるさい」


 桜は溜め息をつき、また伊佐奈をきつく見据える。


「私はあんたのことが嫌い」


 すっと短い息を呑んで、伊佐奈の目が見開いた。


「あんたみたいに何かあればすぐに泣く泣き虫、見ていてほんとイライラするのよ」


 紫の瞳には涙が浮かび、表情がみるみるゆがんでいく。


「それと、霊術を教えてほしいとか言ってたけど、あんた霊力の放出すらできないでしょ。論外ね」


 桜は右手を開き、霊力を放出させた。

 ジリジリと広がった深い青の光は渦を巻き、桜の手元に球体が形成されていく。

 手元から離れ、青の球体が多目的ホール内を規則的に駆動する。


 すると、泣きかけだったはずの伊佐奈の表情がぱっと明るくなっていた。

 瞳はきらきらと輝きに満ちていて、桜の動かす球体を追いかけている。

 想定外の反応に桜は頬を引きつらせた。


「泣き虫じゃなくなって、霊力も出せるようになったら、伊佐奈と遊んでくれる?」


 晴れやかな笑顔と共に伊佐奈は言った。


「霊力はともかく、泣き虫は無理でしょ」

「でも今日はまだ、泣いてないよ。もう、泣き虫じゃないから」

「……そう。じゃあ、試してあげる」

「え……?」


 桜は舞台から降りて、窓を開けた。

 室内を動き回っていた桜の霊力球が窓の外に出る。

 桜は伊佐奈に近づき、手首を掴み、そして、


「な!」


 桜は伊佐奈を窓に向かって投げ飛ばした。

 軽々と勢いよく身体を投げ出された伊佐奈。その身体は綺麗に桜が開いた窓を抜けて外へと放り出され――。


「伊佐奈ちゃん!」

「大丈夫よ」


 即座に駆け出そうとしたナナナを桜は制した。


「雛との約束は守ってる」


 窓の外、多目的ホールがある建物から百メートルほど離れた空中にて、青い霊力の網によって受け止められている伊佐奈の姿があった。

 網はゆっくりと降下していき、地面に近づいたところで消えた。

 ぼとりと伊佐奈が地面に落下する。

 そこに広場で遊んでいた子供達が集まり、そしてすっかり聞き慣れた伊佐奈の泣く声が聞こえてきた。

 二階の窓から放り投げられたのは相当なものだったようで普段以上に大きな泣き声だ。


 さすがにこれで懲りてもう近づいてはこないだろう。

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