19 保育士・芳野ナナナ


 なおさと保育園はぐれ市唯一の児童福祉施設であり、飛空船での送迎により市全体の保育を請け負っている。

 葉暮は山々に囲まれた田舎町ではあるが、市全体ともなると預かる児童数は多く、今日もまた広大な敷地を走り回る騒がしい子供達の声で溢れている。


 保育園に通い始めて一ヶ月経つ頃には、桜はクラスから離れて一人で過ごすようになっていた。

 普段使われていない入園式や劇の発表会などで使われる多目的ホールを保育士達と交渉し、プライベートスペースとして手に入れたのだった。


 その日、桜は多目的ホールに一人の保育士を呼び寄せていた。

 桜は舞台上で足組みをしながら、深い青の瞳で舞台下のエプロンをかけた女を見つめていた。その視線は獲物を追い詰めるかのように鋭い。

 そして保育士は観念したかのようにその場に崩れ落ちた。


「お願いな。ナナナのこと先輩には内緒にしてなー」


 頭上の獣耳をペタリと伏せて、ひどく情けない声で女は言った。


「へぇ、そんなにまずいことなんだ。私に正体気付かれたことって」

「そうな、まずまずな。もし先輩に知られたらナナナ、先生のお仕事辞めさせられちゃうな……。そんなのイヤな」

「でもつまり、あんたの本業は保育士ってわけじゃないんでしょ」

「な。でも保育園の先生のお仕事楽しいな。ナナナ、もっと先生でいたいな」


 このふざけているとしか思えない話し方をする女の名前はよしナナナ。

 見た目は雛と同じ十六か十七ほどの少女ではあるが、妖怪であるため実年齢は分からない。

 大人としては比較的小柄で、胸も薄い。

 頭上に生えている耳は狼の耳。紺瑠璃の髪は癖毛で、顔立ちはそれなりに整っているが、この話し方と締まりのないゆるゆるな表情で台無しになっている。


「先生の仕事を続けられるかはあんたの態度次第よ。これからあんたに質問をする。素直に答えるなら黙っててあげなくもないわ」

「なー……。桜ちゃんほんとに五歳な? なんだか脅しが板についてるな」

「うるさい。それと私はまだ四歳よ」

「まだ四歳な? かわいいなー。抱っこしたいな!」


 抱きつこうと伸ばしたナナナの手を桜は足で払いのける。


「まず……。あんた、本当に雛の部下なの?」

「な? 何でそこ疑うな? さっき桜ちゃんが見事な推理でナナナの正体見破ったのにな」

「推理って、ほとんどあんたが勝手に自爆しただけでしょ」


 雛が初めて保育園に迎えに来た時、普段一際騒がしく子供達と遊んでいるナナナがいやに大人しくしているのを不審に思い、そこから桜はナナナを観察しだした。

 そして今日、呼び出したナナナに雛の名前を出して鎌をかけた。

 するとナナナはあっさりそれに引っかかり、そこから観察によって得た怪しい点を並べ立て、ナナナに雛の部下であることを白状させたというわけだ。


 白状させたはいいが、雛の部下というにはあまりにも間抜けではないかと思う。

 本人が認めているのだが、どうにも信じがたい。


「ナナナは間違いなく先輩の部下なー。先輩直々に桜ちゃんの見守り役を頼まれたな。ナナナは先輩に一目置かれてるなー」


 なーなーと嬉しそうに身体を横に揺らしながらナナナは話す。

 ちなみに、このナナナが言う〝先輩〟というのは、桜の義姉・絢咲雛のことである。


「雛はあんたに本業の仕事を休ませて私を見張るように頼んだ……ってことよね。それもわざわざ保育士にまでさせて。頼んだ雛も雛だけど、あんたもなんでそんな無茶な頼みを引き受けたの」

「見張ってないな。見守ってたな」

「一緒でしょ」

「全然違うな。ナナナ、桜ちゃんのことそんなにじーっと見てなかったな」


 たしかに、今日までナナナは子供達と遊ぶことに夢中で桜が観察していることに気付くことはなかった。

 あれで見張っていたとは言えないか。


「それと別にナナナお仕事休んでないな。こうして先生をするのが今のナナナのお仕事な」

「つまり、あんたは仕事として雛に私を見張……見守るように頼まれたってこと?」

「そういうことな」

「それが仕事として成立する雛とあんたの仕事ってのはいったい何なの」

「なー……。先輩に関することは基本全部秘密な。だからお仕事のことも詳しく話せないな。たぶん話したらナナナ、先輩にものすごく怒られるな。ナナナ、かわいそうな?」


 同意を求めるようにナナナは小首を傾げる。


「あんたが怒られようが知ったことじゃないわ」

「先輩怒ったらすっごく怖いな。ナナナ、泣いちゃうな。とってもかわいそうな」

「ものすごくどうでもいい」

「なー! 怒られるのイヤなー!」


 なーなーとナナナは駄々っ子のように首を振る。


(雛が、怒ると怖い……?)


 怒った雛が怖いというのは桜には想像も共感もできないものであった。

 心の中に苛立ちと戸惑いが渦巻く。

 私の知らない雛をこの女は知っている。


「ともかく、話せないことは話せないな」


 開き直ったようにナナナは腕組みをする。


「じゃあ雛にばらすわよ」

「やめてなー」


 たちまち蜂に刺されたような顔で泣きを入れるナナナ。

 落ち着きのない女だ。


「なら雛のことで何か話せること、話してよ」


 ナナナは、なーとだらしなく口を開け、しばし間抜け面をさらす。

 そして「なっ!」と何か思いついたように声を上げる。


「先輩と連絡取る度に桜ちゃんがどれだけかわいいかって自慢話聞かされてるな。そのことについてなら話してもいいな」

「なにやってんのよ雛は……!」

「先輩がどういうふうに桜ちゃん自慢してるか聞きたいな?」

「聞きたくない」

「三時間ずっと話を聞かされたこともあったな。桜ちゃんのこと話せる相手が限られてるから仕方ないけどなー。さすがにちょっとまいっちゃうな」

「ふーん。何で私のことを話せる相手が限られてるの?」

「なっ! い、今のはなしな!」


 ナナナは大いにうろたえる。

 何故かは分からないが雛は職場において限られた相手としか桜のことを話せないらしい。

 中々興味深い情報だ。

 これで何かが分かるというわけでもないが、こういった情報を積み重ねていけば雛がどういった仕事をしているのか見えてくるかもしれない。


「なー……。他に話せること思いつかないな。ナナナ、もう先生じゃなくなるな?」


 舞台下からオレンジの瞳をうるうるとさせながら、しょんぼり顔でナナナは訴える。


「まあ、いいわ。当分の間、雛にはあんたのこと黙っててあげる」

「なっ!? ほんとな?」

「その代わり、私が保育園に来た時はうまく時間つくって私に話をしに来ること。さっきみたいにあんたの話せる範囲でいいから、雛の話を聞かせなさい」

「なっ! 喜んでな! いっぱいお話しするなー」


 雛の部下・芳野ナナナ。

 一応口は堅いようだが、頭の方は見た目そのまま、あまり良くないように思われる。

 会話を繰り返せば先ほどのようにボロを出すか、言外から得られる情報はそれなりにありそうだ。

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