17 二度目の未来視
ローテーブルを中心に黒い革張りのソファーとスツールが並んだシンプルな内観の応接室。
三人掛けのソファーに桜は腰をおろす。
隣に来るかと思いきや、詩織は向かい側の一人掛けのソファーに座った。
カルナの報告で詩織との会話は中断されたまま。まだ引きずっているようで、少し表情が暗い。
赤鳥が真ん中のテーブルに止まり、まもなくしてデバイスからカルナの思念が届く。
『〈月〉の出現は今夜二十時。敵は一人です。倒れた桜様の前に立っていたという女生徒。彼女が〈月〉を出現させます』
重々しく断定的にカルナが告げた。
有益な情報ではあるが、まず重要なのはその根拠だ。
『〈
『
『雛が? 雛と連絡が取れたのか』
『はい。桜様からいただいた情報は全て雛様にお伝えしました。現在は雛様が直接隊の指揮を執り、対策に動いてくださっています』
〈未来視〉は本物。
雛の判断であるのならまず間違いない。
これほど手早く〈未来視〉が本物だと確定させるとは。
些か早計ではないかと感じていた詩織とカルナの判断、行動は正しかったというわけか。
敵は一人。
美しくも災害級の破滅を含んだあの光景は全て一人の女生徒によって引き起こされるのだという。
にわかには信じられない話だ。
そして神衛隊の者がその女生徒と接触し、さらに戦闘を行ったらしい。
少なくとも鴉摩高校で戦闘が行われた形跡はない。やはり鴉摩高校の生徒ではなかったようだ。
『〈月〉の出現が今夜である以上、雛様がこちらに駆けつけて直接対策をとっていただくことはできません。昨日に引き続き誠に恐縮ですが、また桜様と詩織様のお力をお貸しいただきたくお願い申し上げます』
『最初からそのつもりだけど』
詩織も頷き、カルナは二人に深く感謝を述べた。
大げさなほどに有り難がられて桜は困惑する。
『自分が殺される未来を変えるために動いているだけよ。昨日のこともそうだけど、礼を言われる筋合いは全くないわ』
『……いえ、桜様には苦しい役目を全て押しつけてしまう形となってしまい、本当に……申し訳ないと思っております』
またいやに悲哀を帯びた声でカルナが謝る。
何もそこまで深刻にならなくてもいいと思うのだが。
気にしなくていいと伝え、桜は話を戻す。
『〈月〉の出現が今夜の二十時とやけに具体的なのは、その接触した神衛隊の奴が得た情報?』
『はい。女生徒自身が〈月〉の出現時刻を予告しました。おそらくですが、我々に伝わることを把握した上でそのような予告を行ったのだと思います』
『……ずいぶんと挑戦的な奴ね。で、その女生徒の正体ってのは?』
これこそが本題だろう。
たった一人で〈月〉を出現させ、落下させる少女は何者なのか。
目的は? 本当に学生か? 本当に他に仲間はいないのか?
今そいつはどこに居る? そいつと接触した神衛隊とやらはどうなった?
聞きたいことは山ほどある。
カルナもそれらを伝えるためにわざわざ応接室を借りて話をしようとしている――はずなのだが、何故かここでカルナは押し黙った。
『カルナ?』
『……女生徒の正体について話をする前に、まず桜様にはもう一度〈未来視〉を視ていただきたく存じます』
「は?」
桜は思わず声を上げた。
『もう一度〈未来視〉を視ろってどうやって。それができないからさっきまで生徒確認とか面倒くさいことやらされてたんでしょうが』
『いえ、〈未来視〉は
『……!』
眠りにつけば〈未来視〉を視ることができる。
それだ。
おそらくそれが詩織の言っていた〈未来視〉が本物かどうかおおまかに確認する方法だ。
桜は神核を扱えない。〈未来視〉を自ら使うことはできない。だが危機なる未来がある時、神核は桜に〈未来視〉を視せる。
すでに詩織から聞いていた話。
そして神核が桜に〈未来視〉を視せる。その条件は眠りにつくこと。ただそれだけで〈未来視〉を視ることができるという。
だからもしも〈未来視〉か夢か分からないものを見た場合、それを判別しようとするなら眠りにつくだけでいい。
危機なる未来が回避されていなければ、再度同じ
ただ、連続して同じ夢をみるということもないわけではない。だからこそ詩織はおおまかにと言っていたのだろう。
(何でこんな単純なことに気づけなかったんだろう……!)
〈未来視〉は神核を扱えなければ使うことができない。そこで考えが止まってしまっていた。
神核が警告の〈未来視〉を視せる。それを自発的に狙いに行くという発想が出てこなかった。
そこに気づけていれば。
『でも、敵の正体はもう分かってるんでしょ。ならもう〈未来視〉を視る必要はない。私達が今真っ先にするべきことは、その元凶の女を潰して〈月〉の出現を阻止することじゃないの』
『残念ながら、今は女生徒に手を出すことができません。女生徒と接触するには〈月〉が出現するその時を待つしかありません』
『もって回った言い方をするわね。手を出せない理由は何』
『申し訳ございませんが、今はまだ話すことができません』
『はぁ?』
テーブル上の赤鳥が怯えたように羽を震わせた。
苛立ちから赤鳥を睨みつけてしまっていたようだ。
この子は悪くない。
おどかしてごめんねと軽く赤鳥の身体を撫でる。
『敵の正体を掴み、それを元に雛様がいくつか対策を立ててくださいました。それにより〈未来視〉に変化があるか、対策が有効か否かを判断するためにも桜様には再度〈未来視〉を視ていただきたいのです』
何故かは分からないが女生徒には手を出せない。今すぐに未来を変える行動を取ることはできない。
だからもう一度〈未来視〉を視る。
雛と連絡が取れ、対策をとったこのタイミングで二度目の〈未来視〉を視て、未来に変化があるのかを確認する。
もう一度〈未来視〉を視る必要性は分かった。
だがそれでも納得できないことがある。
『女の正体についてひたすら話さない理由は何? 女の正体を知った上で〈未来視〉を視るのがどう考えても普通でしょ』
『申し訳ございませんが、これは雛様からの命令です。女生徒の核心となる情報は〈未来視〉確認後に説明をするようにと』
『雛が……?』
元凶の女について話さない。話せない。
そこに明確な意図があり、カルナもまたそれに同意しているという事実。
何を、隠している。
『……後で全部説明してくれるんでしょうね』
『はい。〈未来視〉を確認していただいた後、必ず全てを話すと約束致します』
『分かった』
桜はソファー端に置いてあったクッションを手に取る。
応接室に入った時からクッションが一つだけ置かれていたのが気になっていたが、つまりこれを枕にして〈未来視〉を視ろということのようだ。
『〈未来視〉にかかる時間はどれくらい?』
『〈未来視〉を阻害するわけにはいかないので、桜様が自然に眼をお覚ましになるのを待つことになります』
『私次第か』
眠気はない。この状態で眠りにつけば一時間か二時間くらいで済むだろうか。
『雛の対策で危機なる未来が回避されていたとしたら〈未来視〉を視ないってこともあるのよね』
『はい。その可能性は非常に低いと雛様はみていますが』
非常に低い。
対策をとった上でも避けようがない未来。
雛がそこまで手こずるほどに〈月〉を落とす女生徒は厄介な存在なのだろうか。
「詩織、話は聞いてた……よね?」
向かい側に座る詩織に尋ねる。
話の間、またひたすら大人しくしていた詩織。
交わされていた話は桜の命に関わるもの。聞いていないということはないはずだが。
「眠りにつくのに唯識の力を使ってもらおうと思って。意識を奪う力を受け入れることができるかどうか、良い実験にもなるわ」
桜はクッションを頭に置いてソファーの上で仰向けになった。
『桜様。今回の〈未来視〉は通常のものではありません。特殊状況下における〈未来視〉です。通常のものと比べて非常にノイズが多く不鮮明なものになってしまっているとのこと。ですが時間が近づいた分だけノイズも減少するようで、おそらく一度目に視た時よりも幾分かマシに見えるはずだと雛様が仰っていました』
「そう。それは楽しみね」
乾いた声で桜は応えた。
どのように特殊なのかの説明がないということは、おそらくそれも女の正体に関わる事だ。どうせ訊いたとしても答えてくれないだろう。
気付くと詩織が桜の傍に来ていた。
膝を折って屈み、ソファーで仰向けになっている桜の目線に合わせる。
その表情は凪いだ湖面のように静かなもので。
「カルナさん。少しだけ桜様と二人きりにしていただけますか」
『……分かりました』
カルナが思念で応えると赤鳥がテーブルから飛び立った。
スライドドアを鉤爪でずらし、するりと開いた隙間を潜って外へ出た。
器用な子だな。
ドアが閉まる。
「桜様」
ソファー横にだらりと投げ出していた右手がやわりと詩織の両手で包みこまれた。
「詩織……?」
頬を紅潮させることもなく、詩織は真剣な眼差しを桜に向けている。
「私にはまだ桜様のことが分かりません」
突然なんだと思ったがすぐに気付く。
先ほど中断された話の続きだろう。
「桜様があの時、どうして生きると言ってくれたのか。桜様の気持ちが分かりません」
静かに、静かに詩織は胸の内を語る。
「今、こうして桜様と一緒に居ることが本当に幸せで、夢のようで……。だからこそ桜様を失うことが不安で、怖くて仕方がありません。桜様を信じたい気持ちはあります。ですが……」
詩織はとても申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「ありがと、ちゃんと話してくれて。それで充分よ」
詩織は桜に神核の弱点を隠し、桜もまた詩織のことを一度疑った。
互いに信頼し合うことはできていない。
だがそれも当然のことで、二人は出会ってまだ一日と経っていないのだから。
それでも信頼したいという気持ちは二人にある。
あとは時間だ。
時間さえあれば必ず信頼し合えるようになる。
ただそれでも桜は今すぐに詩織が抱える不安を取り除いておきたいと思っていた。
どうすればいいだろう。
もう死のうとしないと約束でもしようか。だがそれはどうにも格好がつかないなと考えて思い出す。
二人の間にはすでに約束があったことを。
「世界にそっと恋をする」
ぱっと詩織が顔を上げる。
口にするとやはり意味不明で恥ずかしすぎる言葉。
だが間違いなく桜と詩織を繋いでいた言葉だ。
「詩織と最初に約束した絢咲桜がそれにどういう意味を込めて言ったのか、もう全くもって分からないけど、あらためて私と約束をしよう、詩織」
詩織に安心してもらえるようにと想いを込めて桜はもう一度それを口にする。
「二人で一緒に、世界にそっと恋をしよう」
死ぬほど恥ずかしい。
だが詩織の不安を取り除くため。今は我慢だ。
「二人で、一緒に……」
「そう、二人で一緒に。詩織が私の傍に居てくれるのなら、私はもう逃げ出さない。命を投げ捨てたりしない。二人で支え合って、真っ直ぐに強く生きていく。そういう約束」
「傍に居ます! 絶対に離れません!」
「いや、物理的な傍にって意味じゃなくてアレよ、詩織が私の神子でいてくれる間はって意味で」
「ずっと桜様の神子でいます!」
詩織は桜の右手をぎゅっと強く握り声を高めた。
ひとまずどうにかなったと一息つき、桜は左手を伸ばして詩織の手に重ねる。
「じゃあ、約束」
「はい。約束です、桜様」
また勢いのままにずいぶんと恥ずかしいことを言ってしまった気がする。
だがこうして詩織の笑顔を見ることができた。後悔はない。
「二人で協力して、未来変えようね」
「はい!」
桜は目を閉じて精神を集中させる。
詩織の力を、受け入れる。
「詩織、お願い」
「はい。おやすみなさいませ、桜様」
詩織の声と共に桜の意識はゆっくりと沈んでいった。
どこからか強い痺れが広がり、意識が開いた。
視界が白と黒の世界を映し出す。
黒い空。そして上空には巨大な白い〈月〉が浮かんでいる。
滲みはわずか。一度目よりもしっかりと世界が見える。
これはカルナが言っていたノイズの減少によるものだろうか。
そして意識がある。
さながら明晰夢。夢であると自覚して見る夢のように、桜には〈未来視〉を視ているという意識があった。
〈未来視〉における桜は不可思議な状況に置かれていた。
桜の体は空中にあった。力なく身体を宙に預け、〈月〉を見ている。
そしてその桜の周囲には無数の土塊があった。
荒く削られた大きな土塊から礫まで、そのどれもがまるで時が止まったかのようにぴたりと空中で静止している。
その停止した空間の中を桜だけがゆっくりとゆっくりと、スローモーションがかかったかのように落下しているようだった。
視界の端に強烈な歪みが生じた。
視線がゆっくりとそちらに動く。
底なしの漆黒が渦を巻いていた。
光を、空間を大きくねじ曲げながら漆黒の闇が桜へと迫ってきていた。
動くことはままならず、逃げることはできない。
迫り来る闇は瞬く間もなく桜を呑み込んだ。
気付くと視界は地面にあった。
平坦な草原。
風が吹き荒れる音と共に響く自身のか細い呼吸音。
視界が上空へ向き〈月〉を映し出す。先ほど空で見た時よりも大きくなっている。
地上へと近づいているのだ。
近くで草原を踏む音。
視界が動き、一人の少女、その後ろ姿を捉える。
鴉摩高校の制服。
少女は黒ずんだ左手を目元にまで上げ、その手の中にある何かをじっと見ている。
少女の横顔は〈月〉の光が逆光になって見えない。
長い後ろ髪、丈の短いスカートが風で揺れている。スカートの側に置かれた右手には、風変わりな形状をした拳銃が握られていて――――。
(…………!!)
桜は見た。少女の制服、右手の袖部分が焼け焦げたように溶け落ちていて手首が露わになっている。その右手首には金属製のブレスレットが巻かれていた。
そのブレスレットに描かれた紋様がくっきりと桜の目に映り込む。
(まさか……)
ぐらぐらと地面が激しく揺れだした。
少女は空を見上げた。
桜の視界も動き、さらに大きくなった〈月〉を映しだす。
「じゃあな、桜ちゃん」
軽々とした声が聞こえ、視界が戻ると少女は姿を消していた。
風が大きく唸りを上げ、〈月〉が突如支えを失ったかのように落下する。
あっという間に視界全てが白へと染まり、
「桜様ぁ!」
凄まじい衝撃音と同時に詩織の声が聞こえた。
「桜様っ! 桜様……! しっかりしてください、桜様っ!」
すぐ側に詩織が居る。
真っ白な光の中。世界が壊れていく音。
その中で詩織が涙声で賢明に桜の名前を呼び続けている。
「桜様……最後まで、一緒です」
そこで世界は途切れた。
またどこからか痺れが広がり、そして桜は目を覚ました。
荒い呼吸を繰り返しながら、身体を起き上がらせる。
掛け布団が地面にずり落ちた。
「桜様……!」
向かい側から詩織の声。続けて頭の中に声が響く。
『お目覚めですか、桜様』
「……カルナ」
中央のテーブルに赤鳥が止まっている。
揺れる視界の中、どうにか桜は赤鳥を見据え声を絞り出す。
「〈月〉を出現させ、私を殺す女ってのは――」
ごくりと唾を飲み込み、その名前を口にした。
「伊佐奈、なのか」
『……その通りでございます』
「バカ伊佐奈……ッ!」
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