16 信頼
オフィスビル風の校舎が並ぶ
手は繋いだまま。唯識の能力によるステルス状態は継続している。
「あとは、射程距離がほぼゼロなところ。詩織も今朝見たから知ってると思うけど、術の発動と同時に炎が出てしまう。手元足元のほんの少し離れた位置にしか展開ができない」
隣で話を聞く詩織の表情は真剣そのもの。一言も聞きもらすまいといった感じで集中している。
唯識の説明を聞き終えたあと、今度は桜が詩織に〈
〈花炎〉の説明をしながら生徒確認を続け、二年生教室を一通り回り終える。
三年の教室へ向かおうとしたところで二限目終了のチャイムが鳴った。休憩時間となり生徒達が動き出したため、ひとまず中庭に退避しているという状況だ。
「こんなところかな。一見単純に強力な術に見えるけど、なかなか扱いが難しいでしょ」
「はい。それでも欠点を補ってあまりある霊術だと思います」
「まあね」
暖かな陽光が降り注ぎ、中庭に敷きつめられた芝生が鮮やかな色を見せている。
そこに少しひんやりとした風が吹き込んで、詩織の長い翡翠色の髪を後ろに靡かせた。
さて、ここからだ。
「〈花炎〉のこと話したの、詩織が初めてよ」
「それは……この上なく光栄です、桜様」
詩織はうっとりとした息をつき、口許をほころばせた。
〈
詩織から聞いた話によると、どうにも〈花炎〉の存在自体は雛に知られてしまったようだ。
だがどのような霊術なのかはまだ雛には伝わっていないらしく〈花炎〉の説明前に念入りに口止めをしておいた。
桜の固有霊術である〈花炎〉。
その性質、弱点までも包み隠さず全て詩織に話した。
その意図は、
「これから協力していく上で〈花炎〉のこと、知っておいてもらう必要があるってのもあるんだけど、でもそれ以上に――」
翡翠の色を探るように、桜は詩織の瞳をまっすぐに見つめる。
「私なりにね、詩織に対しての信頼を示したつもり。信頼してるっていうより、詩織のこと、信頼したいって気持ちかな」
溢れんばかりに、ぱぁっと詩織の表情が輝きを見せる。
「嬉しいですっ、桜様。桜様からの信頼、必ず応えてみせ――」
「今朝詩織が話さなかった神核の力って不死の力のことでしょ」
笑顔でかぶせた桜の言葉に詩織の口から小さく悲鳴のような声が漏れ出た。詩織の顔がみるみる青ざめていく。
あまりにも分かりやすくて少し笑いそうになった。
カルナに〈未来視〉について考えたことを話している時に桜は思い出した。
不老不死になった国神にそもそも危機なんてあるのかと詩織に訊こうとしていたことを。
〈未来視〉は神核所有者に訪れる危機なる未来を見せる。
だが不死であるならそもそもとして危機という状態が存在しないのではないか。
本当に不死であるのならたとえ〈月〉に押し潰されようと死んだ肉体を神核が回復してくれるのではないか。
そう考えてすぐに詩織があの時言いかけた言葉と繋がった。
『回復するのは霊力だけでなく……』
神核には霊力だけでなく、どんな致命傷を受けようとも肉体を回復する力がある。
詩織はあの時そのようなことを言いかけていたのではないかと。
ただそうなると分からない。
何故あの時詩織は不死の力について説明をしなかったのか。
神核を手にすれば不老不死になることは詩織が一番初めに明かした神核の力だ。
不死の力、その詳細を話すことに何かデメリットでもあるのだろうか。
そして詩織が〈未来視〉が本物かどうかを確認する方法がありながらもそれを桜に黙っていたことを知り気付く。
何故詩織が不死の力について話さなかったのか。
「たぶん、神核の不死の力ってのは絶対的なものじゃないんだ。神核にも何か弱点があって、その弱点をつけば不死となった神核所有者であろうと死に至る」
詩織の顔からさらに動揺の色が走った。
「詩織は神核の不死の力を話す中で私がそのことに言及すること、勘づいてしまうことを怖れた。なぜなら」
詩織は桜のことを神様として見ている。
敬意か崇拝か、それを何と評すればいいのかは分からないが強い感情を寄せている。
だが、信頼はされていないのだと。
そう気付いた時、この答えに辿り着くことができた。
「神核の弱点ってのはつまり、不死者の殺し方であると同時に不死者の死に方でもあるから。私が死に方を知ったらまた昨日みたいに死のうとするんじゃないか。そんな感じのことを考えて詩織はあの時私に不死の力について話さなかった。話せなかった。……どうかな?」
詩織はしばし押し黙り、そして沈痛な面持ちのまま小さく答えた。
「全て、桜様のお察しの通りです」
「そう」
桜は静かに頷いた。
「ま、昨日まで死にたがってた奴にそういう話をしたくなかったって詩織の気持ちは分かるわ」
「そんなこと……っ! ……そんなことは、その……」
詩織は否定しようとするも、否定しきれなかった。
桜の言い方は荒いが正鵠を射ているのだ。
「気持ちは分かる。でも詩織、話してほしい。神核の不死の力、神核の弱点について」
真っ直ぐな眼差しと共に、桜は語りかける。
「私はもう前に進むって決めたから。死ぬためじゃなく、生きるために私は神核の弱点を知っておきたい」
視線に耐えられなくなったのか詩織が小さく身を引き、顔を俯かせる。
しばらくして正面を向き、何もない空間を見つめる。
そして静かに話し始めた。
「桜様が仰った通り、神核の不死の力は絶対ではありません」
「〈月〉に押し潰される未来がアウトってことは……いかに不死と言えど全身すり潰されればさすがに死んでしまうってことか。もしくは、私がまだ神核を扱うことができない状態だから?」
「いえ。神核と同調してさえいれば不死の力は発揮されます。たとえ全身が細切れになろうとも神核は肉体を元通りに再生するそうです」
「……それは、あまり想像したくないたとえね」
「神核所有者の死……。それは神核が破壊されることです」
「神核あってこその不死。神核が破壊されると不死の力が失われ、そして死に至ると」
「いえ、違います。不死の力を失うからではなく、神核が破壊されることがそのまま神核所有者の死に繋がっているのです」
「というと?」
「神核との同調とはつまり、桜様の魂が神核と完全に同化した状態にあるということです。神核は桜様の魂そのもの。ですから神核が破壊されることはすなわち桜様の魂が破壊されることを意味します」
桜と神核は一心同体。
まさに命の核となっているということらしい。
「神核ってそんな簡単に壊れるものなの」
「神核の強度は所有者の魂、意志の強さに依存します。所有者の意志の下にあれば神核は破壊不能の強度を持ちます。ですがもし意志が弱まりきった状態であれば人が破壊できる度合いにまで強度が落ちてしまうそうです」
神核が破壊されるかどうかは所有者の魂の状態によって決まる。
不死ではあるが、何度も殺され続けて心が折れれば本当の死を迎える。
そして殺されずとも精神的に追い詰められたり、自ら死を望んでいたりすれば神核の破壊が可能となる状態が発生するということだろう。
でもそれは神核が形を持っている時だけの話ではないのか。
「今、私の中に神核は形として無い。そして神核の具現化。それも私はできない。そんな私の神核が破壊されることってあるの?」
「所有者が危機的状況に陥った時、神核は自ら具現化し、所有者の維持を行うそうです」
神核が自ら具現化。
それが神核の意志でないのならシステム的なものだろうか。
「強制具現化された神核は非常に危険な状態であるらしく、どの状態よりも破壊されやすく、また奪われやすいとのこと」
「神核を、奪う?」
「はい。強制具現化した神核に同調を行われ、桜様の魂がその者の魂に屈すれば、神核の所有権が移り変わります」
神核を奪う、奪われる。所有権の移行。
なんとなく神核が、そしてそれを所有する者の立ち位置がどういうものなのか理解できてきた。
「その強制具現化ってのはどの程度の傷を負えば起きるの?」
「分かりません。ですが強制具現化は早々起きることのない現象。よほど追い詰められた時、それこそ全身を失うぐらいでなければ起きないと思います」
多大な肉体的損傷を負えば神核が強制具現化される。
神核が破壊、もしくは奪われる状況が生まれる。
神核所有者が不死であっても、死が訪れる未来は危機的状況であることに変わりはない。
だから〈未来視〉による警告があるというわけか。
「ありがと、話してくれて」
「……感謝など。本来ならあの時にお伝えすべきことでした」
「信頼してくれてありがとうってこと。不死の力、神核の弱点について話してくれたってことは詩織も一応私のこと信頼してくれたってことでしょ。それとも、単に観念して話したってだけ?」
その問いに詩織は何も答えられず、また深く顔を俯かせた。
しまった。まさかここで沈黙されるとは。どうしたものか。
桜は大きく息を吐き出し、空を見上げる。
「ん? アレは……」
雲一つない青空に燃えるような赤が飛び回っていた。
カルナの赤鳥だ。
耳を澄まし、上空にいる赤鳥の鳴き声を聴く。
どうやら桜と詩織のことを探しているようだ。それもひどく焦っている。
何かあったのか。
桜は詩織の手を離し、立ち上がった。
これでステルス状態が解除されて認識できるようになったはず。
赤鳥に呼びかけようとしてすぐに、
『桜様……! 良かった、繋がって』
カルナの思念が飛び込んできた。
思念はカルナからもらったデバイスから発せられている。
詩織の手を離した途端に思念が届いたということは、デバイスからの思念や位置情報も詩織の力で遮断されていたということか。
『敵の正体が掴めました』
重く深刻な声音でカルナは告げた。
『敵の正体って……、それってつまり』
『はい。桜様が視たものはただの夢ではなく〈未来視〉です。桜様が視た光景は間違いなく現実のものとなります』
上空から赤鳥が桜の手元にやってくる。鉤爪には鍵が一つ握られていた。
『学校から応接室を借りています。詳しい話はそこで』
三限目開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
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