15 無境


 二年生の教室があるフロアへ向かい、女生徒の確認作業を再開。

 教室に入り、さっそく先ほど話していた識を上げるとどうなるかを見せてもらうことに。

 教室中央の席、その机に詩織がそっと手で触れる。

 するとその席の生徒、さらにその周囲の生徒達が引き寄せられるかのように動いた。彼女達の視線は全て詩織が触れる机に向けられている。


「識を上げるとその識に対応した感覚を強調、強化することができます。今は〈げんしき〉を使い机の視覚的な存在感を高めて視線を集めています」


 唯識の力は人だけではなく物に対しても使えることを再確認しつつ、桜は生徒達の様子を観察する。

 最初はただ何か気になるものが目に映ったようなという具合でそれぞれ机に目を向けた生徒達だが、次第に机から目を逸らそうとしても逸らすことができない戸惑いの表情が見えはじめる。


(これって……)


 昨日、詩織の目を逸らそうと思ってもどうしても逸らすことができない時があった。

 もしかするとあの時の詩織はこの識操作で桜の視線を縛っていたのかもしれない。


 視覚強調は教室内全員に効果があるわけではないようだ。

 目縛りにあっているのは詩織が触れた席の生徒と周囲数名の生徒だけ。その数名の生徒というのも全員席位置はばらけている。

 一定の範囲にというよりは、元々机が視界に入っていた人にだけ力の影響を受けているという感じだ。


「これに強制力はあまりありません。相手との距離やどれだけ識を上げたかにもよりますが、強い意志を持って視界から外そうと思えば誰でも机から目を外すことができます」


 逆に言うと、強い意志を持たなければ視界から外すことができない。

 充分な拘束力だと思うが。


「これが対象そのものへの識操作になります。こうして今私達が誰にも認識されていない現象も同じく対象そのものへの識操作にあたります」

「詩織は詩織自身と私を対象に識を下げて存在感をなくしている、と」

「その通りです。そして対象への識操作は基本対象に触れ続けていなければ力が発揮しません。このように」


 詩織が机から手を離す。その途端、はっと夢から覚めたかのように生徒達の視線が机から外れた。

 識封じと違い、対象への識操作に力の持続性はないということか。


 生徒確認を続けながら次の説明へと移る。今度は唯識の弱点について話してくれるようだ。


「唯識の弱点。それってさっきも言ってた」

「はい。こうして今桜様も体験されているように、唯識の能力使用者と対象そのものへの識操作を受けている者は自身の霊力に対して一切の干渉ができなくなり、霊術が使えなくなります」


 基本的に異能力は霊術と併用することができる。

 伊佐奈も〈くう〉を発動させながら霊術を使うことはできていた。当然、異能力だけを使う時以上に集中力が必要となるようだが。

 桜の知る限り、能力使用時に霊術が使えなくなる異能力は唯識だけだ。


 そして、対象そのものへの識操作を受けた者も霊力が操作できなくなる。

 だが内面の識操作に関しては霊力に影響を与えないということらしい。

 たしかに決闘で識封じを受けていたあの時、霊術は使えていた。


 能力を受けて霊術が使えなくなるのは短所でもあるが長所でもあるように思える。

 相手に触れて霊術を無効化、打ち消すというような使い方はできないのかと訊いたところ、触れる前に発動している霊術は無効化できないとのこと。

 あくまで触れた後に霊力の操作ができなくなる。

 真明の森で桜が展開していた感知領域が無効化されなかった時のように、発動中の霊術は術式に則って維持されるようだ。


「リリスは唯識の弱点知ってたみたいだけど、けっこう知られてたりするもんなの? 公表とかされてたりする?」

「公表などはしていないと思いますが、唯識という異能力もそれなりに歴史が長いので少し調べれば知ることができるものなのかと」


 弱点を知ろうと思えば誰でも知ることができる。

 礼家である以上仕方のないことだが、知名度の高さ、これもまた唯識の弱点と言えるのかもしれない。


 四つ目のクラスの生徒確認が終わり、教室から出る。


「桜様、唯識にはまだもう一つ大きな弱点がございます。実は、唯識の力は力を使おうと思ってもすぐに力を使うことができないのです」

「……ん? どういうこと」

「唯識の力を使える状態になるまで約二秒、切り替えの時間を要します。切り替えを行う二秒間、私は霊術も唯識の力も使うことができない状態となります」

「それは……本当に大きな弱点ね」

「はい。ですので私は戦闘中に唯識の力を使う場合、防壁で相手を封じるか、十分に距離を取った状態で切り替えを行っています」


 国神の祠での半魔物、祭祀場での黒魔女、そして隠された本殿での決闘。

 思い返してみるとたしかに、戦闘中詩織が唯識の力を発動させた時はいつもしっかり相手と距離を取るか、自身と相手との間に防壁を挟んでから能力を使用していた。

 あれらの動きは弱点をカバーするためのものだったのか。


(それにしても、また約二秒か)


 ついさっきの説明でも約二秒が出てきた。

 たしかその約二秒は相手の意識を奪うとき、相手の魂を認識する時に要する時間だったか。


「もしかしてその何もできなくなる二秒、詩織が詩織自身の魂を認識するための時間とかだったりする?」

「……! さすがです桜様」


 どうやら当たりのようだ。

 唯識能力者はまずその能力で自身の魂を認識する必要があるとのこと。そうしてはじめて識操作を行えるようになるらしい。


「唯識の力を使える状態から霊術使える状態に戻る時にもまた約二秒?」

「いえ、元の状態へ戻る時はすぐに切り替えられます。唯識の力を使用している状態からすぐに霊術を使える状態になれます」


 能力を使用するにあたって必ず約二秒、完全に無防備な状態が生まれる。

 こういった平常時であれば何も問題はないが、戦闘時となればその二秒は致命的な隙となる可能性が高い。

 この弱点も含めてリリスは唯識の能力は戦闘向きではないと言っていたのだろうか。


(というか今思い返すとリリス、上手い具合に唯識の弱点について触れずに話していたような……)


 考えすぎだろうか。


 五つ目のクラスの確認を終える。

 一人一人しっかりと顔を見て回っているが、今のところ〈未来視〉の兆しのようなものは現れていない。


 次のクラスへ向かう。

 最後に唯識の奥義について話してくれるとのこと。


「唯識には奥義とされている技が一つございます。術名は〈ゆいしききょう〉。異能力・唯識におい最大の攻撃技であり、唯識の力を用いた霊術です」

「異能力を使った霊術……?」

「はい。周囲の空間の識を深く下げることで空間が白色に染まります。その空間に唯識能力者の霊力を放つことで霊力の空間爆発を引き起こすことができます」


 決闘の最後、識封じを受けていたが匂いと霊力だけは感じ取ることができる状態だった。

 あの時、詩織の霊力とは思えないほどに色濃く強い爆発的な霊力の奔流を感じ取ったことを桜は覚えている。

 霊力の空間爆発。

 やはりあれが〈唯識無境〉だったか。


「空間の識を下げる……。唯識の力は人や物だけじゃなくて空間に対しても力を使えるのか」

「はい。人・物・空間。触れたもの全てに対して識を操作することができます」


 空間に対して下げる識の数と識の下げ幅に比例して威力は高まっていくとのこと。

 つまり詩織は一番強力な〈唯識無境〉を使うことができるということか。


「何で識を下げた空間に霊力を流すと爆発が起きるの?」

「分かりません。いろいろと仮説のようなものはあるようですが……申し訳ございません、私には難しくて理解できていないです」


 つまり原理不明の爆発攻撃ということか。

 奥義と言う割には随分と大雑把な。

 まあそもそも異能力という力そのものが原理不明の力ではあるのだが。

 それでもやはり唯識の力は他の異能力とは何か根本的に毛色が違っているように思える。


「ひとまず今桜様に知って頂きたいことは一通り話すことができました。もし何か桜様の方で気になることがあれば仰ってください」


 だいたい気になっていることは知れた。

 だが昨日一番大きく悩まされた現象についてまだ話を聞けていない。


「すり抜けについて聞きたい。〈しき〉を使えば霊力のすり抜けができるって話だったけど、霊力以外のものもすり抜けられるのよね。何でもって訳じゃないみたいだけど」


 唯識の力は霊力以外のものもすり抜けられる。

 昨日の詩織は一切風を揺るがせることなく上空から落下してみせた。音波もすり抜けた。

 今、詩織の唯識の力で誰にも認識されないステルス状態にあるが、腕を振れば普通に風が揺らぐ。

 人や物をすり抜けたりなんてこともなく、普通に実体がある。

 単に今はすり抜けの力を使っていないだけなのだとは思うが。


「はい。〈しんしき〉を使えば霊力以外にも透過が行えます。ただ何でも透過できるというわけではなく特定のものを透過しているだけでして」


 詩織がすり抜け、透過を行えるのは本当に限られたもの、光や音波、風など索敵をかいくぐれるものだけだと言う。

 だから能力使用中、霊力で構成されていない攻撃全てが有効、致命傷となる。

 詩織は能力を使用している間、いつでも霊術を使える状態に切り替えられるよう気を張っているそうだ。


「……というか、感覚操作の力で透過現象まで起こせるの正直意味分かんないんだけど」


 実際に結界抜けを経験していたからそういうものだと思っていたが、こうして唯識の説明をあらためて聞くと疑問でしかない。


「透過は識のしんによっておきる特殊現象の一つです。例外として捉えていただければ」

「識のしんか?」

「識の深化。唯識能力者が自身の内面の識をある一定の域よりも深く下げること……なのですが、深化に関しては少し話が複雑になりますので、またいずれかの機会に説明させてほしいです」


 たしかに今まで聞いた説明もまだ完全に理解したとは言えない。

 識の深化とやらについてはまた今度話を聞くとしよう。


「特殊現象の一つって今言ってたけど、透過以外にも何か他にあるの」

「はい。たとえば魂を……幽霊を見たり触れたりすることができます」

「幽霊に……!?」


 魂を認識し、感覚を操作する唯識の力。

 だから幽霊を見ることができるということに違和感はないが、ほんと能力の使い幅が広いな。


「じゃあ詩織は幽霊、見たことあるんだ」

「はい。一度だけですがあります」


 一度しかないのか。

 まあつい最近まで箱入り娘だったし、見る機会がなかったということだろうか。それとも幽霊自体そんなに見かけるものでもないのか。


「その一度ってのは神都に来る前の話よね」

「はい。幽霊に取り憑かれて困っているという方が家に来られて、お仕事として除霊をさせていただきました」


 除霊とはまたなかなかのパワーワードが出てきた。


「除霊ってのはどうやんの」

「まず取り憑かれた方に触れてその方の魂を認識し、〈意識〉でその方の魂を強めます。そして強めた魂で身体を充たすと、取り憑いていた魂を外へ弾き飛ばすことができるのです」

「へぇ。それで、弾き飛ばされたその幽霊とやらは?」

「無理矢理魂を昇華することもできましたが、悪意を持った方でもなかったのでひとまず一時間ほど話をしました。そうしたら満足して消えていかれました」


 それはまた随分と平和的な除霊だな。


 ひとまずこれで聞きたいことは聞けた。

 おおまかに唯識の力について知ることができたと思う。

 細かいことはこれから詩織と行動を共にすることで理解していくはずだ。

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