11 鴉摩高校


「これが、学校……!」


 活気ある往来の中、隣に立つ詩織が感慨深げにつぶやいた。

 二十歳になって初めて学校という施設を目にして出た言葉。しかし桜も詩織と同じ言葉を胸にしていた。


(これが、学校……?)


 からす高校。その外観は桜の知る学校とは大きく離れたもので、通りに面した中高層ビルと並ぶと小洒落た感じのオフィスビルにしか見えない。

 だがめいばんにははっきりとからす高等学校と書かれている。

 ここが目的地の鴉摩高校で間違いはないようだ。

 都会の学校というのはどこもこういった感じなのだろうか。


 時刻は午前八時十五分。

 登校時間帯ということもあり、通りには桜と同じ制服を着た鴉摩高校の生徒が歩いている。

 今のところ、飛行術を使って登校している生徒は十人ほどしか見ていない。カルナから聞いていた通り、初級者向けの霊術師養成学校であることがありありと感じられた。


(……?)


 複数の視線を感じ取り、桜の花が咲き開いて迎える正門に目を向ける。

 わざわざ立ち止まって桜達に視線を向けている生徒のかたまりが一つ。桜の視線に気付いてか生徒達は慌てたように校舎へと去っていく。

 また見られていた。

 何故かと少し考え、これにはすぐに思い至る。


 学校が始まってそこそこ経っているというのに、鴉摩の制服を着ていながら物珍しそうに突っ立って校舎を眺めていればおかしな奴等だと思われても仕方がない。

 さっさと中に入ろう。


 都会の街並みに目を輝かせている詩織を連れ動かし校舎へと向かう。

 昇降口で詩織が持ってきてくれた上履きに履き替える。

 校舎内も外観通りの洒落た造りをしているのだが、制服を着た生徒がいるからか、違和感のない学校特有の空気感がそこにはあった。


「本当にみなさん同じ服を着ています。やはり不思議な場所ですね、学校というところは」


 天然不思議ちゃん全開のコメントをする詩織を横に、桜は校内マップのようなものがどこかにないか辺りを探す。


「桜様、桜様。奥にカルナさんの鳥さんが居ますよ。また案内をしてくれるのではないでしょうか」


 一階から天井まで吹き抜けたホールに高揚を帯びた詩織の声が広がる。同時に周囲に居た生徒達から強く視線が集まるのを感じた。


(……やってしまった)


 桜は頭を抱えた。どうしてここへ来るまでに気付けなかったのか。


「桜様?」


 きょとんと、周囲の反応に全く気付いていない様子の詩織。

 桜は溜め息交じりに応える。


「……そうね。行きましょう」

「はい!」


 桜達より先に校内へと入り込んでいた赤鳥と合流。

 赤鳥の案内により南館のフロア一階、長机と椅子がずらりと並んだ広間に辿り着いた。


「ここが〝かふぇ〟ですか」


 詩織が舌っ足らずに言う〝かふぇ〟はカフェテリアを略したものであり、ここは生徒達が食事をとるための場所、つまりは食堂だ。

 わざわざ食堂をカフェテリアと気取った呼び方をしているだけあって、木の香り漂う温かみのある空間となっている。

 そしてこのカフェテリアが詩織が雛に紹介された人物に指定された待ち合わせ場所であった。


「誰もいませんね」


 約束の時間は過ぎているはずだが、カフェテリアには誰一人もいなかった。

 とりあえず中で待とうと、カルナの赤鳥が羽休めをしている近くの窓際のテーブルに座る。


 カチコチと正確に時を刻む音だけがカフェテリアに響く。

 対面に座る詩織と目が合う。すると詩織はまた照れ照れと恥ずかしそうに視線を逸らす。

 桜は小さく息をつき、話を切り出した。


「あのさ、詩織」

「は、はいっ。なんでしょう桜様」


 弾んだ返事と共に詩織は姿勢を正す。

 先ほど周りの生徒の反応でようやくというべきか、今更というべきか、気付いたことがある。


「その桜様って呼ぶの、止めてくれない?」

「えっ……」


 詩織の桜様呼び。

 最初は違和感しかなかったはずなのだが、詩織が桜様桜様と鳴き声のように連呼するものだからすっかり麻痺してしまっていた。カルナの桜様呼びを完全スルーしてしまうほどに。


「どうして、ですか」

「どうしても何もやっぱ様付けはおかしいって。現にさっき周りから変な目で見られてたし」

「……では、他にどうお呼びすればよろしいのですか」

「呼び捨てでいいわよ。詩織は私より年上なんだし」

「それはできません」


 詩織はにべもなく撥ねつけた。

 イラっと頭に血が上りかけるのをどうにか抑え、呼吸を一つ。

 落ち着こう。


「詩織とはさ、これから一緒に暮らすわけだし仲良くやっていきたいって思ってる。だから桜様なんて呼び方じゃなくて、桜って、呼び捨てで呼んでほしいなって」


 できる限りの和らげた声で桜は言った。

 しかし詩織は、


「できません」


 と、考える素振りを一切見せずに答えた。

 その態度にはさすがに我慢がきかず、桜はきつく詩織に睨みをきかせる。


「呼び捨てにしろっつってんのよ」

「嫌です……。桜様は桜様なんです」


 それでも詩織は揺るがなかった。

 うるうると瞳を潤ませながらも詩織は譲る気配を見せないでいる。


 国神と神子。

 主従関係にあるとは言っていたが、そこまでこだわるものなのだろうか。

 よく分からないが、どうにも桜様という呼び方は、詩織の中では絶対に譲れないものであるらしい。


 桜は本日何度目かの溜め息をついた。

 だからといって公共の場で桜様と呼ばれるのはきつい。

 今のうちにやめさせるべきなのだが、


「桜様……怒って、いられますか?」


 不安げな表情をして詩織が聞く。

 そんな詩織を見て、今朝写真を撮らせて欲しいとせがんできた時に沸き上がってきた感情がまた胸の内に現れた。


(……ほんと、なんだろうこれは)


 詩織に対して優しくしてあげたくなる、こちらが折れてあげたくなる、この気持ちは。


 疑問を抱きつつも桜はふっと息をつき、怒っていないと表情を和らげる。


「しょうがないわね」

「ではっ、桜様とお呼びしても?」

「ええ、もう好きにして」

「ありがとうございます、桜様!」


 とても嬉しそうに詩織は桜の名前を呼んだ。


 時折、廊下側の窓から通りがかる生徒が教室へ向かわずカフェに居座っている桜達に気付いては興味深げに目を向けてくる。

 その様子を見て桜は鴉摩高校に来てから気になっていたことを思いだし、鞄の中からパンフレットを取り出した。


「うわ……やっぱりここ、女子校なのか」


 女子校と校名についていないが、パンフレットの学校紹介では女子校だとしっかり書いてあった。道理で先ほどから女生徒しか見かけないわけだ。


「桜様は女子校、お嫌いですか?」

「どうだろ。女しかいない空間ってのも、それはそれで面倒そうなのよね」


 室内にチャイムが鳴り響く。時間的に始業を知らせるチャイムだろう。


「しかし現れないわね、詩織と約束した奴」


 待ち合わせ場所であるカフェに来てかれこれ十分ほど経った。

 本来の待ち合わせ時間は八時。もう三十分以上過ぎている。

 カルナが遅れるという旨を相手に伝えてくれたはずなのだが。


「カルナさんに聞いてみましょうか」


 詩織は制服のポケットから透明な丸いものを取り出す。

 カルナから貰ったデバイスだ。

 詩織が思念で呼びかけをしてから一分ほどして、


『お待たせしました。桜様、詩織様』


 デバイスからカルナの思念が送られてきた。


『ナナが待ち合わせ場所に現れないことについてですね』

「ナナ?」

「そのナナさんが約束をしていた方ですか?」

『あ、そっか。あの子、名乗ってないのか。そういう段取りだっけ』

「段取り?」

『あー、いえ、こちらの話です。その……その通りです。詩織様と約束をしていたのが……その、私は彼女のこと、ナナと呼んでいまして』

「………………」

『………………』

「え? それで?」

『ですよね』

「何が?」

『す、すみません! 何でもないです!』


 おそらく何でもなくはないのだろうけれど、なんだろう。


『ナナは私の同僚です。そして私と同じく、雛様から桜様と詩織様の守護者として選ばれた者でもあります』


 カルナの同僚・ナナ。

 同僚ということはやはり神衛隊の一員であるようだ。

 そして守護者ときたか。

 守護者とはまた大層な肩書きだが、つまりは雛が用意したお目付役だ。


『桜様と詩織様に学校を案内するのだと昨夜ははりきっていたのですが……現在、ナナの行方が掴めなくなっています』


 カルナの話によるとそのナナも桜と詩織が持つものと同じ通信デバイスを持っていて、常に現在位置が把握できる状態にあった。

 だが先ほどナナと連絡を取ろうとして反応が消えていることに気付いたとのこと。今も反応は途絶え携帯も繋がらない状態であるらしい。


『とはいえご心配は無用です。少し気になる点はありますが、ナナが今どういう状況にあるのかはおおよそ見当がついていますので』


 カルナの同僚・ナナは何らかのトラブルに巻き込まれたようだが、カルナの口調からしてそこまで深刻な状況というわけでもないらしい。


『ナナは昨日、ある女の子を探すために私達とはほとんど別行動を取っていました』

「ん? まだそのナナって奴の話続くんだ」

『すみません。ナナの行方が掴めなくなっていることは〈未来視〉の件と関わりのない話なのですが……この学校を見て回られるのでしたら、彼女のことを話しておいた方が混乱もないと思いますので』

「彼女?」

『桜様、そのナナが探していた女の子というのが実は――』


 ガン!!

 突然の物音に近くに居た赤鳥が飛び立ち、驚いた詩織の手からデバイスが放れた。

 宙に投げ出された詩織のデバイスを桜は軽くキャッチ。

 物音の方を見るとカフェテリアの床に倒れて頭を抑えている女が一人。

 そして女の後ろで揺れ動いている扉。勢いよく開いた扉が跳ね返ってきて頭をぶつけたのだと思われる。

 女は制服ではなく白衣のようなコートを羽織っており、頭には山羊のような獣の角が生えている。


『あれは桜様と詩織様が所属するクラスの担任教師ですね。おそらく桜様達を教室へ迎えにきたのだと思います』

『何で私達のこと分かったんだろ』


 赤鳥が離れたため、桜はデバイスでカルナに思念を送る。


『今日桜様達が登校されるということは学校側に伝えていました。あとは、桜様も詩織様もとても目立たれていたようなので』


 生徒から教師に不審な二人組が居ると伝わればそれが絢咲桜と唯識詩織だと分かるわけか。


 立ち上がる女教師。目が合うやいなや、さっと椅子の後ろにしゃがみ込んだ。

 やがて嗚咽のような声が漏れ始める。

 何だこいつは。

 哀れに思ったのか、詩織が教師の元へ向かう。

 少しして、


「桜様。もうすぐほーむるーむ? なので教室に来て欲しいと言っていますが」


 何故か教師の代弁をする詩織。


「悪いけど私達、今日は授業受けに来たわけじゃないから。だから私達のことはほっといてくれない」


 また少しして、


「それは困ります、だそうです」

「自分の口で言えよ」


 ひゃっ、と小さく悲鳴を上げる女教師。

 何をそんなに怯えているんだ。ほんとめんどくさい。


『桜様』

『ああごめん、話の途中だったわね。でもちょっと待ってくれる。今詩織デバイス手放しててカルナの思念が聞こえてないから』

『いえ、このままで大丈夫です。詩織様にはあまり関わりのない話ですので。もし必要とあれば桜様から詩織様にお伝えしていただければ』


 カルナは先ほど途切れた話の続きをはじめた。

 そして、


(……!!)


 ガタン、と椅子を倒して桜は立ち上がった。


「教室」


 詩織になだめられている教師に目を向ける。


「教室まで案内して」


 教師の泣き顔が一気に晴れへと変わった。


「桜様、どうされましたか」


 側に来た詩織が尋ねる。

 まだ話を続けているカルナの思念に集中しつつ、桜は詩織に応える。


「ちょっと教室で調べたいことができた。ともかく、一時間だけ授業受けようか」

「了解しました」


 教室前へ着くなり、桜は担任教師の言葉を無視してすぐさま中へと入った。

 いきなり入ってきた見知らぬ顔の桜に静まる教室。後ろから入ってきた担任教師を見てぽつぽつと席に座り始めていく。

 様々な色合いの視線を受けながら、壇上から桜はクラスメイトの顔をじっと見ていく。


(…………)


 全員が席に座る。

 空席が三つ。窓側の前の席二つに、扉側の一番後ろの席が一つ。


 桜は担任教師から出席簿を奪い取る。

 出席番号とその横に名前がずらりと並んでいる。一番上には桜の名前があり、そして桜の名前の下にはとてもよく知った名前があった。

 桜の幼なじみ、いさはやの名前が。

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