07 強化


「やはり、負荷の影響は大きいですか?」


 上空の防壁を消し終えると、詩織は気遣わしげに桜を見て言った。


「そうね、思っていた以上に弱体化してた。最後の防壁にはまるで歯が立たなかったし、能力半減どころじゃないわね」

「そうですか……」


 詩織の眉が曇る。

 先ほど上級霊術が使えなくなったことについて説明を受けている時にも薄々感じていたが、やはり詩織は神核の負荷について事前に説明できていなかったことを気に病んでしまっているようだ。


「詩織が気にすることじゃないわ」

「えっ……?」

「正直、なんの代償もなしに生き長らえたってのも気持ち悪いと思ってたし、これくらいの枷があって丁度良いくらかなって思ってる。負荷に関してはもうちゃんと受け入れてるから。だからそんな顔しない」

「……はいっ。ありがとうございます、桜様っ」


 よしよしと頭を撫でたい気持ちに駆られたが、さすがに恥ずかしいので止めておく。


「さてと、じゃあそろそろ行こうか」


 置いた鞄を取りに行こうと少し歩いたところで、詩織が「あっ」とまた何かを思い出したかのように声を漏らした。

 嫌な予感を覚えつつ振り返る。


「桜様、神核のことであと少しお話しておきたいことがあるのですが」

「……また悪い話?」

「いえ、今度は良い話です。桜様、神核を手にしたことは決して悪いことではありません。神核を認識できていない今の桜様でも使用できる神核の力がいくつかございます。その力についてご説明いたしますので、それも今ここで試されてはいかがでしょうか」


 神核の力。

 今のところ詩織から聞いた具体的な力といえば〈未来視〉くらいか。

 その〈未来視〉も自在に使えるわけではないし、今すぐに使える力というのは魅力的な話だ。

 負荷によるマイナスを帳消しにするような力があるとは思えないが、それでも知っておいて損はないだろう。


「聞かせてくれる?」

「はい!」


 いきいきとして詩織は話し始める。


「まずなんといっても領域です。神核が形成している領域は、当然ながら神核と同調している桜様の領域です。すなわち、国内全てを包み込む巨大な領域を桜様は自由に扱うことができるのです。と言っても、神核の力をまだ引き出せていないため扱える領域は桜様が認識している空間に限られますが、それでもこの世界において最上位の領域をいつでもすぐに扱えることはとてつもない強みだと思います」


 それだ、と桜は思った。

 神核と同調する者は神核が形成している領域を使用できる。

 すぐに先ほどの予想が当たっていたことを確信する。


「それってさ、感知領域が強化されたりもする?」

「はい! 領域系の霊術や空間に関わりのある霊術は認識している空間内であれば強化されることになるかと」


 やはり感知領域の強化は神核の領域と関係があったか。

 しかし残念ながらその系統の霊術は苦手、というよりもしように合っていなかったため習得し練度を高めた術はわずか。

 感知領域と、あとは――。


「ん? 空間に関わりのある霊術が強化されるって話だけど、でも空蹴りは全然強化されてなかったような」

「空間系の霊術といっても術の方向性によっては強化されないものもあるようです。領域系の霊術ならほぼ全て強化されるはずですが」

「領域系の霊術か。……術式展開領域だったら、かなり精度の高いのを簡単に広げられるようになるとか?」


 術式展開領域は一応習得しているのだが、習得してすぐに必要のない霊術だと切り捨てた。だから熟練度はほぼゼロだ。

 これを機に使い始めてみようかと考えていると詩織は予想だにしないことを言い出した。


「いえ、術式展開領域に至っては使う必要すらありません」

「……どういうこと」

「国神の領域を術式展開領域として使用することができるからです。といいますか、現時点での領域の主な使い方がそれですね」


 他の領域系の霊術は強化でどうして術式展開領域だけが国神の領域をその代わりとして使えるのだろうか。


「ともかく、実際にやってみるしかないわね。どうすればいい?」

「特別何かをする必要はございません。空間を意識していただければそれで桜様の領域として扱えるはずです。桜様、術式展開領域を使わずに、上空に、できるだけ遠くへ……そうですね、防壁を展開していただけますか」

「分かった」


 顔を上げ、右手を空に掲げる。

 軽く息を吸って、吐く。

 詩織が先ほど防壁を展開していた空間を意識する。

 防壁を発動――――展開。

 上空に青の光壁がぐんぐんと広がっていく。


「凄い。ほんとにできた」


 通常、術者から三メートルも離れれば展開することができない防壁。それを百メートルも離れた位置に術式展開領域なしでいともたやすく展開することができた。


(これが、神核の力……)


 手を掲げたまま棒立ちでいると、隣に立つ詩織がまたさらりととんでもないことを口にする。


「術式展開領域と違い、国神の領域ならどれだけ遠くに展開しようと霊術は一切劣化しません」

「劣化しない!? マジで?」

「まじ……です?」

「とんでもないわね。……でも今の私の霊術全部が弱体化してるから劣化しなかろうがあんまり意味ないような」

「それは、そうなのですが……」

「いや、でもたしかにこれは凄いわね」

「はい! 凄いです!」

「そうだ」


 劣化なしで霊術を遠くに展開できる。

 ならまず一番に確かめておきたいのは。

 桜は再び上空に手を向け、霊術を発動する。


 数秒して、きん、と鈴のような音とともに桜色の小さな花びらが現れた。

 桜の掲げた手のすぐ上に。


「やっぱりこれは無理か」


 瞬く間に花びらの炎は散っていく。


「今のは桜様の〈花炎〉、ですね」

「ええ。領域使って遠くに展開しようとしたんだけど、ダメだったみたい。遠くにとばす意識はしたんだけど、〈花炎〉はどうやっても術の発動と同時に炎が現れてしまうから。……まあいいわ」


 桜は展開している防壁よりもさらに上空に霊撃を展開。腕を振り下ろすとともに霊撃を地面に向けて撃ち放ち、自身で展開した防壁を破壊した。


「というかさ、国神の領域が使えるってこと、演習前に教えてくれたらこれも含めて色々試せたのに」

「すみません。集中する桜様に見とれてしまってお伝えしそびれました。もう一度演習を行いますか?」

「いや、もういいよ。町から離れてるとはいえ、誰かの目に留まって騒ぎになるとめんどくさいし。……というか、私に見とれてたって……何で?」

「それはもちろん、桜様があまりにもお美しくて」

「美しい? 私が? どこをどう見たらそう見えんのよ」

「どこをどう見てもお美しいです! お美しすぎて……もう本当に困ります」


 頬に手を添え、うっとりした顔をする詩織。

 なんだそれは。変わり者ここに極まるといった感じだ。

 おそらく強い感情補正で詩織の目にはそういう風に見えてしまっているのだろう。

 まあ良いふうに見てくれているのだから別にいいか。


「それで詩織、私が使える神核の力ってのはまだ他にあるの?」

「はっ、はい! 霊力の回復です。霊力が底をつきかけると、神核が霊力を回復してくれます。つまり霊力切れを気にせず常に全力で霊術を使えるということです」


 霊力回復。

 底をつきかけなければ回復しないという若干使い勝手が悪そうでもあるが、本当に霊力が回復できるのなら、負荷により必要以上に霊力を使わないといけないため大いに助かる。


「といっても限度はあるんでしょ」

「どうでしょう。少なくとも神核の力を引き出していないせんざい状態であれば実質霊力は無限に回復できるかと思います」

「む、無限……!?」


 またこの子は何でもないかのようにさらっととんでもないことを言う。世界の法則を根本から揺るがすとんでもない話だと思うのだが。


「冗談じゃなく、本気で言ってるのよね?」

「もちろんです」


 国神の領域に加えて無限の霊力回復ときた。

 これで負荷がなければ。

 さらに神核を使いこなし、領域と〈未来視〉を自在に扱えるようになれば。

 なるほど。詩織が絶対的と言ってみせたのも頷ける。


 しかし、と桜は考える。

 得体の知れないものだとは思っていたが、尚のこと自分の内にあるものが何なのか分からなくなってきた。

 神核。神の核。

 本当に名前通り、人智を越えた代物なのだろうか。


「今更なんだけど、神核ってのはいったい何なの」


 訊くと、詩織の顔つきが少し神妙なものへと変わる。


「私も神核がどういうものであるのか、その詳細は知りません。私が知っていることは、神核はこの世界のことわりを揺り動かす強大な力を秘めたものであるということ。そして神核はこの今ある世界よりも前から存在しているとのことで……」

「この世界よりも前……。それってもしかして、世界再生神話における〈旧世界〉のことか。あの神話で描かれていることは空想じゃなくて、全部事実だって言うの?」

「世界、再生神話?」

「え……もしかして、詩織は知らない? 〈再生の大樹・アリア〉とか聞いたことない?」

「申し訳ありません。聞いたことがないです……」


 翡翠の瞳がわずかに潤みはじめる。

 感情の起伏が激しい子だ。本当に二十歳か。


「いや、大丈夫よ。知らなくても全然大丈夫。別に私もたいして詳しいわけじゃないし」


 実際のところ、この世界の成り立ちを知ろうとする上で必ず引き合いに出される、知らないでいるほうが難しい全国共通のポピュラーすぎる神話だ。

 とはいえコンビニの存在を知らなかった詩織なので、神話のことを知らなくてもそこまで驚きはない。


「私は、本当に世間の物事を知らないのですね……」


 がっくりと肩を落とす詩織。

 かわいそうだが、自覚があってくれて何よりだ。


「別にいいじゃない。これから知っていけば」


 軽く慰めの言葉をかけると、詩織はぱっと顔を上げる。

 沈んだ詩織の目に光が戻っていく。


「ありがとう、ございます。桜様は本当にお優しいです……。桜様、私がんばって学校で勉強して賢くなってみせますので。ですからどうか見守っていてください」

「うっ、そ、そう……ね」


 詩織にはある程度の常識を身につけて欲しいと思っている。それを手っ取り早く学ぶとするなら、学校という場所が適しているのかもしれない。

 学校。やはり通わないといけない流れなのか。どうにか回避したいが、詩織一人で通わせるのも不安だし、どうしたものか。

 ともかく、この問題は後回しだ。


「それで……そう、神核の力。領域と霊力の回復。その他にもまだ何かある?」

「はい、もちろんです。回復するのは霊力だけでなく……」


 詩織の小さく開いた口が止まる。


「詩織?」

「いえ、すみません。神核の力についての説明はこれで以上です」

「え? でも今何か言いかけてなかった?」

「はい。もちろん細かく挙げればまだいくつかあるのですが、ひとまず今ご説明させていただいた二つの力を意識していただければよろしいかと」


 ぎこちない笑顔。

 明らかに何かを隠している。

 しかし神核のマイナス面の話ならともかく、プラス面の話で隠すようなことがあるのだろうか。


「……そう。分かった」


 ともあれ新たに得た二つの力。

 国神の領域と霊力回復。

 負荷により弱体化している今これをしっかり活かさなければ。


 特に国神の領域を使っての広範囲、劣化なしの霊術展開。

 これは使える。

 霊術の使い方、その幅が大きく広がる力だ。

 領域は常時展開されているためすぐさま使えるというのもなお良い。

 とりあえず今の自分が扱える限界距離を把握する必要がある。移動中試してみるか。

 国内全てが領域。となると、神核を使いこなすことができれば、国内全域のどこにでも霊術を発動させることができるということなのだろうか。


(……あ、そういえば)


 国神の領域について考えていると、先ほど気になっていたことを思い出した。


「ねえ詩織、さっき国神の領域が侵蝕を受けてるって言ってたけど、それって大丈夫なの?」

「大丈夫です。よほどのことがない限り負荷がそれ以上強まることはありません」

「いやそうじゃなくて、領域の侵蝕ってつまり国神の加護が弱まってるってことなんでしょ? だったらこの国の住人に何か影響とか出たりとかするんじゃ」

「なるほど、そういうことですか! さすがです、桜様!」


 ぱっと詩織の目が輝く。


「ご安心ください。侵蝕を受けているといっても領域の端側だけです。領域全体が侵蝕を受けているわけではありません。上手く同調できていなかった私でも問題ない範囲で領域は維持できていたそうなので、桜様なら尚のこと大丈夫です」

「そう」


 素っ気なく返すも、詩織の真っ直ぐ輝きに満ちた視線は収まらず居心地が悪い。


「……あのさ、別にそういうんじゃないから。私の知らないところで誰が死のうと知ったことじゃない。私はこの国を守ろうとか、そんな大層な志を持って国神になったわけじゃないんだから」


 だが詩織は何やら分かっていますよというな微笑みと共に、「はい」と頷く。


(…………)


 詩織は勘違いしている。

 あの時リリスに手をさしのべたから優しい人だとか思っているのかもしれないが、それは大いに間違いだ。

 たとえ見た目がかわいい妖精でも中身がクソ生意気なガキだったなら即警察に預けていた。

 リリスだから手をさしのべた。

 礼儀正しくて物知りで優しくてかわいくて、あんなにも小さな体でありながら勇気があって。

 そんなリリスだからこそ力になろうと思ったのだ。

 困っている人がいたら誰でも助けるような変わり者だと思われるのは心外だ。


(リリス、今どうしてるかな……)


 昨夜、神都市内を歩き回る中で偶然出会った紫色に光るキュートな妖精の女の子、リリスのことを思う。

 神都平日神宮の祭祀場で別れたあの後リリスはどうしたのだろう。

 仲間と、大妖精と無事に会うことができただろうか。


「ねえ詩織、雛と連絡が取れたらさ、リリスのこと――」

「リリスさんがどうされましたか!?」


 いきなり大きく反応する詩織。

 どうしたんだ。


「いや、リリスがあの後無事家に帰れたか心配でさ。雛なら多分その辺りのことも知ってるだろうし、連絡取れた時ついでに訊いといてもらえたらなって」

「わかりました」


 やけに嬉しそうに答え、そうだ、と詩織は両手を合わせた。


「もしかしたらカルナさんなら知っているかもしれません。丁度カルナさんも桜様に挨拶しておきたいと言っていたので、呼んでみますね」

「カルナ?」

『カルナさーん、来ていただけますかー?』


 詩織が思念を使って周囲に向かって呼びかけた。

 すると奥の木々から一つの影が飛び出し、しゅっとすべらかに滑空し、一羽の真っ赤な鳥が、桜達の前に姿を現した。

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