06 弱体化
高度二百メートル。
うららかに晴れ渡った青空を桜は真っ逆さまに落ちていく。
重力に抗うことなく風に身を任せながら桜はすっと目を閉じ、いつも以上に力の調整を意識しながら全身で把握する空間に集中する。
数秒して、広げた
数は三〇。
直径百五十センチほどの平べったい円形の物体。
全部が同じ大きさ、形をしていて、三六〇度全方位に散りばめられている。
次は速度を確かめよう。
開いた目に、ぼっと炎が燃え立つように青い光が灯る。
それと同時に両の拳に纏っていた蒼炎が激しく燃え上がり、さらに全身から青い光が溢れ出た。
空間を蹴りつけ、力を爆発させる。
ギギギギンッ!!
無数の破砕音と共に、空よりも一層深い青の閃光が空間を炸裂した。各所に展開されていた翡翠の丸い光壁、その全てが破片となって空に消えていく。
『お見事です桜様!』
地上から感嘆の色を帯びた詩織の思念が届く。
その思念とは対照的に桜の表情は苦々しいものだった。
(これが今の私が出せる最高速度……)
落ち込むのはあとだ。
桜は空蹴りを三回重ね、さらに上空へと昇る。
温かな陽光を浴びながら、地上に居る詩織に向かって思念をとばす。
『詩織、次でラスト! 最大強度! できる限りでかいやつ!』
『了解です!』
返事と共に、桜がいる上空と地上の丁度中間地点辺りに巨大な翡翠の光壁が現れた。
(速い……!)
展開された防壁は地上にあるマンションを余裕で隠しきるほどの大きさだ。
基礎霊術とはいえ、これほどの防壁を一瞬で展開してみせるとは。
昨夜の決闘時には防壁が見えなかったため掴めなかったが、やはり術の展開速度もトップクラスだ。
桜の右足に青い炎が集う。
爆ぜた炎の加速をもって一直線に空を掻き切る。
重い轟音が空に響くと同時に、青い炎が巻き上がった。
「くっ……!」
詩織の防壁は桜の蹴りを完全に受け止めていた。
まるで手応えがない。
こうなったら。
桜は防壁を蹴り再び上昇。右手を左手で抑えながら最大出力の霊撃を手元の一点に集束展開。空を蹴って反転。
「はぁぁぁっ!」
おもいっきり溜め込んだ青い光迸る右拳を叩き込む。
昨夜の決闘でも使用した対防壁用貫通霊撃。
視界を染め上げる青の奔流は確かな手応えと共に切削音を鳴り響かせた。
十秒ほどして全ての霊撃を出し切り、
「はぁっ、はぁ、はぁ……っ」
肩で息をしながら桜はそのどうしようもない現実を直視する。
翡翠の防壁に穴は空いている。だが防壁を貫通しきることはできなかったようだ。そしてその空いた穴もすぐに塞がっていく。
最大強度と注文したが、あの時の防壁と違って詩織と防壁との距離は大きく離れている。
術者から大きく距離の離れた防壁。それに桜の攻撃は全て封じられたのだった。
完敗だ。
「はぁぁ……」
溜め息を吐いて桜は防壁の上に仰向けに寝転がる。
(一応まだ〈
街へ下りる前に霊術を試しておきたいと桜は詩織に言った。
神核の負荷の影響を受けて自分が今どれほどの力を扱えるのか把握しておきたい。
街中で霊撃などの攻撃性霊術を使えば警察沙汰となる。だから今ここで演習をしておきたいと。
詩織は快く了承した。
まず地上にて、よく使う霊術を一通り発動確認をしていった。
飛行術のように効力を失った霊術が他にないか、負荷の影響で発動できなくなった霊術がないかを知るために。
地上での確認を終えたあとは、実際に動きながらそれぞれの霊術のコントロール、威力等を確認するため、詩織に的となる防壁を上空にランダムで展開してもらった。
そして今、それが終わったところだった。
結果は散々なものだった。
霊力の乱れはわずかなものであるらしいが、それを認識できず、正常の霊力として使用していることによるズレは大きいらしく、ほぼ全ての霊術の性能が低下していた。
一番の痛手は
強化度合いがダウンしたことにより、桜の最大の武器であるスピードが大きく低下。
炎による加速を合わせても以前の三割ほどの速度が限界となっていた。
さらに空中での移動となると速度はさらに下がる。
飛行術は使えなくなったが、空蹴りは飛行術とは別系統の霊術であるため使用できる。だがもちろん空蹴りも負荷の影響を受け安定感がなくなっており、空蹴りを使用する度にどうしても速度が落ちてしまうのだった。
あまりにもな速度低下に心が崩れ落ちそうだ。
そして追い打ちをかけるようにさらなる弱体化。
飛行術に続いて使えなくなった霊術があった。
その霊術の名は、神経加速。
知覚能力の強化と解放により術者の主観時間を緩やかにする強化系霊術。
極めれば極めるほどに時間の流れは緩やかになる。
桜は周囲がほぼ静止して見えるほどまでに神経加速を使いこなしていた。
その神経加速が使えなくなった。
効力を失った飛行術と違い、発動そのものができなくなったのだった。
これもまた神核の二つ目の負荷によるものだと、先ほど地上で一通り霊術を試していた時に詩織がこれまた申し訳なさそうに説明してくれた。
二つ目の負荷、認識できない霊力の乱れにより上級霊術がほぼ使えなくなるのだと詩織は言った。
上級霊術は術式習得の難易度もさることながら、精密な霊力操作を行えることが前提条件となる。
神経加速などまさにその典型的な霊術で、霊力に異常がある状態では使えなくなって当然というわけだ。
あらゆる霊術の性能低下、さらに超速戦闘において要となる神経加速が使えなくなってしまい弱体化は止まることを知らない。
だが唯一性能が低下しなかった、むしろ向上した霊術がある。
五感強化の霊術も負荷の影響を受けている。だから当然それにならって感知領域も弱まるはずなのだが、先ほど空中で使用した際、以前よりも素早く領域を広げることができ、より鮮明に空間内を感知することができたのだった。
軽く広げただけで山の中に居る動物たちの位置と数を完全に感知。風の流れ、さわさわと葉が揺れる音、土の匂い、鳥たちの体温までもが手に取るように分かり、昨夜の決闘では感知できなかった詩織の
あらゆる霊術の性能が低下した中、どうして感知領域だけが強化されているのか。
一つだけ心当たりはあるが。
身体を起こし、立ち上がる。
本格的に身体を動かしてようやく気付いたのだが、どうにも昨日三年のブランクで鈍っていた身体がどうにも回復しているようだった。
完全に戻ったとはいえないが、昨日と比べれば格段に身体を思うように動かせる。
おそらく神核の力によるものだろう。
まだ気付いていないだけで神核を手にしたことでプラスになっているところは他にもあるかもしれない。
そう、これでもまだマシな方だと桜は気持ちを持ち直す。
霊術だけを頼りに戦う一般的な霊術師が二つ目の負荷を受けたら目も当てられない惨状となっていたはずだ。
桜は違う。
霊術能力は落ちたが、身体能力は以前と変わっていない。
桜の体つきは細く、体重も見た目通り軽い。外見からして筋肉なんてものもほとんどないように見える。
だが桜は霊術なしで人の常識を遥かに超えた身体能力を発揮できる。
その桜の軽くて強い身体は、幼い頃雛の特殊な修練によって手にしたものだっだ。
(もしかして雛は、こうなることが分かっていたから……)
雛の修行は霊術よりもあきらかに武術、身体を鍛えることを重視していた。
そのことに対して当時の桜は特に疑問を抱いたことはなかったが、雛は神核の負荷を見越してそのような修行方針をとっていたのかもしれない。
防壁から飛び降り、濃緑の木々の中にぽつりと聳え立つマンション、そのコンクリートの敷地内に降り立つ。
「桜様、もうおしまいでよろしいのですか?」
駆け寄って来た詩織が訊く。
次でラストだと先ほど言ったはずだが、どうやら意味が通じていなかったらしい。
「うん、今ので終わり。だいたい把握できたわ。付き合ってくれてありがと」
「いえ、そんな。たいしたことはしていません」
またほんのりと白い頬を朱に染めつつ詩織は顔を上げ、左手を空に掲げる。
上空にある翡翠の防壁が空からすっと消えていく。
その様子を見ながら桜は考える。
桜の攻撃を完封した防壁は地上から上空まで百メートルくらいある。
術者から遠く離れたあの位置にあそこまで強度の高い防壁を展開できるのは、詩織が広域かつ精度の高い術式展開領域を展開しているからだ。
霊術を術者から離れた空間に展開するための領域系霊術。
術式展開領域を使わずとも、霊術を空間に直接展開することは可能である。
だがたいていの霊術は術の起点となる術者から離れれば離れるほどに大きく劣化、もしくは展開そのものが困難となる。
だから術式展開領域は、厳密に言うと術者から離れた空間に展開する霊術を安定・補助するための霊術というわけだ。
特に防壁のような展開範囲の狭い霊術を遠くへ展開するには術式展開領域が必須となる。それでも距離による劣化を完全になくすことはできないが。
そして詩織の術式展開領域は格別だ。
領域の精度の高さは言わずもがな、本来ならうっすらとした光として現れる領域が詩織の透明な霊力により全く見えない。
そこからさらに霊気の薄さも相まって詩織の領域はとんでもなく感知しづらい。
防壁と同じくステルス領域。
というよりも、詩織が使う霊術は全部自動でステルス性能がつくのか。ずるいな。
天然無色の霊力、強度の高い防壁、ステルス性能、術の展開速度、広域かつ精度の高い術式展開領域。
それらに加えて詩織は強力な異能力も持っている。
あらためて隣に居るこのおっとりした女の子は、とんでもない実力者なのだと実感する。
(礼家ってのは全員これくらいの実力持ってるもんなのかな)
赤子の頃から絢咲の礼号を持って生きてきたものの、礼家との関わりは雛と、あとは紙の端切れほどの関わりしかない絢咲周くらいのものだ。だから他の礼家の霊術師がどの程度の実力を持っているのか桜は知らない。
それでも桜は鍛え身につけたその力から、礼家の中でも自分の実力は上のほうだろうと踏んでいた。
だが初遭遇の礼家・唯識詩織の実力を知り、その考えも少し変わったかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます