02 未来視
淹れたての緑茶を飲んで桜はほっと一息つく。
食器を一通り片付けた詩織が淑やかに桜の向かい側に座り、台布巾でテーブルを丁寧に拭いていく。
「そういえば私の仮面、知らない?
「鮮花の仮面ですね! すぐにお持ちします!」
詩織はバッと立ち上がり、キッチンへと向かう。ぱたぱたと足音を響かせ、宣言した通りすぐに戻って来た。
テーブルの上に白い木箱が二つ置かれる。ずっしりと重厚感のある真新しい木箱。
詩織は片方の木箱を桜の前へ寄せた。
蓋を開ける。中には鮮やかに咲き開く赤と白で彩られた花の仮面が収められていた。
もう片方の木箱を詩織が開くと、そこには舞い立つ青と黒で彩られた蝶の仮面。
詩織は
この二つの仮面は昨夜、神都市内を探索する中で出会った仮面屋から譲り受けたものだ。
一応、物々交換という形ではあったがほとんど貰ったようなものだ。
対をなす仮面というだけあって、二つ並ぶととても見栄えが良い。
桜は鮮花の仮面を手に取り、正面から仮面を見る。
あの仮面屋にとってこの鮮花の仮面は現時点での最高傑作の仮面であり、我が子のように大事にしていた仮面だった。
とても想いの込められた仮面。
その仮面を桜は死に場所には持って行けないと昨夜ここに置いていった。
そして生き長らえた桜は今、再び仮面を前にしている。
「うぐ……」
「どうかなされましたか?」
「いや、ちょっといたたまれない気持ちになって」
そう吐き出すも詩織の頭上にはハテナマーク。
桜は何か適当な別の言葉を探す。
「まあその、見た目もつけ心地も凄く良い感じの仮面だし、これから大事に使わせてもらおうと思ってさ」
「はい! 私も桜様から頂いたこの蝴蝶の仮面、大事に使わせていただきます!」
「…………」
どうやら詩織は桜から仮面をもらったという認識であるらしい。
鮮花の仮面と蝴蝶の仮面、その交換に用いられた物の半分は詩織の成果によるもの。だから詩織が受け取るのは当然だと仮面を渡す時にも説明したはずだが。
とはいえあの時の詩織はまた不思議なくらいにぼーっとしていた。聞き流されたのかもしれない。
まあ仮面を大事にするというのならそれでいいか。
「そういえばこの容れ物、詩織が用意してくれたの?」
「いえ。この容れ物は雛様が用意してくださったものです」
「雛が? ……昨日の今日で随分と仕事が速いわね」
「はい、とても。昨夜こちらへと帰ってきた時にはもうすでにその木箱が用意されていました。何でも雛様曰く、この二つの仮面は大きな意味を持ったということで」
「仮面に、意味?」
疑問を口にしながらも、桜は全く別のことを考えていた。
詩織にあれこれと吹き込んでおきながら、いまだ一向に姿を見せない桜の義姉、絢咲雛のことを。
「はい。ただ、どういった意味を持ったのかは話を聞く時間がなかったのでまだ私も。ともかく、雛様も仮面を大事にするようにと仰っていました」
「……そう」
道中偶然手にすることになった鮮花の仮面と蝴蝶の仮面。
その仮面を保管する木箱が昨夜の時点で用意されていたということ。
かなり早い段階で情報を仕入れなければできない計らいだ。
つまり雛は今、神都にいるということなのか。
桜の中で緊張が一気に高まる。
「それにしても驚きです。雛様はとても離れた所にいらっしゃるのに、こちらで起きたことをほとんど把握されていました。必要となる物もたくさん用意してくださって、本当に凄いです」
だがあっさりとその緊張は断ち切られた。
詩織は今、はっきりと雛が離れた所にいると言った。それも、とても離れた所にいると。
少し、胸の奥が軽くなる。
仮面を木箱に収め、そして話が変わる前にとためらいながらも桜は詩織に訊く。
「ねえ詩織、その……雛は今、どこにいるの?」
「すみません。雛様が今どの国にいらっしゃるのかは私も知らな――」
「えっ、国!? ……つまり雛は外国にいるってこと?」
「は、はい。そのように聞いております。なんでも重要なお仕事だということで」
雛は今、海外にいる。
どうりで約束の場所に現れないわけだ。
「しかし、そう…………仕事ねぇ」
桜はテーブルに頬杖をつき、考えを巡らせる。
「さ、桜様っ! それは違います!」
いきなり詩織が切迫した声を上げた。
「えっ、え、何が?」
「雛様は、桜様がお目覚めになる日を前日まで知らされていなかったのです! ですから雛様は決して桜様よりお仕事を優先させたということではありません! 雛様はとても桜様のことを気に掛けていらっしゃいました……! 本当に……本当に、雛様は桜様のことを……っ」
だんだんと詩織の声は涙声になってきて、桜は急いでなだめにかかる。
「わ、分かった。分かったから、落ち着いて詩織」
しかし今の詩織の言葉、気になる部分があった。
雛は桜が目覚める日を前日まで知らされていなかった。
そして昨夜桜の前に詩織が現れたという事実から、詩織は桜が目覚める日を知らされていたということになる。
桜が目覚める日を把握し、詩織にその日を知らせ、雛には知らせなかった。
誰がそれを行った? 誰がそれを行える?
それは当然、
どうにも雛が海外にいるのは絢咲周が意図したものであるようだ。
だがどうして絢咲周は雛を桜から遠ざけたのか。
(私を
そこで一端桜は考えるのを止めた。
今はまだ情報が不足している。まともな推測ができる段階ではない。
「すみません、桜様……」
どうにか落ち着いた詩織。
「ううん。こっちこそ、なんか気遣わせちゃったわね」
「い、いえ……そんな」
何もかも見透かしたかのようにこちらを見下す
あいつの意図を掴み取るためには、まず。
「ねえ詩織、全部話してくれない? 詩織が昨日の夜、私の元に来るまでに起きたこと全部を」
あの時は聞き流してしまったが、六年前、詩織の前に現れたという〝
そのことについても今一度話を聞いておきたい。
だが詩織は顔を曇らせた。
「えっと……もしかして、話したくない?」
「いえ、是非お話したいです。ですが全部を語るとなるととても時間がかかってしまって……。それだと約束の時間に間に合わなくなってしまうのです」
約束の時間。
そういえばそんなことを言っていたな。
「誰かと待ち合わせでもしてるの?」
「はい、今日の午前八時に待ち合わせをしております。女性の方で、お名前は……何故か教えていただけなかったので分かりません。会うまでの秘密だそうで」
「なんかそいつ怪しくないか。詩織、騙されてない?」
「そんなことないです。雛様からご紹介いただいた方なので、間違いありません」
「……また雛か」
この国にいないというのに軽快に裏で動き回る雛に呆れつつ、ひとまず安心する。
雛が紹介した相手ということなら問題ないだろう。
「道中でもお話しすることはできますが、私としてはしっかりと時間のある時にお話したいです。いかがですか?」
「んー、そうね。分かった。じゃあ今日の夜にでも――――ん、道中? もしかしてその待ち合わせ場所に私も一緒に行くの?」
「もちろんです」
「もちろんなんだ」
詩織がどのような人物と待ち合わせしているのか、気になるといえば気になる。しかしそこに立ち入ってまで知りたいとも思わない。
雛の紹介とはいえ初対面の相手。それも直接会うまで名前は秘密だとかのたまう良く分からない奴だ。
面倒事の香りがする。
だがよくよく考えてみると、世間知らずなところがある彼女を一人で行かせるというのも不安でしかない。
「……まあ、別にいいけどさ」
「ありがとうございます、桜様」
不承不承ながらの返事を、詩織はとても綺麗な笑顔で受け止めた。
その笑顔に、純粋、であると同時に根本的に物事のいろはを知らない幼さを桜は感じ取った。
とりあえず雛や絢咲周、そして詩織のことを聞くのは用事が終わってからになりそうだ。
他に気になることを道中訊くことにしようか。
詩織がどこからか二つ折りの携帯電話を取り出し、ボタンを押す。
サブディスプレイに時刻が表示される。
「桜様。まだ少し時間がありますので、何か今すぐに確認しておきたいことなどございましたらどうぞ仰ってください」
「あ、じゃあこれだけ。私ってさ、今本当に国神なの? 全然そんな感じしないんだけど」
「もちろんです。桜様のその身は間違いなく国神ですよ」
詩織は胸を張り、またどこか誇らしげに言う。
その豊かな胸に目を取られないよう自制しつつ、
「と言われても、特に変わったところもないんだけどな」
「さすがです、桜様」
「さっきも言ってたけどさ、何がさすがなのよ」
詩織は嬉しそうに頷き、説明をはじめる。
「通常、神核と同調した者には負荷がかかります。一つ目の負荷は、神核との同調のずれによって発生するもの。それにより肉体か精神、もしくは両方に変調を来します。この負荷は神核との同調率を高めることで解消することができます。ですからすでに同調が上手くできている桜様には起きていません。私が国神であった時は体を動かすだけで大変苦労しました。特に何も変化がないというのは桜様だからこそであって――」
「ちょ、ちょっと待って! ……あれ? なんか詩織今、さらっと凄いこと言わなかった?」
「何のことでしょうか」
本当に分かっていないのか、詩織は小首をかしげる。
「いや、国神。詩織は今、私が国神だった時って言ったわよね。……詩織は国神だったの?」
「ああ、そのことですか。そうですね……たしかに私は国神としての役目を担っていた時があります。ですがそれは一時的なもので正式に国神を継いだという意味ではございません」
と言われてもよく分からない。
桜は目で続きを促す。
「桜様、神子になるための条件、資格として、まず第一に国神の神核と同調できなければならないのです。ですからその為に私は
「神子になるには国神の神核と同調できなければならない……か」
どういった理由でそのような条件、資格があるというのか。
ぱっと思いつく利点は、国神がいざという時に神核を神子に預けられるということ。
桜は心の中で頷く。
同調できる者が限られている神核という代物。ならばあながち間違ってはいないかもしれない。
「私が一時的に国神であった時、私は国神として最低限の役割しか果たせませんでした。しかし桜様は違います。桜様なら国神の力、その全てを引き出すことができるでしょう」
「国神の力か。なかなか面白そうな話ね。例えばどんなのがあるの?」
「そうですね。分かりやすいものを挙げるなら……やはり〈
「〈未来視〉って言うと……それは言葉そのまま、未来を視ることができるってこと?」
「はい。この国の全てが国神の領域です。国神は神核を通じて領域内のあらゆるものの流れを読み取り、未来を見通すことができるのです」
この国の全てが領域? 国神の領域?
説明にいまいち分からなかったところもあるが、とても興味深い話だ。
たしか異能力でも未来に起こる出来事を知る力というものがあった。だがその力は曖昧であったり、限定的なものだったはず。
自由自在に未来を見通す。もしもそれが本当ならまさしく神の力だ。
「ですが桜様はまだ国神になられたばかりの身。しばらくの間は無理なく生活していただいて神核との同調状態に慣れていただきます。〈未来視〉はその後で習得していただくことになるでしょう」
「了解。楽しみにしてるわ」
国神の力、〈
どれくらい先の未来まで視えるのだろう。どんなふうに未来が視えるのだろうか。
そこでふと今朝見た夢の映像が頭をよぎった。
「桜様? どうかなされましたか」
「いや、そういえば今朝少し変わった夢を見てたなぁって思い出してたのよ。白黒で、動く水墨画みたいな感じなんだけど、でもなんか妙に現実感のある夢でさ。まさかそれがその〈未来視〉だったりはしないわよね」
軽く笑って言う。
対して詩織はしばし無言で机を眺めたあと、はっと何かに気付いたかのように目を見開き、表情を強張らせた。
「桜様……その夢の内容は、いったいどういったものでしたか?」
「そうね、もの凄く広い草原があって、そこに私は倒れてて、空を見上げたら巨大な物体が……月のようなものが空に浮かんでて、そして最後にその月がすごい勢いで落ちてきて終わりって感じの夢かな」
「月……ですか?」
「いや、月って言ったのはたとえよ。その宙に浮いてた物体が丸くて光ってたからさ。本物の月だったら、もっととんでもない大きさだろうし」
それでも、あの月のような物体は直径一キロに及ぶ大きさがあった。
とはいえこれは夢の話。口にしてみるとまあなんて荒唐無稽な夢だろう。
だが詩織は口許に手を当ててなにやら真剣に考え込んでいる。
「詩織?」
そして、詩織はきっぱりとした声で言った。
「桜様が見られたその夢、〈
「え?」
「桜様。その空に浮かぶ巨大な物体を月と例えられたのは、その夢の中での時間帯が夜だったから、でよろしいでしょうか?」
詩織はすかさず訊いてくる。
「んー。白黒映像だからはっきりとは言えないけど、空全体がアレの放つ光で染まっていたように感じたから……だから、たぶん夜だと思うけど」
「……分かりました。……ひとまず夜までは…………本来であれば二日か三日の猶予…………でも神核と同調を果たしたばかりの桜様の場合……」
難しい顔をして何やらぶつぶつと呟く詩織。
「ちょっと待って詩織。〈未来視〉かもしれないって言うけど、私、〈未来視〉の使い方なんて知らないわよ」
「桜様、〈未来視〉は神核が領域を形成すると同時に備え持つ力なのです。桜様が〈未来視〉の使い方を知らなくとも、神核が桜様に〈未来視〉を視せるということは起こりえることなのです」
「神核が私に、未来を……?」
「はい。神核は所有者を維持、守ろうとする性質がございます。神核所有者が不老不死になるのもその性質によるものです。その性質は神核との同調率が高ければ高いほどに強まります。そして国神の神核は、所有者の命に危険が迫る避けがたい未来を感知した時、所有者にその危機なる未来を知らせることがある。そういった話を雛様から聞いております」
「……それ、もう性質って言うより、神核自体に意志があるってことなんじゃないの?」
「それは……分かりません。私も一度、今桜様が同調されている神核に対して唯識の力を使い、調べてみたことがあります。ですが神核に魂のようなものを感じ取ることはできませんでした」
詩織が持つ異能力、〈
霊術では一切関知することができない魂を感知し、魂の感覚――識を変化させることができる力。
その力はまぎれもなく本物で、その凄さはこの身で、この命で知っている。
「ですが、魂を宿した神核というものは存在するそうです」
ぽつりと詩織が言った。
「魂を宿した神核? それって神核に意志があることとどう違うの?」
「……すみません。今のは忘れてください。今そのことについて話しても桜様を余計に混乱させてしまうだけなので。またの機会に説明させてください」
「そう、分かった」
とても気になる話だが、ひとまず頭の片隅に置くことにした。
(というか……そうか。神核ってのは私の中にあるものだけじゃなくて、まだ他にもいくつか存在するんだ)
詩織が言った、神核が形成する領域とやら。
おそらくそれが不可視の結界であり、国神の加護と呼ばれるものなのだろう。
それが事実であるのなら、世界の見方が大きく変わる。
この世界の大部分は魔の領域に覆われている。
魔の領域――それは魔に属する生命以外を蝕む負の空間。
その魔の領域から、国神の加護と呼ばれる大結界が国を守ってくれていると言い伝えられてきた。
国全体を覆うほどの巨大な守護結界が誰にも認識されずに存在し続けているわけがない。迷信だと桜は決め込んでいたが、実際はすべて言い伝え通りだった。
神核の力は本物で、国神の加護は実在する。
そう認識した上で世界を改めて見ると、つまり現在国家として形式を持つところ、各国それぞれに神核所有者が居るということなのではないか。
最低でも国の数だけ神核が存在する。
歴史上、この
疑問は増えていくばかりだが、まず今考えるべきことは。
「詩織、ひとまず話を戻そう。とりあえず、今の私でも〈未来視〉を視る可能性があるってことでいいのよね?」
「はい」
「でも、ただの夢って可能性も十分にある」
「その通りです」
「で、確認する方法はあるの? 私の視た夢が〈未来視〉かどうかって」
「……そうですね。ひとまず桜様が見られたその夢について、もう少し詳しくお聞かせ願いたいのですが」
「詳しくって言われても、そんな内容のある夢でもなかったような」
どこかの草原に倒れ、空を見上げると光を放つ物体――〈月〉が浮かんでいた。そして最後にそれが落ちてくる。
それだけの夢だったと言いかけて、あっと桜は思い出す。
「そういえば私の近くに一人、女が居た」
「近くに人が! それはどのような方でしたか? 顔などは見ていませんか?」
「顔はよく見えなかったんだけど……そう、たしかそいつ、学校の制服みたいなのを着てて」
「学校の制服……! もしかして」
詩織は立ち上がって後ろに手を回し、はらりとエプロンをはずした。
エプロンで隠れていた詩織の制服が露わになる。
「桜様、どうでしょうか」
「うん、かわ――――じゃなくて。その、似合ってるわよ、詩織」
「あ、ありがとうございます……」
詩織はかっと顔を火照らせて、もじもじと恥ずかしそうに俯く。
が、すぐに詩織はふるふると顔を横に振り、
「あのいえ桜様、そうではなくてですね……。どうでしょう。桜様が夢で見られた女性の制服と似ていませんか?」
「あっ、そういうこと。……いや、そういう感じじゃなかったような」
「……そうだ、まだ上着が。桜様、少々お待ちください」
詩織はまたぱたぱたと駆け出してキッチンへと消えていった。
(……なんだか妙な事になってきたな)
取り残された桜は一息ついて緑茶を啜る。
(そういえば詩織、ずっと制服着てたんだっけ)
食事中もエプロンをつけていたため、いつの間にか意識から外れていたが、これも気になっていた点だ。
(詩織って
詩織は学校の制服を着ている。
それは今日、学校へ登校するからだろう。
そして約束の時間は午前八時だと詩織は言った。その待ち合わせ場所に桜を連れていくことは、どうにも詩織の中では最初から決まっていたようだった。
なんだか、嫌な予感がする。
詩織が冊子を抱えて戻って来た。
持って来た冊子を床に置き、桜の前に立つ。
「桜様、どうでしょうか」
ぱっと両手を広げる詩織。
詩織は先ほどのセーターの上に、黒のセーラーブレザーを羽織っていた。
それを見て、じわりと夢の中で見た朧気な制服がはっきりと形を持った気がした。
「……似てる、気がする」
「そうですか! ではやはり桜様が見た夢は〈未来視〉ということに!」
「いやいや、似てる気がしたってだけよ。正直よく覚えてないし、だいたい制服なんてどれも似たようなもんでしょうに」
「そう、なのですか……?」
この反応。もしかすると詩織は今着ているもの以外の学校の制服を見たことがないのかもしれない。
「そうです桜様、私です!」
「は?」
「桜様の近くに居たという者、私ではありませんでしたか?」
ピンときた様子で詩織が尋ねる。
「桜様の危機的状況、そこに私が立ち会わないわけがありません! ……というよりも、もし本当に〈未来視〉であれば、私が側にいながら桜様にそのような事態が訪れるということに……! とても、とても不甲斐ない限りです……!」
「ちょっと詩織、落ち着いて。まだ〈未来視〉って決まったわけじゃないんでしょ」
またもや詩織の感情エンジンに火がつきそうな気配を感じ、すぐさま止めに入る。
しかしなるほど。
あの夢が〈未来視〉だったとして、あのような状況下で詩織が側に居ないというのは確かに変だ。
だが、
「まあでもその女は詩織じゃないわね。雰囲気が違う。手に変な銃みたいなの持ってたし」
「変な、じゅう……」
「あと私のこと、ちゃん付けで呼んでたっけ」
「会話をされたのですか!?」
「いや、向こうが一方的に声かけてきただけ。それも一言。たしか……『じゃあな、桜ちゃん』みたいな感じだったかな」
「そうですか……」
あと、あえて口にはしなかったがスカートの長さも違う。
詩織のスカートはきっちり膝を隠している。あの女のスカートはもっと短かった。
(あ、でもそういえば……)
夢の終わりに誰かの声を聞いたことを思い出す。
最後にはっきりと聞こえたのは詩織の声、だった気がする。
でもあれはただ単に眠っている桜を起こそうと呼びかけていた詩織の声だったのかもしれない。
「分かりました。ひとまず、雛様に連絡を取ります」
詩織は携帯電話を開き、まだどこかぎこちない指使いでボタンを押していく。
携帯を耳につける。
「繋がらない?」
「雛様は大変お忙しい身なので、基本こちらからかけても繋がらないとのことです。……はい、やはり繋がりませんね。ですが電話をかけてから六時間以内には雛様の方から連絡をいただけるそうです」
詩織は携帯を折りたたみ、真っ直ぐに桜を見た。
「桜様、雛様からの連絡が来るまでただ待っている訳にはいきません」
「まあそうね。もしあの夢が本物の〈未来視〉だったら落ちてくるもんね、〈月〉」
「はい。なんとしても阻止しなければなりません」
詩織は床にあった冊子を手に取り、机に置く。
その表紙には詩織が着ているものと同じ黒い制服を着た少女が映っていた。『私立鴉摩高等学校』と書かれている。
どうやら学校のパンフレットらしい。
「今日から私たちはこの
「……ちょっと待て。私たちって、私もか? 私、学校なんて行かないわよ」
「桜様のご年齢だと学年は一年で、今は四月、学校はまだ始まったばかりとのこと。丁度いいじゃないですか」
「あ、あれ、詩織? さっきまで私の意志を丁寧に確認してくれてたのに、何か急に雑になってない?」
「雛様から学業のことに関しては桜様の意志を問わず強制するようにときつく言われております。これも桜様の見識を広めていただくためです。ご理解ください」
「なっ……!」
嫌な予感は的中した。
冗談じゃないと桜はすぐさま反論を探す。
「いや、そもそも私、三年間眠り続けてたわけだから中学に行ってない。それに高校って入学するのに試験とかあるんでしょ? ほら、やっぱ無理だって」
「すでに入学の手続きは雛様が済ませてくれています。試験も
詩織のその柔らかな微笑みを見て、ああそうなんだ大丈夫なんだとよく分からない納得をしかけて思い止まる。
「いやいや問題大ありだから! なんにも解決してない! むしろ今さらに問題が増えた気が!」
「大丈夫です。何か問題が起きましても必ず私が解決してみせますから」
学校に行ったことがないというのに、どこからくるんだその自信は。
言い返そうとしたところで桜を見つめる詩織の翡翠の瞳がすぅっと細くなり、
「桜様。桜様が見た夢の内容はあまりにも不吉です。〈未来視〉である可能性がある以上、決して無視はできません。今は夢を〈未来視〉だと想定し、少しでもその原因を探るための行動を取るべきです。桜様が見たという女生徒を
確かに、あの夢はただの夢とは言い切れない妙な現実感があった。
かといってあれが未来に起こる出来事だと言われても信じがたい。
だが、〈未来視〉という国神の力。
前国神である
「……分かった。そうね。とりあえず、雛との連絡がつくまでは私が見た夢が〈未来視〉だったと想定して行動する。そのことに文句はないわ。でも詩織、制服は似てる気がしたってだけよ。たったそれだけの理由でその
「〈月〉が落ちる直前、倒れた桜様の側にいたという女生徒。そんな奇妙な状況に立ち会う者が桜様と何の関わりを持たない者であるはずがありません。その状況に至るまで、必ず桜様とその女生徒は関わりがあったはずです。そして私たちは今日もともと
「……なるほど」
たしかにそう言われると、
「というか詩織、結構いろいろと考えてるのね。びっくりした」
世間知らずなところはあるが、それなりに頭は回るようだ。
「まあ、詩織の考えは理解したわ。了解よ。とりあえず、学校に通うかどうかは置いといて、その鴉摩高校に行くとするか」
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