12 思案


 透き通る水晶の中を白色の光がなだらかに流れていく。

 通路の真ん中で、小さな黒猫はかんりょういきを広げながらこちらへ向かってくる彼女をじっと待っていた。


『桜ー! 桜ー? どこにいるのー? 桜ー』


 自分の名前を呼ぶ愛らしい思念を聞いて小さな黒猫はぴんと耳を立てる。

 こちらに向かって飛んで来る紫色に光る球体――妖精リリスが見えると黒猫はみにゃんと一声鳴いた。

 声に気付いたリリスはしゅんとスピードを上げ、黒猫の前で止まる。


『あなたは……桜、なのよね?』

『ええ、私よ』


 小さな黒猫――桜は思念でリリスに答えた。


『桜、あなたはいったい……』

『話は後よ。とりあえず、外に出ましょう』


 鳥居に向かって走り出す。

 来た時と同様、鳥居の後ろには通路への侵入を防ぐための薄い白色の光壁――結界が張られていた。

 最初に祠へ向かった時には通路にいくつもの結界が張られていた。だが今張られているのはこの鳥居の後ろに張られた結界だけになっている。おそらく今、警備の者が国神の祠で起きた騒動を確認するために動いているからだろう。


 小さな黒猫となった桜は結界へ近づくと、にゃーにゃーと甘い声で鳴きながらかりかりと爪で結界を引っ掻きはじめた。


「あれ? 妖精と……子猫がいるわ」


 すぐに警備の者が結界の内側に居る桜達を見つけた。 


「中で妖精が見つかったってのは本当のようだな」

「猫はさっき結界開いた時に入っちゃったのかな? よしよし。すぐに出してあげるからねぇ」


 警備の者が一人結界に近づいてしゃがみ込む。

 男の指が結界に触れる。

 桜の目の前の結界が部分的に光を失っていく。


「おい待て。勝手なことするな」

「大丈夫だって。こんな産まれてまもないような猫が妖怪化してるってことはまずないよ。結界の霊力感知にも特に目立った反応はないし、ただの子猫だよ」

「いやでも、何でこんなところに子猫がいるのかしら?」

「とにかく、結界は解くな。中の状況が把握できるまでは、ただの猫だろうと外に出すわけにはいかない」

「えー。かわいそうじゃん」


 もう一人の男の指示で結界の解除が止まる。

 結界が光を取り戻そうとしたところでパリン、とガラスの砕けるような小さな音がした。


『行くわよリリス』


 そう言って桜は猫パンチで破壊した結界の隙間をダッシュで潜り抜けた。


『え!? ちょっ、桜っ! あのっ、ごめんなさいっ! 中に居るみんなをよろしくお願いします!』


 桜は人混みの足下を縫うように駆けていく。

 雑踏賑わう長道に入ったところで無事結界を抜け出せたリリスと合流する。


『もうっ、桜! ああいうことするなら先に言ってよ!』

『ごめんごめん。でもああいうのって即興でやるから上手くいくと思うのよ』


 ぷりぷりと可愛いく怒るリリスの声を聞きながら桜は人気のない場所を探す。

 ずらりと並ぶ露店の中に品物を置いていない空っぽの露店を見つけた。桜はさっとその物陰に身を滑らせる。


『桜?』

『ちょっと待っててね』


 子猫はみぃと一つ声を鳴らす。すると子猫の体は青い影に包まれだした。

 青い影は縦に伸びていき、人の形へと変化する。

 影は露店の中で飛び散り、消えていく。


「ふぅ……」


 影が散って元の姿に戻った桜は、猫へと姿を変える前と同じ白い和服姿。右手にはぼうの仮面二つ分の破片を入れたレジ袋を持っている。


『……桜に、聞きたいことがたくさんあるわ』

「答えられることなら答えるわ。移動しながらね」

『ええ、分かっ――――きゃっ』


 桜は左手でリリスをそっと胸に抱き寄せて走り出した。


『もうっ、さっきから桜強引だわ』

「ごめん。ちょっと急いでるの」


 水晶の長道には多くの人が行き交っている。そのうえはくえんを封じたばかりで体の調子もまだ戻っておらず、上手くスピードを出して進んでいくことができない。

 それでも桜は少しでも早く外へ出ようと来た道を辿っていく。


『ねえ桜、さっきはすっごく辛そうだったけど身体はもう大丈夫なの?』


 桜の左手にぽっかりと収まったリリスが訊く。


「ええ、この通りもう大丈夫よ。さっき言った通りちょっと疲れたってだけ。心配しないで。リリスは私が守るから」

『……うん。ありがとう。えっと、それでその……詩織と、何かあったの?』

「別に。ただ喧嘩しただけよ」

『え、えー……。喧嘩、しちゃったんだ』

「というかリリス、別にあいついらないでしょ。私だけで充分よ」

『……桜は、詩織のことが嫌いなの?』

「別に、嫌いってわけじゃないんだけど。……かわいい顔してるし。胸でかいし。すっごく良い匂いするし」

『え? いや、たしかに詩織はかわいいし胸も大きいし良い匂いもするけど、なんだか桜、男の子みたいなこと言うわね』

「ともかく、あいつとは色々あるのよ。だからもうあいつと一緒に行動するつもりはないから」

『で……でも、でもね。桜と詩織ってとても良いコンビだって思うの。だから私、二人には仲良くして欲しいなーって』

「良いコンビって、どこをどう見たらそう思うのよ」

『う~ん、乙女の勘?』

「なんじゃそりゃ」


 リリスはえへへと笑ってごまかした。

 とてつもなくかわいい。

 桜は頬が弛んでいくのを必死で抑えた。


『ねえ桜、詩織と仲直りはできないの?』

「そもそも、あいつと私に直る仲なんか元々存在しないわよ」

『……そっか』


 長道を抜け、水晶の広間に出た。

 ここから先はずっと広い空間が続いているため人だかりもある程度はマシになっている。

 コンコンと下駄のつま先でタイルを叩き、足首を動かして体の感覚を確認していく。

 体の調子も戻ってきたようだ。

 ここは一気に駆け抜けよう。


「リリス、ちゃんと掴まっててね」

『え?』


 桜は地面を軽く蹴って前方へ急加速する。


『――わっ! わっ、わっ!』


 タンッタンッタンッと合間に地面を蹴っては瞬発的な加速を繰り返し、リリスを抱えた桜は風のようなスピードで水晶洞窟の道を駆けていく。


『え……あ、あれ? ……ねえ桜? もしかして桜今、霊術使ってないの?』

「そうだけど、なんで?」

『な、なんでって、これ、霊術なしでできる人間の動きなの?』

「別にこれくらいなら、ちょっと鍛えればできると思うわよ」

『で、できないと思うわ!』


 地上へと続く長階段を桜は数歩で駆け上がり、石塔のある広場へと出た。

 ひとまず桜は地面を蹴って近くの四階建てのビル屋上へと跳んだ。

 屋上に着き、天道洞窟の入り口辺りをちらりと見る。

 詩織の姿はない。

 とはいえ唯識の力、姿を見えなくする力を詩織は持っているが。

 ともかくここから早く離れよう。そのためにもまずリリスから話を聞かなければ。


 桜は抱きかかえていたリリスを自由にするため手を離していく。

 体内霊力を制御しているとはいえ、あまり長い間くっついていれば霊力から感情を読み取られるかもしれない。だがこのふわふわな幸せ感触を手放すのはとても名残惜しい。 

 桜から離れたリリスはふわりと空に浮く。

 しかしリリスはじっと止まったまま中々動きだそうとしない。体の光はどこか朧気で、二対の翅もまたやけに大人しい。

 どうしたのだろう。


「リリス?」

『……霊術を使わずに、屋上まで一蹴りで跳んだ……!? 地上からここまで十メートル以上あるわよ……!』

「いや、うん、跳んだけどさ。でもずっとこんな感じで屋根の上跳びながらここまで来たじゃない。なんか今更ね」

『だって、ずっと霊術使ってると思ってたから。……おかしいとは思ってたの。移動中近くにいても桜から霊気が全然感じられなかったから。でも詩織の方も、かなり近くまで寄らないと霊気を感じ取れなくて、だから礼家の人は霊気を隠すのが上手いんだなって思って』


 なるほど。それで今になってこんなことを言い出したのか。


 しかし今の話、詩織の霊気が近くに寄らなければ感じ取れなかったという部分が少し引っかかる。


 霊気。別名、霊力粒子。

 霊力を、霊術を使えば自ずと放出されるもの。


 霊術を使用した上で霊気を隠す技術はある。だが妖精の感知を逃れるというのは至難の業だ。

 妖精が接近しなければ感知できないレベルの霊気コントロールとなると桜でも難しい。かなりの集中力を要する。

 ただの移動でそこまでする必要があったのだろうか。


『ねえ、国神の祠で桜が戦ってくれている時も桜の霊気が全く感じられなかったんだけど、もしかしてあの時も桜は霊術を使っていなかったんじゃ……』

「んー……そうね。こっちに向かってきたれいげきを防ぐためにぼうへきは使ったけど、結局その後は使わなかったわね」

『……!』


 はくえんを抑える封印を安定させるため、できる限り霊力の使用は控えたかった。結果、相手がそれほど強くなかったため霊術なしで倒すことができた。

 ただ失敗だったのがその後だ。

 この程度の相手を自信ありげに送り出してきた白髪の女も大した奴ではないだろうと高を括ってしまい、詩織の方に目を向けてしまった。半分魔物と化した男を倒したあとすぐに女の方へ向かっていればむざむざ逃げられることはなかったかもしれない。


「そんなことよりもリリス、これからのことを話しましょ」


 過ぎたことを引きずっても仕方ないと桜は切り替える。

 そう、あの女が逃げ出したことはこちらにとって決して悪いことではないのだ。


『そうね。でも桜、まだ一つ、桜に訊いておかないといけないことがあるわ。……いいかしら?』

「まあ、少しなら」

『さっきの猫への変化についてよ。あれは変化系の霊術じゃなく、根源的な、存在そのものの変化だったわ……。つまり、桜がしたのは……〈そんざいこう〉よね?』

「ええ、そうよ」


 存在の移行とは、肉体を全く別の肉体へ存在そのものを変化させることを言う。

 変化系の霊術とはまた異なる特殊霊術だ。


 ぼうの仮面は装着者が仮面の素材となった魔物へと存在移行ができるようになるという代物。仮面を媒介にして魔物への存在の移行を可能にしている。

 だが桜は仮面なしで存在の移行を行った。つまりそれは桜の中に別の存在――〈猫〉が宿っているからだ。


『それも完全なそんざいこう……。つまり、えっと、桜は……妖怪だったの? でも、おかしいわ。桜の霊力は完全に人間のものだし。えっと……だから……』

「人間の私が後から猫を取り入れたってだけ」

『そんなっ』

「まあ、あまりないことよね。逆なら腐るほどあるけど」


 存在の移行ができる者は必然的に他者から存在を受け取った――存在の受け渡しを行ったということになる。

 存在の受け渡しは存在の揺らぎを利用する。

 危険な行為であることに違いはないのだが、調整者が立ち会うことで、存在を受け渡す者と受け取る者、両者共に命を落とす危険性はほとんどなくなる。

 例外を除いて。


 他の存在を取り入れた瞬間、取り入れた存在へと引き寄せられる。取り入れた存在へと姿形が否が応にも変化することになる。

 例えば霊力操作ができる妖怪猫が居たとする。その猫が人間の存在を取り入れれば、取り入れたその瞬間、猫は人の姿へと変化していく。その姿形は完全な人間ではなく、たいてい部分的に元の存在、猫を残した少し中途半端な姿となることが多い。

 他の存在を取り入れればもう二度と元の姿に戻ることはできない。変化した姿は死ぬまでずっとそのままだ。

 だが変質した肉体に術式を用いることで一時的に体の一部分を元に戻したり、元の姿の部位を体に生やしたりすることができる。

 それがそんざいこう

 そして中には稀に、桜や雛のように両者の存在を自在に行き来する、完全な存在移行を行える者もいる。


『桜は、どうしてその猫を取り入れたの?』

「どうしてって……まあ、可愛かったからかな。現にさっきの子猫の私、すっごく可愛いかったでしょ?」

『……桜、人間が他の存在を取り入れるということはそんな軽い話じゃないわ。妖怪と違って人間が他の存在を取り入れられる成功率は限りなくゼロに近い。その多くは存在が揺らぎ続けて正気に戻れず魔物化するか、そのまま死に至るわ』


 存在の受け渡しにおいて命を落とす危険性を減らすことができない例外。

 それは人間が他種の存在を受け取ること。

 リリスの言う通り、成功例は本当にごくわずかであるらしい。


『桜は存在を取り入れることができた。なら当然その危険性も知っていたはずよ。桜、あなたは……いえ、あなたに存在を受け渡したその猫も、いったい何を考えて……』


 あまり良くない方向に話が広がってきた。


「もういいでしょ、リリス。早く大妖精から聞いた話を教えて」

『……そうね。ごめんなさい。また立ち入ったこと聞こうとしてた』


 リリスは引きずった様子を見せながらも、すぐに話をしてくれた。


 あのピンク髪のメモリという大妖精は仮面に意識を封じられながらも、わずかではあるが外の出来事を認識できていたそうだ。

 そしてその中で大妖精メモリは黒装束にぼうの仮面をつけた者達の目的、その一部を知ることができたと言う。


「御影殺害が目的……?」


 黒装束達の目的。それは今夜九時、しんひらじんぐうで行われる最後の儀式でかげを殺害するということだった。

 だがあの男は虐殺が起きると言っていた。

 黒装束達は御影を殺し、さらにはその儀式の場に居合わせた観客も巻き添えにするということか。

 正気の沙汰じゃない。


「ともかくリリス、九時ってことならあまりゆっくりしている時間はないわ。平日神宮へ向かうわよ。これからどうするかは移動しながら話しましょ」

『……うん』


 神都の街は変わらずさんらんとしたオレンジ灯の天幕に包まれていて、地上も、屋根上も、空の上も、行き交う人々の喧噪で満ちている。

 堂々とした風格のある旅館の大屋根上を駆けていく。屋根の先端を蹴り、次の建物へと跳び移る。

 思っていた以上にリリスの飛ぶスピードは速く、そこそこのスピードを出してもきっちり横についてきてくれている。


『メモリ様から警察に話は伝わるはず。それで警備は強まると思うけど、儀式そのものが中止になるとは思えないわ』

「でも今の時期の平日神宮なら、国神の祠の百倍くらい警備は厳重よね」

『ええ。それに儀式には御影以外にもれいの人が数名立ち会うはず』

「礼家か。そういえば、あいつらは元々礼家を狙ってるって話だったっけ」

『礼家が狙われてる? どういうこと?』

「そっか。今日まで仮面に閉じ込められてたリリスには知らない話なのか」


 桜は警官から聞いた話と新聞の記事に書かれていたことをリリスに話す。


れいの人が三人も行方不明に……。誰が行方不明になってるか分かる?』

「……ごめん。新聞の記事の方には名前が書かれてたんだけど、その時は別に誰が行方不明になってるとか興味なくて、流して読んでたから」

『そう。……ねえ桜、もしかするとその行方不明になってる礼家の人達って――』

ぼうの仮面に操られて敵の手駒になってるんじゃないかって言うんでしょ? 私も一瞬そう考えた。でもさっき仮面を通して話したあの男、亡化の仮面を使って操っているのは全員一般人だって言ってたしな」

『そんなことも言っていたの? ……桜、亡化の仮面からみんなを解放する方法は本当だった。でもだからと言ってその男の人が言ったことを全部鵜呑みにするのも良くないと思う』

「分かってる。でもリリス、もし仮に行方不明の礼家三人が全員操られて敵側に居るとしても、神宮の方にも礼家は居るんでしょ。なら問題ないんじゃない?」

『……そうね』

「しかしまあ、行方不明の礼家を敵の戦力に入れたとしてもたった十九……いや二個壊したからあと十七か。その数で神宮を襲撃するのは無謀だと思うんだけど」

『十九? 十七? 何の話?』

「そっか。これはまだ話してなかったか」


 亡化の仮面の数、そして首謀者がつけているという特別な魔物を宿した亡化の仮面についてリリスに話す。

 おそらくこれであの男から聞いた話は全部伝えたはずだ。


『亡化の仮面が残り十七……。亡化の仮面は強力だけど、それでも国神様の加護で魔物は大きく弱体化する。数分程度の戦闘ならともかく、警戒を強めた神宮を襲撃するとなると、その数じゃ……』

「そうね。敵がもしも本当にその戦力だけで儀式中の御影を襲うつもりなら何か他に策があるはず。特別な亡化の仮面ってのがそこまで凄いものなのか…………ん、そうか。もしかして」


 桜の中で一つ推測が浮かぶ。


『桜、何か気付いたの?』

「ええ、少し。ぼうの仮面に妖精を閉じ込めたのは、大妖精の霊力が吸われていたことから妖精の霊力が目的だったってのはまず間違いない。霊術師でもない人に亡化の仮面を使えるようにするためか、亡化の仮面を使用するにはそこまで莫大な霊力が必要となるのか、もしくは単純に霊力切れを気にせず高威力の霊術を連発して戦うためか……。まあその辺の理由ははっきりとは分からないけど。ともかく、特別な亡化の仮面ってのが通常の亡化の仮面よりも力が強いものなら当然その消費する霊力量も多い。なら仮面に閉じ込めてる妖精、大妖精の数は普通の仮面よりも多くなるはず。そしてさっき壊した亡化の仮面にはそれぞれ一人、大妖精が封じられていた。それでリリス、たしか仮面の中での出来事を話していた時こう言ったわよね? 〝大妖精様達〟って。リリスが居た仮面の中には複数の大妖精が居たんじゃないの?」

『え、ええ! そうよ!』


 リリスが仮面の中に閉じ込められていた時、妖精達は誰も動くことはできなかった。だからリリスは直接仮面の中でカナリア以外の大妖精と接触したわけではない。

 だが声は聞こえていた。

 他の妖精達が、側に居る目を覚まさない大妖精の名前を呼びかけていたのだ。その名前の数は十を超えていたという。


 リリスによると前夜祭に出席していた大妖精は六十三名。

 あの男の話を信じるなら亡化の仮面は全部で十九――通常の亡化の仮面が十七、特殊な亡化の仮面が二つ。

 ひとまず通常の亡化の仮面一つにつき大妖精が一人封じられているとして考えると、特殊な亡化の仮面一つに割り当てられる大妖精の数は二十三人となる。

 リリスが仮面の中で訊いた大妖精の名前の数はカナリアを含めて十八人だったと思うとのこと。この程度の誤差ならば。


『じゃあ、私が閉じ込められていた仮面は……』

「ええ。首謀者がつける、特別力の強い亡化の仮面と考えていいはずよ」

『単純に考えて、通常の亡化の仮面より十倍以上の力を持つ仮面、ということになるのかしら。もしかすると封じられている魔物が〈名前持ち〉だったりするのかも……』

「それは分からないけど、でも、はっきりと分かったことがある。リリスが封じ込められていた仮面は特殊な亡化の仮面だった。そしてリリスが大妖精カナリアから渡されて外へ持ちだした結晶、亡化の仮面の力の源は向こうにとって切り札となる仮面のものだった。だから敵も必死になってリリスを追っている、ということかしらね」

『……そういう、ことだったんだ』

「そして今、敵の切り札の仮面、その片方が機能しない状態になっているということ……」

『カナリア様は結晶が外にあればまだ希望があるって言っていた……。もしかするとあの結晶があいつらに渡らなければ何もできないのかも。だったら儀式が終わるまで結晶を持って逃げ切れば……』

「それは違うわ。切り札の仮面、そのもう片方は機能しているということを忘れてはいけない。あいつらが神宮を襲撃しないという確証はどこにもない。逃げても何も解決しないわ」

『でもっ、でも桜っ、あれを見て』


 リリスが桜の視線を誘導するように反対側へと動き出す。

 リリスが止まった景色の先には大きな時計塔。その時計塔の指針は七時五十分を回ったところにあった。


『儀式が始まるまで、あと一時間しかないわ』


 今の地点からすでにしんひらじんぐう、その正門が見えている。

 建物を渡って行っても三十分あれば辿り着ける距離。考える時間はまだある。


『たしかに確証はない。でもメモリ様が警察に話を伝えてくれたなら儀式場の警備はさらに強まるはず。その状況で片方の力を失っていれば敵が計画を諦める可能性は充分にあるわ』

「向こうが諦めるのを祈るっていうの? ……リリス、仮に敵が計画を諦めたとするわ。それじゃあ仮面にまだ閉じ込められてる残りの妖精達はどうするの?」

『それは……儀式が終わった後に――』

「儀式が終わった後じゃ敵の行動がもう読めなくなる。それにその時には結晶に相手を呼び寄せるだけの価値がなくなっているかもしれない。捕らわれた妖精全員を助け出したいのなら、敵の目的を把握できている今しかないわ」

『でも……でも、それじゃあどうすれば……』

「大丈夫よリリス、私に考えがあるわ。聞いて」


 桜はリリスと話しながらまとめていた考えを話していく。


「敵がまだ目的を諦めていないのなら、またリリスが持つ結晶を狙ってくるわ。あの逃げだした女が私達のことを伝えれば今度襲ってくる敵の数は三人や四人な訳がない。そしてリリスが持つ結晶は敵に居場所を知らせていること、敵の目的である大祭最後の儀式が一時間後に始まるということ。この状況を利用すればいい」

『利用……?』

「ねえリリス、私達が儀式の始まる直前に神宮付近、それも人気のない場所に居れば敵は全勢力を使って結晶を奪いに来てくれると思わない?」

『……敵を誘導して一カ所に集めるということね。それで、そこからどうするの?』

「もちろん私が戦う」

『ッ、それは策でもなんでもないわ! 無茶苦茶よ! 桜一人で十七人も相手ににするって言うの!?』

「大丈夫だって。十七人って言っても多分半分以上はさっき祠で戦った奴と同程度よ。油断できない奴も何人かはいるだろうけど、私が本気出して戦えばわけないわ」

『でも…………でも……』


 リリスの体の光がまた弱々しいものになっていく。

 またしてもリリスには重い選択だ。今度は妖精たちの命だけではなく、最後の儀式を見に来る無関係な人達の命にも関わることになる。

 単純に特別に力のあるぼうの仮面というものが通常の亡化の仮面よりも十倍の力を持っている程度なら桜は勝てると踏んでいる。

 だが相手はわざわざ大祭最後の儀式という大舞台で御影殺害を企てている連中だ。

 特別な亡化の仮面に何か全てを覆すような力が宿っている。そんな懸念がない訳ではない。

 しかし、妖精達を全員助け出すにはこの今しかない。

 リリスに決断してもらう、その為にも。


「リリス、私には〈えん〉がある」

『桜の、〈花炎〉……』

「そうよ。私の〈花炎〉は敵の数が多いほど有利に働く性質を持っているの。だから私は絶対に負けない。リリス、私を信じて。私が敵を全員叩きのめせば神宮襲撃なんて起きない。仮面に閉じ込められた妖精達も全員救い出せるのよ」


 桜は嘘をついた。

 桜の〈花炎〉が人数が多いほど有利に働く性質を持っているのは事実。だが亡化の仮面の中に妖精達が居る以上、桜は〈花炎〉を使って戦うことはできなかった。


『桜……本当にいいの?』

「ええ、任せなさいって」

『でも、やっぱり桜一人で戦うなんて危険すぎるわ』

「なに言ってんのよリリス。これから危険な目に遭うのはあいつらよ?」

『……ありがとう桜。少し気が楽になったわ。そうよね。敵を全員倒すことができればそれで全てが解決する。そのためにも……』

「そのためにも?」

『なんでもないわ。それよりも、敵をおびき寄せる場所のことだけど』


 移動を続けながらリリスと話し合っていく。

 リリスの案によりしんひらじんぐう付近で敵をおびき寄せるのに打って付けの場所が決まる。 

 敵の全勢力が集まるようにするためにも、今も桜達の位置を補足しているであろう敵側にしっかり神宮へ向かっていると思わせながら、儀式が始まる三十分ほど前にそこへ到着するのが理想だ。

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