05 祭道
桜と詩織は風雅な道なりを人の流れのままに進む。
流れは街に降り立つ前から聞こえていた賑やかに響く音色の方へと向かっているようだ。
街は心地よい熱気で満ちていた。
長く伸びた石畳の道中には様々な料理を出す店がわんさかと立ち並んでいる。
ラーメン・焼き鳥・牛串・天ぷら・みたらし団子。
たっぷりと旨みを含んだ匂いが途切れなく押し寄せてくる。
(あぁー……腹減ったなぁ。死ぬ前に何か美味しいもの食べたいなぁ。でも今お金ないし。はぁ……)
桜は空腹を誤魔化すため思考を切り替える。
「あなたがいなければ私は生きてはいけない。そこにはとても美しいものが見えるでしょう」
三年前。
雛が去った後、桜は仕方なく雛が残した写真集を調べた。
写真集には一枚の紙が挟まっていた。霊術等の仕掛けもないただの普通の紙で、意図不明の文章が書かれていた。その文章が今桜が口にしたものだ。
「多分、〈あなたがいなければ私は生きてはいけない〉ってのが入り口のある大まかな場所を示しているもので、後半部分がその場所から本殿の入り口を特定するためのものだと思うんだけど……。で、あんたはこの暗号に何か思い当たるところは?」
「あなたがいなければ、私は生きてはいけない……。
「は? 私?」
「あっ、いえ、えっと…………ここはやはり、
「ああ、なるほど。国神ね」
悪くない考え方だ。
あなたを国神に置き換えてみると意味は通る。
国神の加護を失えば、あらゆる者の霊力が不安定になる。魔族を抑えることもできなくなり、この国は国として成り立たなくなる。
国神がいなければ生きてはいけない。
そういうふうに信じられていた。
「国神に関係のある場所と言えば
それではあまりにも捻りがなさすぎる。
「あんたは神都で平日神宮以外に国神と関連のある場所って知ってる?」
「すみません。その、私は今日初めて
「そう。使えないわね」
「うっ……」
大袈裟なほどにがくりと詩織は項垂れた。
しばらくすると、とても大きな道に出た。
道幅百メートルほどある広々とした道は大勢の人で溢れかえっている。
楽器の音が高らかに響き渡る。
道の中央には白い制服を着た集団が旗や楽器を携え行進している。ダイナミックな演奏と共に霊術による光が花びらのように舞い上がる。
肩を落として歩いていた詩織もわぁっと声を上げ、子供のように目を輝かせて陽気な音色と光が交錯するマーチングパレードを眺めだした。
神都市の中心には
中心である神都平日神宮から四方向に、東西南北の参道へと繋がる太く長い道が伸びていて、空から街を見下ろすと大きな十字形を見ることができる。
そして
周囲を見回し案内標識を見つける。標識から今居るこの広々とした道が
南参道通りは神都平日神宮の
とりあえず
現在、この南参道通りではパレードが行われていて道はとてつもなく混み合っている。
このまま道を歩いて進んでいくのは目に見えて時間の無駄だ。
三十メートル以内であれば空を飛んでも問題ないようだが、桜は飛行術を使おうとはしなかった。
桜の内に宿る炎、
先ほど封印を強めたため今は落ち着いているが、数時間もすればまた魂を喰らわんと封印を破る。
封印を安定させ続けるためにも今は飛行術の使用を控えたい。
そこで桜は建物の上を渡っていくことにした。
桜は地面を一蹴りし、
パレードに目を取られていた詩織は桜が屋根上に移動したことに遅れて気付き、あわてながらふわりと跳躍し後を追ってきた。
とんと軽く瓦屋根を蹴り、離れた建物へと移動する。人の混雑しているところは跳躍を繰り返して進み、落ち着いたところでは歩きながら周囲を観察していく。
桜達と同じように建物の上を移動している者は大勢いる。
空に道が掛けられていたり、屋上で店が開かれていたりと、こうして屋根の上を渡って進むこともこの街では想定されたルートであり、地上とはまた違った賑やかさがあった。
屋根上から見る神都の街並みは華やかでありながらもどこか怪しげで、人と妖が連々と織りなしてきた歴史が感じられ、見ていて飽きることはない。
屋根上ですれ違う人達を見て、今更ながらずいぶんと奇抜な格好をしている者が多いことに気付く。
仮面のインパクトもさることながらその服装である。
基本的に和風のものが多いが、中にはキラキラのドレスを着ている者や全身鎧を纏って歩く者、ヒラヒラ極ミニスカートに肩と背中が丸出しになったとんでもなく露出が多い服を着ている者など、もはやコスプレとしか言いようのないものがちらほら見られる。
そういった奇抜な格好をした者達と比べれば桜の白い和服姿はとても普通の格好である――はずなのだが、すれ違った人に振り返られるということが何度もあった。
わざわざ立ち止まってこちらを見ているのだ。
何か変なものでもついているのだろうかと確認するも特に何もなく、後ろで着いて来る詩織も中身はともかく外見に変わったところはない。
どうしてだろう。
とりあえず害はないので気にしないことにした。
人波を一つ二つと抜け屋根上を歩いていると、東の外れに周囲の建物よりも一回り大きな木造の建造物が目に入った。
どうにもその建造物は展望台のようで、開かれた天辺にはこれまた多くの人が集まっている。
少し気になった桜は展望台へと向かうことにした。
高さ三十メートルほどあるその展望台は無料で開放されていて、そこからは大きな湖が一望することができた。
湖には満開の桜の樹がライトアップされている。月を背に、光を浴びて浮かび上がる幽玄な夜桜は多くの人の目を奪っていた。
「とても綺麗ですね。桜様、もしかするとあの場所に隠された本殿への入り口があるかもしれませんよ」
桜も詩織と同じことを考えていた。
雛の暗号後半に〈美しいものが見える〉というキーワードがある。
満開に花を咲かせた夜桜とそれを水面に鮮やかに映し出している湖。
たしかにここは一般的な感覚で美しいと言える場所であろう。
だが、
「あの場所に本殿への入り口はないわ」
「どうしてそう言い切ることができるのですか?」
「本殿の入り口がどんなものかは分からないけど、私が見つけられるものであるのなら、入り口は伊佐奈だけが見えるようなものじゃないはず」
「いさな?」
「入り口は目に見えて形のあるもの。そして本殿入り口ってのはこの世界と
「なるほど。でしたら本殿への入り口は人があまり居ないところにある、ということですね」
「そうなるのかな」
湖を見て立ち止まっていた二人は移動を再開する。
人が立ち入らない、立ち入れない場所。
ぱっと思いつく場所は再建された
謎の大火災により神都平日神宮は六百年前に全焼した。
現在の神都平日神宮のほぼ全てが再建されたものである。
偽りのものだったと言われようと、もうその時から六百年も経っている。
過去に礼家側が主張した本物の本殿が確認されない以上、こちらが本殿であることに変わりなく、再建された神都平日神宮本殿は今でもこの国で最も神聖な場所だ。
神都平日神宮の本殿ならば、国神に関連があり、人がいないという二つの条件に一致する。
だが先ほども思ったようにそれでは捻りがない。直球すぎだ。
そもそも〈あなたがいなければ私は生きてはいけない〉が国神関連の場所を示していると決まった訳ではない。さらによく考えると雛は
屋根上を進みながら桜は溜め息をつく。
やはりあの短い二文から一つの場所を導き出すのは今のところ困難だ。暗号を解き明かすためには他に何かが必要なのかもしれない。
そういえば雛は楽しく神都を探し回れと言っていた。
謎を解くには神都の地理的な情報が必要となるのかもしれない。どこかで神都に詳しい人に話を訊ければいいのだが。
「ん……? なんだあれ」
前方の空間に人と光で溢れかえっていた。屋根上だけでなく地上の
これは何の騒ぎだ。
「じゃあ次の曲、いってみよ~!」
少女の声が鳴り響き、ワッと弾けるような歓声が辺り全体から湧き上がる。
見ると光り輝くサファイヤのような彩りをした中型飛空船が一台、南参道通りの真ん中を低空飛行でゆっくりと動いている。
その飛空船の上にはきらびやかな衣装を着て獣耳を生やした二人組の少女が奇妙なポーズを決めて立っていた。アップテンポな曲が流れ出し、二人の少女はキレのあるダンスと共に歌いはじめる。
霊術でほどよく増幅され響き渡る歌声。観客達のペンライトが波のように揺れ動く。
二人の少女達もまた光を操ってステージを輝きで満たし、曲にシンクロしたパフォーマンスで観客達は更に沸き立っていく。
響くアイドルソングと人混みから道を横に逸らして桜は進む。
「それにしても凄い人の数。さすがはこの国きっての
「はい! 私、こんなにたくさんの人、初めて見ました!」
桜の独り言に後ろから詩織が興奮気味に言葉を返した。
別段言葉を返す必要もないわけだが、自分に付きまとおうとするこの少女がいったい何者なのか気になってもいた。
この少女に関してまだ名前と
少しだけ話をしてみるかと桜は屋根から屋根へと移るスピードを落とし、詩織の隣に並んだ。
「あんた相当な田舎者みたいね。まあ私もそんなに変わらないけどさ」
「いなかもの、ですか?」
「違うの?」
「……すみません。分からないです」
しゅんとした顔で謝罪する。やっぱり変な奴だなと思いつつ会話を続ける。
「あんたさっき神都に初めて来たって言ってたけど、どこから来たの? 私は
「はっ、はいっ、私は
「ああ八城か。なるほどね。でもいくら八城が田舎でも携帯の存在を知らないってことはないと思うんだけどなぁ」
「その……私は昨日までほとんど家の敷地から出たことがなかったもので、恥ずかしながら世間のもの事をあまり知らないのです」
箱入り娘ということか。
「でもあんたのものを知らないレベルはあまりっていうレベルじゃないわよ」
そう言うと詩織は静かに微笑んだ。
それを見た桜は怪訝そうに眉を顰める。
「なに? なんか私、笑われるようなこと言った?」
「い、いえっ、そんなことは……! すみません。ただ、こうして桜様とお話しできるのがとても嬉しくて」
「うわっ、気持ち悪いこと言わないでよ」
詩織はうぅと小さく声を漏らし、またがくりと項垂れた。
そんな詩織を見て桜は考える。
詩織は桜を慕うような素振りを見せている。だかそれは
しかし、いささか演技にしてはやりすぎなところがある。
これでは逆効果だ。
詩織は桜を国神にするために
敵か味方か、今一度見定めてみるか。
「あんたは何であいつの命令に従ってる」
「あいつとは……
「そうよ。あんた、ゆいしきとかいう
「桜様、私は
「そう。でもあいつはあんたに国神の力の源、
わずかに詩織の表情が揺らいだ。
「……
「私の、巫女……? ああいや、国神の神子のことか」
神子とは国神に直接仕える従者のことだ。国神と同様、神子もまた国神と同時期に姿を消している。
詩織の話ではその神子は現在桜の
「つまりあんたは私を国神にして神子になりたいからここに居るってこと?」
「違います」
詩織は即答した。
「もちろん桜様にお仕えする神子にはなりたいです。ですが今私がここに居るのは桜様に神核をお渡しし、桜様の命を脅かす鬼神の炎を抑え込むため。桜様に生きていただくため。そのために私はここに居ます」
「……なんであんたはそこまで私に執着するのよ」
「私は桜様と約束をしました。桜様と共に世界にそっと恋をする。そう約束したんです」
世界にそっと恋をする。
たしかそれは最初に詩織が言った電波な言葉だ。
「なんなのよ、その世界にそっと恋をするって。全く意味が分からない」
「私も、その言葉の真意は分かりません」
「は?」
ふざけているのかと、思わず荒っぽい声が出た。
詩織はまたオーバーにびくりと身体を震わせる。
「というか、約束も何も、あんたと私は今日が初対面でしょうに」
「……桜様にとってはそうなのかもしれません。ですが、私は六年前に一度桜様にお会いしています」
ますます頭が痛くなるようなことを詩織は言う。
六年前。
思い当たる節はない。
しかし詩織は桜と同じ
「その六年前に、あんたは私とどこで会ったのよ」
「
「むめいの、世界?」
「そうですね……夢の中、みたいなものとお考えください」
「ゆ、夢っ?」
「はい。何も無い透明な無意識の世界。そこで桜様は私に声をかけてくださいました。それはとても優しく、暖かな声でした。桜様は何度も何度も私の名前を呼んでくださいました。ですがその時の私は――」
詩織はうっとりと熱の籠もった声で話を続けている。だがもう桜の耳に詩織の声は届いていなかった。
(夢で会った? なんだそれは。こいつ、演技じゃなくて天然か。天然の電波なのか?)
「桜様? どうかなされましたか?」
「いや……うん。まあ、うん。あんたのことは、よーく分かったから。だからこの話はもう終わりにして……、っと」
話ながら進んでいたため、次に跳ぶ建物がないことに寸前で気付いた。
前方には西から東へ悠々と流れる大きな川。
案内標識によるとその石橋は
橋の出入り口には赤々とした大きな鳥居。さすがに参道通りから道幅は小さくなっているものの雄大さを感じさせる立派な石橋だ。
南参道大橋の上には普通に人が歩いている。
どうやらパレードはこの橋の手前でいったん終えているようだ。
向こう岸までの距離は五百メートルほどだろうか。
普段なら空を飛んですぐに向こう側へと渡るところだが、今は封印を安定させるため霊力の使用を抑えている。
飛行術は使わずに空を蹴って渡るという方法もある。それならば最小限の霊力消費で済む。しかしそのわずかな霊力の消費すらも今は憚られた。
少し時間はかかるが仕方がない。
桜は普通に歩いて橋を渡ることに決めた。
「お待ち下さい桜様」
屋根から地上へ降りようとしたその時、後ろから詩織が声をかけてきた。
「なによ」
「桜様は
「……そうだけど」
「でしたら私が桜様を橋の向こう側までお運びいたしましょうか? といいますか、神都を見て回られるのでしたら向こう側と限らず、どこまででも私がお運びいたしますが」
詩織の提案。
たしかにそれならば効率よく神都の街を見て回れるだろう。
だが論外だ。
「誰がそんな情けないこと頼むか」
そう言い放って桜は屋根から地面へと飛び降りた。
桜は
桜の後ろには変わらず詩織がついて来ている。
歩いて橋を渡るのも面倒だろうから先に飛んで橋の向こう側に行ってくれていいと言ったら「意地悪なこと言わないでください」と、悲しそうな目を向けられたのでそれ以上言うのは止めた。
橋の真ん中ほどに来たところで、遠くの空からズシンと大きく太鼓の響く音が聞こえてきた。
桜は自然と足を止め、空を見上げる。
東の空の方から紙灯籠が彩るオレンジ灯の群を抜けて、周りで浮かぶ船よりも一際大きな飛空船がこちらに向かって来ていた。
その巨大飛空船の側には青に光り輝く龍がいた。
巨大な飛空船よりもさらに大きな体を持つ龍は夢想的な演奏と共に夜の空を優雅に泳いでいる。
「あれは
隣に来て詩織が言う。
「御影か」
遠く離れた飛空船の上から奏でられている和楽器の音もまた霊術を使っているのだろう、喧噪の中でもほどよく響き通っている。
御影の飛空船周囲には付き従うように巫女装束を着た者達が並んで飛んでいて、扇を振るっては華麗な光を空に放ち、舞を舞う。
太鼓の音が激しくなると共に曲調が力強いものへと変わり、青く光る龍は螺旋状に空を泳ぎだした。
空を大きくうねる青い龍の巨躯、その全身は透き通っている。どうにも龍の身体は水でできているようだった。
「御影は
「はい。たしか今の
蒼君は桜も知っている
蒼君は水使い。ならばきっとあの青い龍を動かしているのは
巨大な水龍はぐん、と空気を揺るがせながら桜達の頭上を通っていく。すると桜達が居る地上はまるで陽の光溢れる水の中に居るかのような明るい青に染められた。
周りから拍手が轟くように湧きあがる。
とても賑やかな祭りだと桜は思った。
しかし先ほどから頭の中で何かが引っかかっていた。
今この目で見ている祭りの景色と映像で見たものとで何かが違う。何かが欠けている。そんな気がした。
御影の飛空船は南参道大橋を通り過ぎて西の空へと向かって飛んでいく。
再び桜は歩き始める。
するとまたすぐに詩織が隣に来て、少し弾んだ声で話しだした。
「桜様、雛様の暗号についてですが、今御影の船を見て思い当たることがありました。今日は神都例大祭七日目。大祭最後の日です。今夜二十一時、御影を中心に最後の儀式が
詩織はお役に立てましたかといった期待のこもった目で桜を見る。
詩織の視線を無視して桜は考える。
最後の儀式。
国神が関わり、美しいものが見られるという条件は満たされている。
しかし最終日の儀式となれば人が大勢集まるはずだ。それに時間限定で現れる入り口というのも考えにくい。
だがとりあえず候補として頭には入れておこう。
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