04 神都


 雛は三年後に神都を訪れることになると言った。

 そして今、三年の時を経て目を覚ました桜が居る場所、それは神都しんとだった。


「偶然じゃ、ないんでしょうね」


 桜は先ほど詩織から聞いたくにがみしんかくの話を思い出していた。

 あの少女は雛が国神であるあやさきあまねだと言った。

 くにがみ。周と雛の特異な関係からもそれには納得がいく。雛が隠された本殿の入り口の在りかを知っていることにもそれで説明がつく。

 そして雛が言った『私の知る全てを話す』について考える。

 もしかするとそれは先ほど詩織が話した国神や神核についてのことなのだろうか。


 雛が何を隠していたのか、何を話そうとしていたのか。やはりそれは直接会って確かめるしかない。

 桜はしんひらじんぐうの隠された本殿、その入り口を探すことに決めた。


 桜の内にあるはくえんの状態は今、半覚醒状態といったところ。この状態のはくえんを抑え直すことはもうできない。

 ただし、先ほどのように封印を強めることによって覚醒するまでの時間を長引かせることはできる。

 封印を上手く安定させ続ければおそらく半日はもつはず。

 必ず残された時間内に隠された本殿を探し出してみせる。そう心に決めたところで、桜は今自分が陥いっている状況を思い出した。


「良かった。少しマシになったみたいだな」


 桜の耳元に青年の声が響く。

 飛行術が維持できなくなり、空から落下した桜は今警官に抱きかかえられていた。

 まずこの警官から逃げ出さなければかなり面倒なことになる。しかし先ほどのはくえんによる影響でまだ体に力が入らず、飛行術も使うことができない状態にあった。


「あの、もう大丈夫なんでその辺で下ろしてもらってもいいですか」

「それは駄目だ。急に飛行術が維持できなくなるような状態の君を放っておくわけにはいかないよ。それに自覚はないのかもしれないが、君の言動はどうにも記憶障害を思わせる節がある。もしかしたら君は今、のかもしれない。念のため今すぐ病院で診てもらったほうがいい」


 警官は本気で桜を心配しているようだった。

 ありがたいことだが今はそんなことに費やしている時間はない。

 今の状態でも逃げ出す手段はあるにはあるのだが、それはあまり人前で見せたいものではない。

 どうしたものかと考えていると、


「お待ちください」


 前方から険のある女の声がした。

 顔を上げる。

 桜と警官の前には白い和服に翡翠色の長い髪を夜風に靡かせる少女がいた。

 それは先ほどマンションの部屋で出会った謎の少女、詩織だった。


「その御方を渡してください」


 詩織の翡翠色の目は鋭く桜を、いや警官を睨んでいる。


「君はこの子の知り合いか?」

「はい。その御方は私が預かります」

「いやしかし、この子は今すごく体調を崩しているんだ。それにもしかしたら存在そんざいが揺らぎかけているかも知れない。急いで病院で看てもらったほうがいい。君もこの子の知り合いなら付き添ってくれないか」


 すると詩織は左肩にかけていたカバンから手帳サイズの黒いケースのようなものを取り出した。

 ケースには大きく白い花の紋章が描かれている。その紋章がすうっと翡翠色の光をもって浮かび上がり、続けて文字や数字が立体的に表出されていく。

 そしてそれを見た警官が仰天した声を上げた。


「それは、れいの紋章石……!? しっ、失礼しましたっ!」


 今、礼家って。

 まさかこの女、礼家の人間なのか?


「では、その御方を渡してください」

「…………君も、それでいいか?」


 警官が桜に聞く。

 桜は縦に頷いた。

 警察の世話になるより、事情を知る詩織の方がとりあえずはマシだろう。


 桜は警官から詩織へと受け渡される。

 されるがままの桜はとても情けない気分になった。


「しかしゆいしき様……その子は本当に大丈夫でしょうか?」

「はい。問題ありません」


 警官はそれ以上追求しなかった。

 警官はさっと背筋を伸ばし詩織に敬礼をする。


「既にご存知かも知れませんが申し上げます。たいさい五日目から今日までの間に五件、大型を含む複数の魔物による襲撃事件が発生しています。魔物達は突如暗闇と共に現れ、暗闇と共に消え去っています。現在もその魔物達の行方は掴めていません。そして魔物達の襲撃によりすでに礼家の方が三名行方不明になっています。その魔物達が礼家の方達を狙っていることはもう間違いないと思われます。ゆいしき様も充分にご注意くださいませ」

「はい。ご丁寧にありがとうございます」


 警官が立ち去ると、桜を抱えた詩織はゆっくりと地面へ降下しだした。


「桜様、いったいどういうおつもりですか」

「その桜様ってのやめろ。気持ち悪い。それと、別に助けてもらったなんて思ってないから。逃げ出そうと思えばいくらでも手段はあったわ」


 詩織が地面に着地すると桜は詩織をふりほどき、かんっと下駄音を鳴らして石畳の地面に降り立った。


(ここが、神都……)


 真っ直ぐに、美しく敷き詰められた石畳の道には古雅な香りを漂わせる町屋が並び、大勢の人で賑わっている。

 道の脇には朱色のいしとうろうがいくつも立ち並び、灯籠が放つその白く柔らかな光は優美な街の雰囲気をさらに広げている。

 

 通行の邪魔になっていると気付いた桜は道の端に寄る。

 これほどまでに多くの人で賑わっているのは、今この神都市で春のたいさいが行われているからなのだろう。


 道行く多くの人が顔に仮面をつけている。

 動物や花などを模した仮面。仮面全体に大きく漢字一字を書いたもの。映画や漫画などのキャラクターを模した仮面。奇抜なもの、妖しげなもの、派手なもの、美術的な美しさを見せるもの。ほんとうに様々だ。

 そしてその仮面をつけて歩く者の中には、頭から動物の耳や角が生えている者、背中から羽が生えている者、お尻の辺りから尻尾が生えている者――――妖怪達の姿が頻繁に目に入った。


 しん市の特徴としてまず挙げられるのは、国内で一番妖怪が住んでいる場所だというところだろう。

 そのため他の地方とは少し異なった独特な文化が発展している。

 仮面もそのしんの文化の一つだ。

 春の大祭を目的に遠方から訪れた観光客が露店で売られている仮面を買ってつけているというのも多いだろうが、この神都市では常日頃から仮面をつけて暮らしている人が多いのだそうだ。


 道端に寄った桜の元に詩織がしずしずと近づいて来る。


「というか、あんたれいだったのね」

「はい、桜様。私の名前はゆいしきおりと申します」

「ゆいしき、ねぇ。聞いたことないな。うーん……れいの名前とか全然覚えてないからなぁ」

「桜様、どうか私のことは詩織と呼んでください」


 こいつ、大人しそうな顔して意外と自己主張が強い。


「それで何? まだ私に何か用?」

「桜様、先ほど私が話したこと……信じていただけませんでしたか?」

「……いや、そうね。私にも少し思い当たる節があって、とりあえず今は保留。半分は信じてる感じかな」


 もしも雛と約束した隠された本殿を見つけることができたなら、詩織が話したことも全て信じることができるだろう。

 それに先程詩織に見せられたしんかくという代物。あれはこの世のものとは思えない異様な何かを感じさせた。


「でも仮にさっきの話が本当だったとしても、私はくにがみになんかならないわよ」

「どうしてっ、ですか」

「私はあいつが……あやさきあまねのことが嫌いなのよ。あいつの後を継ぐなんて、文字通り死んでもごめんだわ」

「ですがっ、ですがこのままだと桜様はまたしんの炎に呑みこまれて今度こそ本当に――」


 たららららん、と詩織の言葉を爽やかな電子音が遮った。そのメロディは、詩織が肩にかける黒いカバンから鳴っている。


「携帯、鳴ってるわよ」


 桜がそう言うと、詩織はカバンからメロディを鳴り響かせる二つ折りの携帯電話を取り出した。

 しかし詩織は携帯を手に持ったまま停止する。

 着信メロディを鳴らす携帯を不思議そうな顔で眺めていて電話をとろうとしない。

 そのまま何もアクションを起こさずメロディが止まる。


「止まりました」

「いや、止まりましたって。かかってきた電話が切れたんでしょ。とらなくてよかったの?」

「……電話? 桜様、これは電話なのですか?」


 詩織は心底真面目な顔で聞いてきた。

 桜は目を丸くし首を傾げる。


「どういうこと? あんた、携帯電話を知らないの? というか何で知らないものをあんたは持ってんのよ」

「これは今朝、持って歩くようにと渡されたもので……この横にある小さな出っ張りを押すと、ここの小さなところが光って時刻が表示されました。だから私はこれを時計だと思っていたのですが……そうですか、これは電話でもあるのですね。不思議です。こんなにも小さなものが電話とは、一体どうなっているのでしょうか」


 詩織は大変ご立派なものだといった具合で携帯を眺めだす。

 そのあまりにもな反応に桜は唖然とする。

 このご時世に携帯電話を知らない奴が居るなんて。今日まで彼女はどのようにして生きてきたのだろうか。


「ちょっと貸して」


 桜は詩織から携帯を奪い取り、携帯を開いた。


「わっ、開きました! 凄いです!」


 隣で詩織がいちいち感嘆の声を上げる。

 うるさいなと思いながら、桜は携帯を操作して着信履歴を確認した。

 非通知の着信履歴が一件。受信メールもなく、電話帳にも一切番号が入っていない空っぽの携帯だった。もしかしてと少し期待したのだが、得られるものはなさそうだ。

 手に取ったついでに桜は詩織に電話のとりかたを教えることにした。


「さっきの音が流れたらこの受話器のボタンを押すの。それで後は普通の電話と同じように、こうやって耳に当てて話すだけよ。分かった?」


 実際に携帯を耳に当てながら桜は説明する。


「はい、ありがとうございます桜様! 桜様はとてももの知りなのですね!」

「もの知りって、こんなこと誰でも知ってるっつーの」


 桜は改めて手に持つ詩織の携帯を観察した。

 桜の知る携帯と比べて詩織の携帯はとても薄くなっていて、さらに画質も驚くほどに向上している。


「へぇー、私が寝ている間に世の中の技術は随分と進歩したみたいね」

「たしか、最新式、とのことです。私には何がなんだか分かりません」

「もうっ、なに言ってんのよあんたは」


 そう言って、いつの間にか笑みを浮かべていたことに気付き桜ははっとする。


(いやいや、なんでこんな電波女と和んでんのよ)


 桜は詩織から一歩後ろに退き、きつく睨みつける。

 びくりと詩織が怯む。

 油断してはならない。この目の前に居る女はあのあやさきあまねの使いだ。裏で何を考えているか分かったものじゃない。


「ほら、これ返す」


 桜は携帯を詩織に投げ返し、人の流れに向かって歩き出した。


「さ、桜様っ! 待って下さいっ!」


 詩織の声を無視して桜は進む。

 三十メートル以上飛ばなければ飛行術を使っても問題はない。だが封印を安定させ続けるためにもできる限り霊力の使用は控えていきたい。


「桜様っ」


 か細い声とともにぐいと右手が掴まれて、体が後ろに引かれる。


「離せ」

「桜様はもしや、しんひらじんぐうの隠された本殿をお探しでいられますか?」


 ぐっと思わず息を呑んだ。


「なんで、あんたがそれを知っているのよ……」

「雛様からお話を伺っております。桜様が約束を覚えていれば必ず隠された本殿を探すはずだと」


 あれは二人だけの約束じゃなかったのかと苛立ちながらも桜は考える。

 雛もあの約束を誰彼構わず話したりはしない。

 だから今の詩織の発言で詩織が雛と繋がりを持っていることが証明されたと言える。

 そして雛があの時の約束を忘れていないことも分かった。

 それならば本当に今、この神都のどこかに本物の本殿への入り口が用意されていて、あの写真集に挟まれていた暗号を解けば本殿へと辿り着くことができる。そういうことなのか?


「じゃあ、あんたは本殿の入り口がどこにあるのか知っているの?」

「……いえ、私もそこまでは話を聞かされていません」

「そう」


 詩織は桜の手を強く掴んだままで一向に離そうとしない。


「桜様。現状、しんかくを取り入れる以外にしんの炎を抑える方法はございません。しかし桜様はくにがみになるつもりはないと仰います。それはつまり、桜様は……死ぬことを望んでいると、そういう、ことですか?」

「そうよ。私は今度こそちゃんと死にたいの。だからもうほっといてよ」


 はっきり言い放つと、詩織は悲しげに顔をゆがめた。


「どうして、ですか……! どうして桜様はそのようなことを仰るのですかっ……!」

「なんなのよあんたは。いい加減うざいって。消えろ」


 詩織の手を振りほどいて再び前へと足を進める。

 すぐにまた詩織が追って来る。


「桜様っ!」

「ついて来るな」


 桜は足を速める。


「お待ち下さい……! 桜様っ、隠された本殿の探索、私もお供させてください。きっとお役にたってみせます。お願いしますっ……桜様のお側に居させてください……」


 しつこく詩織はついて来る。

 そろそろ本気で逃げだそうとしたその時、


「桜様……っ」


 詩織の息の詰まった声を聞き、桜は足を止めた。

 はぁぁと深くため息をつき、振り返る。


「ついて来るな……って言ってもついて来るんでしょ? なら勝手にすれば」

「は、はい! ありがとうございます、桜様!」


 詩織からまだ国神について聞けることがあるかもしれない。その情報から本殿の入り口に繋がる可能性は充分にある。

 そして何より詩織は雛と繋がりを持っている。

 しばらくはこの女と一緒に居ることを我慢しよう。


 桜と詩織は人妖賑わう祭道を歩き始めた。

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