03 義姉・絢咲雛


 桜がはくえんに呑まれる二日前、三月二十五日。

 その日は桜が通う小学校の卒業式だった。

 そしてその日が桜のあやさきひなと話をした最後の日になった。


 小学校での卒業式を終え、家に着くなりひなは大事な話があると切り出した。

 桜は一度自室に荷物を置き、雛の部屋へと向かう。


 障子を開く。藺草香る青々とした十畳の畳部屋。

 いつになく整理された部屋の真ん中で雛は待っていた。とても綺麗な正座をして。

 凜然とこちらを見据える雛の姿に、桜はとてつもなく嫌な予感を覚えた。

 何か感付かれたか。

 逃げようかと一考するも雛の眼差しは強く、桜はしぶしぶ部屋に入り雛の前で正座する。

 そうしてどこか張り詰めた空気の中、雛は話を始めた。


 急な仕事が入り長期間家を空けなければならなくなった。ついで桜の地元中学への進学を取りやめて、東京にあるれいお抱えの教育施設に入ってもらいたい。

 雛は簡潔にそう告げた。


「あいつの命令?」


 冷え切った声で桜は言った。


さくら、心配しないで。あまね様は桜のことをちゃんと考えてくれています。桜が不安になるようなことは何もありません」


 雛は否定しなかった。


「結局、雛は全部あいつの言いなりよね。私は雛のそういうところが嫌い」

「うっ……! ……桜は、あまね様を誤解しています。周様はとても優しく心の温かな御方で……」

「そういう狂信的なところがもっと嫌い」


 うぐぅと蛙がつぶれたような声を上げて雛は畳の上に倒れた。

 そんな雛をさげすんだ目で見ながら桜は考える。


 この時にはもう桜は自分の命があと数日のものだということを封印の状態から悟っていた。だからここ最近はずっと、雛と伊佐奈にどう自分の死を悟られずに消えることができるかを考えていた。

 姿を消しても不自然ではない理由が必要だった。

 だからこのあまねからの命令は桜にとってとても都合が良かった。


 雛にはこの命令に反発して家を出たということにすればいい。

 十六歳になるまでには独り立ちをするという旨を何度か雛に言ってきたため不自然ではない。

 そして伊佐奈にはあやさきあまねの命令通り東京に引っ越すということにしておけば。

 しかし、この都合の良さが気持ち悪くもあった。


「それで、その……桜は、了承してくれますか?」


 倒れた体を起こしながら柄にもなく弱気な声で雛は訊く。


「元から私に拒否権なんかないでしょ」

「……ごめんなさい。でも、本当に悪い話じゃないですから。信じてください。……ただ、ちゃんとはお別れすることになっちゃいますが……」

「そんなことどうでもいいから。ほら、まだ話すことがあるんでしょ」


 雛は目を伏せ、静かに頷いた。

 正座に戻って雛は話を続ける。

 引っ越しの具体的な日程はまだ決まっていないこと。さらに引っ越し先も決まっていないらしくそれも追って知らせること。そしてこの説明を終えたら雛はすぐに仕事先へと向かわなければならず、引っ越しの準備は桜一人でしてもらうことになる、ということだった。


「いつにも増して急な話ね。長期って言ってたけど、その仕事はいつぐらいに終わるかんじなの?」

「まだどうなるかは分かりませんが、三年ほどになるかと」

「三年……?」


 雛がどんな仕事をしているのか桜は知らない。

 部屋で難しい顔をしながらパソコン画面と睨み合う姿は何度も見ている。だが仕事について訊いても毎回『秘密です』、とはぐらかされた。

 これまでにも仕事だと言って家を空けることは何度かあった。

 たいてい三日。一番長かったのが二週間で、三年もの長期間にわたる仕事というのは今回が初めてだ。


「安心してください。ちゃんと向こうに私の代わりが……桜のお世話をしてくれる人がいますから」

「え?」


 一瞬意味がつかめず、桜は雛の顔を見た。

 それは、あまりにも雛らしくない物言いだった。


「……そんなのいらないわよ。それなら一人でいい」

「大丈夫です。きっと、きっとすぐに仲良くなれますから」


 どこか遠くを見るような眼差しで話す雛に桜は違和感を覚えた。

 桜のいぶかしむ視線に気付いたのか、雛は誤魔化すように微笑み、話を変える。


「桜、あなたは強いです。何があっても乗り越えて行ける強さがあります。ですが一つだけ、お姉ちゃんは心配していることがあります」

「……何?」

「三年もの間、桜は私に会うことができません。とても寂しい思いをさせてしまいます。きっと私のことが恋しくなって想い悩ませてしまうにちがいありません」

「そんなこと絶対にないから安心しろ」

「でも大丈夫です。そんな桜の為に卒業祝いも兼ねたプレゼントを用意しちゃいました」


 じゃじゃーんと、雛は後ろから長四角の物体を取り出した。


「桜、卒業おめでとうございます。今日まで本当によくがんばりましたね」


 それは深紅色の大判の本だった。高級感漂わせる綺麗なそうていがされている。

 受け取った本を開く。

 するとそこには、あられもないポーズをとった水着姿のが――――


「ぐはっ!」

「お姉ちゃんのちょっとエッチな写真集です! 日常姿から際どい水着姿までセクシーショット満載! 寂しくなったらこれを見て元気出してください!」

「いらねぇよ!! 元気出ねぇよ!! なに気持ち悪いもの渡してんのよ!!」


 桜は立ち上がって雛の写真集を畳におもいっきり叩きつけた。ばしんと沈みのある音が部屋に響き渡った。


「ああもうっ、気持ち悪いだなんてひどいです! 桜が寂しくならないようにと一生懸命考えたのに! 桜の為にとしゅうに悶えながら一人で大胆に肌を晒したのにぃ!」

「もっとマシなもの渡せ! それといい加減歳考えろ五百歳!」

「桜、何度も言ってますが私はまだ五百は越えてません! まだ四百代です!」

「どっちでもたいして変わんねぇよ! 歳を考えろっつってんのよ!」


 桜のあやさきひなは約五百年もの時を生きるようかいだ。

 人類が再生されたとされるゼロ年から現在まで、二千年と二年の時が流れている。

 つまり雛は有史の約四分の一もの時間を生きていることになる。いわゆる大妖怪と呼ばれる存在であるはずなのだが、その威厳は普段の雛からはほとんど感じられない。


「桜、よーく覚えておきなさい! 少女とは見た目と心! 歳は関係ないのです! そしてこの通り私はうら若きぴちぴちの超がつく美少女! 心は恋に恋する乙女そのものです!」


 雛は立ち上がり、スカートを際どくはためかせながらびしっと謎のポーズを決めて少女宣言をした。


 妖怪といえど老いる。

 それに加え雛は――というよりも、現代に生きる妖怪のほとんどがそうだが、〈人間〉を宿している。

 人化した妖怪の寿命は種族にもよるがおおよそ人の二倍ほどで、五百年という時間を生きることは純粋な妖怪でも難しい。

 だがひなは人間を宿しながらも恥じらいもなく乙女と言いきるだけの若さを保ち、霊力も衰えることを知らない。

 さすが鳳凰を名乗るだけのことはある、と言うべきなのだろうか。


 雛は自作写真集を拾って机の上に置いた。


「桜、写真集はここに置いておきますから。後でじっくり見てください」

「もう二度と見るか」

「とか言いながら桜は私がいなくなった後でこっそり見ちゃうんですよねぇー」

「見ない。絶対に見ないから」


 すると目の前に居た雛が音もなく姿を消した。

 気付いた時には桜は背後を取られ、足に腕を通され体を持ち上げられる。

 桜は雛にいわゆるお姫様抱っこをされていた。


「絶対に見ちゃいますよ。だって桜は私のことが大好きですもん。もちろん私も桜のことが大好きですよ。ちゅっちゅ」


 雛は桜の頬に唇を近づけキスの雨を降らせた。


「ちょっと、もうっ、やめてよ」


 桜は両腕をクロスして顔を隠し、雛を押しのける。


「…………」


 キスの雨はあっさりと止んだ。中々次がこない。

 警戒しながら桜はガードを解く。

 雛は静かな瞳で桜を見つめていた。


「あの全焼したしんひらじんぐうには秘密があります」


 雛の声が、表情が、時折見せる真剣なものに変わっていた。


「……なによ、急に」

「神都のひらじんぐうがどういう場所かは桜も知っていますね」

「春のたいさいが行われるところでしょ」

「はい。まあ、間違ってはいませんが」


 神宮の名を冠する神社はこの国に全部で四つある。

 その中でもしんひらじんぐうは一番歴史があり権威のある特別な神社だ。


「では桜、神都平日神宮の隠された本殿についても知っていますね」

「まあ、ある程度は」

「よろしい」


 しんひらじんぐうの隠された本殿とは、有名な都市伝説のようなものだ。


 昔、国神は人々にとって本物の神様だった。

 そしてその神様が鎮座していた場所、それが神都平日神宮であった。

 しんひらじんぐうはまさに神域の中の神域であり、その本殿は国神の信仰を象徴する建造物だった。


 その神都平日神宮は六百年前、謎の大火災により一夜にして全焼している。

 火災の原因は全くもって不明。

 そもそも神都平日神宮はあらゆる事態を想定し、とてつもなく厳重な結界で守られていた。

 火災当時の警備も万全。

 一部だけならともかく神宮その全てが焼き落ちてしまうことなど絶対にあり得ないことだった。

 しかし、それが現実に起きてしまった。


 当時、くにがみが姿を消してから約二百年の時が流れていた。

 それでも国神の存在、その信仰はまだ強く、神宮全焼という大失態を冒した礼家れいけは国民から容赦のない批判を浴びることとなった。


 国民の怒りはなかなか収まらず、れい側は最後にある主張をした。

 それはしんひらじんぐう、その本殿とされていた建造物が偽りのものであり、本物の本殿はまた別の場所にあるというものだった。


「本物の本殿はかいそうにあり、本殿とされていた建物の中には本物の本殿へと続く入り口が設置されていた。だがその入り口も国神が姿を隠した時に消失してしまっている……というのが当時のれい側の主張です」


 この主張を信じるなら、異世界層にある本殿は火災の影響は一切受けておらず、綺麗そのまま残っているということになる。

 当然人々には批判を逸らすための苦し紛れの嘘にしか聞こえなかっただろう。

 だが礼家側は、これは事実だと強く主張したのだった。


 ここから様々な噂が広がった。

 消えた国神はその本物の本殿に居るのではないか。国神は入り口がなくなってこちらへと帰って来られなくなったのではないか。全焼事件より数日前に神都内で起きていた不可解な事件、オカルティックな推測から陰謀論。はたまた本物の本殿に辿り着けば国神に捧げられた数々の宝を手にすることができる、願いが叶うなどなど。

 これが都市伝説、しんひらじんぐうの隠された本殿である。

 隠されたと言われているのは礼家への不信感と批判の表れであるらしい。


「本殿はれいの主張通り、ちゃんお得意のかいそうに存在しています。だから本殿は噂通り火災の影響を一切受けていません」

「まるで雛はその本物の本殿に行ったことがあるような口ぶりね」

「ふふ、もちろんありますよ。しんひらじんぐう本殿。あそこは私にとってとても思い出深い場所なのです」

「と言われても、実際にその本殿に連れてってくれでもしない限り信じられないわね」

「そうですよね。ですが桜、私がわざわざこうして熱心に本殿が存在すると言い聞かせている、そのことに興味は惹かれませんか?」

「……まあ、少しはね」


 都市伝説の隠された本殿。

 それをあの雛が大まじめに存在すると言っている。いやおうなく興味は惹かれる。


「桜、おそらく三年後、あなたはしんを訪れることになるはずです」

「三年後?」

「はい。三年後、神都に本殿への入り口を用意しておきます。神都を訪れたその時には今日の私の話を思い出して入り口を探してください。私は本殿で桜を待っています。おそらく、その時が再会の時となるでしょう」


 そう言って雛は一度まぶたを閉じ、ひと呼吸を置く。

 目が開くと、その瞳には決意めいた鋭さが増していた。

 雛は静かに告げる。


「そして、再会を果たしたその時には、私の知る全てをあなたに話しましょう」


 雛が何か隠し事をしているということはずっと前から分かっていた。

 おそらくそれはあやさきあまねに関する何か。

 雛は決して絢咲周を裏切らない。だからもう雛から聞き出すことは諦めていた。

 しかし雛は今、自分の知る全てを話すと言ったのだった。


「……なによそれ。今、話してよ」

「ダメです。今はまだ話すことはできません」


 雛はしーっと人差し指を口許に当てる。

 おどけているが雛の瞳の色は真剣なままだ。雛はその時が来るまで話をするつもりはないのだろう。


「さっきの写真集に本殿入り口へ辿り着くためのヒントを書いた紙が挟んであります。私が立ち去った後で確認してください」

「ヒント? そんなまどろっこしいことしないで直接入り口のある場所書けばいいのに」

「桜、あの伝説のしんひらじんぐう本殿ですよ。苦労して辿り着いてこそ感動もまた一押しだと思いませんか?」

「思わない。面倒なだけよ」

「大丈夫です。桜なら必ず見つけられる場所にありますから。楽しく神都を見回りながら探してください」


 桜の右手の小指が雛の指にすくわれて絡められる。


「桜、約束です。三年後、本殿で再会しましょう」


 終始真面目な顔で指切りをした後、雛はふっと息をつき、ようやく抱きかかえていた桜を下ろした。

 雛は膝を折ってかがみ、桜の両肩に手を置く。

 寂しげな顔をして桜の顔をのぞき込む。


「桜、しばらくの間お別れです。桜にとってとても大切な時期に傍に居られないこと、本当に残念でなりません。向こうでも頑張ってください。どんなに離れていても、私はいつも、あなたのことを想っていますから」

「…………あのさ、雛」

「はい。なんですか」


 もってあと数日の命。雛との約束は守れない。

 これが雛との最後の会話になる。桜の中で雛と共に過ごした日々が次々とよみがえる。


「ううん、なんでもない。いってらっしゃい、雛」

「……はい。いってきます」


 桜は言葉を呑み込んだ。

 ここまで上手くやってきた。余計なことを言って雛に悟られる訳にはいかない。


 最後に雛は桜を強く抱きしめた。

 長い抱擁が終わり、雛は立ち上がる。

 桜に背を向け歩き出す。障子を開け、縁側から庭へ。雛はもう振り返らない。

 雛はその場で軽く跳ねて体を浮かせた。そして着地したその次の瞬間、音もなく風もなく姿を消した。

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