11 摂食

 感覚が麻痺してしまったらしい。

 警察の事情聴取を受け、その後パトカーで送られ、自宅マンションに戻ったときには、もう深夜だ。

 不思議と恐怖は感じない。

 あったのは理解しがたい孤独感か。

 自分が違うものに変わったことが実感される。

 心や感情が消えてゆく感覚もある。

 だから――一時的とはいえ――初めて全身が水っぽいジェルに変わったときも、いずれその形態から戻れなくなるのか、と冷静に感じただけだ。

 そのときのジェルに色はない。

 だが諒子は、あっ、これは血なのだ、と感じる。

 そして、その血が別の血を生贄に求めていることを漠然と感じる。

 さらに人類はこれと似た現象を過去に経験しているのでは、とも感じる。

 伝承されたかつてのそれはヒトの形態を取ったが、自分に起こったそれは遥かな昔に大蒜や銀の銃弾や聖水や杭などにより封印されたあの者たちの突然変異形なのだと感じる。

 特殊なインフルエンザウィルスを引き金に正体不明の何モノかにより変異させられた、まつろわぬ者たちの末裔。

 この先自分はどうなっていくのだろう?

 心にそう思ったとき、癸卯諒子は無性に善甫泰司に会いたくなる。

 危険性は承知している。

 あのとき自分の中の何十分の一かのトランシルバニア人の血を目覚めさせたのは、善甫がルーマニアのその地から持ち帰った何かだろう。

 それは現地の占い師にも感じられるほどの強さを持つ。

 それが共鳴しているのか、あるいは物理的観測に掛からぬ見知らぬ時空で結び付けられたのか見当もつかぬが、日本のこの地で華を咲かす。

 血の色をした毒の華だ。

 そして善甫から受け取った『何か』がすでに自分の中で発酵していた何かと混ざり合い、汗や愛液の流れと共に彼の中に忍び込み、ついで何かを孕ませる。

 その何かを確認したい。

 それで矢盾も溜まらず、癸卯諒子は善甫泰司に連絡を入れる。

「いったい、どうしたんです? こんな時間に……」

 そう驚いては見せたものの、善甫は諒子の行為に深い疑念を抱かない。

 これまでにも何度か、そういう体験があったのだ。

 一度火照りを覚えると何処までも突き進まずにはいられない女たちを善甫は十分理解している。

 ただし彼の動物的な勘は、彼女と会うことを禁じている。

 そこで生じるかもしれない漠然とした身の危険を感じている。

 だから――

「とにかく落ち着いて話を聞かせてください」

 そう答えていたのかもしれない。

 結果として強引に押し切られることになったとしても……

 約一時間後、

「お久しぶりっていうほど、期間は開いてないよね」

 前と同じシティーホテルで再会したとき、善甫が言う。

「すみません。でも、どうしても確認したいことがあって……」

 確認という言葉にやや違和感を覚えたが、善甫はそれを別の意味に解釈する。

「まぁ、日本にいるうちで良かったですと」

 部屋に入ると諒子が発する奇妙な薫りに刺激され、善甫は己のものがムクムクと屹立してくるのを感じる。

 だから諒子を促す。

 しかし彼女は、

「すみません。今日は違うんです」

 と妙な恥じらいを見せる。

 それまで善甫が感じたことのない諒子がそこにいる。

 だがその後、急に身体に火がついたように、

「これで最後かもしれないので、めちゃくちゃにしてください」

 と服を脱ぎ去り、自ら善甫に歩み寄る。

 それでようやく安心し、善甫が諒子の身を引き寄せる。

 前戯もそこそこに彼女の中に挿入する。

 激しい肉体の攻防の果て、凄まじく吸われる感覚がある。

 ついで絶叫とともに彼女の中に果てたとき、善甫は自分も諒子から何かを受け取ったことを知る。

 それが何かはわからない。

 だが直後、善甫が身体の変化を感じる。

 腹が腫れ裂けそうに膨らむと、

 バン!

 と爆発して弾ける。

 即死した彼の中から出てきたのは手も足もない肉の塊だ。

「さぁ、おいで、わたしの中へ……」

 諒子は精液にまみれた裸体のまま、優しくそのモノを呼び寄せる。

 妖艶な表情で大きく口を開けると、

 ガブリ! 

 とそれに噛み付くと、齧り取り、咀嚼し、ゴクンと飲み込む。

 肉を裂き、齧りつき、味わい、嚥下する。

 肉を裂き、齧りつき、味わい、嚥下する。

 その行為の連続が癸卯諒子を純粋な至福に誘うのだ。

 己の歯が打つかり擦れる僅かな音だけが、彼女の耳に聞こえている。

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