9 接触

 まるでモデルか女優のようにきれいな女だった、と前日の合同コンパ後の出来事を思い返し、善甫泰司は思う。

 日本に滞在するのは約一ヶ月の予定だ。

 母親が口うるさく電子メールで『たまには家に帰って来い!』を連呼し続け、最後には『妹の結婚式に出ないつもりか?』と脅され、仕方なく神奈川の実家に戻る。

 二週間前のことだ。

 次に向かう予定の国は臨時で二ヶ月以上滞在したルーマニアではなく治安の悪いアフガニスタンだが、そのこと自体、善甫はあまり気にしていない。

 基本的にはボランティアだが、必要があって呼ばれるのだ。

 好きなことをやれているという自覚と、微力であっても誰かの役に立っているという自負がある。

 それに齢を重ねるうちに欠けてきたなと感じられる最新知識や情報も、今ではインターネットでかなりの程度蓄えられる。

 体力的にもまだ大丈夫という自信がある。

 全然いけるといった感じか?

 四十代を迎えるのもまだ先の話だ。

 もっとも四捨五入ではすでに四十歳だし、太陽の照りつける海外暮らしが長いせいか、それとも単なる遺伝なのか、頭の上の方は淋しくなりかけていたのだが……。

 善甫が本国に帰っていることを知った元同僚と学生時代からの友人数人が気を利かせ――あるいはダシにして――善甫を合同コンパに誘ってくれる。

 女性に関してはいつも――可能な場合は――現地調達していたが、日本人女性とは久しく楽しみを共有していない。

「いったい、どんなご職業ですか?」

 善甫を含めて全六名の男性陣は皆医療従事者だ。

 より詳しくいえば、科は違うが彼以外の全員が勤務医で、さらに都会的な雰囲気を漂わせる。

 対する女性陣は皆製薬会社勤務の社員だ。

 ただしその中にはプロパーもいれば、博士号を持つ研究者もおり、知能程度はバラバラだ。

 もちろん全員、都会的な雰囲気を身に纏っている。

 そこで一見場違いな雰囲気なのが善甫一人だ。

 一応スーツを着ていたが、野生児なのは隠せない。

 それで先の質問となる。

 癸卯諒子と名乗る色の白い絶世の美女(死語か?)からの単刀直入な問い掛けだ。

「医者の資格は持っていますが、検疫にまわることが多いですね。所属はいろいろ変わりますが、基本的には外務省所管の独立行政法人国際協力機構が実施する海外ボランティア派遣隊員です。よって無職といえば無職ですよ」

 食事の席ということもあり、実際の仕事内容は差し障りのないことしか話せないが、癸卯諒子は興味を惹かれたようだ。

 他愛ない話や恋の鞘当が続いた後、善甫が諒子に誘われる。

 むろん断る理由がない。

 東京の夜が久しぶりの善甫をリードし、諒子がシティーホテルの一室を選ぶ。

 程無く愉しみの時間だ。

「うわぁ、こんな逞しい身体つきの人、久しぶり!」

 Tシャツを脱ぎ捨て露になった善甫のボディーラインを見、思わず諒子が嬌声を上げる。

 その方面でも諒子は善甫を気に入ったようだ。

「こちらだって、美人の上にこんなスタイルの良い人は初めてですよ。それに日本人なのが嬉しい」

「あらあら、お世辞がお上手ですこと。どこの国へ行っても、女性には不自由なさらなかったでしょ? 言葉ではなく、身体で楽しませてくださいよ」

「ええ、もちろんです!」

 互いへの興味も強かったが、相性も良かったのだろう、最後に身体を離したときには二人ともヘトヘトになっている。

「泰司さん、お強いですね……」

「いや、もう無理です。明日、腰がフラつきますよ」

「でも残念だわぁ。再来週には、もう日本にいないんですよね?」

「決めてしまったからそうですね。でも発つ日までは暇ですよ」

「お誘いは嬉しいけど、実は停滞していた研究の糸口が見つかったので大忙し……。だけど今日は抜けて来て良かったわ!」

「外資系なら定時で帰れるでしょう?」

「それはね。……でも今進展を追いかけないと、滅多にできない体験を見逃してしまいそうで……」

「成果結果を伺いに戻ってきますよ。二ヵ月後に……。お厭でなければ、そのときまたご一緒に……」

「全然厭じゃありませんけど、それじゃぁ、わたしはマドロス待ちの港の女ね。生涯、世界を巡るお積りなんでしょう?」

「旧い表現をされますなぁ。ええ、気力が衰えない限り、そうしたいと思っています。それに一箇所に留まったら、死んでしまうんじゃないかと思って……。どうでもいいような病気に感染して……」

「それが恋の病だったとして、わたしじゃ、その大役は無理ね」

「でも頭の悪い人は苦手ですよ。パ―トナーとするなら……」

「候補は何人くらい?」

「現在はいません。だから親も内心諦めている」

「孫の顔をですか? わたしの親は『する気がないなら別に無理して結婚することない』って言いますが……」

 お互いに離れ難さは感じたものの決定的な出会いとまではいかなかったようだ。

 だから沈黙の後は話題が変わる。

「そういえば感染で思い出しましたが、寄生虫がいるとアレルギーにかからないって説があるでしょう。あれねぇ、実体験から云えば、確からしい感じがしますよ。もちろん科学的には、まだ疑問符ですが……」

「衛生仮説ですね。わたしは両親に理解があったんで、子供の頃砂場で遊べたんです。だけど同世代の人たちの話を聞くと砂遊びどころか砂場自体も激減しているようで……」

「日本に帰って来て近所を散策していてそう思いましたよ。公園に砂場がないなって……。また、あったとしても砂場として使えないようになっているとか」

「そう思うと、職業柄、回虫とかを見ても平気ですけど――だいたい院生の頃は日常的にラットの皮とかを剥いて内臓を擂り潰したりしていましたから――衛生的じゃない国を巡る旅は出来ても、定住に近いことは無理かしら?」

「慣れですよ、慣れ。わたしだって最初から泥水が飲めたわけじゃない。必要に身体が慣れるんです」

 衛生仮説とは一九八九年にイギリスのストラチャンらによって発表された『先進諸国でアレルギーが増加しているのは小さい頃に感染を経験しなくなったからだ』という研究仮説のことで、具体的には『アレルギー(花粉症)の発症は家族人数に関係する』『兄弟の数が多いと免疫を鍛える物質が増えるため末っ子の方がアレルギーの感染率が低い』という説が立てられている。

 他の学者も、例えば『生後一年以内に乳児が絞りたてのミルクを飲んでいると、喘鳴、鼻炎、アレルギー感作率が減少する』『農家に生まれた子どもで妊娠中の母親が農場に出入りしている場合には生まれてきた子どものアレルギー発症が減る』『一年以上母乳で栄養供給を受けた子どもではハウスダストの皮膚反応が少なくアトピーになりにくい』などという仮説を掲げている。

「日本は清潔ですよ。でもその分、活気がなくなっているかもしれませんね。まぁ、家庭菜園とか土いじりとかが趣味として増えてきているみたいですけど、それでも今更、下肥には戻れない」

「化学肥料は戦後マッカーサーがレタスやブロッコリーとともに日本に持ち込んだものですけどね。米軍への野菜供給基地が台湾に移るまで日本はその役割を担っていましたから……」

「朝鮮戦争の時なんかは、そうだったらしいですね。もっとも、あのときの軍需景気がなかったら、その後の日本の高度経済成長もなかったわけで、衛生概念と経済成長は同期しているのかな?」

 結局、そんな話をしてから少しだけ横になり、シャワーを浴びて二人は別れる。

「では、機会があったら、また……」

「ええ、愉しみにしています」

 別れる未練のような感情は善甫泰司より癸卯諒子の方が大きかったようが、それ以上の何かを諒子は善甫から貰っている。

 それは、まったくありがたくない贈り物だ。

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