4 モノからヒトへ

「ウィルス性ですか? まさかね……」

 担当機械技師の説明を聞き、物袋静也(もって・せいや)はすぐさまチャチャを入れたくなる。

 伝染性があるって?

 機械なのに?

「いえ、もちろん感染媒体や経路は不明です」

 あからさまに迷惑そうにコンピューター技師の大殿益次(おおとの・ますじ)が答える。

「判っていれば対策を立てます。それが判らないから立てられない」

「そりゃ、まあ、そうでしょうけどねぇ」

 相槌を打つ。

 ある日突然、所属会社のイントラネットが落ちてしまう。

 正確にはイントラネットが構築されたサーバが落ちる。

 そのサーバを提供するコンピューター会社はアメリカ合衆国にある。

 イントラネットが落ちた直後、当然のように社内にパニックが発生する。

 さらに困ったことにサーバ管理会社との連絡が取れない。

 上司は喚く、社長は怒る、一般社員たちからは無能呼ばわりされる。

 そこでS電気製作所/総務部/危機及び機器管理部長の物袋静也は当初そうとう頭に血が昇る。

 物袋は元々開発現場の技術者だ。

 約二十年間それを続け、ある日突然気力を失い部署換えをする。

 それ以降、抱えてきた研究開発に対する肩の重荷は消え去るが、今度は別の重荷を背負う。

 その名は創業家滅私奉公。

 もっとも寝ている間も未解決の課題について頭を悩ましていた開発部時代と比べれば重圧感はない。

 家に帰れば仕事を忘れる。

 それが可能になったからだ。

 ただし一度緊急事態が生じれば、家に帰ることができなくなる。

 サーバの件でようやく管理会社と連絡が取れる。

 物袋は『修理人と一緒に現場の状況を確認してこい!』と社長及びその叔父である会長二人に命令される。

 後者の発言に嫌味がなかったことだけが、ただひとつの救いだろうか。

 両者に同時に連携攻撃されたときのダメージは計り知れない。

 現会長は元社長で先代会長の長男で――時代の流れもあったが――会社業績を著しく悪化させた張本人だ。

 途中入社してわずか数年で代表取締役社長に就任する。

 もちろん、それは実力のせいではない。

 ほどなくして、それを嫌った社員たちによるクーデターが勃発。

 元の社長――現社長の父親――の番頭ナンバーワンが先頭となり、有能社員をごっそり引き抜いて別会社を立ち上げる。

 そうして生まれた同業他社は瞬く間に業界に適応。

 程無く二部上場を果たし、本家の悲願を嘲笑う。

 それ以来、元々皮肉屋の該人物はより辛辣な嫌味を己の部下に向ける傾向が強くなる。

 しかしさすがに老いて社長職を退くと、その毒舌も幾らか弱まる。

 もっとも創業家男系家族のほとんどが九十歳を過ぎても矍鑠としていたので、物袋は少なくとも自分の定年までは種々嫌味を聞かせれ続けることになるだろうな、と諦観している。

 それはさておき――

 先の経緯で勅命を受け、物袋が現場に跳ぶ。

 アメリカ合衆国の地方都市だ。

 以前のサーバは日本国内にあったが、数ヶ月前に日本人スタッフも雇用しているその管理会社に鞍替えする。

 理由は主に低価格。

 サーバ使用量が格安だったからだ。

 世界中を相手に商売をしていなければ提示できないような価格なのだ。

 もっとも費用の点のみでいえば、中国(中/華/台)をはじめとするアジア各国の関連会社の方が廉価ではある。

 けれども東アジア地区に本拠を持つそれら企業は過去に付き合いがあった同地区の企業数社との――多くは品質や違法コピーに絡んだ――苦い経験から、社長の判断で却下される。

 それもさておき――

 サーバ・コンピューター内の配線や基盤に『虫がわく』現象は、実は一部の技術者たちの間では、数年前から奇妙な既成事実として認識されている。

 その発生は電子/電気機器における特定有害物質の使用を制限したEC発のRoHS指令により鉛/水銀/カドミウム/六価クロム/ポリ臭化ビフェニル/ポリ臭化ジフェニルエーテル等の、いわゆる環境および人体汚染物質の制限が開始された時期と、どうやら一致するらしい。

「もっとも証拠はありませんがね」

 話を振ったコンピューター技師の大殿があわてて付け加える。

 扱いとしては、これも一種の都市伝説と呼べるものだからだろう。

「それに、見てください」

 大殿がコンピューター本体から外したコードと基盤を指差し、

「カビが生えているとか、そういった痕跡がないでしょう?」

 確かにコード表面に粉を吹いているわけではなく、また基盤が黒ずんでいるわけでもない。

 だから基盤から大殿に視線を移すと呆けたように物袋は、

「だから伝染病?」

 と口にしてから考え込む。

「もしかすると、あなた方技師の誰かが媒介者なんじゃないですか? まったくぞっとする考えですが、それと自覚することなくヒトからヒトへ、じゃなかったか、ヒトから機械へ罹患する伝染病。大殿さんご自身、複数の会社のサーバや管理コンピューターを修理されていらっしゃるでしょう?」

「まあ、それはそうですが……」

 大殿の表情が若干ムカついてきたように見える。

「物袋部長も今回ご経験なさったでしょう。

管理会社のコンピュータールームは、ちょっとした研究機関……医療研究機関並ですよ。

各種検査と紫外線照射などを経なければ入室できない」

「しかし、それで防げない何かで媒介されるとしたら?」

「仮定の話には返答できかねます。まったく、わかりませんよ。……でも治療、じゃないか、修理自体はそんなに難しいことではありません。基本的にはボロボロになった劣化部分を交換すれば終わりですから……。劣化がひどくない場合はアルコールで拭くだけでも効果があります。ホラ、もう終わりです!」

 そう言って大殿は本体から外して治療(修理)を施した基盤や色とりどりのコードをコンピュータ内部に戻しはじめる。

 その様子をしばらく黙って見つめ、物袋が急に思いついたように、

「機械から、そしてまた逆にヒトへと伝染する可能性は? ……まぁ、あるわけないよなぁ!」

 と呟く。

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