第玖頁

 エンたち五人が飛ばされてきた少女を保護し、神殿へ帰ってきた時には、圭太は既に戻ってきており、場は騒然となっていた。

「どうなさったんです?」

 敷地内を走り回っていた中年の神官をようやく捕まえ、仲間の一人――エマがそう聞いた。

「……く、空間移動!!」

 そう言ったきり、彼は高潮した表情で神殿の奥へと走り去ってしまう。

「……てことは」

 道中、エンは事の次第を圭太が姿を消したことまできちんと説明している。思わずそう呟いたイティスだけでなく、全員が状況を察知していた。

「……さっき言った通り、ここには君だけじゃなく同じように向こうの世界から飛んできた人間がみんないる――つまり、まだその本の作者の死を知らない者たちばかりがな。くれぐれも、そのことに関しては、慎重に――……」

「……はい。こんなこと、酷すぎますもの……」

 エンの言葉を素直に聞き入れた少女の顔には、辛そうな影があった。

「……とりあえず、奥へ向かおう。この雰囲気だと、ケイがもみくちゃにされているかもしれない」

 数年ぶりに活気付いてきている神殿の様子に、ランディが少し気圧されたような表情をしてそう言った。



「み、みなさん落ち着いて下さい! 彼は今極度に疲労していらっしゃるご様子ですから……!」

 圭太があてがわれていた神殿の隅の小さな部屋の前には人だかりができており、その中心ではレムが必死にドアの前で訴えていた。

 その人だかりをなんとかすり抜け、エンたちはレムの傍までやっとのことでたどり着いた。

「レム、圭太は……」

「あ、エンさん! お帰りなさいませ! 大丈夫です。怪我などはありません」

「通してもらってもいいか?」

「え、えぇ……しかし……」

 今扉を開けば、きっと人が室内に雪崩れ込む。

「…………みんな! 聞いてくれ、少し落ち着かせてあげてくれ! でないと命に関わるかもしれないぞ!」

「……えっ、ええっ!?」

 エンの大法螺に、集団がざわついた。レムも思わず驚きの声を洩らす。

「あの人はたちは……いつもアマリアを護ってくれてる……」「護衛隊と、その隊長さんだろ?」

 集団がぼそぼそと話しているところへ、エンは更に声を張り上げる。

「彼は今、重大なことを成し遂げて帰ってきたばかりだ。そっとしておかないと……」

「本当か?」「だってあのひとたちの言う事だったら……」「重大なこととはいったい何だったのですか……?」「六年ぶりに世界を安定させてもらえるかもしれないんだ、大神官様のお姿をひとめ見てみたい……!」

 人々が口々にいろいろなことを言う。

「元気になったら、いずれご本人が民衆の前で全ておっしゃって下さるさ。だから今は……!」

「……そうか、そうだよな、お体は大事にしていただかないと」

 一人がそう言い出すと、集団は潮が引くように熱気を内に引き戻した。そして誰からともなくその場を後にし始める。

「ありがとうございます。回復は任せてくださいね!」

 ユノがエンの大法螺にのる。

「ご自分でおできにならないほどのご疲労か……!?」

「えぇ……ですから、どうかお静かに……」

 エマも神妙な顔で言った。



「僕は大病人ですか」

 騒ぎは中まで聞こえていたらしい。圭太は開口一番、苦笑しながらそう言った。その言葉は、すでに、この世界のもの……。

「似たようなものですよ」

 レムが同じくこの世界の言葉で返す。

「驚いたな。昨日まではまったく分からない言葉を話していたのに。しかし元の印象が強いから、どうしても何かこう……"様"とかいうイメージが湧かん」

 ランディが困惑したように呟く。

「当たり前じゃないですか、僕はただの子供です!」

「ただの、って……」

 心の底から力説する圭太に、イティスが苦笑いしている。

「……あれ? その女の人は?」

 一行の中に一人見慣れぬ――ただ服装などの出で立ちにはかなりの親近感を覚えた――少女を認め、圭太は思わず尋ねていた。もしや、と思う。

「……あっちの子さ。やはりコレと一緒に」

 エンは少女が大事そうに抱えているぶ厚い本を示しながら言った。

「だからな、圭太、やっぱりイチが意図してやったことじゃないんだ」

「……それは、分かります……今なら。エンさんの予想通りだと思います。イチ兄の本は、単なる鍵だったんです……次元の構造と現状が、今なら分かる……」

「……お前、やはり"風の亀裂の谷"に行っていたのか? 一体何が」

「ストーップですっ! エンさん、ケイ君のこの格好見たら分かりますよね? ボロボロですよ、一体何があったかは、お風呂とお食事と休憩の後ですっ!」

 気が急いているエンを、レムがぴしゃりと止める。

「あ……あぁ、すまない……考えが足りなかった」

 冬物の厚い服だというのにあちこち綻びさせて、埃っぽくなってしまっている少年本人は、別に大丈夫なのに、とぽつりと呟いたところをレムに軽く睨まれた。



 結局詳しい話をするのは次の日になった。

 風呂に入り食事を取った後、レムにもう遅いから寝ろと言われたのである。

「……はい。僕は確かに"風の亀裂の谷"に行っていたようです。……そこで、先代のシルフさんに会いました」

「何だって?」

 エンがぎょっとした。

「残留思念とおっしゃってましたけど……」

「そうか……言ってみれば恩人だから、会えるものならもう一度会ってみたかったがな……」

 そう言って残念そうにする青年の姿に、圭太は何故か申し訳なくなった。自分が会えて、彼が会えなかったことに対してなのだろうか。けれどそんなことは自分ではどうしようもないことではないか。やはり、先代シルフが言ったように、自分はお人よしなのだろうか。そんなことがふともんもんと頭の中をよぎったが、とりあえず今は置いておくことにする。

「そしてたくさんのことを教えてもらったんです。この世界のこと。魔法のこと。そして、宝珠のことも……」

 圭太はそこで、決意を込めた瞳でエンを見つめた。

「……僕は、この世界に残ろうと思います」

「……いいのか?」

「えぇ、もう、決めたんです……帰っても残っても、どちらにしろ何かを後悔しそうなことに変わりはありませんし……何より、世界が壊れてしまったら、そんなことも言っていられませんからね」

 もう完全に迷いを無くした顔をしている圭太に、エンはすこし複雑なものを抱いた。

(…………まだ、小学生だというのに……だが、何故コイツはこんなにしっかりして見える?)

 子供というのは意外に大人なのかもしれない。考えるということに於いては。確かに知識や経験は、大人にかなうものではない。しかし、それが足りない、というだけで、何かに対する判断基準などは――きっとより年を経たものとそうは変わらない。

 子供っぽい、などという言葉は、子供に失礼なのではないだろうか――?

 そんなとりとめのないことをぼんやりと感じていると、圭太が質問してきた。

「エンさん、ここの地下に書庫がありますね、ちょっと調べたいことがあるのですが、後で入れますか? ……もしかしたら、今の僕になら、空間の歪みを消すことができるようになるかもしれません」

「…………なんだと?」

 あまりにも思いもよらなかった科白が飛び出してきたので、彼は一瞬固まってしまう。

「先代大神官様方は、不老とはいってもやはり任期が長すぎたのです。疲労がたまっておられたのですね……だから、きちんと空間を閉じることができなかったんです。他の大神官を見つけられたら……六人分の力で協力すれば、修復することができるかもしれません」

「……そこまで無理して、頼みを聞いて下さっていたのか…………」

「わかりませんよ、エンさんにサイコキネシスがあったから、『半端でも後始末任せられるし、まぁいっかー』とかそういうことかもしれませんよ、彼ならきっとそう思ってそうな気がします――――『自分でケジメをつけられるなら、願いくらい叶えてやってもいいんじゃないのか』とか、思ってそうですもん」

「…………は?」

 エンはぽかんとした表情をみせた。

「え? もしかしてエンさんたちの前ですら素で動いてなかったんですか? あの人は」

「素……? それが、あの方の、素、なのか……?」

「え、えぇ……でも二百年近く"大神官らしく"とかって振舞ってたらどっちが本性か分からなくなったとかおっしゃってましたが……」

「……………………何だか知らないがものすごくショックだ……」

「分かる気がします」

 圭太は先代を初めて目にしたときをありありと思い出しながら賛同した。

「……ところで、片倉さん、でしたよね?」

 圭太は突然自分の世界の言葉に戻って少女に話しかけた。今までちんぷんかんぷんな言葉で話していた緑色の子供に、急に分かる言葉で話しかけられて片倉という少女は目を丸くした。

昨晩は念のため彼女だけ他の人たちには近づかないようにしてもらっており、そしてこの場にもわざわざ呼んでいた。その理由は、ただひとつ。

「あなたは――東郷宙がもう……。……あのことは、知っていますよね?」

 東郷というのは市哉のペンネームだった。彼が住んでいる字の名と、空が好きだからということとから、そう付けたらしい。

「……えぇ」

 片倉は圭太の言わんとしていることを察して悲しげに目を伏せた。

「先日聞いて回ったところ、やはりこちらに飛ばされてきている人たちは皆彼の作品の読者でした。本を読んでいる最中に飛ばされてきた人たちばかりでないので警察は気付いていなかったのでしょうけど……」

「…………あなたは、誰?」

「僕は、東郷の従弟です。……あ、ほんの数日前まで見た目こんなじゃなかったんですよ。ここへ来たらこうなってしまって……そしてどうやら、現・風の大神官になってしまいました」

「…………東郷宙の、従弟……! しかも、やっぱり、大神官……!? 何だかすごいブランドですね」

 少女は目を白黒させた。

「いえあの……ともかく、まだみんなには話さないで下さいね、本当に。僕からきちんと色々と説明しますから……今日、皆さんを元の世界に戻そうと思うんです」

「……えっ、せっかくだから少し見て回りた……あ、いえ、すみません、軽率ですよね」

 少女ははっと口を抑えた。

「お気持ちは分かりますが、やはり早く返してあげたいんです」

「えぇ、分かっています」

 彼女はまじめに、しっかりと頷いた。

「では、早いほうがいいと思いますから……さっそくみんなを呼んで儀式の間へ行きましょう。イチ兄のことで詳しいことは、そこで一緒に皆さんに伝えます」



 圭太や市哉、エンや片倉の故郷の世界から飛ばされてきた二十名強の子供たちを連れて、皆は儀式の間に赴いていた。……ただ、そこにいたのはそれだけではなかった。

 神殿関係者のほとんどがここに集合している。

「………僕は穏便に進めたかったんですが……」

 圭太は頭が痛くなった。誰も彼もが輝く瞳で自分を見つめているのである。

「…………ケイ君が中庭なんかに盛大に落ちていらっしゃるから、穏便に進まないのですよ」

「好きで落ちたわけじゃぁ……! ていうか、僕中庭に落ちてきたんですか? なんだか初めてマホウというものを使ったせいか全然記憶にないのですが……」

 圭太は与えられた知識を元に魔法を組み立てることで、自力で風の神殿へと戻ることができたのだった。しかし、初めて移動の魔法を使った圭太は、その反動か神殿に到着するかしないかのうちに意識を失ってしまったのである。事態を飲み込んだ人々が大騒ぎを始めた中、必死で人ごみを掻き分けてレムがあの部屋へ圭太を運んだのだった。そしてその数時間後、圭太が丁度目を覚ました夕方頃に、エンたちが帰ってきたという訳である。

「まったく、みなさん心臓が止まるかと思いましたよ、急に天から何かが噴水に突っ込むんですもの」

「……ふ、噴水!? よ、よく無事でしたね僕……てか……あのぅ……なんだか急に辛口になってませんか……?」

「もともとです」

「そ、そうですか……?」

 きっぱりと言い切るレムに、圭太は呆然とそう言うしかなかった。

 しかし呆けている場合でもない。ふぅ、と一息つくと圭太は子供たちの方を向いた。

「……皆さん、実はとても重大な話があるのです」

 片倉を除いたほぼ全員が、圭太を困ったような、もしくは疑っているような目で見た。

「そうですね、一度話したことがあるとは言え、いきなりそう言っても、怪しいだけですよね。僕は……実は僕も、東郷宙の本を読み終わったと思ったらいつの間にかこちらに来てしまっていた人間です……何日か前までは髪も目も黒くて、こんな刺青みたいな模様なんてなかったんです。そして……僕は東郷宙の従弟です」

「…………えっ……!」

 圭太のその科白が何処も彼処も予想外だったものか、子供たちは口々に驚きを零した。

「……それともうひとつ……僕が、この世界の次期風の大神官です」

 子供たちはもう開いた口が塞がらない。

「だから信用して下さいというのは――少々話が早すぎるかもしれませんが……とにかく、僕はこれからみなさんを元の世界に戻したいと思うのです。しかし……」

 そこで圭太は言葉に迷う。ここにいるのは恐らく全員市哉のファンだ。滅多なことを言うと信じてもらえないどころか怒り出されるかもしれない。

「……帰っても、東郷宙は、もう、いません」

 一瞬、子供たちが硬直したのが分かった。周りは相変わらずガヤガヤと熱気に満ちていたが、子供たちと圭太の周囲だけ温度が低くなってしまったかのようだった。

「な、何を……それは一体どういう意味ですか……?」

 一人が頬を引きつらせながらそう言った。

「……東郷先生は、自殺なさったのよ……あんなに繊細な文章を書くお方ですもの……きっとお心もデリケートでいらっしゃったんだわ……」

 そこへ、慎重になってくれというエンや圭太の言葉を考えた上でここは言う時だろうと判断したものか、片倉が小さく悲しそうに呟いた。

「…………な……何だって!?」

 圭太は片倉の科白である意味救われた気がした。自分では、はっきりと伝えることなど出来そうになかったのである。

「私がこの世界に来たのは、昨日のことよ。だから……確か、先生が亡くなったのは五日くらい前だわ。……原因はきっと……知らない人もいるでしょうけど、読者の私たちがこんなふうにこちらへ来てしまっていることで、怪しい誘拐犯みたいな扱いを受けて、周囲から散々に口汚く罵られ続けていたの……それが、すごくお辛かったんでしょうね……」

 そう言う彼女もとても辛そうだった。

「僕はそれで……い……彼がやってないってことを証明したくて、彼の本を読んだら……結局こちらにきてしまったんです。でも、こうなってたくさんのことが分かりました。彼の本は、本当にただのきっかけにすぎなかったんです。色々な偶然が重なって……今こちらとあちらの二つの世界っていうのはちょっとバランスが悪くなっていて……それでその境界を維持することが困難になってしまっていて、結果亀裂がたくさんできているんです。そして彼の本が……あの文章力のせいで、人がコチラの世界を覗けるまでに亀裂を呼び寄せる力を持ってしまっていた……だから、彼が意図して皆さんをこちらへ強制的に送っていたわけではないんです……分かって頂けますか……?」

「…………まじかよ……!」

「俺、テレビ局に抗議の電話かけたことあるのに……」

「わたし先生に負けないでって、手紙送ったのに……」

「僕たちが、ここへ来てるせいで……」

 飛ばされてきた人々は皆暗く沈んだ顔をして、口々にいたたまれない気持ちを零した。

「違う……お前たちがここへ来た事は責めるべきことでもなんでもない」

 エンは首を振りながら言う。

「どうか、元の世界に戻っても、メディアや警察を責める事はなさらないで下さいね。そんなことをしたら、きっと従兄だって、うかばれないと思います」

 圭太は彼らに、どうしても伝えたかった願いを言った。

 皆神妙な顔をして、俯いたり、眉根を寄せたりしている。

 エンは皆に向かってあちらの世界の言葉で告げた。

「俺はみんなの記憶をいじる事が出来る……きっと元の世界に帰って、この世界に来ていたのだとか、今の話だとかを周りに話しても、信じてなどもらえない……報道関係者からのいらない追求だとかバッシングだとか、揚げ足を取られて逆にい……ヤツの罪だなどとあることないことでっち上げられる可能性を考えると……何も憶えていない方がいいと思うのだが……二つの世界を間違えて行き来してしまった人間に対して、今まで俺はそうして記憶を消してきた……たった数人だが。多分きっと昔飛んできた人たちは神隠しにあったんだとかの認識で済んでいると思うんだが……どう思う?」

 しばらく皆は顔を見合わせたりなどして考え込んでいるようすだったが、そのうち一人が決意のこもった評定で答えた。

「私は……消してほしくありません。何をどう書き立てられようと、信じてもらえなかろうと、先生の無実だけは訴え続けたいと思うんです」

「俺も……先生の無実を忘れてしまいたくない」

 すると堰を切ったように皆口々にそう言い始めた。

 何だかエンは少し嬉しくなった。

「少なくともここにいるお前たちが強固にそれを信じてくれているなら……きっとそれだけであいつは浮かばれるよ」

「僕たちだけに留めないよ。きっときちんとたくさんの人に認めてもらうんだ。そうじゃないと僕たちが口惜しい。僕たちは先生の作品のファンなんだ」

 皆は一様にしっかりと頷くのだった。

「……そういえば……ヤツ、とか、あいつ、とか……もしかしておじさんも東郷先生をしってるの? この世界の人じゃないの?」

 おじさん、に少し引っかかったが、エンは胸を張ってこう言った。

「俺はあいつの親友さ。……この世界に来てからの、な」

「えっ……じゃあ貴方も地球の人? だったら、帰りたいとは思わないのですか? 大神官様も……」

 一人が首を傾げる。

「俺は帰らない。……色々あるのさ」

「僕も……帰りません」

 そう言った二人はとても揺るぎない目をしていて、皆きょとんと彼らを見つめていた。

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