第陸頁

「いつも、ふらりと現われるのだそうです、証を有した者が、神殿に。そして、その方が、大神官様となる。本人に選択の余地はありませせん」

 次の日、頼まなくても一人の少女が、圭太の休んでいる部屋に遣わされて来た。お世話係を言いつけられましたと、そう言う彼女の髪も緑色で、数少ない風の魔法の使い手の一人なのだといった。エンは彼女に圭太を、異世界から飛ばされて来た人間だと紹介した。

「そう言えば、証とは何ですか? 貴女の髪と目も若葉色だ」

「目はもともとです。それにそれだけでは、ダメなのです。この若葉色は、風の神に愛でられた者の証。しかし、その部分が多いほど、法力が強力なものになるのです。そして、何よりその紋章。それを有した方こそ、この人間種族と神とを繋ぐ大神官様として選ばれた方なのだそうです。そもそも、大神官様がいらっしゃらなければ、力の道が細すぎて、人間種族はほとんど魔法を使うことができません。……そして、扉の役目を負う方は、時代に一人しか存在しません。そのお方が亡くなってしまうと、また次の方が選ばれる」

「……めちゃくちゃですね。こちらの意見は無視なのですか?」

 もともと、というのが少し気になったが、それ以降の台詞を聞いてさすがにそちらの方にただならぬものを感じ、圭太はむくれた。そんな少年に、

「……神とは、えてしてそういうもののようですね。万人に同じ愛を注いで……きっとえこひいきはしていません……特別な愛は注がない。他より多くの能力を与えたなら、それを人のために使うという対価を求める。そしてその能力も、偏って与えたりはしません。一族とか、階級とか……どれだけ神を信じているかとか……どうやら、世界の違いさえ、神には関係がないようですね」

 少女神官は、少し同情するような表情をしてそう言った。

「…………ありがたいのか迷惑なのかさっぱりわからない……」

 圭太は頭をかかえる。

「きっと解ってはいけないのですよ。神は人智を超えた存在なのですから」

 少女は苦笑した。

「……どこかに、行かなければならないような気がするとおっしゃいましたね?」

「敬語を使われるのは、何か背中がむずむずします……僕の方が年下なくらいなんじゃないですか?」

 圭太は顔をしかめて言った。少女は再び苦笑した。

「どうか慣れて下さい。きっと誰もが貴方に敬意を払いますから」

「うわぁ……」

 露骨に嫌そうな圭太。しかし少女は仕方がないと片付ける。

「それで、どこへ行きたいと感じられるのですか?」

「……どうも、あっちの方へ、引っ張られるような感じがします」

 圭太はある方向を指差した。すると少女はあまりいい顔をしなかった。

「あちらですか……? これ以上西へというと、アマリアを出てしまいますが……」

「……何か段々、イメージみたいなものも沸いてきて……谷、なんですが、随分風が酷い所のようです。その絶壁の洞穴の中に、光の塊が見えて……それに呼ばれている気がするのです」

 そう言った圭太の表情はぼんやりとしていて、意識がすでにその場所へ飛んでいってしまってでもいるような様子である。そのためエンは思わず、「おい?」などと言いながら圭太の目の前でちらちらと手を振っていた。

「あ、すみません、ちょっとぼんやりしていました」

「このままだと気になって仕方がなさそうだな。どうしても行きたいのか? そこは恐らく、この世界でも危険極まる場所のひとつだ」

 エンが険しい表情でそう告げたのに続いて、少女も心配そうに言った。

「えぇ。その、谷とは……先代のシルフ様が、邪風神官を封滅なさったときに出来た亀裂と言われている場所のことでしょう。今のところ、そこへ向かったもので帰って来た者はひとりもいないとされています」

「……なる程……"風の亀裂の谷"ですか……」

 圭太は市哉の本の内容を思い出しながら呟いた。

 大神官たちは邪神官たちと戦い、自らの命を懸けることにより魔族の使徒たちを封印することに成功したという。その戦いの疵跡はアマリアから離れた僻地に点々と六ヶ所あり、いずれも前人未踏の恐ろしい地形と化してしまっている。神々の代行として力を与えられ、人間種族を守護する役を負った大神官たちを不意に失くし、現在の人間種族は神々の力へ繋がる扉を失くし、極度に防御力を欠いていた。アマリアに張られた結界も、それを制御していた大神官たちが消滅した今、いつ消えてなくなってしまうかも分からないという状況なのである。

 そして、そこに現れたのが、自分……なぜ自分でなければならなかったのだろう。確かに魔法や魔族との戦い、冒険、世界を守るヒーロー、等といったら胸が躍らないこともない。しかしそれはあくまで他人事だからであって、いざ自分にそうなれと言われてみても、こちらはまだただの子供に過ぎない。少年にはこのような重責を担うことのできる自信がほとんどなかった。

 しかし、現実はそんなことなど構いもせずに、少年のか弱い肩に既にのしかかっている。逃避し続けるのは容易い。しかしそうこうしている間にも、きっと結界は疲弊して行き、魔物による危険に晒される人々が増えていく。エンたちのような魔物に対し有効な戦術・技術等を持ち合わせた人間がどんなに頑張っても、いつの日にかは壊滅の憂き目を見ることになるだろう。少年にそんな事態を背負う自信はなかったが、自分にやれることがあるなら、やるのが道理というものではないだろうかと、良心がうずくのも本当だった。そう、たとえ自分の生まれて育った世界のことではないにしても、誰かが困っていて、自分にできることがあるのなら、それをやらないなど、してはいけないのではないだろうか、と。もちろん、できないことをやれということはないのだ。できることをやるだけなのだ。

 圭太は自分に言い聞かせるように心中で繰り返した。

(そうだ、学級委員長とか児童会長とかも同じなんじゃないか? 皆に推薦で選ばれて、拒否権なんかない。けど、やれることを一生懸命やってれば、案外できるもんじゃないか)

 そんなことまで浮かんでくる。

「……そういえば、代々の大神官様の中には、突然ご出現なさったかと思えばすぐに突然いなくなられて、そしてまたすぐに帰っていらっしゃるという方が多々いらっしゃるというのを聞いたことがある気がしますが……大騒ぎになって探して、大変だとか……何か関係があるのでしょうか?」

「……そうなのか? 一体それは」

 どういうことなんだ?

 そう訊こうとした彼だったが、少女の「あっ!」という悲鳴に中断させられた。

 目を大きく開いた少女が見つめる先を見やると、そこには無人のベッドがあるばかりだった。部屋の中央側のヘリには、ちょうど人一人が今の今まで腰掛けていましたよとでも言いたげな痕跡が残されていた。

「……き、消えた……?」

「空間移動、ですね……」

 焦燥感を覚えるエンに対し、少女は硬直しながらも感嘆していた。この魔法を使える者は、もう神殿にはいなかったのだ。それが、失われた魔法を、今この目で直に確認することができた……そのことへの感嘆を隠す事はできなかった。

「どこへ行ったんだ。まさか」

「恐らく彼が行きたがっていた場所へ。けれどきっと例のふらりとどこかへいらっしゃって戻られるというあれでしょう。……混乱を避けるなら、このことは隠した方が良いでしょうね」

「そうだな……今できるのは、ただ帰りを待つことだけか……」

 エンは親友の従弟の身を案じながらも、どうすることも出来ず、焦れているしかなかった。

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