第参頁
山、木々、草原、川原……似たような景色が何度か繰り返し視界を通り過ぎる。
「……あいつがここのことを本にしていてそれを読んだんなら、ここがどういう世界かは分かってるんだな?」
暫く経って、エンは圭太にそう聞いた。圭太はそれを肯定する。
「えぇ、この星では、人が住む地域が限られているんでしょう?」
「あぁ。あれが、唯一人間が安全に住むことのできる区域、アマリアだ」
そう言ってエンが指差した先には、崖下に広がる森の中、正円形に鎮座する広大な都市の姿が見え始めていた。
アマリア――その都市は、壁で囲われた人間種族の暮らす地区である。内部は壁で更にいくつものブロックに分けられていた。きっと上空から見ると、正円の中に五茫星が描かれた魔法陣のように見えるだろう。そしてその五茫星の中心と頂点には一つずつ、合計六つの神殿が建っていた。上から時計回りにいくとそれぞれの頂点には水、地、雷、火、風を司る神殿があり、そして中央には精神を司る神殿がある。それぞれは人々の崇拝の対象であった。派閥ができると言うでもなく、ただ同じ神話の神をそれぞれ信仰し祀る六つの神殿には、数年前までそれぞれ、絶大な法力を持ち世界を支えていた大神官が一人ずつ、存在していた。けれど今はいない。邪神官との戦いにおいて皆、己が身を犠牲にして世界を守ったからである。
――それが、市哉の本が語る過去。恐らくこの世界では真実の歴史なのだ。市哉の小説は、大神官たちがいなくなる所から始まり、その後に世界で人々を守るために魔物と戦う、大神官の嘗ての友人であったという勇者の様子を描いたものだった。
「……じゃぁ、市兄の本に出てくる勇者は、貴方なのかな?」
アマリアに着いてすぐ、一行は腹ごしらえのために定食屋へ足を運んでいた。都市の外の長旅では、ただ栄養を取ることだけが重要視された保存食しか食べることができない。なので、大抵の人間は都市に帰り着くとこのようにすぐ大衆食堂などで食事をとる。
見慣れぬ服を着た圭太は都市に入ると随分と人々の奇異の視線を浴びたが、少年は気にせずに堂々としていることにした。
「……俺が勇者? ……一体何を書いた、あいつ……そういえばお前の近くにコレが落ちてたんだが……まさかこれか? その、市哉が書いた本というのは……」
少々表情を引きつらせながら、エンはまるで恐ろしいものでもつまむように、茶色いハードカバーのあの本を、荷物の中から取り出した。それを見た圭太は目を丸くする。
「……あっ、本も一緒にこっちへ……? じゃぁ、やっぱり本の中に吸い込まれたとか、そういうコトではない訳ですよねっ?」
料理ののったテーブルに思わず勢いよく手をついてしまったので、食器類ががちゃんと音を立てた。エンの仲間たちが吃驚したような顔で少年を見る。また、迷惑そうな一瞥というものではあったが、少し周りの注意もひいてしまった。まぁ落ち着けとエンに言われて、圭太は恥ずかしそうにゆっくりと、半分乗り出しかけた身を元のように椅子に沈めた。
「最近突然こちらへ飛ばされてくる者たちが増え始めたのだが……こういう感じの本と一緒に発見されることが多かったような気がする」
「……そうなんですか?」
淡々とそう言うエンに、圭太は目を丸くして聞き返す。
「……多分一緒に発見されていないとしても俺たちの目に留まっていないというだけなのかもしれないな」
「……やっぱり、原因はこの本……?」
暗い表情で肩を落としている少年が不憫に思え、青年は何とかフォローしようと努めた。しかし彼が口を開こうとしたその時。また、人々の背中に悪寒が走る。この悪寒は揺れ始める時の日常にはないはずの地面の動きの前兆を、無意識に体が感じ取るためなのだろうか。ともかく、やはり地がゆらゆらと揺れた。
「わ、わわっ……じ、地震……!」
圭太はテーブルにしがみついた。だが数秒ですぐにおさまる。周囲の人々は、表情こそ暗いものの、意外なことに皆終始落ち着いていた。そのため圭太は何だか恥ずかしくなった。しかし、どういうことなのだろう。短い時間とはいえ、地面が揺れたのだ。誰もほとんど反応しないとは。
「世界が歪んでいるのさ。もう、一年近くこんな調子で、まぁ、震度三くらいが最高、というくらいだと思うし、皆慣れてきてしまっている」
不思議そうにしている少年に、エンはそう説明した。
「い、一年……?」
「あぁ、こちらへ飛んでくる子供たちが、増え始めてからだ」
自分もその、飛んできた子供のうちの一人なのであって、地震の原因なのではないかと思い圭太は息を詰まらせた。
「いや、すまない。別に責める気はない。お前たちが悪い訳ではないだろうしな」
「貴方は、原因に心当たりはないのですか?」
「ないさ。ただまぁ、さっきも言ったが市哉のせいだとは思ってない」
エンの科白に、ここにも信じていてくれる人がいるのだと、圭太は少し安堵した。
「……イチが死んだらしい」
「…………なん……い、イチって……あれだろ? 何年か前に飛んできた妙な男……!」
暗い顔をしたエンの言葉に、四人は思い切り目を見開いた。
最後まで言葉の壁だけは越えることができなかったが、エンの通訳や過ごした期間の長さなどから、どういった人間かは皆知っていたのである。
「何故です! あの方にもう寿命が訪れたとは……」
「自殺らしい……。最近子供がぽんぽん飛んでくるだろう? あれが……向こうではあいつの書いた本のせいになっているらしい。だがあいつは冤罪を擦り付けられている可能性がある……あの子供は、イチの従弟なんだ。俺は……あの少年と一緒に、どうにかしてこの現象の原因を突き止めたいと思う」
「突き止め……って、何か手がかりでも見つけたのか?」
がっしりした体格の彼が冷静に問う。
「いや、何も。……けれどやっぱり、何にしたって動いてみないと始まらないだろう? ケイタは……こっち風に言うとケイ、か……? ケイがな、どうしても自分の手で突き止めるんだと言ってるんだ……何だかな、あんだけ必死で真剣に言ってるあいつを見ているとどうにかなりそうな気がしてきてな」
「じゃぁ、僕たちも手伝います!」
まだ少年の色が抜けないその青年が勢いよくそう申し出た。その表情は本気そのものである。
「イティス……すまない、お前たちは今まで通り見回りを続けていてもらえないか……? 気持ちは分かるが今全員で見回りをやめてしまうわけにいかない……。俺はこいつと言葉が通じるからな……行くなら俺一人でいいんじゃないかと思うんだ」
「……………それも……そうですね……」
イティスはしぶしぶと引き下がった。このアマリアが現在どれだけの危険にさらされているかを知っているからだ。それでもダダをこねるほど子供ではない。
「……わかりました。お互い無事で」
「けれど、何か分かったらわたしたちにも連絡を下さいね」
「そうだ。俺たちだって奴の友人だったんだからな」
他の三人も切実な様子で口々に言った。
「あぁ、もちろんだ……あとは任せる。すまない。……またな」
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