第弐頁

 最初に感じたのはみょう居心地いごこちの悪さだった。


 その理由は意識がはっきりしていくに連れてすぐに分かった。


 圭太は砂の上に寝ていた――いや、倒れていたのだ。



(……僕は……何でこんなところにいるんだ?)



 いまだはっきりしない頭で、少年は懸命けんめいに思考回路を回転させる。



(……確か……とも従兄いとこ遺作いさくだからとか、本、無理言ってもらって来て……最後まで読んで……あれ? それからどうしたん……)



 思考は衝撃しょうげきで中断させられた。


 半分だけ起き上がろうとしたような状態じょうたいでしかなかった体は、あっさりと吹き飛ばされて背中から木のみきたたきつけられる。



(――な……に……)



 息がつまった。体全体に尋常じんじょうではない痛みが走る。


 うすれていく意識の中、ぼんやりと記憶に焼きついたのは、何だかぞうのような大きな生き物の姿が、どんどんと大きくなっていったような気がしたことだけだった。





†††◇†††





 次に気が付くと、どうやらすでに日が暮れた後のようで、真っ暗なやみの中にだいだいのゆらめきがおどっていた。



「気が付いたか」



 自分でどんな状況じょうきょうなのを考えようとする。


 だが圭太の意識がはっきりするより前に、男の声がして、状況を説明し始めた。



「あぁ、しゃべろうとはしなくていい。お前、昼にサイクロプスの子供にねられて、もうちょっとで死ぬとこだったんだ。ユノの回復魔法のおかげで、なんとか助かりそうだし、もう今日はゆっくり休んでろ……」



 圭太はかなり穏やかでない言葉を聞いたような気がしたが、全身を包む気だるさから気に留めることもせず、眠気に任せて再び目を閉じた。



「エン……前にも聞いたことがあるような気がするけど、今のは異世界の言葉?」



 火を囲む仲間の一人が不思議そうに尋ねた。



「あぁ、そうだ、向こうの言葉だ。昔、習った」


「そう……シルフ様に?」


「…………まぁな」



 苦笑しながら曖昧あいまいにそう答えるエン。何か意味ありげなものを感じながらも、彼女は引き下がって食事を続けた。


 そんな時だった。本当に、ほんの一瞬いっしゅんだけ皆が背筋せすじこおらされたように感じたその瞬間。


 ぐらり、と地面がれ始める。



「またか。……ここ一年ほど、多いな、やはり」



 いかにも戦士ぜんとしたがっしりした体格の男性が、落ち着いてスープをすすりながらぼやいた。



「わたしたちが出来ることって、本当に、何なのでしょうね……」



 ぽつり、と、先ほどエンがユノと呼んだ女性がつぶやく。



「ただ、彼らを保護ほごするだけ、か……」



 エンがむなしそうにつぶやいた。その横で、れる地面にも気付かず、少年は深い眠りの中にいた。






†††◇†††






 翌日よくじつには圭太は完全に回復していた。


 そこで、少年を入れて六人となった一行は、早速さっそく馬で移動を始めた。


 一所ひとところとどまっているというのは、魔物まもの横行おうこうするこの辺りでは危険なことなのである。


 圭太はエンの乗る馬に乗せてもらった。


 五人の暮らす区域へ向かっているというこの道中、圭太は簡単かんたんに自己紹介しょうかいをし、また、エンの簡単かんたんな自己紹介しょうかいや、彼による彼の仲間の紹介しょうかいも聞いた。


 どうやら彼以外の人は日本語が分からないようだ。


 しかしそれだけの情報じょうほうからでは、少年が自身にりかかっている状況をはっきり把握はあくすることなどできない。


 確信かくしんるためには、他にもどうしても聞いておかなければならないことがあった。



「……ここは、ナクォールなんですか?」



 圭太は馬にられながらそう聞いた。



何故なぜその名を……そうだ。お前たちの世界で言う宇宙うちゅうにあたる空間を、ここではそう呼ぶ。そしてこの星はミルだ。地球で言う太陽がここではオーグル、月は三つあって、イム、アリル、シスという。すべてこちらの神話とリンクした名だ」



 少々いぶかりながらもすらすらと答えてくれる青年に、圭太は益々ますます疑問ぎもんが増えた。



「……あなたは一体……」


おれもとはそっちの人間だったということさ」



 意外いがいというか、それだけのことを知っていてしかも日本語を話せるということはそうであるはずなのだろうけれど、圭太はおどろいた。



「じゃぁ、あなたも市兄の本のな」


「何だって? 『いちにい』ってのは如月きさらぎ市哉いちやのことか? あいつ無事にそっちへ帰っていたのか?」



 ぼそぼそとつぶやいた圭太の言葉を、エンは聞き逃さなかった。


 圭太の言葉も終わらないうちに、おどろいたように、しかもなかうれしそうにしてたずねる。



「えっ? 市兄いちにいを知っているんですか? 帰った、って……?」



 逆に圭太もおどろいて聞き返す。嫌な予感がする。


 市哉いちやは本名とは全くことなるペンネームで作家活動を行っていた。


 その本名など、いかに愛読あいどく者であろうと、昔からの知り合い等でない限り知らないはずなのである。


 と言うことは……従兄いとこは本当にこの世界とつながりがあったということ、になるのだろう。


 それを考えたら、圭太には何もかもがうたがわしく見えてきた。



(そして最悪の可能性を全部つぶしてやる)



かおといい苗字みょうじといい……もしやとは思ったが……あいつも一度、ここへばされてきたことがあるんだ。変な奴ではあったが、あいつとは結構けっこう気があってな……やっぱりここのことを本にしたのか? 元気でやってるか?」



 圭太は表情ひょうじょうくもらせた。



「……市兄いちにいは…………はしからりて……」


「……な……何だと……!?」



 エンが目をいた。



「それで、容態ようだいは……」



 圭太は激しく首を横にった。それだけで、エンには充分伝わったらしい。



「………………一体何があったんだ!」



 信じられないことを知ったという様子で、彼は少年にめ寄った。


 このひとは、市哉いちやが亡くなったことを知らない。


 ならば──この青年せいねんが、市哉いちや結託けったくして何かやっていたというわけではないことだけは言えるだろう。


 圭太は淡々たんたんと、ことの成り行きを説明し始めた。


 一年ほど前から、市哉いちやの書いた小説、『ナクォール』を読んでいたらしい子供たちが、次々に姿を消して行ったといううわさが流れ始めたのである。


 実際じっさいに、読み終えた瞬間しゅんかんに消える所を見た人が、何人もいるというのだ。



 市哉いちやは、マスコミに始まり果ては近所などにまで、本に暗示をかけて子供たちを連れ去っただとか、あやしい宗教にでもかぶれているのではないか、それでおかしなまじないでもかけて子供たちをどこかに拉致らちしたのではないか、等の荒唐無稽こうとうむけいで非現実的な誹謗中傷ひぼうちゅうしょうを受けたり、うたがいいの目を向けられ続けた。



 そして数日前……彼はえ切れなくなったのだろう。


 谷にけられた、古く美しい石橋いしばしから飛び降りてしまった。


 それも、考えなしにけるマスコミが中継ちゅうけいしている目の前で。


 市哉いちやは、以前その石橋を訪れた時に、いたく気に入った様子を見せたことがある……。



 普段ふだん仲の良かった圭太のなぐさめやはげましの言葉さえも、届いていなかったのだろうかと、少年はつらそうな表情を浮かべた。


 圭太は市哉いちやのせいではないことを証明しょうめいしたくて、市哉いちやも圭太もお互い恥ずかしいからと、読ませてくれなかったり進んで買おうとしなかった、彼の小説を読んだ。


 読んでいる間ずっと市哉いちやとの思い出があふれ出し、なみだを止めることはできなかった。


 自分が泣きながら読んだこと以外を一息に言い終わると、少年は何故だか無性むしょうくやしくなってまたのどおくまった。



「……最近みょうに世界がさわがしい。ぽろぽろ子供が飛んでくるから何が起きたんだと思ったが……」



 圭太の話を全部聞き終わってから、エンは呆然ぼうぜんとしながらそれだけ言った。



「…………これは、市兄いちにいのせいなんですか!」



 たまらず、もはや半分泣き出しそうな表情で少年は叫んだ。


 青年はそれに、何とも言えない複雑ふくざつな表情で答えた。



「……すまないが、今ははっきりとちがうとは答えてやれない。……ただ、俺もあいつが、人間を考えなしにこっちへ飛ばしまくるような奴じゃないってことは、自信を持って言える……何せあの性格だ」



 彼は苦しそうな表情を浮かべてそう言った。

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