冷たい頬 ❶

人はさみしいって思うからさみしいんだと思うんだよね。


だからオレは普段から心がけている。

そう、いつだって人間は独りさ。

生まれた時からずっと死ぬまで。

そんな気持ちでいればきっとツラいことにブチ当たったって平気でいられる。


誰かがオレを傷付けようと、そんなもんお構いなしだ。


「うっあ〜〜エゲツな! てゆーかあの人たちともよく会うねぇー?」


ひなこは目の前の光景に素直な感想を漏らす。


確かにそれは客観的に見れば佗しい人生なのかもしれない。

でもきっと良いことがない分、悪いこともない。


……つまり何が言いたいかって?


OK一言で簡潔に述べようか。

今、目の前で起こっていることサ。



サークル会長とボクの元カノが夕暮れの駅前で路チューです。



その様子をホゲホゲ買い物袋ぶら下げた帰宅途中のオレらに目撃されるなんてまさか思ってもいないのだろうか。


まるでこの世に2人しか存在しないと言わんばかりのディープインパクト。


何もこんなところで。


「あー、でもまあしょうがないよねぇ。こんなの見せられたら…。けどこれでようやくあんたも諦めが…って、あ!」


そしてオレは逃げ出した。


そう、その場から走り出したのだ。


信じないよオレ。

こんな現実は否定するしか。


「う お お お お お お お ー ー !!」


不思議だね。

こんな時、人って自然と叫ぶんだ?


「ちょ、ちょっと! 待ちなさいよ! こら!」


何処に向かっているのか。何がしたいのか。全然自分でもわからない。

ただ、走らずにはいられなかった。


不意に頬に温かいものを感じるがもはやどうでもいい。買い物客で賑わう夕方の商店街の視線を一手に集めようとお構いなしだ。走る、走る。今、紛れもなく1つの淡い恋が終わりを告げたのだ。いくら恋愛だの駆け引きだのに疎いオレでも一目瞭然、オレは、オレは…今確かに。


「ナ ア ア ァ ァ ー ー ー ! !」


このまま横から飛び出した車にドーンされて終わるのならどんなに楽だろう。

しかしそんな時こそ滑って転んで頭打ってウーもない。これがマイライフ。

そしてオレのことだ。この先もこんな感じでずっと続くんだろう。


この著しく低下しがちな心肺機能のツラさなどもこれから起こり得る心の痛みに比べれば。


嗚呼それにしてもなんなんだあの女、畜生。なんでわざわざあんな人目のつくところでイチャついてやがる。

あんなのオレと付き合ってる時なんか1度もなかったじゃねえか。

何故オレがこんな惨めな想いを急にこのタイミングでせにゃならんのだ。


走り切って気付けば橋の上にいた。


膝に手をつき立ち止まる。

苦しい。マジしんどい。

情けないことに涙や鼻水よりも、呼吸が出来ないのがツラすぎる。


息をするためふと辺りを見渡し、ここが何処なのか考えた。

ガードレールすぐ横をガンガン走る車の量と見慣れた青看板から県境の国道沿いと悟る。

なんかすげえ距離来てるんですけど。


「あーなにやってんだオレ」


確かに実際付き合ったのはたった3ヶ月だが。思っていた以上に『人生初の彼女』という言葉の重みを感じていたのか、ダメージは甚大である様に思えた。


どうやらオレが思うより全然オレは純情で、残念ながら彼女のことが好きだったのかもしれない。


橋の欄干に手をかけ沈みかけの夕陽を眺める。

顔を色んな液体で汚した不審な男には、およそ似つかわぬ美しい景色。


全く最悪だ。


橋の下を覗くと県内有数の流域面積を誇る川がさらさら流れていて、決してよからぬ考えが頭を巡った。


こんな歩行者も通らなさそうなところで飛び込んだら発見までどのぐらいかかるだろう。

下手すりゃ川底で見るも無惨な姿になって、発見されても身元不明になりかねない。

無論、そんな度胸などある訳もなし。


ふと人の気配を感じ、横を見ると小学生ぐらいだろうか。

少女が独り、自分の身長より高い橋の欄干に足をかけて登ろうとしている。



ン?



(こんな時間に独りで何をやっているんだろう)

とそこで思考がロックして、気がつくと既に彼女は欄干を乗り越えていたところだった。


「オ ワ ーー! な、なにやってんだおい! あぶねえぞ!」


ついさっきまでオレがやろうと画策していた行為に及ぶ者がこんなすぐそばにいた。


「な…なんだ、どうした? なんかイヤなことでもあったんか? もしよかったらとりあえずちっとお兄さんに話してみ?」


少女は無言のままこちらを振り向く。


「きっとそんな若くして死んでもいいことないぞ! つうか死ぬぞ! そんなとこから落ちたらマジで!」

「…死なないよ」

「…は? いやいや死ぬ死ぬ! 冬だしまだ寒いし水冷てえし!」


少女はそんなオレの言葉などお構いなしに空を見上げると両腕を伸ばした。


こいつ飛ぶぞ。

雰囲気で本気を感じる。

…15m? 20m? これがどんぐらいの高さなのかわからないが、こんなガキからそれをモノともしない覚悟が伝わってきて恐ろしく思えた。


「 ヴ ォ イ !」


どこぞのヤンキーに絡まれたのかと背後を振り返るとひなこだった。

オレがさっき置き去りにした買い物袋を両手に持ち、息も絶え絶えに汗だく&顔面蒼白のフルコンボである。


「ぜえぜえ……あ、あんたふざけんじゃねえわよ! 走り去るだけじゃなくご丁寧に袋まで捨てて行きやがってッ…! ダッシュとかホントありえない…こちとら体育1だったっての! …はあはあ、てゆーかあんなの見たからって別によくない!? って オ ワ ーー!」


長い前フリを散々早口でまくし立てた今、ようやくこの状況に気付くひなこ。


「え? な…なにしてんの遊んでんの? あぶないよやめなそんなとこに立つの!」


のほほんとさっきのオレとほぼほぼ同じリアクションをかます。

少女は依然今にも飛び込みそうな勢いだ。少し強めの風でも吹いたら意思に反してそれだけで真っ逆さまの予感。迂闊に近づくことも出来ない。

オレの隣に来たひなこに小声で問いかける。


「おい…おいひなこ! こういう時はオレとかじゃなくちょっと年上の姉ちゃんの方が話しやすいんじゃねえのか、あのぐらいの子には! なんとかして止めろ」

「そんなムチャな! なんの話したらいいの? ポケモン? 妖怪ウォッチ?」


理由を聞く前にまずあのぐらいの年頃の少女が何に興味を示すのか見当もつかない。

すると少女が若干ふらついてよろける。思わず声をあげるオレたち。咄嗟にひなこが言い放った。


「あ……安楽亭(焼肉)おごってあげる!」


うわあもう何言ってんのこのひと。


だめだ間違いなくボクたちは今、目の前で散りかけているいたいけな少女の命を救うことが出来なかった。

大体おまえ今時ファミリーカルビ500ランチで踏みとどまる子供もなかなかいないだろうオレやひなこじゃあるまいし。確かにあれは値段の割に良心的かつこの世になくてはならないメニューではあるがこの段階においてそういう問題ではない。安い、安すぎる。


だがインパクトの勝利か。

少女はひなこの頻拍した財政状況も省みぬその迫力に、再びこちらを気にしている。チャンスは今しかない。


「そ、そうだぞ! 焼肉だぞ! 好きなだけ食っていい! どうせなら腹いっぱいになってからでも遅くないだろ? …しかもこの姉ちゃんは貧乏で胸も無くてかわいそうなのに奢ってくれるんだ! こんなことは滅多にないぞアハハ」


ひなこの凍てつく波動をシカトしてオレは少女にちゃっかり近づく。

けれどそんな必死の訴えも虚しく少女はいよいよ飛ぶ姿勢に身構える。


ヤバイヤバイうああ目の前でとかマジで夢に出てくる最悪パターンだ。

こうなったら間に合わないのを承知で。


ただ飛び込みを止めるためにオレは欄干越しの少女に飛びかかった。

しかし少女はくるっとその場で器用に反転して、川底にではなくこちらの歩道側に飛んだ。

むしろ飛びかかったオレが欄干を乗り越えて川にダイブしかける。


「危 ね え え え え え ! ! !」


間一髪で踏みとどまるオレ。

ひなこがギャアギャア騒ぎながらオレの足を引っ張り落下を阻止する。


「別に。最初から飛ぶ気なんてないし」


少女はそうオレたちにも聞こえるように呟き、橋の対岸方向へ歩き出した。


「…ヤバかった。今のはヤバかった。今シーズン断トツ1位でオレ、死を垣間見た」

「はあはあ…今日なんなのこれ。ろくなことないんだけど」


夕陽の中、颯爽と去っていく少女の後ろ姿はなんだか礼儀のなってない現代っ子を象徴しているかの様で、これは一言物申してやらねばならない義務感が芽生えてきた彼女の将来のためにも。

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