センチメンタル ❼

「…んでなんでおまえはあの店辞めたん?」

「べつに。大して理由ないけど」


部屋のこたつでゴロゴロしながらひなこは答えた。

一気にオレはニートの子を持つ親の心境を理解した。


衝撃の、突撃りりか姫隣の先輩宅ご訪問からさらに時間が経った。

ひなこは結局あれだけ懇意にしてくれたバイト先にそのまま務めることなく、体験入店のみで店を去った。

店側は現在の経営状況もあり、相当に引き止めてくれた模様だが。

要はメイドのコスプレが1度したかっただけというのと、思ったよりも給料が安かったからと後日の本人談。

貴様はそんなこと言える立場なのかとツッコミたくもなったが、なにぶん今回はこいつに助けられたのもあったしオレもオレで親からの仕送りで生きる身。

そしてなによりひなこのバイト中、ばあさんの世話が予想外に大変なことを知ったからには偉そうなことは言えない。ただ、貝のように口をつぐむ典型的小市民。


「次、バイトなにやんの」

「んーわかんにゃい」


不毛な会話を繰り広げていると玄関チャイムが鳴った。


「ユキヒロ! いるか!」


野太い声が聞こえる。

返事をする前に近藤先輩は部屋に上がってきた。


「上がるぞ! なんだ! いるんではないか!」

「あー。どうしたんですか店行かないんですか今日は。懲りずに週2で通っているのを風の噂で耳にしましたが」

「週3だ! 無論、今日も行くぞ! だが今回はお誘いに来たのだ。姫がひなこちゃんとおばあちゃん含め、皆にお礼がしたいと申している。どうだ! 遊びに行かんか!」

「え、これからですか?」

「当然よ!」


窓の外を見ると珍しく午後の太陽が眩しくて、冬の寒さを忘れそうな天気だった。

最近とんとなかった、待っていてくれる人に会いに行くという行為に及ぶのもこんな日ならきっと可能。悪くないかもしれない。


「わかりました。ちょっと待っててください。今、準備します」

「えー。寒い」


高校時代のオレのジャージを羽織ってブウたれるひなこを無視してオレは身支度を始める。


「そういえば先輩、新宿の店には行ったんですか? りりか姫、もうあっちでも働き出してるんでしょう?」

「いや……まだ」

「行かないんですか?」

「複雑な胸中なのだ」

「でもりりか姫もそこまでヤバいことのない店だって言ってたじゃないですか」

「わかっている、無論わかってはいる。しかし……」

「しかし?」

「…………………………こわい」

「は?」

「……………………こわいのだ」

「なに? 聞こえないっすよ」

「こわくてとても行けないのだダメだ! 貴様、そっちの店も付き合え!!」

「そんな…別に先輩まで本気のプレイに没頭する必要ないじゃないですか。どんな様子か見てくるだけでも」

「わかっている。だがそれだけではない。何かが確実に変わってきている」

「どういうことですか」

「先日の1件以来、デンジャラスプリンセス禁断の果実から罵声を浴びせられるのを心のどこかで期待している俺に気づいてしまった」

「なに言ってんですかマジで」

「俺はあの日以来、一体どうなってしまったのだ。この高すぎる依存性は何? 教えてくれ、なあユキヒロ!」

「知らないですよもう」


先輩がすがりついてきやがったので力の限り振りほどく。


「ねー行くの行かないのどっちー!」


ちゃっかりいつの間にやらばあさんと出かける準備を済ませていたひなこがせがむ。


「考えてみればそもそも文学以外の話を俺は姫と1度もしたことがないのだった」

「まあそれも含めてこれからたくさん話せばいいんじゃないですか。彼女が先輩に興味を抱いてくれるかどうかは別として」

「構わん! …全く、スキとかキライとか最初に言いだしたのは誰なのだ? 姫とはやはりもっと性を超越したときめきの関係性と且つ文学面での交流を深めつつだな…」


長くなりそうなので話題をひなこに逸らすことにする。


「おい、おまえ大丈夫か。ついこないだ辞めたばっかのバイト先にこれから行って気まずくねえか?」

「うん。ん〜…まあたぶん平気。擬態する。りりかちゃんに会いたいから」

「いつから昆虫になったんだおまえは。ばあさんとなに食うか決めとけよ」

「ほーい」


かく言うオレも先日来店した際はメニューを楽しむ余裕などなかったに等しい。

柄にもなくちょっと楽しみにしている自分に違和感を持った。


「んじゃ行きますか」

「なんだかんだとな」


着込んで準備を終えた玄関に向かうオレの前に先輩が立ち塞がる。


「はい?」

「なんだかんだとな。結果から言うと」

「どうしたんですか。行かないんですか?」

「ユキヒロ」

「なんスか」

「……ありがとな」


そう言って先輩にあるまじき、割とまともな爽やかさで笑いながら部屋を出て行く。


「先、出てるぞ」

「…………はい」


素っ気ないが優しい。

ちょっと前より先輩の背中が少し変わった風に見えた。

ひなこもいつになく真剣な表情でオレたちを眺めている。


「なんだろう……あんたたちって、」


少しずつでもいい。

自分でわからなくてもいい。

毎日の中で変わっていけたら。


今回の件で身に染みたのは人は外見なんかじゃないってことだ。

今ならこんなオレでも自信を持って、伝えられる。


「ガチホモ?」


春は未だ、遠い。

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