センチメンタル ❹
「以前ボクはツンデレ系ドS喫茶にタチで勤めていたんです」
世の中は広い。
おそらくオレの知らないところで世界は回っていて、今日も人々は喜び、悲しみ、日々の中で懸命に生きているんだと思う。
その事実、若輩ながら多少は理解していたつもりだ。
しかしなぜ目の前で先ほどまでイギリスのフーリガンよろしく、店の備品を蹴りまくっていた彼女の一人称が『ボク』なのか。
そしてツンデレ系ドS喫茶でタチの定義とは。
世界は到底広すぎてあまりにオレの理解の範疇を超えているのだった。
「あちらのスーツの方とは其処でお知り合いになった方でして…。よくお店で御贔屓にしていただいた方だったんです。怒られ上手でどんなに冷酷な対応をされてもそれを喜びに変えてしまう。云わば一流のマゾヒストであり、また御本人もそれを自覚されている様子でした」
ダメだ、やはり我慢できん。
「すみません、話の腰を折って大変恐縮なんですが…ツンデレ系ドS喫茶でタチってなに?」
「あんた…そんなことも知らないでここ来てたの? 世間知らずな大学生丸出しじゃない」
隣に座っていたひなこに軽く怒られる。
「しょうがねえだろ初めてのことばっかりなんだからよ」
「まったく…あのねぇ『ツンデレ』っていうのは普段ツンツンしているのにいざ2人っきりになったりするとデレデレしだして、要はそのギャップを楽しむ、いわゆる上級者向け紳士の嗜み。つまりツンデレ系ドS喫茶でタチって言ったらそのツンツン部が一般的な度合いを更に凌駕しているほぼプロの世界のことなのよ。わかった?」
「わかるか!」
「もー! バカなのあんた!」
「御免なさい。ボクの言葉足らずでした」
涙の跡が痛々しいりりかがオレとひなこの間に入る。
「ひなちゃんの説明してくれた通り、ツンデレ系ドS喫茶とはこのお店のように御主人様の御来店後にメイドが接客をするのですが、此方と異なるのはメイドからの対応がぞんざいなのです。注文を戴くのも、お話するのも、全て御主人様を冷たくあしらう様に予め設定されていて、唯一御主人様が御帰宅なされる際にだけ感情を前面に押し出すのを許可される方針なのです。ボクの給仕していたお店では特にその冷たい対応が評判で、ほとんどのメイドは御主人様に対し、怒ったり貶したり罵声を浴びせることを生業としていました」
どうしようもう全くわかんない。
聞けば聞くほどオレの中で謎が膨らんでいく。なんで年端も行かぬ少女たちに怒られて喜ぶ輩が存在するのか。
お金をペイしてでもそれを求める感覚とは一体。例えばオレが金出してひなこに怒られようものならマジでアイアンクローで黙らせるが。
「ま…まあまあ。とにかくあのリーマンとはそこで知り合った訳だ。でもなんでそんな昔のお客がこっちにまで? やっばり付き合ってくれとか、よくありそうな…って言ったら失礼かもしれないけどストーカー?」
未だ荒れ果てた店内で絶賛気絶中のサラリーマンを横目で見ながら聞いてみた。
「いいえ」
りりかは強く首を振る。
「あの方はボクをずっと誘って下さっていたのです。ご自身が経営する新宿の店舗で働いてみないか、と。客観的にも好条件で高い評価を戴いておりました。口に出すのも憚られる罵声をボクから浴びせられながらも、磁石が引き合う様に最適なビジネスパートナーを遂に捜し出したとまで仰って下さいました……しかし、」
りりかはスカートをギュッと掴み、真っ赤な瞳にまた涙を浮かべる。
「あの方のお店は本格派SMクラブだったのです。ボク…そんなつもりであそこに在籍していなかったんです! ただ、ちょっぴり昔から年上の男性を見ると理由も無く酷い形容詞を言い放ちたくなる性癖があって…。ボク、ボクもうそれからどうしていいかわからなくなってしまって……!」
手で顔を覆って再び泣き出すりりか。
オレとひなこは顔を見合わせた。
間違いなく天職だと思うが、本人が悩んでいるんだからこちらも無神経なことは言えない。
ひなこからしても今のオレはさぞ怪訝な表情をしていることだろう。
「結局其処のお店も辞めてしまって。今度は全く関係の無い業種の御仕事に就こうとも考えました。けれどボクは矢張り御給仕が好きなんです。沢山の御主人様と好きな御本のお話が出来て、日常で疲れた御主人様が唯一羽根を伸ばせる空間を創れるのが。気付けば履歴書を此方のお店に提出していました。でも…それも今日でお終いですね。全て壊してしまいました。店内だけでは無く、このお店に対する皆様の信頼も」
改めて店内の様子を見渡す。
他のお客さんを強制退店させ、非番だった店長の緊急出勤を待つ間。
『喫茶メイドリームは店内に突如発生した竜巻の影響で壊滅状態に陥りました』
この言い訳を信じる人はきっとこの東京砂漠で生きていけないだろう。
目撃者も多数いる。
逃れられそうに無い現実に自分の発想の貧困さを呪った。
「…そんなことはない」
それは先ほどのショックから一時期廃人状態にあった近藤さんから発せられた言葉だった。
「そんなことはない。何故ならその話を聞いても俺はまだ感謝している」
体育座りで膝を抱えながら先輩はこちらを見た。
「姫に出会えてからというもの、俺は日々を楽しく思った。自意識の中でしか消化し得なかった文学の解釈や感想を深く他人と共有出来たからだ。今までこんなにも深く理解し合えたのは学校でも当然、バイト先でもなかった。初めてだ」
先輩が立ち上がってりりかの元へ近寄り跪く。
「中島敦の『山月記』で云う虎のようなものだ。誰とも相容れず、何処にも属さない。表面上は繕っていても心の底では理解し得ない。それが変わったのだ」
なに言ってるかは相変わらずよくわからなかったが先輩は虎と言うよりゴリラーマンだと個人的に思った。
それかヒバゴン。
ひなこも眉間にシワを寄せて真面目な顔をしていたが多分同じようなことを考えているんだろう。笑う一歩手前のなにやら複雑な表情をしている。
「謝罪すべきは俺の方である。余計な心配をしたせいで姫に大変なご迷惑をかけた。故にこれから俺は出頭してこようと思う」
いやいやそれは穏やかでない。
確かにこの店内の荒れ具合を店長が見たら正直彼女がここで仕事を続けるのは難しいだろうけど。
サラリーマンに関してはそもそも向こうから招いた災いだ。
「先輩、それは些か急ぎ過ぎじゃないですか。店長が来てからでも遅くはないと思いますよ。釈明するのもオレたちみんながやるべきだと思いますし」
店の隅では小動物のように団子状態に固まってこちらを窺うメイド店員の皆さん。
さっきリーマンの対応をしたチーフと呼ばれるメイドも真っ青な顔をしてすっかり怯えきっている。
彼女たちにも謝罪と説明が必要だろう。
「だがこのままでは姫が」
「大丈夫です。ボク…正直に話します。実際にあちらの方に怪我をさせたのもボクですし。…きっともう卒業の時期だったんです。それが、長々とボクの諦めが遅かったからこんなことに。お兄ちゃんには感謝しています。こんなボクのために心配をしてくれたのですから」
すると近藤さんは顔を紅潮させておもむろにその毛むくじゃらの手でりりかの手をとる。いわゆるリアル版美女と野獣。
「うおおおおー! すまーん!!」
大の大人の号泣である。
絵的にどう映っているのかなどと人目もはばからず先輩は激しく泣き出した。
するとそのタイミングで外から聞き覚えのある不快なサイレン音。
戦慄の走るオレたちを嘲笑うようにだんだんとそれは大きくなってこちらへ近づいてくるのがわかった。
「くそ…。誰だご丁寧に110番なんてしやがったのは。…どうする?」
不安げに顔を見合わせるオレたち。
だがこんな時にもりりかだけは冷静だった。
「皆様はどうか今のうちに裏口から。警察にはボクの行いを全て伝えます。勿論皆様の説明は一般の御主人様である事だけを。メイドの皆にもそれは周知しますから御心配せず」
「何を言う! こうなったら俺も残るぞ。姫は何も悪くない、俺が始めたことだと説明するのだ!」
先輩は心を決めたかのように意気込んでどっかりイスに座り直す。
「先輩…」
オレはひなことアイコンタクトした。
先輩の座るイスの横に素早く回ってオレと2人で肩を持ち上げる。
「な…何をする!」
「先輩、ここはりりか姫の言うことを聞いておきましょう! 彼女の希望です!」
「そうそう! だいたいあんたがいても大してなんも出来ないっつーの!」
無理矢理裏口に連れて行かれるのに抵抗する先輩。
だがさっきに比べたら今は断然怒りの力が弱まったせいか別人のように軽く感じた。
先輩は駄々っ子さながら足をじたばたさせてそこから離れるのを拒む。
見かねたりりかが諭す。
「本当に…本当に有難う御座います近藤さん。ボク等の為を想って下さって。さっきの言葉、嘘でも嬉しかったです。でも…今は速く此処から去ってくれないと貴方を嫌いになります。だから……お願いですから、とっととお帰り下さいませウジ虫野郎」
そう凄んでりりかは先輩に微笑む。
凶暴な言葉と裏腹な、滅多に見せないであろうその笑顔を目の当たりにし観念したのか大人しくなる先輩。
今がチャンスとばかりにオレとひなこは先輩を裏口へと引きずり出す。
隅で座って「ここ寒いわねえ」と梅こぶ茶をすすっていたばあさんもひなこが一緒に連れてきた。
ちょうどオレたちが裏口のドアから表へ出る時、警察が店内に入るのが見えた。
「何故だ……姫…」
寒空の下で赤いサイレンがくるくると回っている。
もうほとんど力の残っていない先輩を抱えてオレたちは駅の方へ向かった。
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