センチメンタル ❸

「ご注文…まだですよね? なにか御座いますか」


すっかり忘れていた注文を焦って頼む。

オレとばあさんは無難にオレンジジュース。先輩だけオムライスを頼んだ。ここまでは打ち合わせ通りだ。


「かしこまりました。少々お待ちください。また後でお話しようね、お兄ちゃん」


踵を返し厨房へオーダーを伝えに行く彼女。後ろ姿を見送った先輩がプルプル震えている。


「な? な? いいだろ彼女! 俺はもう彼女が望むなら死をもいとわない!」


鼻息荒く先輩はキラキラした目でオレに同意を求める。


「…ええ。なんか浮世離れしてて先輩が好きになる理由がわかった気がします。しかし、お兄ちゃん……」


チリンチリンと入口の鐘が鳴る。

スーツのサラリーマンが入ってきたようだ。すると先輩の顔から笑顔が消えた。


「アイツ……か? アイツじゃね?」


どうやら先輩はりりかの様子を見ていたらしかった。

トレイを抱きしめたりりかがサラリーマンの方を見ているがオレには変わらず無表情にしか見えない。

サラリーマンが入店した時の彼女の微妙な変化をなにか察したのだろうか。


ひなこもそれを知ってか知らずか、他のメイドより一足早く案内へ向かう。

だがなにか話し込んでいるのか、どうにも時間がかかっている。ここからだと話の内容までは聞き取れない。

すると遂にフロアのチーフと思われるメイドがサラリーマンと話を始めると渋々納得したのか、ようやく案内された席へついた。


接客に戻りがてらひなこがこちらの席に近づく。


「あの人だね。間違いない。りりかちゃんの案内じゃなきゃ席つかないってダダこねやがったのよ、さっき」


席についてからもサラリーマンはずっと店の端にいるりりかを凝視している。


「なんかあったんですかねあのリーマンと。やたらご執心に見えますけど」

「あの野郎…ふざけやがって。怯えているじゃねえかりりか姫」


先ほどまでとは打って変わって先輩も体育会系のノリを取り戻し臨戦態勢に。

ようやくいつもの先輩が戻ってきた。

だがここは事前に決めていた作戦通りに行かなくてはならない。

この場で理性的になるべきはオレの役目だ。


「先輩、店の決まり通り最初に注文とったりりか姫は必ずオレたちのところ戻ってきます。その際にこないだ決めてた話を彼女としてみましょう。それからでないと彼女にも迷惑がかかる」

「ムゥ……わかった」


そもそもが空手の有段者でもある近藤先輩だ。

今すぐにも男の元へ走り、脳天唐竹割りをキメたい面持ちだが仁王のように両腕を組んで我慢の体勢。


そのまま10分も経たないぐらいだろうか。トレイにオレたちの注文したメニューを乗せてりりかが戻ってきた。


「お待たせ致しました」


近くに来てようやく彼女がさっきまでとは違う表情なのに気づいた。いくらメイドに疎いオレでもさすがにわかるぐらいだから先輩からしたら相当なものだろう。

りりかはオレンジジュースをばあさんとオレの前に置き、先輩の前にオムライスを注文通り置いた。


「オムライスにはご希望であればケチャップで文字や絵をお描き致します。何かご希望は御座いますか?」


先輩を見るとこれまたりりかに輪をかけた硬い表情で、ずっとサラリーマンの方を睨んでいる。

彼女の問いかけにも話が聞こえていないのか全く反応がない。やばいぐらいに頭に血が登っているのだろう。

仕方ない。玉砕覚悟でオレから話してみるしかなさそうだ。


「あの…本当に突然こんなこと聞いて申し訳ないんだけど…ひょっとして今来たお客さんのことでなんか困ってないかな?」


一瞬オレの顔を見て戸惑うりりか。しかし初見の客からそんな質問をされて話しづらいのか黙り込んでしまった。


「実は…怒られちゃうかもしれないけど、近藤さんもオレも、向こうにいるひなこの知り合いなんすよ。なんかあいつから最近バイト先の優しい先輩メイドが困っているって話を聞いてですね。…いやちょっと、むしろかなり、お節介かなーなんて思いつつも…」


やべーオレ我ながら初対面の女の人なのにめっちゃ頑張っていっぱい話してる。


そんなオレの緊張を見透かしてか否か、ケチャップを逆さに持ったままりりかはじっとこちらを見つめ無表情でもなにか言いたそうにしている。と、オレは予想した。


「あ。じゃあもし話しづらかったらそのケチャップでオムライスに○か×だけでも書いてもらっていいですか?」


うなづくりりか。


「今、あの人になにか困ることをされていますか?」


オムライスにケチャップで大きな○がついた。


「それは仕事だけじゃなく、プライベートにも関わることですか?」


以前にニュースで観たことがあった。

ストーカー化した客が遂には店員の女性や家族にまで被害を及ぼすパターン。

思いの外、事態は深刻かもしれない。


りりかはさっき書いた○の中に更に○をつけた。


「だけど周りにも迷惑をかけられないから、どうしていいかわからないですか?」


もう1つ、○。

これで3重の○が出来た。


「……助けてほしいですか?」


○○○○○○○○○○○○○○。


「ふんぬー!!!」


突如今まで黙っていた近藤さんが店に響き渡る腹からの雄叫びを上げ、立ち上がった!


やばい、質問のチョイスを誤った。

これじゃ作戦もなにもなくなってしまう。

今ので店内中の視線が完全にこちらに集まってしまった。


「先輩…! マズいっすよそんなデケエ声出したら! みんなめっちゃこっち見てますって…!」


こちとら必死だ。

そして先輩がおもむろに殺意の波動を発しながらサラリーマンの方へ向かい出すのをほぼ羽交い締めの状態で阻止する。


「 離 せ や ー 」


マズいぞこれはマズい。

こんな時ばかり先輩がバイトで培った男力が遺憾なく発揮される予感だ。

しかも部屋で戯れてたのとはまるで別物、リアルな犯罪に発展しそうな気が。

初めてのメイド喫茶訪問のおみやげが前科一犯の片棒じゃシャレにならない。浦島太郎を遥かに超える業ではないか。


りりかも珍しく目を見開いて近藤さんに驚いている。これじゃ一体どっちが怯えさせてるんだか。

背中にオレをおぶったまま近藤さんは歩を進める。


「ダメだ、助けろおいひなこ! こりゃオレだけじゃ止めらんねえ!」


少し離れたところにいたひなこに命令というか、懇願する。


「ウチに言わないでよ! ムリだろこんなもん!」


そりゃそうだ。

羽交い締めどころかすでに引きずられているオレ。怪獣かこの先輩は。


途中イスだのテーブルだの観葉植物だのなぎ倒して他のお客さんの迷惑も一切顧みていないがもうそんなことはどうでもいい。

ただどうしたらこの首が異様に太いレッドキング似の体育会系を止められるか。それだけだ。


「先輩、先輩! このままじゃ徹夜で考えてた『実はオレたちここいら一帯をまとめるメイド喫茶元締めヤクザ設定』とかどっかスッ飛んじゃいますよ、堪えて!」

「 ぬ ぅ ん ! 」


不意に無重力を感じ、自分の身体が宙を舞った。


「ふゥぐッ!」


1回転して硬いフロアに叩きつけられ、しこたま背中を痛打。


アハッダメだこりゃ。

マジに息が出来なくなってビビる。

Don't stop him now。

先輩は動けなくなったオレのことなど意に介さず、カウンターを通り過ぎて遂にサラリーマンの座る席へたどり着いた。


「な…なんだ?」

「 な ん だ で は な い だ ろ う が ! この卑怯もんがああああああああ!!」


この瞬間、全ての終わりを悟った。

先輩は青ざめるリーマンの襟首を掴んで無理矢理立たせる。


「が……け、警察呼ぶぞ! なんなんだ一体!」

「自戒せよ! …否、自決せよ! もはや貴様に残された道はただそれだけのみ! りりか姫に害を為す輩は全て亡びるのだ!」


騒然とする店内。

しかしそんな中、騒ぎの中心に悠然と歩を進める姿が。


「…お兄ちゃん、もうやめてあげてください」


りりか。

無表情なのは依然変わらないがなんとも悲しそうな声。


「姫! この輩の腐りきった性根を今から叩き直してくれましょうぞ!」


興奮し切ってるのか大陸渡って三国志の武将みたいな喋り方になってきた先輩。


「いいんです。もう充分こちらの方も理解って下さったと思いますし。それに、」

「否! 断じて、否! こういった類いの暴徒は1度骨身に沁みさせねばいけません!」

「ふ……ふふふ…」


先輩にネックハンギングされながらリーマンが不気味に笑い出す。


「貴様! なにがおかしい!」

「暴徒だと…? ふふ…笑わせる。ホラな、キミに言った通りじゃないか? こんな店にはろくな客がつかない。自分のことも見えてないような奴らばかりじゃないか」

「なにおううう?」

「…キミの本当の幸せはここじゃ見つからないんだよ。どうしようもない…傷の舐め合いしか出来ないような、こんな弱いヲタク共相手じゃね」

「 キ サ マ 。 その発言、覚悟は完了している様子だな」

「ボカぁキミを助けたいんだ!」

「 ぶ っ 殺 ー っ っ す ! ! 」


「うるせえブタ共」





聞き間違いか。

それにしても鮮明に室内に透き通った声。


「それ以上しゃべるんじゃねえ。クチくせえんだよゲス野郎」


嗚呼、間違いなどではなく。

先輩でもリーマンでもなく、ましてやひなこでもない紛れもなくその声の主は、


「り…りりか姫?」


「 オ ラ ー ! ! ! 」


オラー。

彼女が確かに今そう叫んでテーブルをブン投げましたがなにか?

狐につままれるなんて生易しいもんじゃない。轟音と悲鳴に包まれる店内。


「ヒィー! 姫、姫! ど…どうなされたのです? ご乱心召されたのですかイヤアァー!!」


怯え切った先輩が恐怖のあまり女の子座りで叫んでいる。


「あぁ! 戻ってきてくれたのですね! ボクですあなたの白ブタです! さあ蔑んでください罵ってください! ボクはあなたに踏まれるために生まれてきブッ、」


よくわからないセリフの途中でりりかの投げたイスがアゴを直撃し、綺麗に膝からガクンとオチるサラリーマン。


「お、おーい…! ひなこちゃんコレはっ! い、一体どういうことなんだろう?」


他の客共々、災害時よろしくテーブルの下でひなこと身を伏せ状況を確認する。


「おそらく…だけど。彼女の内面で蓄積されてきた負の感情がここに来て表面化し爆発。つまり凶暴性を伴っているのは昔、なんかあったからなんじゃないかな…」

「イヤここそんな冷静な分析いらない! ちょ、止めよう、どうにかして!」

「ムリ、なんじゃないかな…」


そう呟きひなこは四つん這いで出口方面へ逃げようとする。

当然ケツから生えたしっぽを掴んで逃さないオレ。


そんなことをしている間にりりかは物を投げ尽くすに飽き足らず、次は目につくものを手当たり次第蹴り飛ばし始めた。

その度「オルァ!」とか「ボゲェ!」とか吼えながらあのドス黒い衣装と真紅の瞳のままなものだから、オレには本当に彼女が悪魔にしか見えなくなってきた。


「 ふ … ざ け ん な 糞 ど も ぉ ぉ お お お ! ! !」


暴れ狂うりりか。

もはや誰がこの神の領域の怒りを止められよう。

店内の客だけじゃなく店員であるメイドたちも恐怖で泣く寸前である。

ザッツパニック。

防災頭巾の代わりになるものを探す。


「わー! だめ! フミちゃん!」


素っ頓狂なひなこの声に顔を上げるとなんとさっきまで端の席でオレンジジュースを飲んでいたばあさんが嵐の中心りりかに近づいていく。

マズい、これはマジでシャレにならないかもしれない。

咄嗟にテーブルから飛び出しばあさんを庇おうとしたその時。


「あなたダメよ、そんな乱暴しちゃ! お掃除するの大変じゃないの!」


ばあさん。


神妙な面持ちだがばあさん、言ってることは的から大きく逸れている。


…だけど不思議なもんでね。

その言葉に反応したのか、ばあさんの存在に気づいたのか、りりかの動きがピタッと止まった。


見つめ合うばあさんとブラックデビル。

あそこ一帯は文字通り聖域だ。

他の誰も決して近づけない。


「あたしもお掃除手伝ってあげるから。もう散らかしちゃダメよ?」

「…ぅ……うわああぁぁぁん……」


突如堰を切ったように泣き出すりりか。

ばあさんに崩れるようにもたれかかった。

その情緒の不安定さに唖然と情景を見守るしか出来ないオレたち。


とりあえず言わせて?


ばあさん、グッジョブ。



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