センチメンタル ❷
チリンチリンと玄関のハッピーめいたドアを開けるとこれまた幸せの合唱が鳴り響いた。
「おかえりなさいませー! ごしゅじんさま☆」
断言してもいい。
あいつらは確かに平仮名で喋っている。
(あれ? みなさんボクのこと好きなのかナ?)
そんな無駄に淡い期待を胸に抱くも決して口にせず店内を見渡す。
「うわ。本当に居やがった」
代わりに口をついたのはいつもの素っぴん上下トレーナー姿とは程遠い、ツインテール猫耳ニーソックス姿のガチメイドに対する衝撃だった。
「おかえり……ってあら、やっと来たか」
胸のネームプレートにはなんの迷いもなく【ひなこ】とある。
入店したオレたち3人の姿を認めると片付けていた食器を置いて、ひなこは空いている席へ案内した。
「とりあえずここで。もう少ししたら彼女の出勤時間だから適当に注文決めといて」
そう言い残し、ひなこは一旦オレたちの席から離れた。
もはやその様子は違和感以外の何物でもないのだが、この状況下で異質なのはどうやらオレたちの方らしい。
それもそうだろう。
いかにも昼間からパチスロ打ってそうなチンピラ風の2人と老婆の組み合わせ。
どう見ても人のいいばあさん騙くらかして、よりにもよってメイド喫茶で年金巻き上げる設定である。
…いかんいかん。
なんとか冷静に努めなければ。
近藤さんが部屋の奥底から発掘してきたこの威圧感あるチンピラ風な服装も作戦の一部なのだ。
しかしこちとらこういった場所への訪問は初めての経験。
故に手汗をかかずに平静を装うのはなかなかの苦痛であり、難題と言って過言ではないのだった。
「いいッ! ひなこちゃんイイ、めっちゃかわいい! 感動したぜユキヒロ!」
小声ながらひなこのメイドを興奮気味に絶賛する先輩をスルーし、オレは来店前あらかじめ考えたこれから対峙するであろう本物のメイドとの会話の流れを反芻するように繰り返した。
嗚呼全くなんでこんな厄介なことに巻き込まれてしまったのだろう。
手元にあったカラフル過ぎるメニュー表をばあさんが音読し始めるのを聞きながら、これしか方法はなかったのかと自問自答が止まらない。
周囲を見渡すと決して広くはない店内に確認出来るだけでもメイドが3〜4人いて、それぞれキャラの立った衣装で接客や食器の後片付けをしている。
自分たちも普通にしていれば問題はないのだろうが…。どうにも居心地は良いものではなかった。
「どうなってるんですか日本の飲食業界は」
しっぽの生えたメイドをこっそりチラ見しながら先輩に問うてみる。
「相変わらずおまえは古風な男だね。今時メイド喫茶なんてごく普通の現象だぜ? 今や業種はカフェだけに留まらずメイドリフレ、メイドお散歩、メイド美容院、メイド雀荘…」
先輩の挙げたどれもこれもがいかがわしい商売に聞こえてしまうのは、明確にオレが時代から取り残されているせいか。
はたまた時代の方が進むべき方向性を誤ってしまったのか。
「先輩、例の話に出てきた客。今日は来てそうですか」
「まだわからん…むしろ皆が皆、怪しすぎて区別がつかん」
「なるほど」
やはり店のターゲットがそうだからか、先輩の言う通り客層も個性的な面々が揃っていた。
つまり木を見ず森を見ろということか。いやもうよくわからないけど。
「よし、ではもう一度おさらいするぞユキヒロ。まずいつものようにマイスウィート禁断の果実が俺たちの席まで挨拶にやって来るよな? そうしたら俺がちょっと話してタイミングを見計らいつつおまえが例の客を見極める。それからひなこちゃんの合図で最後にドーンだ!」
「先輩に言われると余計混乱しますが早く終わらせたいのでがんばります」
遡って説明しよう。
あのみかん汁でカオス汁の夜。
聞けば恋に落ちた相手はこの店のメイドだった。
所属する文学サークルでの飲み会帰りにノリで立ち寄ったが、先輩は始めそんな軟弱な店に入店するものかと頑なに拒んだらしい。(ここの説明だけで40分はかかった)いざ入店しその際初めて担当? 給仕? してもらったのが先ほどのよくわからない禁断の果実【りりか】というメイドだという。
先輩の話によるとりりかは勤め先に似つかわぬ読書家であり、よくある世間話に興じるでもなく初対面の先輩と熱い文学議論を繰り広げ、先輩の好きなマイナー作家の話にも耳を傾けてきた。
普段学校以外では男だらけの印刷工場で梱包作業に従事するバイトに精を出す先輩だ。
女子と会話する機会など皆無と言っていい環境で暮らす日々の中、先輩にとってはさぞ稀少な異性の文学同志であったろう。
そんな彼女に会うため幾度となく店に通い詰めた先輩。
だがある日、りりかに異変が起きた。
先輩への接客中に突然彼女が狼狽しだし、思い詰めた表情のまま裏へ下がってしまったことがあったという。
明らかに様子のおかしかったりりかを心配し、別の日他のメイドに彼女のことを尋ねたが返事は全て体調不良という理由だけだった。
「先輩がキモかっただけじゃないですか?」というオレの的を射た意見もまともに取り合わず、ただその日以来出勤をしていないりりかが心配で夜も眠れないなどと真剣な表情で語る先輩。
だが運の悪いことにその場で一緒に話を聞いていたのが、ひなこだ。
もともとメイド喫茶というものに興味があったのと、ちょうどバイトを探していたという理由でお節介にも協力を申し出た。
いわゆる潜入捜査を引き受け、かくしてわりと音速でこのメイド喫茶『メイドリーム』にご入店が決定した次第である。
潜入1週間で早くもひなこが仕入れた情報は、りりかが客から嫌がらせ被害を受けているのではないかというものだった。
決まって金曜の夜に来店する特定の客が、りりかに対して過剰な接客を要求するのだという。
この世界に慣れてない代表としてはホラ見ろやっぱり勘違いする輩が現れる、とひなこから聞いた際は思ったものだが。
未だ未確認の情報ではあるが他に手がかりもなく、もはや打つ手もない我々は金曜の夜を迎え真相を確かめるべくひなこの手筈に則り、極めて自然を装って来店に成功したのであった。
「注文決まった? そろそろ来るよりりかちゃん」
不可思議な衣装のひなこに話しかけられふと我に帰る。
「あ…あ、そうか。えーと…」
「しっかりしてよユキヒロ。それだけじゃなくてもだいぶ彼女、ナーバスになってるんだから。店の雰囲気壊さずに、って相当難しいかもしれないからね」
すると店の奥からこれまで見なかった新たな女性が音もなく現れた。
ここで『女性』と敢えて述べたのは実にその、来店して数分とはいえオレの中のメイド像を覆す、なんというか非常に奇抜な格好をその女性がしていたからである。
「…先輩、アレっすか」
思わずアレ呼ばわりしてしまったがそれどころではないと言わんばかりに途端縮こまる先輩。まるで女子中高生ですか先輩。
その奇抜な、一言で言うと悪魔のような全身黒づくめの女性は周りのメイドたちと明らかに一線を画す目立ち方で、カラーコンタクトなのか遠目からでもわかるぐらい真っ赤な瞳をしていた。
果たしてこれは…オレたちが守る必要があるのかといった魔女感。
「きた。やっぱりかなり緊張しているみたい」
ひなこの言葉に彼女のどこからそれを読み取れるか全くもって謎であったが自分の役割を思い出し必死で一般客を装う。
「まだ例の客は来てないっぽいね。よし、こっち呼んでくるちょっと待ってて」
「ちょ、ちょちょちょ! ちょっと待ってひなこちゃん!」
ウサギの3倍濃くしたりりかの真っ赤な瞳に負けず劣らず、先輩は顔を紅潮させひなこを止める。
「なに? どうしたの」
「まだ心の準備が! ひさしぶりに会うモンだから俺!」
「なに言ってんですか先輩。前回会ってから1週間も経ってないってさっき言ってたじゃないですか」
「だがしかし!」
「呼んでくる。打ち合わせ通りにね!」
ひなこがひょひょいっと軽いフットワークでテーブルの間を抜けてりりかの方へ駆け寄る。すると少し話して彼女がこちらを向いた。どうやら先輩の存在に気づいたようだ。こちらにやってくる彼女の裏でひなこが小さく手を振る。
「…今日はいつもよりお早いんですね。お兄ちゃん」
鼻から水とは違う七色の液体が噴き出そうになる。
このオヤジは普段からどんな呼ばせ方をしてやがるのか。
お兄ちゃん呼ばれて先輩もまんざらではないようでぎこちなく微笑む。
「先日は突然体調を悪くしてしまって…本当に失礼しました。折角楽しいお話をしていたところでしたのに」
「いや…全然そんな…。だ、大丈夫でしたか?」
「御心配お掛けしたお陰様ですっかり。お休みを戴いている間、先日うかがった漱石の『趣味の遺伝』読了致しましたよ。仰る通り、短編の中でも漱石らしさが多分に滲み出ていました」
「そ…そう? よかった」
なぜオレの部屋でもこのぐらい大人しくしていられない。
というかなんの話をしてんのか全然ついていけない。
先輩は滑稽なぐらいかしこまり、近所に住む年上のお姉さんと話すマセガキみたいな上目遣い。無論、全然かわいくはない。
「…こちらの方々は?」
オレとばあさんを真っ赤な瞳で威圧、もとい見つめるりりか。
そばに来てわかったことだが、彼女は異常に肌が白い。それで瞳の赤と衣装の黒がさらに際立つのか。
「あー、あー俺のその、実家のそばに住んでた幼馴染! …とそのばあちゃん! 今日たまたま法事でこっち来ててさ! なあ? ユキヒロ!」
肩を強引に組まれて勢いでうなづくオレ。やばい、なんか先輩の緊張が伝わってこっちもおかしな調子になりそうだ。
「そうなんですね。初めまして、りりかと申します。メイドリームへようこそ」
闇属性のりりかがにっこり微笑う。
自分じゃわからないが挨拶し返すオレの顔の強張り方ったらなかったと思う。
「ありゃ! あなた目ぇどうしたの!」
突如なにかのスイッチが入ったように大声を発してばあさんが訝しげにりりかの顔を覗く。
無理もない。
ばあさんの世代からしたら結膜炎か怪我の類いとしか思えないだろう。
「これはコンタクトレンズを入れているんです。好きな物語の登場人物を真似ているんですよ」
「あらそうなの? てっきりあたしゃどこかにブツけたのかと思ったわ」
ばあさんとりりかは顔を見合わせてほのぼの笑った。
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