センチメンタル ❶

とにもかくにも学校には行かなくてはならない。


親から仕送りしてもらっている独り暮らしの狭い肩身だ。

何故か学年末になると毎回自宅あてに成績表を送付するサービスの我が学び舎は本当に学生のことを考えていないと思う。ひどい成績であれば当然それに伴い仕送り評価額も下がる。

生活水準をこれ以上落とす訳にはいかないのである。


そして今日も今日とて自分の心を乱す誰かに会わないように、まるで忍びのごとく授業だけ出席して帰ってきた。

ただそれだけなのにこの疲労度はなんだろう。

その上、家に着けば例の2人だ。

まさに負の連鎖。

果たしてオレの心の平安はいつ訪れるのだろうか。


チャリを漕ぎながら自問自答を繰り返しているといつの間にやらアパートの駐輪場に到着していた。

しっかり鍵も二重にかけて2階の自室へ向かう。

狭いながらも愛すべき我が家。

あとはもう、恋についてただ静かに考えさせて頂きたい。

無言で玄関のドアを開け、部屋へ入る。


「おーユキヒロ! 待ってたぞおかえり!」


嗚呼。


先ほどの発言は訂正しよう。

3人だった。


そこにはこたつに入ってくつろぐ愉快な隣人の姿があった。


「あんたどっか寄ってたの? おなかすいた」


なんて素晴らしい光景だろう。

ひなことばあさんの2人に加え、いつの間にやらお友達になったと思われるお隣にお住まい203号室近藤さんが何故かオレの部屋に。

しかもテレビから流れる夕方のニュース番組、都内で噂のグルメ店特集なんぞをみんなで仲良く鑑賞してやがる。


「……なにしてんスか」

「馬鹿野郎!」


そう叫ぶと、おもむろにこたつから飛び出してこの楽しい2個上の先輩は鼻息荒くオレの襟首を掴んだ。


「馬鹿野郎!」

「2回目です。なんか用事ですか」

「まず違うぞユキヒロ。おまえは何故こんな素敵な同居人が出来たのに紹介せんのだ? おまえが帰宅するのを待つ間、詳しい話は聞かせてもらったぞ。実に感慨深い。全く出逢いは宝物だね」


近藤さんとはお互い同じアパート・同じ大学とたった2つの共通点でたまたま仲良くなった。

先輩は文学部だけあってよくわからない本をたくさん読んでいてたまに言葉の表現が異次元に陥る。

性格上なんと言うか、熱過ぎるきらいがあるので正直、今この状況で面と向かって対応するには相当メンタルにくるものがあるのだが。


「いや、紹介もなにも。オレもいまいちまだ把握出来てない状態なんですよ」

「だからおまえはいかん。困った時はお互い様だろうが。ひなこちゃんにもおばあちゃんにも俺は力を貸してあげたい是非」

「いや。…てゆーか違いますって先輩。なんでこの部屋でくつろいでるんですか」

「駄目だー。本当に駄目だー」


全く会話にならない先輩とオレのやりとりを半ば呆れがちに頬杖ついて見ていたひなこがボヤきだす。


「つうか本気でおなかへったんですけど」

「いや。…てゆーかおまえはなんなの一体。お隣さんとはいえ何故見ず知らずの人を部屋にあげる?」

「あのな? ひなこちゃんはおまえに会いに来た俺をここで待たせてくれたんだぞ。こたつに呼んでくれて、みかんまでくれて…。そんな優しいひなこちゃんを叱る権利がおまえにあるか? 否、断じてない!」


収集がつかなくなってきた。


「あの、本当に今日はどうしたんですか? なんか用事があったんじゃないんですか」


ほぼ根負けした形だが事態の収束を図るため、敢えてこちらから先輩に話を振る。


「…よくぞ聞いてくれた。実は人生に於いても未だかつてない程の衝撃。遂に悩みが生じた」


また始まった。

先輩の悩みとやらはほぼ想像つく。


どうせ好きな人が出来たからおまえどうにかして協力しろとかそれ系のしょうもない話に違いない。


今までも散々この手の話に付き合わされた挙句の果てに『おまえが襲っているところを俺が助ける』だの最悪な展開になって、グダグダの結論のまま朝を迎えることも少なくないのだ。


「なんなんですか」

「恋をしている」

「もう本当、帰ってください」

「馬鹿野郎貴様!」

「そりゃそうでしょう何回目なんですかもう! その都度付き合わされているこっちの身にもなってくださいよ、ただでさえよくわかんないことだらけのこんな時期に!」


心底嫌になり立ち上がって去ろうとするオレの足にすがりつく先輩。


「いやいやいや違うの。今回はマジなの。これを逃したら俺もう駄目なの」


しぶしぶ座り直すオレ。

本当に健気だと思う。


「…最後にしてくれますか、こういうの」

「うんうん! 最後最後! 人生でこれ以上の恋はないからきっと!」


わかりやすく深いため息をつく。

明らかに長くなる未来予想図。


「わかりました。でも手短に概要だけ話してください。今日はオレも疲れてるんで」

「ありがとう…本当にありがとう。やはり持つべきものは心の友だな。なによりも財産よ」


近藤さんはその毛深い手でオレの両手を握り締める。今日は厄日である。


するとしびれを切らしたかのようにひなこがオレと近藤さんの間に割って入ってきた。


「ねーちょっと、その話はまた後にして先にごはん食べようよー」

「おっ、それもそうか。いやはや、話に熱が入り過ぎてついついご迷惑をば。そうだな、夕食にするとしよう。ちなみに今日のメニュウはなにかねユキヒロ氏」


そう呟きつつ、どさくさに紛れて人ん家の冷蔵庫を勝手に開ける先輩。


「いや先輩、先に話してください。面倒なことはさっさと片付けたいですから」

「はー? ヤダって。なんか食べてからでも充分事足りるでしょ?」


口を尖らせて抗議するひなこ@我が家の寄生獣。


「そうだぞおまえ。いやいやそれ以前になんだその言い草は! 如何にも面倒そうな態度をとりおって!」

「落ち着いてメシなんか食える状況ですかこれは。むしろ、…えっ? あれ? てゆーかなんなのキミたち。ここボクの部屋なんだけど」

「あんた…ウチがどんだけおなか空いてるかわかってないんでしょ? いいからここは素直に言うこと聞いてごはんの準備しなさいよ。こっちはもう都内銀座の名店グルメ特集有名ハンバーグ編観たせいで切羽詰まってんだよ」

「知るかボケナス! そんなに腹減ってんならコンビニ行ってカロリーメイト買ってこいや育ち盛りが! 乳以外はすくすく育ちやがって!」


その一言がマズかった。

言った後に(あ、大変)て自分で気づいたぐらいだもの。


見えない圧を身に纏い、ひなこは無表情のままやおら立ち上がってオレに近づく。


しかしオレはこの時知らなかったのだ。奴がその手に食い終えたみかんの皮を持っていたことに。


搾ったみかん汁をブシャーとオレの眼球に向けて発射するひなこ。


「グアアァァ!! 目がァ!」

「おなか空いたっつってんだろうが!」

「なにしやがんだ馬鹿女てめー!」

「馬鹿野郎女性に対して何たる口の利き方ぞ貴様!」


ひなこを殴ろうと手探りのオレに掴みかかる近藤さん。だがそれは大いなる二次災害を引き起こした。

追い討ちと言わんばかりのひなこのみかん汁攻撃がタイミング悪く近藤さんの顔面にブシャーと誤噴射。


「イヤアァァ!! 目がァ!」


のたうち回る先輩。

引っ越してきて数ヶ月。狭い平米数のこの部屋で本日は1番の盛り上がりを見せた。


こたつで4つ目のみかんに手を伸ばすばあさん。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る