エトランゼ ❸

休日の駅ビル。

予想以上に混んでいる。

だから行かないって言ったんだオレは。


ばあさんと2人で立ち尽くしている姿は端から見たら仲のよい祖母と孫にでも見えているのだろうか。


そんなことを雑踏の中、ぼんやり考えていると女が何故か満面の笑顔でこっちに戻ってきた。


「アハハ! やっぱダメだー。とてもじゃないけど高くって」

「そりゃそうだ。広島だぜ? てゆーかなんで笑ってんだおまえ」

「…帰ろっか? フミちゃん、行こ」


ばあさんの手をひいて歩き出す女。ふいに小声でオレに耳打ちしてきた。


「フミちゃん大丈夫だった?」

「あー。とりあえず昔、色々旅行に行った話を聞いた。中国行った話を4回聞いた」

「やっぱり」


ばあさんの顔を見て口を尖らす。


「フミちゃん、中国の話、してあげたんだー?」

「ええ、ええそうよ。長江って河は風水画みたいに綺麗なところでねぇ、」


ばあさんは孫から聞かれて嬉しいのか、さっきよりも饒舌に話す。

慣れたもので女はおそらくオレの何倍も聞いたであろう中国の話を実に興味深そうにふんふんと聞く。


「せっかく出てきたし、どっか入るか」

「え、なに? 奢ってくれんなら行く」


オレはすぐ近くにシアトル生まれのコーヒー屋を発見したので、そこに深夜のドン・キホーテに生息してそうなトレーナー女とマシンガントークの中華ばあさんを伴い3人で入った。

違和感とかそういった次元をすでに超越した感じは我ながら、している。


「あ! ねえねえ! えーっと、ユキヒロっつったっけ?」


店内へ入った直後、久しぶりに名前を異性から呼ばれて不覚にもなんか緊張するオレがいる。


「なんだよ」

「あんた、ウチのこともちゃんと名前で呼びなさいよ。「オイ!」とか「おまえ!」じゃなくて。犬じゃないんだから。てゆーか絶対ウチのこと、そこらにいるジャニ好き素っぴん中高生とかそんな風に思ってるっしょ?」

「なに…? キミってエスパー…?」

「思ってんのかよ」


店内のソファー席に腰掛けるとレジの混雑がここからでも見えたので、注文に向かう頃合いを見計らうことにする。


とりあえず単位をかけたテストにはギリギリ間に合ったので多少落ち着きを取り戻した感がある。


だが決して状況が改善された気配には至っていない。


今もなんだかよくわからないままに2人に付き合って広島までの移動手段を調べに来ているのが事実、それを物語る。

昔、よく同級生から言われた通りにオレはお人好しの傾向がやはり強いのだろうか。


「ねーねー、こないだ言ってたけどユキヒロって大学生なんでしょ?」

「あー」

「なにやってんの学校で。なんかほら、学部? とかあるんでしょ大学って」

「あー? 経済学部」

「なにそれ? どんな勉強すんの?」

「あん? よくわからん」


レジがようやく空いてきたらしい。列が解消し始めた。


休日とはいえやはり昼時過ぎれば自然と人は減るものか。


「は? あんたなにやってるかわかんないようなとこ毎日行ってんの?」

「知らねーよ。そのうちわかってくんじゃねーの?」

「そんな他人事みたいに」

「そういうおまえだってなにやってんだよ」

「おまえじゃない、ひなこ」

「……学校は? 高校生とかだろどうせ」

「ウチはいいの。学校行くよりやらなきゃいけない大切なことが出来たから」


スネたようにひなこは頬杖をついてそっぽを向いた。


「…なんじゃそりゃ」


立ち上がり注文をしに人の減ったレジカウンターへ向かう。会計を済ませて3人分の軽食が乗ったトレイを受け取ると意外に重くて手がプルプルと震える。


「あっれー? ユキヒロじゃん! どしたのこんなとこで」


嫌な予感だ。


出来ることならその軽薄な声に応えて振り返るのは御免被りたい。


到底覆すことの不可能な運命に抗えず振り返るとそこには目下最近個人的不調の原因、大学のサークル会長をはじめとした面々の姿があった。


もちろん、その中には先日お電話で会話した彼女の姿も確認。


「あ……お、おぅ」

「なんだよーおまえこないだから顔見せねえからオレたちだけで合宿行ってきちったぜー?」

「あー……。そうなんだ。…なにどこ行ってきたん?」

「広島だよ! しかもなんか途中フェリー乗ってよ。こいつの実家があってさ! 旅館やってやがんだこいつん家が島で」


会長はすぐ横にいた名前もわからないようなやつにヘッドロックをかけてふざける。


「……宮島」

「あーそうそうそれ! なんかマジで田舎でさ! 鹿しかいねーの! ロクなもんなかったぜ全く。鳥居見て何がおもしろいってんだよ! なあ?」


奇妙な因果関係にトレイが重みと違った理由で震える。


「まあおまえもとりあえず近々顔出せよ、また。したら飲み会とかも声かけっからさ」


「んじゃおつかれー」と言い残し会長が去ると他のメンバーもぞろぞろと固まって店を出て行った。


途中、彼女と目が合う。


しかし素早く踵を返すと振り返ることもなく他の皆と一緒に無言で行ってしまった。


「なに、あのイヤな印象の人たち」


いつの間にかオレの傍らで様子を見ていたひなこが怪訝そうにサークルの連中を見送る。


「あー。大学のヤツら」

「ふーん…」


……しかし思うに先ほどの彼女の反応。ここで気まずそうに顔をそらすってことは、先日の電話を後ろめたく思ってるのは確かなようだ。


つまりそれはどういうことか。


そうだ、電話越しにはあんな言い方してたけどこれはまだ多少なりとも未練は残っていると考えていいんじゃないんだろうか。


実はあの時、酒飲んでて勢いであんなこと言っちゃったけど本当は後悔してるとか。謝るタイミングがわからないとか。


若干の期待を胸に1人気持ちが上がるオレ。


すると突然『スパーン!』といい角度でひなこのミドルキックがオレの尻に入った。


「痛って! なにすんだよ!」

「なんとなく」


意味不明にそう言ってオレからトレイを奪い取ってばあさんの待つ席に戻っていく。


「なんだよあいつ…」


蹴られた尻をさすりながらオレも席に戻る。


「…んで、どうすんだ」

「は? なにが」

「なにがじゃねーべ。広島行くんだろ? 金かかんじゃねーか。言っとくけど貸せるほど余裕ないぞ、オレは。」

「…バイトするもん」

「バイト。バイトねぇ…。いいけどじゃあ、ばあさんの面倒は誰が見る? オレだって学校だし」

「アタシゃ大丈夫だよ!」


志村けんのコントよろしくサンドイッチ食いながら珍しくばあさんは反論するがオレは構わずひなこを諭す。


「…1回実家帰っといた方がいいんじゃねーか?」

「うるさいなぁー」

「イヤ、別に説教とかそんなんじゃないし。なんつーか…忠告?」


素っぴんというのもあって機嫌を損ねる発言をこちらがする度、ひなこは更に威圧感を増す。


まだ不満そうに独り言をぶつぶつ言ってるばあさんといい、なんかオレ悪いことしてるみたいだ。


「事情はよくわかんねーけどさ、ちゃんと謝りゃ親だって大抵許してくれるんじゃねえの?」

「…あんたはただウチらに出てってほしいだけでしょ。部屋から」

「まあ……なあ。そりゃこのまま一緒に住んでてほしい、っつったらウソになるわ。けどまあ助けるって言っちまった手前、それについてはもう諦めたけどな」

「えっ? じゃあマジで、ほんとにほんとに、もうちょっとあの部屋にいてもいいの?」

「しょうがねえだろうがよ」

「…へぇー」


途端にニヤニヤしてひなこはオレの顔を見てくる。


「な、なんだよ」

「べーつにー。いいとこあるんだなー、ってね☆」

「うるせえ。今頃気付くなバカ」

「あら照れてる」


『カーワーイーイー』とアイスココアのグラスに刺さっていたストローで、ウンチvsアラレちゃんよろしくオレをつっつく。


「てゆーかよ。なんでそんなに帰りたくないん? ばあさんとまた離されるからか?」

「…………」


ストローを口に咥えてひなこはまじめな面持ちになる。


「キライなの」

「あん?」

「あんな親にもう頼りたくないの、ウチは」


そう言って、黙る。

当然そんな沈黙にオレは、困る。


「…つってもさー」

「傷つけてるんだってさフミちゃんが! 少しずつみんなのことをさ! …笑っちゃうよね。自分たちが仲良くないの、人のせいにして」


あ。


こんな時に不謹慎かもしれないが。


ようやくこいつの幼さをしっかり垣間見た気がした。


指摘するとまた蹴られそうだから言わないけど。


「その割にウチが困ってる時にはなんにもしてくれなかった。話聞いてくれたのフミちゃんだけだったし」


まだサンドイッチを食べてる最中のばあさんの肩に寄りかかり、『ねー?』とひなこは甘えた。


ばあさんもそれに応えて咀嚼していた口の中のものを『アー』とひなこに披露する。もしやこれか、家庭不和の原因は。


「まあ色々あるんだろうけど。…とりあえずひとつだけ教えてくれるかな」

「ナニよー」

「キミ、いくつ?」



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