第5話 私怨

「ちょっと訊きたいんだけど、飛騨君はどうやって複垢を見抜くの?」


 神楽舞はいつもの調子で雑談をはじめた。

 いや、外注スタッフの能力把握も業務のうちだと言えなくもないと自分自身に言い訳してみる。  


「いや、何となくピンと来るんですよ。ほら、人ごみで知り合いの顔が浮かび上がって見えて、声かけるということがあるじゃないですか。あれって、人間の無意識の知覚能力の『暗黙知』というものらしいですよ。上手く言葉にできないけど、何となくわかるというやつです」


 モニター越しの飛騨亜礼は、最近、買ったらしいサイバーグラスを直す仕草をしながら、キーボードに何か打ち込んでいる。スモークグラスになってるので表情は窺い知れない。


「IT企業に勤めてるのに、飛騨君は意外とアナログ派なのね。それ、『ナレッジマネジメント』とかに応用されてる『暗黙知理論』でしょ?」


 神楽舞も最近、買ったピンク色のサイバーグラスをかていたりする。

 ふたりとも、敢えてそのことには触れない。

 ちょっと、気まずい。


「舞さん、意外と物知りですね。人間って自転車に乗るときなどに、無意識のうちに無数の筋肉を調節して乗ってるらしいんです。最初は苦労するけど、コツをつかむと無意識で自転車に乗れるようになる。つまり、意識できない無意識の力によって人間は生活してるとうことになりますね。だから、ハンドルネームが変わっても、小説の文章や作風、コメント欄のやりとりで何となく相手のことが分かるというのも『暗黙知』のお蔭なんでしょうね」


 うーん、そんなものなのか。

 何となくわかるわ。

 これが暗黙知?


「それで、非常に言いにくいだけど……。『お嬢様は悪役令嬢』に変な評価ポイントが入ってるのよ。たぶん、複垢なんじゃないかと……どう思う?」


 舞は以前から気になっていたことを尋ねてみた。


「―――舞さん、あなた、ついにやっちまいましたね!」


 飛騨はキーボードを打つ手を止めた。

 見えない視線が舞に突き刺さる。


「違うわよ。私じゃないわよ。どうして、複垢を取り締まる側の運営スタッフがそんなことしなくちゃならないの?」


「いいんですよ。舞さん、ここだけの話にしておくから、正直になりなさい!」


「だ・か・ら、違うんだって!」


 無実の罪なのに、何故か焦ってしまう。


「―――冗談はさておき、それ、複垢ですよ。確か一か月前ぐらいからありますよね」


「気づいてたの? 何で教えてくれないのよ!」


 思わず、声を荒げてしまった。


「泳がしておいたんですよ。ちょっと面白い動きをしていたので。舞さん、最近、誰かに恨みを買ったことは?」


 意味深な発言である。


「どういうこと? 飛騨君ぐらいしか思いつかないわ」


 つい本音を言ってしまった。


「自覚はあるんですね。たぶん、これは私怨による複垢なりすまし案件です。舞さんの作品をBANさせるために、わざと舞さんの文体を真似たコメントとかを感想欄に残してますし、間違いないでしょう」


 それこわーい。そんなことあるの?

 今日の飛騨君、サイバーグラスで表情が読めないので不気味だわ。


「うそ、でも、飛騨君以外で恨みを買った記憶がないわ。まさか?」


 今日は何故か口が滑りまくる。

 仕事のストレスかも。


「違いますよ。そんなことしても僕は楽しくないし。私怨というより、嫉妬に近いんでしょうね。舞さんの作品がたまたま評価が高いのでそうしただけで、別に誰でも良かったんでしょうね。つい最近、黒子のバスケ事件というのもあったし、そういう話だと思います。サーバーのログと照合して処理しときますよ。それと気を付けた方がいいですよ」


「気をつけるって、どうすりゃいいのよ?」 


 舞は飛騨に詰め寄った。


「活動報告で『日間ランキング200位!』とか書かないことです」


 いや、すいません。

 タイトル『日間ランキング○○○位!』ばかりでした。

 申し訳ないです。

 今日から謙虚になります。


 三月下旬、春のBAN祭りも佳境である。

 今年も大した事件は起こらないで欲しいな。

 先日の案件の推移も気になる。


 そんな彼女の願いも空しく、小説投稿サイト『作家でたまごごはん』最大の事件が起こることになる。


 とはいえ、それはもう少し先の話である。

 

 

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