第5話 平穏

 僕はこの5年間に行われた事を話した。そして、同級生のほとんどは死んだ事も。無論、途中で何処かに連れて行かれた同級生も居る。その後、どうなったか知らない。ただ、生きている可能性は無いだろうと思っていた。

 刑事達は話を聞いた後、無言で立ち上がり、深々とお辞儀だけをして、病室を去って行った。僕が話した内容は秘密となった。ただ、テレビでは他の同級生の安否は絶望的という見出しが載るようになった。それから、病院などにはマスコミも押し掛けて来なくなった。1ヵ月程度すると、退院の手続きが取られた。警察からは危険があるためにしばらくは身辺警護がされると聞いた。

 僕は母親と共にタクシーで我が家に帰った。そこには会社を早退した父や、弟の姿があった。久しぶりの我が家だった。最後に家を出た時、こうなるなど露とも思わなかったので、5年前のことは細かくは思い出せないが、何もかも、変わらぬ感じだった。

 退院祝いだとして、皆がケーキやご馳走を用意してくれた。久しぶりに病院食じゃない物を食べられた。これを食べるために5年間の苦しみに耐えてきたとも思えた。一家団欒の夜はあまりにも楽しく。嬉しかった。誰もが当たり前のように持っている幸せ。それは奪われた者にしかわからぬ最大の幸福だった。僕は二度と、この幸福を手放さいと誓った。

 暫くは平穏だった。時折、警察からは確認の為の聴取があったりするが、どれも平穏に過ぎる日常の一つでしか無かった。

 僕はこの地獄のような五年間を取り戻すために政府が特別に用意した中学校での教育プログラムを積極的に受け、精神カウンセリングを受けた。僕と他の四人は心の傷が大きいという事で暫くは顔を合わせないようにされていた。3カ月ぶりに彼らに会う。それぞれ、5年前ではそれほど親しい仲では無かった。だけど、あの地獄を一緒に乗り越えたと思うと、何故か、親しみが溢れる。

 そして半年が過ぎた。何事も起きず、マスコミも協定により、被害者に接触しないという事になっているので、僕は普通の生活を送っていた。身辺警護も解かれ、晴れて自由の身だ。あと半年の特別カリキュラムが終われば、高校への入試もして貰える。そうすれば、僕は普通の高校生になれるのだろう。

 だが、夜、眠ると、あのバスで一緒に乗っていた先生や同級生達に顔が思い浮かぶ。みんな、死んでしまった。仲の良い友だちは皆死んだ。殺されたし、殺した。この手はとても汚れている。真っ赤な血が手に染まり、僕の身体を染める。

 自分が嫌いだ。

 他人を殺してまで、手に入れた平穏。これで良かったのかどうかなんてわかりはしない。だが、僕は生きている。死んだ者には得られなかった平穏を再び手にした。これを手放すわけにはいかない。生きるんだ。そう思っていた。

 やがて、世間は僕たちのことを忘れたようになっていく。世の中は日々、色々な事件が起きる。昨日の事など、一瞬で過ぎ去り、やがて、誰からの記憶からも消えてしまう。僕達が受けたあの恐怖は結局、僕達しか覚えていない。誰かに同情されても、それは本当の意味で僕たちが受けた恐怖のどれだけを知っての事だろうか?そう思うと腹立たしくもなったり、悲しくもなったりする。

 一番、腹が立つのが、何故、僕達は拉致されたのか。そして、あの地獄のような日々を送らねばならなかったのか。あの日々の無意味さ。あれだけの同級生が無駄に死んだかと思うと、何ともやるせなかった。

 毎日のように通う特別カリキュラムは近くの中学校で行われる。僕もとりあえず、中学生の制服で通う。他の4人は別々の学校だ。これも一つの配慮なのだろう。正直、今、彼等と顔を合わせても何か言葉を交わせる自信は無い。それだけ、心の中には深い傷がある。

 平和な時間だけが過ぎていく。家に帰れば、親兄弟が一緒の食卓を囲み、夜になれば、痛みを堪える事も、苦しみに涙することも無い、ただ、安らかに眠ることの出来る。こんな幸せな事は無かった。これがいつまでも続いて欲しい。僕はそう願うだけだった。

 だが、そんな平穏な日々はまやかしに過ぎなかった。僕等は大きな策謀の中で僅かな平穏を与えられたに過ぎなかった。その事を僕はただ、絶望し、後悔し、自分を恨むんだ。それは遠くない将来の事だと、今の僕は知らなかった。

 

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