第3話 悪夢
渡瀬は手帳を取り出した。他の男達はビデオカメラを回したりしている。
「ビデオカメラは君との会話を間違いなく記録するためだから、ごめんね」
「はぁ」
僕は少し緊張しながら渡瀬からの質問を待った。彼は一呼吸を置いてからゆっくりと話し始める。
「どうだい。日本に戻って来た感じは?」
「はぁ・・・日本と言っても・・・病室しか見てませんから」
「そうだな。じゃあ、質問を少し、変えよう。君たちがここに戻って来る前に居た場所と比べてどうかな?」
渡瀬に言われて、僕は思い出す。海に出る前の事を。
「あそこは・・・地獄だった」
僕は記憶を辿る。連れ去れてからはただ、地獄のような毎日しか無かった。自分達がどれだけそこで過ごしたかだってわからない。ただ、地獄だった。自然と思い出すのを自分が拒否しているのがわかる。体が小刻みに震えた。渡瀬はその様子を見て、更に質問を進める。
「地獄?・・・具体的にどこの国とかわかるかな?」
その質問に僕は首を力無く横に振る。
「さぁ・・・僕らは狭い場所に閉じ込めら、毎日、地獄のような日々を過ごしたから、何もわからない」
「君等を閉じ込めた人達の言葉と何か覚えていないかな?」
その質問に僕は少し考え込んだ。それから静かに答える。
「彼等は流暢な日本語を話していました。それ以外はどこの国の人かは・・・ちょっと」
「そうか・・・じゃあ、どこに連れて行かれたのかわからないんだ。君達が連れ去られた時の様子なんかは覚えているかい?」
「バスに乗って、学校を出てから・・・すぐに眠くなって・・・」
「眠くなった?」
渡瀬は後に見付かったバスから、僅かながら強い意識障害を与える薬剤を検知していた。多分、連れ去る時に全員を眠らせたのだろうと推測されていたが、それが正解だったとわかる。
「じゃあ、起きた時はどうだった?」
「狭い・・・箱みたいなのに詰められていた。手足も縛られていました」
多分、トラックに詰められた時の話だろう。あの時の所轄の刑事は良い線をいっていたようだ。渡瀬はそう思いながら話を聞いていく。
「それからは何度か大きな揺れなどがあって、誰かに担がれたような時もあった。あとは何度か眠ったら、箱を切り裂かれて、外に出して貰えた」
「そこはどんなところだった?」
「暗い・・・体育館のような場所だった」
「そこに連れ去られた人は全員、居たのかい?」
僕は静かにその時の事を思い出す。そして、首を横に振った。
「先生と・・・鈴木さん、屋良さんが居なかった」
「その事は聞かなかったのかい?」
僕は黙った。その表情から渡瀬はそれ以上、尋ねなかった。
「今日はここまでにしよう。また、何度か寄らせて貰うよ。君の友達を救うためだからね」
そう言い残して渡瀬達は帰って行った。母親は「大丈夫?」と心底、心配そうに聞いてくれた。僕は青褪めた顔のまま、無理に目を閉じて、眠った。
僕は日本に来て、はっきりとあの恐怖を思い出す。連れ去れた時、箱を切り裂いた男はナイフを持って笑っていた。箱を切り裂いた男は僕の二の腕にナイフを切り付ける。激痛が走った。鮮血が流れるのも気にせずに彼はナイフで腕に数字を描いたのだ。
「お前は今日から12番だ。よろしく12番」
僕は激痛で泣いた。だが、男はそれを見て、突然、僕の腹を蹴った。手加減無しの蹴りで小学校5年生の体は軽々と飛び上がる。そして床を転げた。僕は思いっきり吐いてしまった。
「ガキが俺が優しく、よろしくと言ったら返事をしろ。あと、その汚い汚物を舐めて綺麗に拭き取れ。早くしろ」
男は何度も僕の体を蹴った。痛みが全身に走る。恐怖で僕は必死に床の吐瀉物を食べた。それを見て、男は満足したのか、蹴るのを止めた。見れば、他の子達も同様に暴力を受けていた。女の子は裸にされていた。怒声と悲鳴と鳴声が交差し、人を叩く音だけが響き渡った。最初の日。僕達は皆、死ぬかと思った。声一つ、出せないまでに虐待を受け、泥のように眠るしか無かった。誰も、何が起きたかわからないままに。
翌日、男達が再びやってきた。また、酷い事をされる。そう思って、身構えた。
「ははは。同志達。昨日は酷い事をしたね」
彼等は機嫌が良さそうに笑っている。そして、手にした食事を一人づつ渡していく。学校の給食のような物だったが、内容は粗末な物だった。皆、それでもまた、酷い思いをしたくなかったので、必死に食べた。一滴も残さずにだ。
「そうだ。よく食べると良い。今日から君達には英雄になって貰う為に訓練に励んで貰わねばならないからな」
男の一人がそう言った。誰もその意味を理解が出来た奴は居ないだろう。
「さぁ、これがお前等の新しい服だ。これに着替えろ」
突然、服が渡された。それは灰色の作業服だった。サイズはそれなりに合っていた。男女同室で着替えるのは女子にとって、抵抗があるだろうが、彼等はそんな事はお構いなしだ。女子達は泣きながらも着替えていたし、男子達は見ないようにした。
それから、僕達は暗い部屋から外に出る事を許された。そこは高い塀に囲まれた運動場だった。大きさは学校のグラウンドの半分ぐらいだろうか。そこに屈強そうな男が立っていた。
「俺が教官だ。今日から俺の事を教官殿と呼べ。イイな。お前等はここで徹底的に人を殺す訓練を受けて貰う。拒否したら殺す。ダメでも殺す。お前等が生きていられるのは戦えると判断されている時だけだ。イイな?」
誰も返事をしない。刹那、教官は腰のホルスターから拳銃を抜いて、空に向けて発砲した。その銃声に誰もが茫然とした。
「返事をしろ。じゃないと次は弾丸がこの中の誰かにめり込むぞ?」
教官に怒鳴られて、僕等は慌てて、大声で返事をした。
「そうだ。それで良い。俺の機嫌を損ねるな?それを守るのがお前等にとって最優先にすべき事だ。必死に訓練に励めば、生きて帰る事が出来るぞ?お前等だって、死にたくないだろう?生きて帰りたいだろう。家族はどれだけお前等の事を心配しているかな?そう考えれば、ここで頑張れば、生きて帰れる望みがあるんだ。良い条件だろう?」
あまりに不条理な話だった。誰も納得など出来ていない。だが、生きている為には納得するしかなかった。
その日から、僕らは色々な訓練をさせられた。体を作るためにランニングや腕立て伏せを死ぬほどやらせられた。最初の1週間で3人の同級生が殺された。訓練についてこられなかったからだ。教官は冷酷な人だ。無表情で脱落した者の頭を撃ち抜いた。そして死体はそのまま、そこに放置された。やがて、死体は腐乱を始め、臭いが酷くなる。
「おい、12番と15番、19番。集まれ」
突如、教官に呼ばれた。何事かと思った。僕らは訓練を止めて、教官の前に駆け寄った。
「死体が臭い。あっちの隅に穴を掘って埋めろ。臭いが漏れないように深く掘るんだぞ」
そう言って、彼は僕らにスコップを渡した。僕らはグランドの隅に穴を掘った。とにかく、深く。それは体が立ったままでも二人分ぐらいの深さまで掘った。これなら臭いは漏れないだろう。そう判断して、僕らは最初に死んだ磯貝君を運ぶ。彼は小太りで運動が苦手な子だった。愛嬌があって、皆から好かれていたのにと思った。だけど、腐乱した彼の死体は臭いだけじゃなく、その姿も見るに堪えなかった。19番の前原君が吐いてしまった。
「てめぇ、何、ゴミを増やしているんだ!」
教官がその様子を見て、怒った。前原君は必死に謝ったが、教官は彼を拳で何度も殴った。顔は真っ赤に晴れ上がる。
「そのゲロも片付けろよ」
教官は気が済んだのか、再び、訓練の方へと戻っていく。死体の服でゲロを拭いた。それから、穴へと放り込んだ。同じように残りの死体を同じ穴に入れてから、土を被せる。土に消えていく死体を見て、僕らもいつかああなるのだろうかと怯えるしか出来なかった。
あの物言わぬ死体の目が何かを訴えているように思えたその時、僕は目が覚めた。まだ、時刻は午前2時だった。隣のベッドでは母親が眠っていた。見れば、僕は全身に汗をかいている。拉致されてからの事を思い出すのはこれが初めてだった。つい1週間前まで、僕はその地獄に居た。だから、夢に見る事など無かった。ここはそれだけ平和だと言えるのだろうか。
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