第10話 決行
決行の日。
カーテン越しに朝日を感じる。ほとんど眠れていない。
僕は疲れ切ったような顔で起き上がり、まずは顔を洗った。
いつもなら、すでに母さんが朝食を作っていてくれる時間だ。だが、そこに母の姿は無い。父も姉の姿も。今頃、どうなっているかさえわからない。
僕は冷蔵庫から牛乳を取り出して、パックから直に飲み干した。
目は覚めた。
服を着替える。身なりを整える。警察に怪しまれないようにしないといけない。そうしなければ近付く事は不可能だろう。
それから、新聞紙を重ねて袋状にして、その中に拳銃を入れる。その新聞紙をお腹の上にガムテープでしっかりと固定する。コートなどは着ない。その方が警察の目から逃れられると思ったからだ。
準備は整った。軽装で、とても武器など持っているとは思えないだろう。
僕は静かに玄関に立った。改めて、家を見た。静寂な我が家。
シーンと張り詰めた空気が、重く。重く。感じる。僕はそれを振り払うように玄関へと向き直り、扉を開いた。
ガチャンと鍵を閉めて、歩き出す。
天皇陛下は富山市街にあるホテルを起点に三日間の行幸をこなす。ホテルから出る所では車に乗られての移動の為に、襲撃は難しい。狙うとすれば、見学をされる建物などに入ったり出たりする瞬間だ。大抵の建物の入り口は、要人を隠すようには出来ていない。そのためにそこに多くの人だかりが出来る。それに混じり、御料車から乗降する所を狙う。簡単では無い。陛下との距離は最短でも20メートルはある。これは拳銃で撃っても簡単に当たる距離じゃない。
確実に仕留めるためには突っ走って、距離を縮めて、撃つしか無い。それがやれるか。だが、やらねば、家族の命は無い。
天皇陛下が最初に立ち寄られるイタイイタイ病資料館へと向かった。すでに警察による警戒は行われており、付近から路上駐車の車は警察によって退去させられていた。彼方此方で警察官が集まって来る人々に職務質問をしている。無論、警察官が怪しいと思った人物だけのようだが。これだけでも天皇陛下を狙う悪漢は近付き難い雰囲気だろう。
平静を装うって事はどれだけ難しい事か。幾ら少年だからと言って、警察が見過ごさないとは思わない。だけど、僕は必死になって、表情に強張りが出ないようにした。笑顔を作る。まさにその通りだった。僕は無理矢理、頬の筋肉に力を入れて、口角を上げていた。
あと数分後には天皇陛下が来るようだ。無論、そんな細かい情報は警察しか知らない。だが、マスコミの動きなどを見ていれば、手に取るように解る。僕は冷静になるべく、深呼吸を一回した。ギリギリまでは拳銃を出さない。不審な動きは警戒をしている警察官に察知される。
日本の警察官は優秀だ。ましてや、警護対象が天皇陛下となれば、並大抵では無い。彼等がちょっとした危険を見過ごすはずが無い。だから、襲撃する方も徹底的に慎重に動くべきだ。
緊張感で吐きそうな気持を堪え、僕は少しでも前へと歩み出る。
警察官の視線は鋭い。まるでその場に居る全員を刺すようだ。少しでもおかしなことをすれば、すぐに見つかる。そんな恐怖が僕の心を脅かす。
警察官の動きが少しザワつく。どうやら、御料車が到着したようだ。さぁ・・・これが唯一のチャンスだ。ここでやれなければ・・・家族の命は無い。僕は右手で腹を押さえた。
御料車はゆっくりと施設のエントランスへと回り込む。前後を警護の車が挟む形だ。先に警護の私服警察官が降りる。彼等は出来る限り、天皇、皇后が一般人から遮らぬように位置する。だが、それでも近付くのはかなり困難な位置取りだ。さすがに訓練されているだけある。
無理か。
僕は諦め掛けた。その時。
うああああああ!
パン パン パン
激しい怒鳴り声と銃声が鳴り響く。同時に悲鳴などが起きた。誰かが発砲した。弾丸は御料車に命中して、防弾ガラスや外装を傷付ける。咄嗟に天皇、皇后の盾になるように二人の私服警察官が大の字に立つ。その間に別の私服警察官が二人を御料車に押し込んだ。
そして、銃声が何発か聞こえた。多くの人々が逃げ惑うから、僕はチャンスだと思いながらも、銃を抜けず、その波に飲まれてしまった。僕が銃声をした方を見ると、自動拳銃を持った一人の少年が警察官に撃たれて、倒れるところだった。
あの顔・・・見覚えがある。元同級生の加藤だ。父親が自衛官で、腕っぷしの強い奴だった。まさかと思うが、自衛官の父親まで、人質に取られているのか?
僕は何かするよりも愕然とした。
あの時、解放された僕達は、誰一人、解放などされていなかった。
ただ、いつでも使えるように放し飼いにされただけだった。
何発も銃声が鳴り響く。倒れた少年は最期まで、諦めずに銃を撃とうとした。警察官達は必死に発砲を続け、少年の体は穴だらけとなっていく。そして、彼は地面に倒れたまま、動かなくなった。
僕は逃げ惑う人の波に流され、ただ、流され、彼の最期を垣間見ただけだった。
何も出来ないまま、僕は安全な場所へと誘導された。
僕は・・・怯えていた。
手がブルブルと震え、視点は定まらない。
「君、大丈夫かね?」
警察官が心配して、声を掛けてくれた。僕は引き攣った笑顔で警察官を見た。
「だ、大丈夫です」
「い、いや、大丈夫って、君、すぐに病院に連れて行こうか?」
僕は腹に貼った拳銃を思い出す。
「い、いえ・・・大丈夫です。もう、帰ります」
「そ、そうか。気を付けてな」
僕はその場から立ち去る。早く立ち去らないと、危険だ。警察に捕まってしまう。その前に奴等に会って、家族を解放して貰わないと。
僕は事前に約束した集合場所へと急いだ。
電車に飛び乗り、富山市郊外の田園風景が広がる場所へと辿り着いた。駅から暫く歩くと、川からほど近い場所に工場があった。そこはすでに潰れたようで、廃墟のようになっている。
僕はフラフラな足取りでそこに入った。
ガランとした工場の中、家族の姿も、奴等の姿も無い。
ガタン。
背後から音がした。僕は慌てて、近くにあった放置された機械の影に隠れる。
現れたのは一人の少女。
村田舞
あの国を出る時に最後に課された試験で、僕を襲って来た奴を殺した子だ。あの子も僕と同じなのだろうか。
「む、むらたさん」
僕の言葉に彼女はピクトなって、手にした拳銃を向けた。
「ま、まって、僕だよ」
彼女は気付いたようで、銃口を下ろした。
「あなたも?」
舞がそう尋ねるので、無言でコクリと頷いた。
「お前等・・・」
そして、一人の少年が入って来た。
塩田隆夫
彼は手に自動拳銃を持っていた。
「他には誰も居ないのか?」
塩田が不安そうに尋ねる。
「僕も今、来たところだ。誰も居ないようだけど」
「お母さんは?お母さんはどこなの?」
舞は少し半狂乱になって騒ぐ。
「慌てるな。奴等がここを指定した。目標は殺せなかったけど、加藤が実行した。それで良いはずだ」
僕は言い訳がましく、言った。本当の事を言えば、天皇陛下を殺せて無いわけだから、作戦は成功していない。だが、それでも仕方が無い。あの警備を突破して、殺せるはずが無かったからだ。
僕・・・いや、僕等は、最後の望みに賭けて、ここに来ただけに過ぎない。
奴等は・・・どう答えるつもりなのだろうか。
不安だけが心を締め付ける。
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