ユニコーンの折れたツノはポケットの中へ06
五月十六日 19時32分
私達は国道を挟んで、少し離れた位置からレッドヒルを見ていた。一般的なホテルのサイズを詳しく知らない私でも、あの建物が異常な大きさをしていることはわかる。
正面から見ると2メートルはある背の高いバリケードが、建物の四方を覆っていた。
満月に言わせるとあの建物は相当危険な場所らしい。
原因不明の火災がレッドヒルの中で発生し、市で義務付けられている火災警報装置を設置していなかったせいで、逃げ遅れた沢山の人が亡くなった。
一度は建て直しも考えられたがオーナーは現在も行方不明。
取り壊しチャレンジ回数十九回。
取り壊しを請け負った解体工事業者の現場監督が心筋梗塞で突然死。
度重なり起こる原因不明の重機の故障。
市の担当者が自殺。
解体工事決定後の業者の倒産。
曰く付きなんて生易しい単語に収まりきらない、超デンジャラススポットである。
二年前の夏の特番で、当時そこそこ人気のあったアイドル、時田ミヤビが建物内で生放送中に突然電波な言葉を延々繰り返しながら、自分の髪にライターで火をつけた事件がこの建物をより伝説的なものにしている。
巨大掲示板緑ちゃんねる内では、あの事件は時田ミヤビの知名度を上げるためのやらせであるという意見が大半を占めていた。
その映像をネットで昨日満月と一緒に見たけど、あれがやらせであるのなら、彼女はハリウッドでアカデミー賞主演女優賞を狙える超演技派女優ということになる。
そんな建物内でお酒を飲んだりドラッグをやるなど狂気の沙汰だ。
「あれどっから入るんだ?」
「今近藤と今マインド@トースターで話してるんだけど裏みたい。そこにダイヤル式の鍵があるって」
「やっぱ裏なんだ。じゃあ行こうぜ」
「そうだね」
「こ……この距離で見ても……不気味」
「大丈夫だってリンゴ。ウチがついてるんだからさ」
「ミナイ様がリンゴを置いて逃げないか……不安」
「この状態で逃げられるわけないだろう? そもそもそんな酷いことしないよ」
ミナイは松葉杖を一本高々と上空に向かって掲げ、それからスナイパーライフルを構えるように松葉杖を頬にピッタリとつけ目を細めた。
「おおー なんか……強そう」
「だろ? リンゴには特別に教えるけど実はこの松葉杖はね……」
「……うん」
「スナイパーライフル型の松葉杖なのさっ」
「おおー さすがミナイ様……準備万端」
それって結局ただの松葉杖じゃん。
それにスナイパーライフル型って言っても、どっからどう見てもスナイパーライフルには見えないし。
どこからどう見ても普通の松葉杖です。
本当にどうもありがとうございました。
リリィはすでに国道を渡るための黄緑カラーの陸橋を上り始めていた。
ミナイとリンゴの即興コントを放置して私も歩く。
レッドヒルの外で半田チカを見張るのがこの二人。
コントに夢中にならないだろうか?次第に不安が募る。
陸橋を渡り終えゆっくり進むと、徐々にレッドヒルに近づいていく。レッドヒルの目の前で立ち止まるのはさすがに目立つので、2ブロック手前で曲がり、建物の裏側を目指す。
潮の香り。海がすぐそこに見える。ランダムに生成される夜の海が創り出すメロディーを聴きながら歩いた。
これからもっと恐ろしいことが待ち受けているのか今日の夜の海はあまり恐くなかった。
ただただ黒が広がってるだけ。
「この辺でミナイとリンゴは待機してて。ここからならレッドヒル裏側全体が見えるし」
「わかった。花園レイン。五月雨リリィ。ここはウチとリンゴに任せて」
「……見張りまくり」
二人を見張りポイントに残し、リリィと私はレッドヒルヒル裏側に到着した。
当然バリケードは裏側全体もカバーしている。真ん中あたりまで行くと自転車などにつける四桁のチェーンロックがバリケード中央の上から垂れている。
番号を確認するためスマートフォンを開きマインド@トースターのアイコンをタップする。
近藤が私に送ったメッセージを再度見ると0918と書かれていた。
なんでもこのナンバーはレッドヒルで火災が起きた日にちらしい。
とてつもなくたちの悪い冗談だ。
誰が考えたのかそんな嫌なナンバーをくるくると回転させ合わせる。
チェーンロックが左右に切り離されたのを確認して、リリィと私はバリケードを手前に引いて敷地内に足を踏み入れた。
バリケードを元の位置に戻し、チェーンロックを繋ぎ合わせナンバーをぐちゃぐちゃにして外側に出した。
一階のガラスはほとんど割られていた。そしてこの建物内に人がいることを疑いたくなるような、想像以上の闇が広がっている。
リリィと私はそれぞれ用意した懐中電灯を点け、カウンターに向かう。
奥には誰が用意したのか鍵をぶら下げるフックが盛大に並んでいる。フックの上部には一から五十までの数字が書かれていた。レッドヒルにはやんちゃ人間達がやんちゃ人間なりに作ったルールが存在する。
なんでも近藤に聞いた話によると、火災を免れてクリーンな状態で使える部屋数は四十八。
現在フックにぶら下がった鍵は二十七。つまり現時点で使用可能な部屋数は二十七ということになる。
カウンターで空き部屋を確認して、他者とのトラブルを避けるため使用中は必ず鍵を閉め、使用後は必ず鍵を元の場所に戻す。建物を長期的に使用出来るように、建物内での破壊行為は禁止。後はそれぞれ何をしても自由。ということらしい。
現在20時08分
酒井君と半田チカが待ち合わせている時間は20時30分。
酒井君のマインド@トースターでのアカウント名は七角。
半田チカが酒井君に接触するために使用しているアカウント名は夕霧フミカ。
サッカー部のマネージャーをやっていると言って、酒井君にメッセージを飛ばしてきたらしい。
半田チカ。沈む私の明日。夕霧フミカ。これらが全て同一人物であることは満月が私のPCを使って確認済み。
私は609と610。赤いプレートに書かれた二つの鍵を取る。
リリィにそのプレートを見せ階段一段一段に恐る恐る足を載せて行く。
ホテルというだけあって、部屋から人の声や物音は全く聞こえてこない。
あまりの無音にキーンという耳鳴りが始まる。
どんなに耳に意識を集中させても、聞こえてくるのはリリィと私のカツーンカツーンという足音と自分の心音だけ。
ひたすら階段を上る単純作業を繰り返す。
懐中電灯の灯りだけで階段をぐるぐる上っていると、今が何階なのかわからなくなってきた。
上の階は殆んど窓が割られていないのか物凄く埃っぽかった。
リリィが突然私の腕を摑む。
「レイン。六階に着いたぜ。そっからは七階だ」
「ありがとう。疲れたー」
「老人かよ」
決して老化現象などではないと自分に言い聞かせながら、廊下に並んでいるドアを一つずつ照らして609を探す。
すると廊下の奥に女の人影が見え、私は一瞬で恐怖ゲージが満タンになりリリィの肩を摑む。
まさか半田チカ?
その場所を懐中電灯で照らす。
「リリィあそこに誰かいる」
「あんなとこで何やってんだ?」
近づくとその人物はやっぱり女の子だった。
眩しそうに顔を覆っている。
「ちょ……ちょっと眩しいんですけど」
その声には聞き覚えがあった。
でもあんなにこの場所を嫌っていた彼女がどうしてここに?
「もしかしてタララ?」
「その声……花園さん?」
やっぱりタララだった。
懐中電灯をタララの足元に向ける。
「レイン。あまり近づくな。誰だこいつ?」
「私のクラスの委員長」
「委員長? おいお前っ ここに何しに来た?」
「ちょっと花園さん。なんなのその人?」
「隣のクラスの五月雨リリィ。私の親友」
「そう。花園さん貴方こそ何しに来たの? レッドヒルには行かないって言ってたのに」
「そのつもりだったんだけど、ちょっと用があって。タララは?」
「馬鹿な弟を捜しに来たの。お父さんに今すぐ連れて来いって言われて」
「一人で来ちゃ駄目だよ」
「わかってる。だけど連れて帰らないと……」
「本当にここにいるの?」
「多分……そう言ってたから」
「携帯にかけても出ないんだ?」
「そう。それにここに来ても殆んど鍵閉まってるし」
タララはどうやらレッドヒルのルールを知らないようだ。
「鍵が閉まってる部屋は全部使用中だよ。弟君どんな格好してるかわかる?」
「多分……黒のパーカーにフードを深く被ってると思う。最近それがかっこいいと思ってるみたいだから」
「わかった。もし見つけたら声かけとくからタララはもう帰った方がいいよ」
「うん。そうする」
タララはそう言って階段の扉に向かって歩いていった。
背中からどこか切ないオーラを感じる。
目の前のドアを照らすと金色で609と書かれていた。
リリィに鍵を渡す。
マインド@トースターで近藤に待ち合わせる部屋は、609であることを伝える。
夕霧フミカの書き込みは家を出たよ。の後から更新されていない。
「じゃ……じゃあ気をつけてリリィ」
「おいおい。そんなんで本当に大丈夫かよ? 声震えてるぜ」
「……どっちかと言えばだいじょぶない」
「どっちだよ。やっぱり一緒にいた方が良いんじゃねえの?」
「大丈夫」
リリィは私の顔を不安そうに見ながら609号室に入って鍵を閉めた。
私も隣の610号室のドアに鍵を挿して部屋に入り鍵を閉める。
近藤がマインド@トースター上ではなく、直接メールで酒井君に部屋番号を伝え、酒井君がマインド@トースターで夕霧フミカに部屋番号を教えれば準備完了である。
マインド@トースターを覗くと、予定通り酒井君は夕霧フミカに部屋番号を伝えていた。
その書き込みに夕霧フミカはもう着くよ。と返していた。
彼女はもう近くにいる。
私だけの心音が私の耳を占拠し始める。
心臓が口から飛び出しそう。
穏やかな呼吸を維持できない。
あれ?私普段呼吸ってどんな風にしてたんだっけ?
気を紛らわすためマインド@トースターを覗き、
馬鹿な近藤の書き込みを見る。
最新の書き込みを見ると、609とだけ書かれている。
何を思ったのか近藤は、メールではなく直接マインド@トースターで、酒井君に部屋番号を伝えたようだ。
「あのバカっ ほんっと使えないんだから」
酒井君はそれに対して何も答えていない。
なので待ち伏せがばれた可能性は低いが、何一つ考えない馬鹿な近藤にイラっとした。
するとリリィからの着信。
どうやら彼女が現れたようだ。
部屋での会話を聞くためリリィが携帯をマイク通話に切り替え、私が全てを聞く計画だ。
私は通話ボタンをタップし、スマートフォンを耳に当てる。
「やっと会えたな……切断女」
「……レインじゃないんですね」
「なんのことだ?」
「待ち伏せですよ。決まってるじゃないですか?」
待ち伏せが、ばれてる?
彼女はそれを知りながらここに来た。
でもなんのために?
「知ってたのか。だったらさっさとこっち向けよ」
「……電灯」
「ああ?」
「懐中電灯消して下さい……嫌いなんです」
「そんなことより教えてくれよ。人の指を切断するのが、どんな気分なのか」
「あの日から……止まらないんです」
「止まらない?」
「カンカンカンカン鳴るんですあの時の音、幻聴が……」
「その幻聴が始まった理由を話せよ」
「わ……私がどう見えますか? 私を認識できてますか?」
「できてるよ。残念なことに」
「……良かった」
「お前が望むなら好きなだけ切断させてやるよ。ほら」
「あなたを切断しても意味がないんです。私は誰でも切断したいわけじゃない
」
「後何人切断するつもりだ?」
「……彼等が、どうして私に仕返しをしてこないのか、わかりますか?」
「あいつらがお前に指を切断されても仕方のないようなことをしたからだろ?」
「違います。彼等から溢れ続ける毒を浄化したんです」
「毒?」
「そうです毒……それは彼等の悪意です」
「悪意だって? どうやってそんなもん中和する?」
「私のこのツノで……」
「ツノ? さっきからなんの話をしてるっ」
「なんの話って、彼等を救った話ですよ……このユニコーンのツノで」
ユニコーンのツノ?
彼女の言っていることが理解できない。
「待ち伏せに気づいてたのになんでここに来た?」
「邪魔……しないでほしいんです。レインにもそう……伝えて下さい」
「レインのこと知ってるのか?」
「ええ……あなたよりは」
これだけ会話を聞いても、やはり彼女の声は私の記憶の中には無い。
数秒の沈黙。
「かはっ……くっ……なっ……なんだ‥‥‥お前の動き」
「こうするしか……ないんです。私は私の中で光輝く信念に従います……あと一人……あと一人なんです。急がないと、このままじゃ沈みそうで……」
スマートフォンから聞こえるリリィの声は、明らかに苦しんでいた。
やっぱり乗り込むべきだろうか?リリィがいくら死なないとは言え、こんなに苦しそうな声を聞き続けているとその事実が、どうでも良く感じてくる。その反面、何かを悟ったようにさらさらと喋る半田チカが不気味だった。
「くっ……お前が酒井の指を……切断しても……問題は……解決しない」
「いいえ。全て解決します。それで全て終わりです」
「くっ……そ」
数分間の静寂。
人間の聴覚では判別不能なほどの無音。
こんな大事な時になぜかふと頭に浮かんだ無音をイメージする四つのカット。
一枚の桜の花ビラが地面に落ちるぐらいの静かさ。
花火大会の帰り道。
眠れない夜に見続けた十月十夜。
雪と雪が重なる冬の始まり。
それらの光景が一時的に私を恐怖から遠ざけた。
半田チカが部屋から出てくるのを確認するために、急いでドアに耳をぴったりと押し付ける。
冷んやりとした感触。
耳をすましても部屋から出た気配は感じられない。
逆の耳にスマートフォンのスピーカーを近づける。
「レイン」
「!?」
「あなたの知ろうとしてる真実は、生ごみが腐敗したような悪臭を放つ、ドブの水たまりに浮かんだ、ねずみの死骸で増殖する、うじ虫のようなもの。どうしてそんな事実を真剣に覗こうとするの?」
「……あなたは誰?」
「……」
スマートフォンの画面を確認すると通話はすでに終了していた。
私は急いでリリィのいる部屋に向かう。
ドアノブを廻しても開かない。
半田チカはまだ中に居る。
「リリィーリリィー開けて」
ドアをひたすら叩き続けるがドアは一向に開かれない。
焦りとパニックが加速度的に増殖を始める。
今選択すべきベストアンサーが次々と逃げて行くような感覚。
「リリィー開けてーリリィー」
やはりドアが開かれる気配はない。
スマートフォンを取り出しリリィにかけてみる。しばらく耳の中でループする間の抜けた呼び出し音。
「……くっそ」
「リリィ? 大丈夫? 半田チカは?」
「……はあ……アタシは大丈夫だ」
全く大丈夫とは思えないかすれ声と同時に鍵が開けられた。
リリィは首が痛むのか、右手で首筋をさすりながら登場。
「何されたの?」
「一瞬で後ろを取られて首締められた」
「一瞬で?」
「ああ。同じ人間と認めるのを否定したくなる速さだ」
背を向けて話す半田チカが一瞬で背後に現れる映像が、脳内で勝手に再生され悪寒が走る。
「ちょっと来てみろよ」
そんな気怠い声に導かれ部屋の中に入る。
「なに……これ?」
「こっから逃げたんだろ……多分」
薄暗い部屋にたった一つだけ置かれたベッド。そのベッドマットの中心にスプーンですくったような大きな穴が空いている。強力な力で無理矢理空けられたのか、所々スプリングが飛び出していた。
リリィがそのぽっかりと空いた穴を懐中電灯で照らした。
光の先を覗いてみると、この部屋と全く同じ配置でベッドやその他の物が置かれた真下の部屋のベッドも同様に、ぽっかりと大きな穴が空いているように見える。
私は部屋に転がっていた安物発泡酒の空き缶を拾い、その穴の上で手を離し聞き耳を立てる。
かなりの時間差でカンッという小さな音が聞こえた。
「多分一階まで続いてるぞこれ」
「だね。音が鳴るのが結構時間掛かってた」
急いでスマートフォンを取り出し外で待機しているミナイに電話する。
「残念だけどまだ誰も出て来てないよ」
「……そう」
言おうとしていたことをミナイに先に言われてしまった。
「レイン、この穴を降りてみようぜ」
「大丈夫かな?」
「アタシが先に降りて安全を確認する」
リリィはなんなの躊躇もなくその闇に飛び込む。
まるで異世界への入り口に入るような気分だ。
見ているだけなのに気持ち悪い。
「大丈夫だレイン。降りて来い」
どこまで続いているのかわからない下の階のベッドの穴に落ちないように気をつけながら身を投げる。
着地の衝撃は予想に反して陳腐だった。
上から見るよりそれほど高さはなかったようだ。
その後リリィと私はそんなベッドから始める暗闇ダイブを四回繰り返した。
一階の部屋に到着しドアノブを確認するとやはり鍵が開けられていた。
私はドアノブを廻してリリィと部屋を出た。
半田チカはレッドヒル内にまだ居る。
リリィと私はひとまずレッドヒルを出て、ミナイ&リンゴ班がいる待機ポイントに向かった。
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