第23話

 目が醒めるとそこはベッドの上。周りを白いカーテンが覆っていて、消毒液の臭いが鼻についた。

 

 そうか今は保健室にいるんだったな。


 僕は殴られた後の事を思い出していた。


◯◯◯◯


 殴られた衝撃で気を失った僕は、おそらく数分ほどで目覚めたのだと思う。目を開けたら目の前に男の顔がどアップがあって、驚いたのを覚えている。

 一瞬その人が誰だか思い出せなかったが、担任の常田先生だと気付いた時には、僕はある程度状況を把握できていた。先生から視線を外せば、チェリー君が呆然と突っ立っているのが見え、その脇に同じような状態でこちらを見ているメガネ君と筋肉君もいた。


 何気なく立ち上がると、その瞬間少しクラついた。しかし先生が慌てたように僕の背中に手を回すと、ガッチリとした体格の先生は、僕がもう一人増えても支えられそうで、とても頼もしかった。


 そのまま担任に支えられて、保健室まで運ばれたのだ。


 その後、ベッドに横になると眠気が襲ってきて。


ーーそして現在に至る。


 身体を起こすと左頬に痛みが走った。


「もう起きたの?」


 その声と共にカーテンが開けられ、その隙間から気の良さそうなオバさんが顔を覗かせた。

 保険医の先生だ。

 健康診断の時に見た事があるだけで大して交流はないが、なんとなく親近感が湧いてくる顔だった。保険医はグラマラスなお姉さんと言いたい所だけど、この人はこの人で保険医らしい印象を受ける。


「もう大丈夫?頭は痛くない?吐き気とかない?」


 僕は少し身体の調子を見てから、首を縦に振った。殴られた頰はまだ痛むが、その他には特段変わった場所は無いように思える。


 それをみた保険医はホッと息をつく。


「驚いたぞ藤島」


 今度は野太い男の声が聞こえてきた。誰かはすぐに分かった。つい先ほど聞いたばかりの声だからだ。

 保険医の先生は、その人と場所を代わった。


「あぁ、常田先生。すみません。お騒がせしました」


 担任である常田先生は、数学の教師だ。受験生を受け持つのは初めてだと、挨拶の時意気込んでいたのをよく覚えている。


 数学の教師というと気難しかったり、嫌味そうな顔立ちの人を思い浮かべるが、この先生はどちらかというと体育教師の様な印象を受ける。その上で馬鹿っぽいといったら体育教師に失礼だが、常田先生は馬鹿っぽい。

 周りの人が話してたのを偶々聞いてしまった情報によると、それなりに高偏差値の大学出身だというのだから、人はやはり見かけによらないものだ。

 三年間持ち上がりで僕らの学年を見てきた先生は、そこそこ馴染み深く、年も20代後半とまだまだ若い事もあり、生徒からの人気も高い。

 背が高く、顔もまぁまぁカッコイイので女子生徒に囲まれているのを良く見かける。それを見た男子は嫉妬の眼差しを向けるが、年が他の先生よりも近い為か、話も合いやすらしく、なんだかんだで好かれていた。

 先生の精神年齢が云々かんぬんも理由の一つだろう。

 一対一でまともに話した事はないので、よく分からない部分はあるのだが、先生の印象は大体こんな感じだった。


「全くだ、と言いたい所だが、まぁそれが仕事だ。あまり気にするな」


 その後豪快に笑い、静かにと保険医に窘められている姿に思わず笑ってしまった。やはり印象通りの先生である。

 常田先生は丸椅子を枕元まで持ってきて、そこに大股を開きどっしり座った。


「今何限目ですか?」


「もうすぐ五限目が始まるくらいだな。20分も寝とらんよ」


 感覚的には一時間ぐらい経ったのかと思ったけど、そんなもんだったのか。


「授業は大丈夫なんですか?」


 数学の教師は中々忙しかったはずだ。なのにまだここに居て良いのだろうか。


「なに、お前の成績ならちょっとサボっても構わんだろ」


 どうやら僕が授業出なくても良いのかと勘違いしたらしい。


「いえ、先生のです」


「ん?あぁ、幸い数学教員は多いからな。緊急事態だったし空いてた先生に代わってもらったよ」


「すみません」


「気にするな。一杯奢れば済む話だ」


 おそらく代わってもらったのは数学の須藤先生だろうな。

 須藤先生は大学時代の後輩らしく、常田先生と仲が良い。廊下でよく揉み合っているのを見かける。その中は怪しい噂が立つほどで、だいぶ前に、新聞部が特集していた。


「落ち着いたら同じクラスの長瀬麻衣に礼を言っとくと良い。職員室まで知らせてきてくれたからな」


 その常田先生の発言は、僕の作戦が全て上手くいった事表していた。

 まぁ気絶までするとは思ってなかったのだけど……。


「分かりました」


 常田先生は自分の太ももを一度パシッと叩くと立ち上がる。


「うし。これから校長室来れるか?一応暴力沙汰だからな、話をつけやならん。無理そうなら後日でもいいが、どうだ?」


 やっぱり校長まで話がいくか。まぁそうりゃそうだよな。


「大丈夫です。殴られただけだし、頭は打ってませんから。脳が揺れただけでしょう」


 僕はサムズアップでもって笑って見せた。


「お、おう。藤島って案外ノリの良い奴なんだな」


 少し苦笑しながらサムズアップを返す常田先生は、やっぱり話やすい。


「いけません。少なくとも後一時間休んで行きなさい」


 しかし、ここで保険医の待ったが掛かる。その一時間に医学的根拠があるのかどうかは分からないが、つまりもう少し安静にしろという事だろう。

 


◯◯◯◯



 そして一時間後。


 校長室の中は、重たい空気が充満していた。


 校長室掃除でやってきた時は、物理的にも精神的にも校長先生がこの部屋を明るく照らしてくれていたのだが、その印象は今全く感じられなかった。外は曇っているらしく窓から日の光が入っていない事も、影響しているようだが、中にいる人の放つ雰囲気が一番の理由だろう。


 ドデンと置かれた黒光りのソファーの上に真っ青な顔をして童貞君こと樫君とその母と思われる人が座っていた。その後ろには国語の女教師が気まずそうに立っている。

 僕も彼女の授業を受けているが、恐らくこの人が樫君の担任なのだろう。いつも朗らかな笑みで授業をしている印象があるが、今はその影はない。


 そして、彼らが座っているソファーとテーブルを挟んで反対側のソファーには、なんと我が最強の姉が目を瞑って静かに鎮座しているではないか。

 恐らく学校が家に電話した際、菊姉がそれに出たのだろう。母は勤務中だったが、菊姉は今日は大学に行かず何やらレポート云々ゲームが云々と言って、家に居たのだ。

 本来はそこから菊姉は母に伝えるべきなのだろうが、働く母を邪魔したく思ったのか、菊姉自ら躍り出て来た訳だ。菊姉は社会人では無いが、もう成人しているし保護者としての体裁は一応取れるのかもしれない。


 菊姉はちらりと此方を見ると、再び目を瞑った。

 負のオーラがビンビンそこから感じられる。


 そして今の校長室に流れる雰囲気をみて、僕は後悔を募らせていた。


 僕の作戦では、ちょっと挑発して、ちょっと暴力沙汰を起こさせ、ファンクラブ解散に追い込む予定だった。

 問題を起こした事によってファンクラブを見る世間の目は冷ややかなものになる。教師も暫くは目を光らせるだろうし、面白半分にクラブに入っていた人も恐らく距離を取るようになるだろう。正気を失っていた者達も、大半は自分らの愚かさに気づく筈だ。

 その結果自然消滅という流れになると思ったのだ。完璧に消滅せずとも辞める人は多いだろうし、確実に組織は弱体化すると見込んだのだ。弱体化しさえすれば、数の力さえ無くしてしまえば、取るに足らない存在に早変わりだ。


 しかし、思った以上に大袈裟になってしまっているようで。

 

 でも思えば当然の事だった。

 今のご時世、モンペや世間の目が怖い学校はこういった事件をしっかり取り締まるようになっているのだろう。男同士の喧嘩に口を挟まないみたいな、昭和的対応は難しいのが現状か。


 そしてそれは、作戦を実行に移す前に容易に想定できたはずなのだ。

 いつもは軽い感じでチェリーっすという樫君と、その母親の怯えた様子をみて僕は烏滸がましくも、後悔をしていた。


 浅はかだった。


 僕がソファーに腰掛けると校長がひとつ咳払いをし、それを合図に校長のそばに立っていた教頭が、話を切り出した。


「それで、今回の件ですが、今日の昼休みに樫君と他二人が藤島君と口論になり、その末に樫君が」


ーー僕はそれを遮り、


「すみませんでした」


 思い切り頭を下げた。


「今回の件は僕の方から樫君を挑発した結果でして、殴られても仕様がないと思っています。だから殴られたことは気にしていません。逆に僕の方が悪いくらいです。どうかこの件無かった事に出来ないでしょうか?」


 もうファンクラブの弱体化は確実だろう。

 ならばこれ以上事を荒げる必要はない。


 だから、処罰は無しの方向で、そう願う。僕のお願いが意外だったのか、教師陣は目を丸くし、樫親子も戸惑っていた。


 沈黙が流れる。


「ですが、」


 樫母が腰を上げ、口を開いた。


「本当に、僕が悪いんで、気にしないで下さい」


 僕は樫母を手で制す。

 軽く微笑むと、彼女は瞳に涙を浮かべながら腰を下ろした。


 僕が本当に悪いかどうか聞かれたら、素直には頷き難い。メガネ君はスマホを取り出し、樫君と筋肉君は両脇から近づいて来たが、何をしようとしていたのか。


 彼らがロクでもない事は確かなのだ。

 多分僕以外にも今まで何人もの人を脅してきたのだろう。


 でも僕は結局自業自得といっても、僕に関わって誰かが道を踏み外すのは嫌だった。

 このまま行けば樫君の停学は確実だろう。これが原因で樫君がやさぐれて無気力となり、引きこもり、樫母も涙を流す。

 そんな事を想像すると、胸が苦しくなる。

 それは懐が広いとか器がデカイとかでは決してなく、無情に切り捨てるだけの勇気がないだけ。


 ただ怖いのだ。

 自分が一人の人生を台無しにしてしまうかもしれないという事が。


 それにもう手遅れかもしれない。

 人を殴ったという噂は確実に流れるだろう。その事で樫君は沢山の人の視線を浴びる事になるだろう。樫君はそれに耐えられないかもしれない。

 だから、停学退学といった処罰が無くなっても、それは微々たる事なのかもしれない。しかし、少しでも救いがあって欲しかったのだ。


 僕の心が痛まない様に。


 最低だな、と思う。僕が彼に僕を殴る様に仕向けたのだから、本当は同情を掛けることは間違った事だろう。


 教師陣は目を丸めお互いを見合っていた。僕のお願いを聞き届けて、このまま無かった事にして良いものか、すぐには判断し難いのだろう。

 結局4人で集まってブツブツ相談を始めてしまった。


 どうなるのだろう、と暫くその成り行きを見守っていたのだが、中々教師たちは決断を下さない。被害者が良いと言っているのだから、とっとと不問にすれば良いのにん何か問題でもあるのだろうか。


 もう一言何か添えるかな、と思った時だ。


 それまでだんまりを決め込んでいた隣に座る菊姉が、口を開いた。


「愚弟もこう言ってますし、こちらとしても勝手ながら面倒事は避けたいので何も無かった事にして下さると助かります。母も息子の願いを尊重すると思います」



◯◯◯◯



 それでも結局、その場では結論は出なかった。

 まぁ色々な意見を取り入れる必要もあるのだろう。

 それはある意味当然の幕切れと言えた。

 そう直ぐ直ぐと処遇は決まらないだろう。


 しかし出来れば樫君に救いのある結果となってほしい。


 矮小な僕はそう願うばかりだった。

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