第22話

「やぁ待ってましたよ」


 現在12時40分、呼び出された時間ちょうど。僕が第二体育館裏に着いた時には例の三人組は既にそこに居て、僕を待ち構えていた。

 先の言葉を吐いた後、お決まりのメガネクイをやっているメガネ君。その左にチャラい格好で頭の悪そうなチャランポン君。そして右には筋肉隆々を自慢する様に腕を組んでいる、残念筋肉君がいた。


 ここ第二体育館は、第一体育館とは違い、渡り廊下で校舎と繋がっておらず、つまり、外履きに履き替えて移動しなければならない。正直、移動が面倒だ。そもそも、第二体育館は主に屋内スポーツの部活用に用意された様なもので、授業でも使われる事はない。そんな事もあり、放課後以外に普段、ここらに生徒は皆無と言っても良いだろう。

 現に、僕とこの三人以外、ここには誰も居なかった。

 正確に言えば、第二体育館の入り口付近に、男子生徒が二人を見かけたけれど、今現在は建物に遮られてその姿を見る事は出来ない。

 それにその二人とて、きっとこの件の関係者だろう。秘密の愛の逢瀬の最中という可能性も否定は出来ないけれど、状況的に考えて、第二体育館に人が寄ってこない様にと配置されたファンクラブ会員と言える。

 中々の徹底ぶりに感心するが、そんな呑気な事を考えている場合でもない。

この状況は、僕の態度次第では強硬手段に出るぞ、と告げていた。


 今回の呼び出しは、昨日パン屋に園部さんを送り届けた後も僕がそこに居座った事に対する説明を要求されている。恐らく、懇切丁寧にそれっぽい理由をでっち上げたら、まだ見逃してくれる範疇だろう。前回呼び出された時、次は無いと言われたが、さすがにそこまで短気な集団では無いだろう。


 しかし、僕はその要求を無視する心算でここにいる。


 足元を見ると、昨日の晩の雨で泥濘んだ土に靴が少し沈んでいた。体育館が影となり、ここらは水捌けが最悪なのだ。傍に植えられている木々の緑も、影と相まって黒く見える。黒い葉を静かに揺らす風は、思いの外冷たかった。


 空がどんより曇っている。深いため息が一つ、溢れた。


「要件はもうわかっているな!?」


 無駄にデカイ声でそう言ったのは筋肉君だった。

 すると、チャランポン君がその場で急にエクササイズを始める。シュッシュッと僕がミント味の歯磨き粉を使用した後、口の中の壮快感を確かめるためにツイツイやってしまう事をしながら、握りしめた両手を忙しなく振っていた。何をやっているのだろうか?


 数秒後に僕はそれがエアボクシングだと気づく。僕の察しが悪いのではなく、彼のボクシングスタイルに問題があったと、声を大にして言っておきたい。某配管工の弟のぽこぽこ殴りにしか見えなかったんだもの。

 そして僕が気付いた時には、既に疲れたのか、チャランポン君は膝に手を付き肩で息をしていた。脅しのつもりだったんだろうけど、なんか、ごめん。


「昨日、貴方は園部麻里子様の母君が営まれるパン屋で、何をしていたのですか?いつもの貴方はそこへ園部様を送り届けた後は直ぐにバスで帰っていた筈です。なのに昨日に限ってはお店に居座った。いつまで経っても貴方は店から出なかった。中で一体何をしていたのですか?」


「マジそれっ!」


チャランポン君はメガネ君にゲッツ。


僕は沈黙する。


「黙っていては何も分からんぞ!!それとも言えんような事をしていたのか!?」


「藤島陽平君、質問に答えて下さいませんか?私も最悪の事態を想定しこそすれ、実際にそうだったという可能性は極めて低いと見ています。貴方はただ、昨日の事をきちんと説明しさえすれば良いのです。我々とて手荒な真似は極力避けたいのですから」


「ちょおまっ!なんか、いぇよっ!!」


「……」


「黙っていては悪い想像は膨らむばかりです。説明するのは御身の為でもあるのですよ?」


「おい!!聞いておるのか!?」


「セイセイ!セイセイセイ!!」


 僕は沈黙を破らなかった。

 元よりこちらとて、穏便に済ますつもりは無いのだ。向こうのテンションが上がる位で丁度良い。

 やがてメガネ君はため息をつくと、筋肉君とチャンポン君に目配せをした。


「残念です。二人とも準備を」


 そう言うとメガネ君はポケットからスマホを取り出した。


「おう!」


「チェリーっす!」


 そんな掛け声とともに筋肉君とチェリー君は僕の両横から近づいてきた。


 その動きでだいたい彼らが何をしたいのかは理解できた。ロクでも無いな、ほんと。それ完璧犯罪でしょ。


 ため息がとまらない。


「きめぇ……」


 その言葉は僕の深い溜息と共に吐き出された。

 だんまりを続けていた僕が急に口を開いたからか、御三方は驚きの表情を浮かべている。メガネ君の眼鏡はずれ落ち、筋肉君の筋肉はピクピク上下し、チャランポン君はトサカのような頭が余計に逆立っている。


「な、何か言いましたか?」


 メガネ君は冷静さを装ってメガネをクイ上げる。


「よく聞こえんかったな」


 筋肉君が耳の穴をほじくっている。


「ちょ、な?」


 チャランポン君は耳に手を当て聞いてきた。その仕草は少し愛嬌がある。


 僕は息を吸った。

 もう一度、今度は相手にしっかり伝わるように。


「アンタら気持ち悪いって言ってるんだよ」


 正にこの一言に尽きた。


「自覚なしってのが尚イタい」


 芸能人でもない一般人のファンクラブを作ってる時点で相当イかれてる。心のファン位に留めて置けってんだ。


「おい!!どういう事か言ってみろ!!」


「一々声がデカイんだよ。唾が散らない程度に喋ってくれ」


「おいっ!まじおいっ!!!おいおいおいっ!」


「お前は僕のオジか。頼むから日本語の勉強し直してきてくれ。言ってる事の半分以上が意味不明だ」


「藤島陽平君?貴方自分の立場が分かっているのですか?」


「眼鏡がズれやすいなら調整しろって。勉強の邪魔だろ」


 こいつら、ツッコミどころ多すぎて大変なんだよ。眺める分には面白そうだけど、絡まれたら面倒臭い事この上ない。


「そもそもファンクラブって何?何の権限があってこういった事をしているの?」


 そう聞くと動揺から一変、メガネ君は相も変わらず眼鏡をクイっとして、意気揚々と語り始めた。水を得た魚の様とは正にこの事だろう。


「園部茉莉子様に地上に舞い降りた天使であります。強すぎる光が目立ってしまうのは避けられ無い事です。その光に近付く者が数多いるのもまた然り。そして其の中には下賤な輩が少なからず居るものです。私達はそんな不遜極まりない者共から彼女をお護りし、彼女の学園生活を良きものにするべくサポートしているのです。それは正に天から与えられた義務とも言え、それを果たす為ならば手段を選ぶつもりはありません。ですから権限等、全く関係ないのです」


「お前の様な下卑た物が園部さんの周りを彷徨いたら、園部さんが迷惑するだろうが!!」


「チェリーっす」


「あーイタイイタイ。あんたらイタイよ」


 チャランポン君改め、チェリー君以外は何を言っているのか分かったが、やっぱりこの人たちはイカれている。普通の考え方が出来ているとは思え無い。

 こんな会員が何人いるのか知らないけど、この三人だけという訳ではないだろう。尾行した人や、先ほど見かけた見張り役の二人も、相当変な領域まで既に到達してるのではないだろうか。この学校にまだこんな人達がいるのかと思うと、少し情けなくなる。

 一応国内有数の進学高でもあるんだけどな、ここ。


 ファンクラブが大きな組織になった事によって、色々と勘違いをし始めちゃったんだろうけど、それは滑稽の一言に尽きた。

 集団心理というのは本当に恐ろしい物だ。冷静に考えると明らかな非なのに、それを是と望む者達が集まる事で、あっという間に是として行動に移してしまう。責任感が分散される様に感じるのだろうか。集団という個の力の集合が、何でも出来、そして許されると思い上がってしまうからだろうか。何にせよ、集団の中では是非を決める感覚は容易く壊れてしまう。


「結局、ただの初物信仰の集まりみたいな物じゃないか。みっともない」


 他の男に取られたくないから、牽制をする。他の男に園部さんを汚されたくないから、牽制をする。

 言葉で何やかんやと言おうと、このファンクラブは自己矛盾している。潔く園部さんにセクハラした方が、まだ健全と言えるかもしれない。まぁ、それはそれで、許される事では無いのだけれど。


「何を言うのですか!私たちはそんな下品な考えは持っていません」


「そうだ!ただ純粋に園部さんの事を思って我らは行動している!」


「チェr(以下略」


 絶対嘘だろそれ。

 園部さんに頼まれてやってるならまだしも、彼女はどちらかというと迷惑に思っていた。どうしてそこまで自分達のしていることを正当化出来るのか甚だ疑問である。絶対卒業後黒歴史化するぞ。


「そもそも僕は園部さんの母親に頼まれてるだけですよ?怪我の間登下校の世話をしてくれって」


「それは前回聞きました。しかし昨日は何故すぐに帰らなかったのですか?パン屋で何かをしていたのではないですか?どうしてその事については説明をしないのですか?何か疚しい事があるからでは無いのですか?」


「お前が何か園部さんにしたのではないか?」


「略」


 んな訳あるか。

 園部さんから絵を教えるのは頼まれた事だし、パン屋には智美さんがいる。従業員がいる。客がいる。そんな場所で何かしようと思えるかってんだ。それぐらいの事は、パン屋の中の様子を知らなくても普通に想像できる範疇だろう。

 だというのに嫌らしい妄想を繰り広げて。

 そう言った漫画とかアニメの見過ぎなんじゃ無いのか?呆れて物も言え無い。


 しかし、僕はそれを口にして説明する積りは毛頭なかった。

 僕はここへ、喧嘩しに来たのだ。

 調子に乗っている彼らに鉄槌を食らわせに来たのだ。


「そうだな……」


 僕は笑顔を作る。下卑て、不快感満載な笑顔だ。喉を鳴らして笑い、その意味深な行動に目の前の三人は、固まっていた。


 その様子に満足すると、僕は遂に爆弾を投下する。


「茉莉子の今日のパンツの柄知ってるか?」


 その問いに彼らは思考をストップさせたに違いない。僕が何を言ったか、恐らくまだ飲み込めてないだろう。

 その隙に僕は更なる攻撃を与える。


「黒だよ、黒。赤いリボンがついた黒。いやらしいだろ?」


 勿論嘘である。

 彼らに本当の事を教える筈がない。むっつりにガッツリ助兵衛のこの人らは良からぬ事を考えるだろうから。


 本当は白のウサギさんであった。

 ウサギといってもドデカいウサギが一匹描かれているのではなく、何匹ものカラフルなウサギが水玉模様のように白い生地を飾っているパンツである。今朝そのパンツかと聞くと、驚いた園部さんが間抜けにも何で知ってるの?と零していまったので間違いないだろう。別に知ってなどいなかった。不慮の事故で見てしまった下着の中から、適当にウサギさんパンツをチョイスしただけだ。当たるとは正直思っていなかった。


 次の瞬間には僕はお星様を見る事になるのだけれど、後悔はしていない。ただ赤く腫れた頰を隠すために寝たふりする事になっただけだ。寝たふりはいつもの事、結局普段通りなのである。


「昨日はなんだったかな?」


 僕はそう言いながら、視線を巡らす。

 

「あぁ、ピンクだったな」


「そ、そんなのハッタリに決まっています!!」


 メガネ君は断末魔の叫びを上げるように、そう宣った。すると筋肉君とチェリー君も、そうだ、と力無さげに加勢する。


「どうして、それが嘘だと分かる?アンタらはそう言う事を疑ってたんだろ?僕と茉莉子はそう言う関係って訳だ」


 まぁ実際ハッタリなんだけれど。ここは心を鬼にして一気に詰め寄らなければならない。僕だってこんな事は言いたくないのに、君らがそうさせるんだ。


「茉莉子なんて僕の事が好きすぎて、相手するのも大変なくらいだよ。いっそ誰かと変わっても良い位だ。おたくら、どう?」


 メガネ君は狂ったように目を見開き耳を手で塞ぐ。筋肉君はただ固まっており、その顔には絶望が見えた。

 全くの法螺話なのだが、彼らを失意のどん底に突き落とすには十分だった。


 しかしそんな中、童貞君が喉を鳴らした。


 その顔は若干赤く染まり、何やら夢想している様にも見える。


 よし、こいつでいこう。


 僕は彼に近づいた。


「いま喉鳴らしてたけど、もしかして想像しちゃったのかな?」


 チェリー君は後ずさるが離されまいと、彼にもう一歩詰め寄った。


「分かるよ。その気持ち。茉莉子は超綺麗だからね。そんな彼女と、ね?」

 

 こんなセリフ園部さん本人い聞かれたらと思うけど、今は考えない事にしよう。


「いや、まじチゲェし。お前の鼻がニンニクに見えて、俺ニンニク大好きだからっ!唾でてきただけだしっ!」


 おぉ、なんとか日本語を童貞君が話したぞ。


「認めろって。本当は毎日おかずにしてんだろ?」


「してねぇって!俺のおかず毎日ニンニクだし!」


 いや、それは、うん。健康的だと思うよ。ニンニク大好き君は興奮してきたのか顔が赤くなってきていた。


「どうせ君も園部さんに相手にしてもらえなくて、でも他の男の物になるのが見たくなくてだから、こんな事してるんでしょ?本当にしたい事は別にあるんだろう?」


 僕はニンニク大好き君の肩に手を置き、彼の耳に口を近づける。


「マジだまれって」


 明らかに彼は動揺していた。

 僕は彼に視線を合わせようとするが、彼はそれを必死に躱している。


 もう少しだな。僕は唇を舌で湿らせた。


「みっともないよね、本当。自分がダメだから、他の人を近づけ無い様にしてさ。茉莉子困ってるって言ってるよ?本当アンタのやってる事虚しくて、気持ち悪くて、無意味だな」


「黙れって」


「樫くん?挑発に乗ってはダメですよ?」


「そうだ!抑えろ!!」


 外野が何やら煩くいっているが、もう彼の耳には届いていないだろう。


 彼は今、僕しか見てい無い。

 今僕の声しか聞こえてい無い。


 僕の言葉から耳を遠ざける事は出来ない。

 僕のいう事が図星だから。自分の言葉が虚言だと気付いているから。


 次第に彼は肩を怒らせ始めた。

 彼の目はギラギラとし、鼻息も荒くなっている。

 焦り、怒り、戸惑い、不安。

 彼の感情は今まさに爆発しそうな程に高まっているだろう。


 あと一歩だ。僕は彼の耳元で囁く。


「ほら、認めなよ。君は園部さんを……」


 その時だった。

 

 突然僕は童貞君から離されてしまう。筋肉君が僕を羽交い締めにしたのだ。

 すごい力だった。直ぐには解けそうには無い。


 しかし僕には口がある。だから声は止めない。


 流れはまだこちらにあるのだ。ここで緩めたら何もかも無駄になってしまう。


 僕は思いっきり息を吸った。


「お前なんか負け犬だ!!!」


 彼はまるで親の仇でも見る様に、僕を睨みつけていた。


「素直に好きな人に好きと言え無いタダのヘタレだ!!!!いっちょまえの建前並べて園部さんの学園生活をサポォートだ?笑わせるな!!本人に頼まれたのか!?本人から感謝されたか!?違うだろ!!ただの自己満足だろう。自己矛盾も甚だしい!!!下心が丸見えなんだよ、気持ち悪い!!!!」


 メガネ君や筋肉君が僕の声に覆いかぶせる様に何かを叫ぶが、関係なかった。

きっと彼は僕の言葉を聞いている。彼は今僕の言葉しか耳に届いていない。


「好きなら好きって言えよ!!!振られても諦められ無いのなら、思い続ければ良い。努力し続ければ良い。その方がずっと健全だ!!それができないのに、それをし続ける根性も勇気も無いくせに、ファンクラブで聖人面して、園部さんに尽くしている自分に酔って、真っ当に園部さんにアプローチしようとする人の邪魔をして!!!!恥ずかしく無いのか!!!???」


「それから、園部さんは天使なんかじゃない!普通の女子高生だ!!普通に恋がしたいだろうし、普通の学校生活が送りたい普通の女の子だ!!なのにお前が勝手な行動をするばかりに、彼女はそれが出来ないでいる。お前の所為で、お前が大好きな彼女の青春は味気の無いものとなっている!!何が園部さんの為だ!!彼女の青春の邪魔をするな!!」


 僕は力の限り叫ぶ。


「いいか!?お前は迷惑なんだ!!!お前はクズだ!ゴミだ!!ただの変態だ!!!!一生ニンニクオカズにしてろ!!!バカが!!!」


 その瞬間。


 彼が僕の視界から消えた。


 そして、


「ヂェェルルルルリリリリィィィィィィィィィィッッッッス!!!!!!」


 僕の右頬に激痛が走った。


 やはりまともに片思いすら出来ないヘタレ集団だ。


 取るに足らない。全ては僕の掌の上。


 やがて僕は意識を手放した。

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